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「こんな夜中に、こんなところで何してるんだい?」
「あっ」
俺は慌てて立ち上がる。
「ばいきんまんじゃないか?」
「……」
どうしてこんな暗いのにすぐにバレてしまったのだろう。そして、その場を立ち去ろうとした瞬間、
「待てー! ばいきんまん!」
「やーだよー」
いつものように逃げようとする。何回も何回も繰り返したやりとり、ただの追いかけっこ。
「ねぇ、君は理由があってここに来たんじゃ無いのか?」
その言葉に俺は足を止めてしまった。
どうしてここにいるのかは自分でもわからない。ただ、温もりのようなものを求めていたらここにたどり着いていたのだ。
「……」
アンパンマンは俺の横に駆け寄ってきて「つかまえた」と言って、俺の顔を覗き込む。
「あれ? おでこのところ、腫れてる。もしかして、今日のアンパンチのせいかい?」
「ちがう。アンパンチじゃない。転んだんだ」
「そっか。今日のアンパンチは痛かった?」
「痛くない」
「なら良かった」
安心した様子で笑顔を見せる。
「どうして、いつも痛くないパンチができるんだ?」
「僕にもよくわからない。なんとなくパンチしているだけで……。ところで、ばいきんまん。今日はどうしたんだい? タピオカくらい買えば良かったじゃ無いか。それなのに人の物を無理やり奪うなんて」
「いや、これは俺が悪いんだ」
「どうして?」
「話したくない」
「話してみろって。わからないから」
「話すのも辛いんだ」
「そうなのか……」
ぐーーーーーーーーーー。
このタイミングで腹の虫がなるとは。そういえば今日は朝から何も食べてなかった。
「おなかが減ってるのかい?」
「……」
「ほら、食べなよ」
「……」
「ほら」
自分の意地より食欲が負けて、差し出されたそれを俺は口に頬張る。
「うまい、うまいよ。アンパンマン」
俺は食べながら大粒の涙を流した。泣き止んだ時にアンパンマンを見ると笑顔で俺を見つめていた。それを見て俺は今日の話をしようと思った。
「実はね……」
朝起きて洗濯を終えた頃、テレビをつけると王様のブランチがやっていて、見始めた頃にドキンちゃんが起きてリビングへやって来た。俺はテレビを見るのをやめてドキンちゃんのためにコーヒーを入れてリビングのテーブルへ置く。俺の方など見向きもせずコーヒーをすすりながら、しょくぱんまんが司会をやっているその番組に夢中だ。俺はトーストを焼くためにキッチンに戻った。
「ねぇ、ばいきんまん。タピオカ飲みたい」
「タピオカ? いつものところでいい?」
近所のタピオカなら歩いて5分で買いに行ける。おそらく今日の気分なら、タピオカミルクティで正解だろう。
「ちがう、テレビでやってるところの」
指を指した先はテレビ画面だ。どうも新しいタピオカ屋が森にできたらしく、タピオカ屋の前で若いレポーターがきゃぴきゃぴやってる。
「ねぇ、ばいきんまん。私、ここのタピオカが飲みたいって言ってるんだけど」
「え?」
「聞こえないの? ここのタピオカが飲みたいの」
新しいタピオカ屋にはここからどうやっていくのだろうか。せめて店名だけでも記憶しておかなければ。慌ててテレビの前に向かう。
「ねぇ、聞いてる?」
「えっ!?」
テレビ画面に店名が出た瞬間、ドキンちゃんが俺の足を蹴飛ばし、転んでしまった。
慌ててテレビ画面を見ると、本のランキングに切り替わっていた。
店名がわからなかった。
「あのさぁ、ちゃんと言わないとわからないの?」
「お店の名前が何かなと思って、テレビ見てたんだけど」
横を見るとドキンちゃんはいない。
後ろを振り返ると、先ほど俺が入れたコーヒーを持って俺のところに近寄ってきた。
「ねぇ、さっきのお店のタピオカが飲みたいの」
「あぁ……、でも店名が……」
言い終える前にドキンちゃんがコーヒーのマグカップを俺の頭の上に持って行き、そして逆さにした。
「熱いっ、熱いって」
慌てて俺はキッチンに駆け込み、シンクに頭を突っ込み水道の蛇口を全開にして頭から全開の水をかぶる。
入れたての熱いコーヒーを頭からかけるなんで、どうかしてる。なんなんだ、この女は。
「あのね、タピオカが飲みたいっていうのは、今すぐここに持ってこいってこと!」
水道で頭を冷やす俺の横腹を思いっきり蹴っ飛ばしてきた。俺はその勢いで横に転がり、うずくまる。
息が、苦しい。
完全に隙を突かれたので、モロに受けてしまった。
「早く行けよ」
転がった俺の腹をさらに蹴り上げてくる。
「ほら、わからねぇのかよ」
足元のマグカップを拾い、俺の顔の上をめがけて落とす。
ギリギリ避けたつもりだった。しかし、マグカップはこめかみにぶつかり視界が歪んだ。俺が避けようとしたのを見て落とす場所を変えたのだ。
「制限時間30分。ほら、どんどん時間がなくなるよー」
スマホのカウントダウンタイマーを俺に見せつける。どんどん数字が減っていく。
もう、俺には行くしか無い。
ズキズキ痛む腹と頭を押さえながらゆっくりと立ち上がり玄関へ向かう。
「ばいきんまーん、いってらっしゃーい」
ドキンちゃんは家から出ようとする俺に向かって笑顔で手を振る。彼女はいったいどういう気持ちなのだろうか、まったく理解できなかった。
玄関から車庫へ向かい、バイキンUFOへ乗りこむ。
とりあえず目的地を知る為にツイッターを開いて検索する。
『ブランチ タピオカ』
しばらくスクロールしていくと、店名が記載されていた。
『コンチャ』という名前の店か。
ナビに目的地を入力し、エンジンスタートボタンを押した。
時計を見るとすでに5分が経過している。急がなければ。
「目的地まで直進してください」
ナビの言う通り、UFOを全速力で走らせる。
少し走ると目的地までの到着時間が出てきた。
目的地まで15分
つまり、往復したら30分。これじゃ、行って帰ってくるだけで時間切れ。もし、店が混んでいたら終わりだ。そう思って森のタピオカ屋へ急いで向かった。
森の中にポツンと一つバルーンが上がっており、祝 開店と書かれていた。
ナビの目的地もその辺りだから、タピオカ屋はそこで間違いがないだろう。
そして、その店にはすでに行列ができていることもわかった。
とりあえず近くにUFOを着陸させ、木陰で様子を伺う。
タピオカを30分以内に持って帰らないと俺は死ぬ。いや、死なない程度にボコられる。絶対に殺そうとはしない。弄ぶのが楽しいからだ。
タピオカ屋の看板を見るとS420円、M480円、L560円と書かれていた。
財布を持たずに出てきてしまった。買うだけの金がどこかにあるだろうか。ポケットを探り、UFOの中の小銭を全て集めると420円だった。
ショートサイズなら買える。
とりあえず列の最後尾に並ぶ。すると、店員がラミネートされたメニュー表を俺に渡して「ご注文は何にしましょうか?」と訪ねてきた。
「Sのタピオカミルクティーで」
「申し訳ございません、ただいまSは販売しておりません」
「販売してない?」
「ただいまの時間はMのみの販売でございます」
「はぁ? メニューにSって書いてあるじゃんか」
「申し訳ございません。現在、大変混み合っていますので、ワンサイズのみの販売とさせていただいております」
「ふざけんなよ」
平謝りの店員にメニュー表を投げつけた。すると店員は俺を無視して次の客のオーダーを取りに行った。
俺には売らない気か!?
バカにしやがって。くそ、くそ、くそっ!
420円をきつく握りしめ、森の木を蹴飛ばした。蹴飛ばしたって何にもならないことはわかっている。ただむしゃくしゃしていた。
でも、どうする? 手ぶらで帰るか? 金がなかったから買えなかった、って言うか?
だめだ、どちらにしてもボコられるのは目に見えている。
仕方ない。いつものをやるしかないか。
俺は辺りを見回しトロそうなやつを探す。
あいつだ。
ちょうどよくタピオカをたくさん抱えたカバオを見つけた。
「おい、それうまそうだな」
「なんだよ、急に」
「うるせぇよ!」
思いっきりカバオの右頬を殴り、怯んだ隙にタピオカを一つ奪った。
「これは俺のもんだ。あばよ」
目的の物は手に入れた。あとは急いで帰るだけだ。
木陰に隠してあったUFOに乗り、上に飛び上がった瞬間、
「バイキーンまーん」
「あんぱんまん!?」
くそ、なんでいつもこんな時に現れるんだ。
「タピオカをカバオくんに返すんだ」
「嫌だよ。これを持って帰らないと、俺は、俺はっ」
「アーンパーンチ」
「あーれー」
俺はアンパンチによってバイキンマン城へ飛ばされ、タピオカはカバオの手に戻った。
玄関の扉を開けて中に入ると、ドキンちゃんが駆け寄ってきた。
「ねぇ、バイキンマン。タピオカは? 待ってたんだからー」
「……」
俺は黙って俯く。
「もしかして、手ぶらで戻って来たの?」
俺は小さく頷いた。
「タピオカも買ってこれないのかよ。この無能が!」
前蹴りで蹴り飛ばされ、俺は玄関から外へと転がった。そして、そのまま扉が閉まり鍵がガチャリと閉まる音がした。その場でへたり込んだまましばらく動けなかった。
「はぁ、無能か」
悪事を働いても何も手にすることもできず、自分の家に帰ってきては追い出されてしまった。本当に無能だな。
はぁ、とため息をついてフラフラと歩き出す。家の中からは「しょくぱんまんコンサート」の音楽が大音量で聞こえてきた。
俺っていったい何のために生きてるのだろう。
行くあてもなくUFOへ乗り込んだ。
「そうしたら、ここへ来ていたんだ」
「そうか、バイキンマン。君も大変なんだね」
「アンパンマン……」
「そうだ、これをお食べ」
渡されたまま『それ』を頬張る。
「うまい、うまいよ」
「そうか、それは良かった」
「うまいし、なんだか元気が湧いてくるんだ」
「そうか、それは良かった」
「こんなうまいもの食べたことないや」
「そうか、それは良かった」
また一口、また一口と口に入れる。
「そういえば、初めてアンパンチされた時を覚えているんだ。その時は痛かったよ。それを言ったら次から優しくしてくれたよな。どんどんパンチが上手になってきて、今はまったく痛みのないように俺をバイキンマン城へ飛ばすようになったんだ。アンパンマンは最初のアンパンチを覚えているか?」
「実は覚えていないんだ」
「そうか、じゃぁ初めて出会った時の事は?」
「それも覚えてない。というか、今日の記憶もあいまいなんだ」
「あんぱんまん、お前もしかして」
「僕は顔が腐らないように、常に新しい顔に交換している。だから、たくさんの事を記憶ができないんだ。本当に大事なこと、例えば言葉や善悪、みんなの名前などは頭でなくて心、体が覚えているのだけれど、昨日のことは何も覚えてない。ごめんね」
「あやまるなよ。そんなのアンパンマンが悪いことなんかじゃない」
「いつも君をぶってばかりでごめん」
「違うんだ、俺は悪いことをしているからぶたれているんだ。だから、アンパンマンが悪いんじゃない」
「じゃぁ、ぼくが君をぶたないように、悪いことをしないと約束してくれるかい?」
「それは……」
できない。金がないのにタピオカを買ってこいと言われたら、強奪するしかないだろう。ほかに方法がないのだから仕方がないじゃないか。
「もしドキンちゃんがタピオカを食べたいと言わなければ、君は強奪しなかった。違うかな?」
「わからない」
タピオカが食べたいと言わなくても、あれが欲しい、これが欲しいは必ず言うだろう。それを俺は叶えてあげなければいけないのだ。
「どうしてバイキンマンはドキンちゃんと一緒にいるんだい?」
「どうして?」
俺はハッとして顔を上げる。
「一緒にいなかったらもっと幸せなんじゃないかい?」
「いや、それはない」
「どうして?」
「ドキンちゃんはバイキン扱いされる俺を人として見てくれた初めての女性なんだ。わがままで暴力も振るうし、俺よりしょくぱんまんの方が好きだってわかってるんだけど、でも一緒にいてくれる。俺みたいなやつと一緒にいてくれるんだ。俺にはそれだけで十分なんだ」
そう言った瞬間涙が溢れてきた。
俺は一体なんなんだろう。俺の生きる意味って一体何なのだろう?
「バイキンマン」
俺の背中が何かで包まれた。
振り返るとアンパンマンが後ろから抱きしめてくれていた。
暖かい。人の温かさというのはこういうものなのか。
幸せというのは本来こういうものなのかもしれない。
「ほら、お食べ」
「うん」
俺は抱きしめられたまま後ろから差し出されたパンを泣きながら食べる。うまい。これほどまでにうまいものはない。そして、食べると元気が出てくる。なんだろう、この食べ物は。
「もしかして、これって!?」
「そう、僕の顔さ」
振り返るとアンパンマンの顔がもう半分以上なかった。
これ以上食べてしまったら、アンパンマンにはもう歩く元気も残らない。
それでも顔をちぎって俺に差し出してくる。
「もう、いいよ。ありがとう」
俺は立ち上がると、アンパンマンが俺に向かって倒れてきた。顔をちぎりすぎたのだ。
「アンパンマン、今度は俺が助ける番だ」
アンパンマンの体を担いでパン工場の入り口に向かう。パン工場の裏側から入り口にはすぐにたどり着ける。それに、不思議と疲れない。元気ばかりが溢れ出してくる。きっとアンパンマンの顔のおかげだ。
パン工場の入り口へ着くとインターホンを押した。
「はい、ジャムおじさんのパン工場です」
小高い声で返事が来た。バタコだ。
「新しい顔を頼む」
そう言って、玄関先にアンパンマンを座らせた。
俺はバタコが出てくる前に去ろう。アンパンマンならここまでくれば大丈夫だ。
「待って、バイキンマン」
「なんだよ?」
「ほら、見てごらん。星が綺麗だよ」
アンパンマンの拳の先には満点の星空があった。
ドアの鍵を開けようとガチャガチャと音がしたので、慌てて物陰に隠れる。俺がここにいてはいけない。こっそりとUFOに乗り込み、バイキンマン城へ戻った。なんとかこっそりと裏口から家に入って、その日は自分の部屋で眠った。
翌朝、
「ドキンちゃん、俺にもう一度チャンスをくれ」
「はぁ?」
「タピオカを買ってくる」
「もういいわよ」
「いや、君のために何かしたいんだ」
「好きにしたら」
俺はへそくりから五百円玉を一枚取り出し握りしめ、タピオカ屋へ向かった。列は昨日と同じくらい長く続いていた。買うのに30分はかかりそうだ。
昨日とは別の店員がメニューを配り、注文を取っていた。俺はタピオカミルクティーを注文し、メニューを後ろの人に渡そうとすると、そこにはカバオが立っていた。
「あっ、カバオ」
「バイキンマン」
俺たちは見つめあった。そして、俺は頭を下げた。
「昨日は悪かった。ぶったりして」
「反省していればいいんだ。もう人のものはとるなよ」
「あぁ。すまなかった」
俺は深々と頭を下げた。やっぱり強奪なんてしちゃダメだ。たとえどんな理由があっても。
そして自分の番が来て五百円玉を支払う。本当はタピオカなんかよりもノートと鉛筆を買おうと思っていたけれど、もういいんだ。勉強なんてしたって大学にいけやしないし。バイキンが勉強したところで、待っている仕事はゴミ集めくらいなものだ。俺にはその仕事が似合ってる。
やっと手に入れたごんちゃのタピオカミルクティー。うまそうだけれど俺が飲んでしまったらドキンちゃんが激怒するのは目に見えている。我慢してUFOに乗り込もうとすると、
「バイキンマン、それは誰の分だい?」
カバオが訊ねて来た。
「これは……」
「どうせドキンちゃんのだろう?」
「……」
「自分の分はないのかい?」
「ない……」
「じゃぁ、これやるよ」
カバオが10個買ったうちの一つのタピオカミルクティーを俺に差し出した。
「えっ?」
「飲みたいんだろう?」
「いや、でも」
「やるよ」
そういえば、カバオの家は金持ちだった。毎日おやつを買って友達に配っているくらいだ。一つくらいもらってもバチは当たらないかもしれない。
「ほらっ」
押し付けられたコンチャのタピオカミルクティーを俺は受け取る。
「ほら、飲んでみなよ」
と、さとされストローをさしてすする。タピオカがツルツルと口の中に入り、噛むと独特の柔らかな食感が面白い。
「うまい」
「だろう?」
カバオは満面の笑みを浮かべる。
「ぼく、美味しいものをみんなで食べるのが好きなんだ。みんなが笑顔になれるだろう? もし食べるものに困ったら僕のところに来なよ。また美味しいものを食べさせてあげるから」
「あっ、ありがとう」
そう言ってカバオに手を振ってUFOに乗り込んだ。
こんなに美味いもの、ドキンちゃんが飲んだらきっと喜ぶだろうな。
ドキンちゃんの笑顔を想像しながら「今から帰る」とラインすると、「ちょっと今忙しいから返ってくるのは一時間後にして」と返事が返って来た。このメッセージの時は、別の男が家にいる場合だ。
仕方なく、俺はUFOでドライブして時間を潰すことにした。ちょっと海の方でもいってみようかなと思っていると、パトロール中のアンパンマンを見つけた。
「おーい、あんぱんまーん」
「やぁ、ばいきんまん。今日はいい天気だね」
本当にカラッと晴れた五月晴れだった。嫌なことも忘れて清々しくなれそうな天気だ。
「アンパンマン、昨日の夜のことは覚えているかい?」
「昨日の夜? 雨でも振ったのかい?」
「違うよ、最高の星空だったのさ」
二人で見上げた最高の星空。君は忘れてしまった。
けれど、僕は覚えている。
君が忘れても、ずっと。
君の代わりに僕が。
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