51人が本棚に入れています
本棚に追加
8,
金曜日の夜、オレは会場近くの土手につくなり、自分の考えが甘かったことを思い知らされた。
とんでもない人ごみ。
この中から、誰かにひとりを見つけ出すなんて、かなりの至難の技だ。
それに、頑張って仕事を早く終わらせて退社してきたとはいえ、時刻は、八時すぎ。
そもそも、彼女が来ているという保証すらも、どこにも無かった。
ただ、オレは、花火がはじまる前、あと30分の間に、どうしても彼女を見つけたかった。
オレは会場を駆け回って、必死に彼女を探した。
そして、信じられないことに、沢山人が行き交うあの土手の上の道で、彼女を見つけた。
(······っ。あ!!)
心のなかで思わず声が上がった。
彼女はオレと反対方向へ歩いて行こうとしていた。
オレはすれ違いざま、雑踏のなかに紛れた彼女の姿をはっきりと見つけ出した。
「··········っ」
オレは慌てて進む向きを変えた。
彼女がどんどん人ごみにまぎれていく。
だけど、進行方向には流れのようなものがあって、オレのまわりは、完全に彼女の進む向きとは逆方向に流れていこうとしていた。
そこから抜け出して彼女を捕まえるのは、並大抵のことでは無かった。
だめだ。
見えなくなる。
もう見えなくなる。
行かないで。
オレは出来ることなら彼女を呼び止めたかった。
だけど、名前も何も知らなかった。
必死な思いで見つけだしたのに――ー。
どうやって、呼び止めたら。
どうやって、呼び止めたら。
「―――カイヅカさんッ」
咄嗟に叫んだオレの言葉で、彼女が振り向いてくれたのは、本当に最大級の奇跡だった。
たぶん、突然大声がしたから、それで振り向いただけなのだというのは、分かっていた。
―――行かないで。
オレは、もう一度呼んだ。
「あのっ!突然すみません!待って!待ってください!」
真っ直ぐに彼女の目を見つめながら。
どうか伝わってくれ、と心の底から祈った。
彼女が足を止めた。
オレは、息をきらしながら、必死に人ごみを掻き分けて、もう一度その名を呼びながら、彼女のもとへ駆け寄った。
「カイヅカさんッ」
オレは、懸命に呼吸を整えて彼女の顔を見下ろした。
「すみません。人違いですよ」
彼女は少し困ったような顔で、至極まともなことを言った。
オレは慌てた。
呼び止めたは良いものの、何と言って声をかけるかという肝心なことを、何一つ決めていなかったのだ。
とりあえず彼女がどこかへ立ち去ってしまわないように、とそう思って咄嗟にこう言ってしまった。
「あっ、いえ!人違いではないんです!」
すると彼女はぷっと吹き出した。
そして言う。
「違うんですか?あれ。私、カイヅカさんじゃないですよ」
「あ、いえ、あの·····そうじゃなくて」
「なに?新手のナンパ?」
彼女は、どこか面白がっている。
焦ったオレは、右手で左の耳たぶを触り、その拍子に、現在時刻が何時であるかということに気がついてしまった。
午後八時二十九分。
―――――まずい。
「あ、いや、そんなのは全然違うんです、あの―――――」
彼女が怪訝そうな表情でこちらを見ている。
まずい、不審者認定される。
しかも、時間がない。
オレには、打ち上げ花火を見ることが、絶対に出来ない。
事態を打破するために、ポケットに手を入れる。
しょうもないガムが何個かと、昼間仕事で使った付箋紙が入っていた。
それで、どうにかするしかなかった。
きゅううぅ······―――
ドオォン!
花火が打ち上げられた瞬間、オレは本能的に目をぎゅっとつむって。
まずい――――。
このままここにはいられない。
だけど、やっと見つけた彼女をどうしても手放したくない。
気がつくと、オレはスマホケースに付属してつけていた小さなペンで付箋紙にメモを書き、それを咄嗟に、花火に見惚れている彼女の右肩に張り付けた。
そして、激しい頭痛と吐き気を感じながら、逃げるようにその場を後にした。
家に帰って、頭痛が、落ち着いてから、ようやく我に返ったオレは、死ぬほど落ち込んだ。
ずっとずっと、好きだった子に、なんて不気味な真似をしてしまったんだろう―――――と。
最初のコメントを投稿しよう!