もう帰りたくない

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もう帰りたくない

あるところに、かわいいかわいい絵を描く女の子がいました。その女の子は絵だけでなく見た目も愛くるしいかわいい女の子でした。「ゆめかわいい」雑貨のデザイナーとして最年少デビューしました。 小学6年生なのに天才、天才と周りにおだてられて、女の子は天才として振る舞うことにかなり疲れていました。女の子の名前は美結花ちゃんといいます。 美結花ちゃんのママはごくごく普通の主婦でパパもサラリーマンです。美結花ちゃんはママとパパの期待を一心に受けて、個性的な天才であり続けようとしました。美結花ちゃんのお姉さんは中学三年生の芙美花ちゃんです。中学受験で都内の有名トップ校に入っていて、勉強がとても出来ます。 絵が上手い個性的な美結花ちゃんと、勉強が出来る芙美花ちゃん、対照的な二人を育てたママは、講演会を開いたり、子育てについての本を書いてお金をたくさん稼ぎました。『武庫川ママの個性派子育て』という本はベストセラーになりました。美結花と芙美花のママでしかなかった武庫川幸子は、世の中のママの憧れの的になりました。 そんなある日のことです。絵が上手い美結花ちゃんが行方不明になりました。どこを探しても、警察に届けを出しても、ビラを配っても美結花ちゃんは戻って来ません。 実は美結花ちゃんは夜寝ているときに夢の中で、童話の世界に迷い込んでいました。そして、その世界の妖精の少年から取り引きを持ちかけられました。 「勉強が出来るお姉ちゃんを見返したいんだろ?僕が良いアイディアと力を貸すよ」 美結花ちゃんの手のひらサイズの妖精の少年は、どきりとするくらい妖しい美しさで、美結花ちゃんに取り引きを持ちかけます。 「羽根でほっぺたくすぐらないで…」 照れている美結花ちゃんに妖精の少年は、 「アイディアと力、それに初恋も一緒にプレゼントするよ」 少年の妖精は猫のスコティッシュフォールドなまん丸な目をウルウルさせて美結花ちゃんの前に、一輪の花を手渡しました。 美結花ちゃんは、学校のみんなが騒ぐアイドルも真っ青な可愛らしい妖精から、一輪の花を受け取ってしまいました。これが誘惑の花とも知らずに。 その小さな花を受け取った瞬間、美結花ちゃんは、天才的な画力とアイディアの閃きを手に入れました。 そして、夜寝ているときに夢の童話の世界で見てきたかわいいものを現実世界で描き続けました。 夢の童話の世界では、手のひらサイズだった妖精の少年が少しずつ少しずつ大きくなっていきます。 夢の童話の世界と現実世界を行ったり来たりしているうちに、美結花ちゃんは少しずつ痩せていきました。夢の童話の世界で美結花ちゃんに優しくしてくれる妖精の少年は、美結花ちゃんが痩せる度に人間のサイズに近づくように大きくなります。 「言ったよね?初恋もプレゼントするって。もう少しで美結花ちゃんを抱きしめられるよ」 優しそうに見えた妖精の少年の瞳が一瞬だけ意地悪そうな輝きを見せました。でも、美結花ちゃんは気がつきません。妖精の少年が与えてくれた天才的な画力と、初めて意識した『好き』という気持ちで周りが見えなくなっていました。 「もう、帰りたくない。ルースにもらった力で私の本当の力じゃない。お姉ちゃんは嫉妬して八つ当たりしてくるし、ママは教育評論家気取り、パパまで自分の手柄みたく自慢してる」 美結花ちゃんは、妖精の少年ルースの前で弱音を吐いてポロポロと涙をこぼしました。また一回り妖精の少年ルースは大きくなって、泣き崩れる美結花ちゃんをしっかり抱きしめました。 そして、美結花ちゃんが気を許した瞬間、美結花ちゃんの魂を吸い取りました。 「ヘヘッ、チョロいね。才能とアイディア、それを引き替えに魂を売る。人間って弱いくせに特別で個性的な力を欲しがるから。人間の魂は欲が深い分、食べると旨いんだよ」 妖精の少年ルースは、魂ごと取り込んだ美結花ちゃんをお腹の中に閉じ込めて、じわりじわりと生気を吸いとっていきます。ただでさえ痩せていた美結花ちゃんが骨と皮だけのミイラのようになっていきます。 その頃現実世界では美結花ちゃんのママ、武庫川幸子は半狂乱になって、叫び続けていました。 「お願い、もう何も望まないから美結花を返して!犯人は誰なの?美結花が有名にならなきゃ良かったの?普通の子でいい、有名なママになんかならなくていい。美結花と芙美花、二人が元気でいてくれればいいの!」 現実世界のママの声に反応するように、妖精の少年ルースの中で生気を吸われていた美結花ちゃんは、最後の力をふり絞って叫びました。 「もう、力なんていらない!目立たない子でいい!帰る!」 美結花ちゃんが、叫ぶと、妖精の少年ルースはお腹をひくひくさせて、下を向いて美結花ちゃんを吐き出しました。ルースはゼイゼイ言いながら、 「ちっ、もう少しで魂ごと取り込めたのに!」 そういって飛び去ってしまいました。美結花ちゃんは、かわいらしい童話の世界から真っ暗な暗闇に変わった世界を、一歩ずつ一歩ずつ、一筋の白い光に向かって歩き続けました。 気がつくと家の近くの公園に出ていて、一目散に家まで走って帰りました。 玄関を開けて靴を脱ぎ、廊下を走ってダイニングまで行くと、泣き腫らした目をしたママが、驚いて椅子から立ち上がりました。 「美結花…!」 「ママ…」 夢の童話の世界のことなど話せなくて、ただただ、ママに抱きついてしくしくと美結花ちゃんは泣き続けました。 やっと帰ってこられた。もう、普通の子でいい。美結花ちゃんもママも同じ思いでした。美結花ちゃんのパパは美結花ちゃんのいなくなった理由を問い詰めようとしました。でも、美結花ちゃんの言い分があまりにも現実離れしているので、困りました。 童話の世界に迷い込んでいたなんて、警察や世の中の人に言えません。仕方がないので、親戚との行き違いで3日間親戚の家にいたことにしました。 一件落着、めでたしめでたし…。と言いたいところですが、一人舌打ちしている女の子がいました。芙美花ちゃんです。 「あんな妹いなくなれば良かったのに」 美結花ちゃんを世間に天才、天才と持ち上げさせてから、どん底に叩き落としてやろうと芙美花ちゃんは企んでいました。 ネットで見つけた黒魔術や呪いの類いを片っ端から試していました。いつも要領よく良いとこ取りをする、年下だからと厳しくされない、勉強も苦手ならそれでいいかと親から甘やかされる妹が憎くて憎くて堪らなかったのです。 でも、実際に妹がいなくなると、芙美花ちゃんはライバルがいなくなったようで、張り合いがなくなりました。戻ってきた妹を見て芙美花ちゃんは、 「まっ、なんの力もない妹なら引き立て役になるか」 そう呟いて、呪いの人形から妹の写真を剥がしてゴミ箱に捨てました。 芙美花ちゃんは気づかないようですが…。熊のぬいぐるみの形をした呪いの人形は夜中にゴミ箱をよじ登って抜け出しました。芙美花ちゃんの枕元で、熊のぬいぐるみがささやきます。 「呪いの代償を貰うよ、君は明日からお馬鹿になる。どんなに勉強しても成績が上がらない。君が妹を呪うときに言ったよね?代わりに何でも差し出すって。君の集中力を奪い去ってくから。人を呪わば穴二つだよ?」 そう言うと、熊のぬいぐるみは芙美花ちゃんのこめかみに噛みついて、集中力を吸い取って、満足そうに口元を拭きました。 「人間の憎しみほど旨い食べ物はない。嫉妬、憎悪、なんてデリシャスな味…」 熊のぬいぐるみは食べ過ぎて張り出したお腹を、ポンポン、タプタプと右手で軽く叩いて芙美花ちゃんの部屋の窓から雨どいを伝ってどこかに消えてしまいました。 それからの芙美花ちゃんは成績低下に悩まされ、一年ほど集中力がない状態が続きました。ギリギリの成績で放校を免れて、なんとか高等部に進みました。呪いの代償の支払いを済ませた芙美花ちゃんは集中力を取り戻しました。成績も少しずつ上昇しています。 その頃妹の美結花ちゃんは、普通の女の子として中学生としての日々を過ごしていました。お姉ちゃんの芙美花ちゃんと違って進学校には縁がありません。のんびりとしたお上品な私立の女子中学に入って、コツコツ勉強や部活を頑張っていました。 美結花ちゃんは美術部に入りました。妖精ルースの力を借りなくてもいいように、自分の力で絵を描く楽しみに目覚めました。 妖精からもらった力よりも、自分の力。 美結花ちゃんの手は、デッサンで使う木炭で真っ黒、部活で使うエプロンは跳ねた絵の具の染み。利き手の右手は腱鞘炎になりかけています。 描いては消し、描いては消し、なかなか上手くならない。それでもやっぱり美結花ちゃんは絵が好きなようです。 クロッキー帳に向かう美結花ちゃんの前を懐かしい何かが横切ります。 あの妖精の少年ルースが、美結花ちゃんの前をひらひらと飛び回りながらささやきます。 「そんな苦労しなくても、いつでも力を貸してあげるよ?」 美結花ちゃんは、深呼吸をひとつ。意を決して木炭から6Bの鉛筆に持ち変えます。狙いを定めて、飛び回るルースの心臓目掛けて鉛筆を突き刺しました。 「私を取り込んで殺そうとしたくせに…。ルース、あなたはは妖精じゃない、悪魔」 鉛筆が突き刺さったまま絶命したルースの亡骸を美結花ちゃんは学校の花壇に埋めてあげました。ルースのことを悪魔と言い切ったのに美結花ちゃんはほんの少し目元が潤んでいます。 「今度生まれ変わるなら、妖精や悪魔じゃなくて人間になって。私を見つけて本当の初恋をプレゼントしてね」 土をかけて手を合わせる美結花ちゃんは、涙をぬぐい、部室に戻って絵の続きを描き始めました。泣かないように、痛いほど奥歯を噛みしめて。 クロッキー帳で決めた構図をキャンバスに写す。まだ色が載せられていない下絵には、最初に会った優しい妖精のルースと花畑が描かれていました。 妖精の少年ルースはいなくなった。 実は妖精じゃなくて、人の魂を食べる悪魔だったから。 でも、美結花ちゃんの絵の中では優しい妖精少年のまま、ずっと、ずっと、生き続けています。 (完)
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