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 私は、ゆっくりと瞬きをした。  そこに広がるのは、夜の薄暗がり。  雨の音が、戻ってくる。  ザアアアアと、途切れることなく。  私はぽつんと呟いた。  「·······居なく、ならなかった」  彼が、かすかに身じろぎする。  「居なくなったりしませんよ。人間ですから」  少し低い声でそう言った。  花火は終わった。  私たちの時間も終わってしまった。  だけど、私は尋ねずにはいられなかった。 「何を、いいかけたの?」 「···········」  暗がりの中、彼の表情はよく見えない。     彼の唇が動いた。  だけど、それはとても小さな声で、雨の音にかきけされて、私には全然聞こえなかった。 「え?ごめん、よく聞こえなかったんだけど」 「―――――レ······です」 「······え?」 「――――·······」  「ごめん、本当に。聞こえない、んだけど」  その瞬間、私の頬に冷たい手が触れた。  息を呑む。 「なに····」  私がもう一度聞き返すのと、彼がそのまま私の唇を奪うのとは、ほぼ同時だった。  「···········―――――っ」    突然降ってきたその感触に、私は抵抗することもできず、ただ呆然とそれを受け止める。  ただ頭が真っ白になって。 「·······っ」  彼は、すぐに唇を離した。  そして、言った。 「―――――好きです」  そして、そのまま、私の目をまっすぐに覗きこむ。  私はどくん、と身体の内側で何かが震えるのを感じた。  そして、彼は、誰にも何も否定できないような、信じられないほど揺るぎない表情で、――――こう言った。 「あなたが好きです。ずっと。ずっと好きでした」  くしゃりとその顔が歪む。   「ずっと好きだったんです。どうか、オレのことを見てください」  私は、無意識に喉の奥を鳴らした。  また雨の音が、遠くなる――――。  いつの間にか、力の抜けた指先から、燃え終わった線香花火が、ぽとりと草の上に落ちた。 「······え」  私はぐちゃぐちゃの頭で必死に状況を理解しようと試みた。  そんな私に彼が言う。 「こんなこと言ったら、ストーカーみたいだって言われるかもしれないけど」 「···········?」 「····やっ、分かってます。気持ち悪いこと言ってるって。オレ、自分でも自覚は、····あるんです」 「············??」 「だけど、オレのこと、本当にわかりませんか? 毎日、顔だけは合わせてるじゃないですか·······っ」 「――――ええ??」  必死に詰め寄ってくる切なげな顔に、私は混乱した。  こんな人、会ったことあったっけ?  取引先の社員の方のお子さん?   行き付けの食堂のバイトの子とか?  いや、――――毎日? 「――――バス!」  彼が、我慢できなくなったように声を張り上げた。 「バスです! オレ、毎朝あなたと同じバスに乗ってるんです!」  私は目をぱちくりさせた。 「バ、バス······?」 「そうです。いや、知るわけないですよね·····。オレ―――、あの、沖田祥平っていいます。市内のデザイン事務所で働いてます。 毎朝、あなたと同じ3番線の、駅前行きに乗ってるんです」 「あ·······」  それは、確かに私が毎朝乗るバスと同じ路線だった。  私はあからさまに狼狽を隠せない。 「デ、デザイン事務所?あなた、学生じゃなかったの?」  訊くと、彼はほんのすこしむっとした顔になった。 「そんなこと一言も言ってません。よく童顔だって言われるけど! こう見えて、28です!」  ――――まさかの年上。  だけど、朝の通勤時間帯は、そもそも車内に人がすし詰めだし、良い大人が全力で押しくらまんじゅうをしあってるみたいな状況なのだ。  そんな状況で、元々知り合いでも無い人を判別する余裕なんて、あるわけもない。  彼は視線をそらしながら、余裕の無い表情を誤魔化すように、くしゃくしゃと自らの前髪を押さえた。 「乗るバス停は違うけど、―――いつも朝から、上手にバランス取りながら立ったまま寝てる姿が·····その、あんまりにも可愛くて」  なん、て。  私は、ただ言葉を失って呆然とその顔を見つめている。 「ずっと声をかけてみたいなぁ、て思ってたんです。だけど、全然勇気がでなくて。ていうか、会うとき、あなたは大概爆睡してるし。起こすのも可哀想だし」  なんということだろう。  私は様々な原因による恥ずかしさと、いたたまれなさで、どんどん俯いていくしかない。 「最悪········」  そうして、彼はここ何日間の間に起こった出来事を説明しはじめた。
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