Episode1 野球場のシンデレラ

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「今日のスタメンを発表します。 一番ショート 日野 二番セカンド 望月 三番センター 篠川 四番サード 三条 五番レフト 須賀 六番ファースト 朝日奈  七番ライト 加賀美 八番キャッチャー 皆藤 九番ピッチャー 氷川 以上です」 「私七番!?」 「昇格したね、良かった」  翔はジェニファーとハイタッチし、皆から賞賛されていた。 「加賀美の打順昇格はある意味期待が込められている。練習の成果、その片鱗でも見せてみろ」 「おうよ!」 「宮田さん、関東北の情報の最終確認」  はい、と真由は前に出た。 「今年の関東北はあらゆる面において隙がありません。まず、エースの吉田。右の本格派で、最速142キロのストレートと、キレのあるスライダーが武器です。球種はスライダー、カーブ、チェンジアップの三つ。カーブは真ん中に入ることがたまにあるので、そこは見逃したくありません。スライダーは真ん中に入ることはほぼありません。注意しておいて下さい」 「はい!」 「打線は打球を叩きつけるよう訓練されています。フライは滅多に上がらないので、低めのボールは注意してください」  やはりすごいな。宮田真由、恐ろしきかな。 「監督、終わりました」 「ああ、おつかれ。じゃあ練習行きましょう。宮田さんの言ったことを意識しながら」  そう言って練習が始まった。練習といってもウォーミングアップ程度。例によって楡木の球は柊が受けた。 「そのアンダースロー、隣でやられると鬱陶しいわね。別のところで投げて?」  「あなたこそ鬱陶しいならどこか行けばいいんじゃないですか? それに、私もあなたが隣にいると邪魔ですし」  凛と桜子はどうしようもなく仲が悪い。どちらも自己主張が強く、負けん気が強い。言い合いひとつも負けたくないのだろう。 「二人ともやめなさい」  千尋が二人を一喝すると、しようも無い言い争いが無くなった。ブルペンに入る度やられては困りものだ。  時間になったのでベンチに戻り、オーダー表を審判に渡す。 「整列!」  審判のその一声で選手らは駆け足でホームベースの前に一列に並んだ。 「これより、関東北高校と、冴島学園高校の試合を開始します。礼!」 「しゃす!」  冴島学園は後攻めである。相手はいつも通りの主力選手で来た。 「大人げないわー。女の子たちに一軍のスタメンぶつけてくるなんて」   千尋がプロテクターをつけながら口を尖らせた。 「当然だよ。小山大付属と関東北はライバル同士。夏の大会も近いのに手の内見せるような真似はしないさ。つまり、練習相手としてウチは格好の的って訳よ」  柊はどかりとベンチに座り、スポーツドリンクをゴクリと飲んだ。 「やってやろうじゃない」  凛は目には見えないオーラを出しながら言った。 「ウチの実力、見せてやるわ」  「プレイボール」  試合が始まった。氷川凛の立ち上がり。左バッターに対しての初球、外角低めに高速シンカーでストライクを取る。その後内角高めのストレートでファウルを取ると、落ちるスライダーで空振りをさせ、三球三振。三者凡退にし、上々の立ち上がりだった。 「どうだ、女子の球は」 「はい、スピードはないのですが、変化球にキレがあります。特にあの高速シンカー。曲がるのが遅く、落ちる速度が速いです」  ふうむ、と柳楽監督は顎をさすった。高速シンカーは高校野球ではあまり見ない球種だ。あれがコースいっぱいに決まるとなると、かなり厄介。 「とにかく粘り、球数を稼がせろ。甘く入ってきたストレートを狙え」 「はい!」 「とにかく粘り、球数を稼がせろ。甘く入ってきたストレートを狙え! って言われてそうですね氷川先輩。ストレートはあくまで見せ球。ストライクゾーンには変化球中心で投げれば打ち取れますね」 「そのようね」  柊と凛は何だかおかしくて微笑んだ。  「よーし、最初のバッターだ。仕事しろよ七海」  一番ショート日野七海。初球、アウトコースにストレート。ボールになった。 (やっぱり速いな)  七海はそう思ったが、 (柊ほどじゃない) と微笑んだ。 『ストレートで押せ。女子だ。変化球を上手く打たれるよりストレートで押した方がいい』  関東北のエース、藤田は監督の言葉を思い出した。 (インコースは来ないかな。来たら頂くけど)  二球目はアウトコースいっぱいにストライク。カウントワンボール、ワンストライク。  七海はホームベースに少し寄った。 (アウトコース一本狙いか? ならインコースにストレートで詰まらせよう)  キャッチャー宇野はインコースに構え、藤田は頷いた。 (来い)  藤田はセットポジションから、インコースに投げた。七海はニヤリと笑った。足をバッターボックスの右の角に踏み込み、思い切り振り抜いた。  心地よい金属の音を残し、打球は一塁線に沿うように飛んで行った。ベンチからは歓声が上がる。七海は快足飛ばして二塁に悠々と到達した。 「さすがキャプテン」 「ナイバッチー!」  七海は塁上で、笑顔でガッツポーズをしている。  二番セカンド望月由香。柊はバントのサインを出した。こういうチャンスはこの先来るかどうかわからない。ワンチャンスをものにしなければ。  由香はバントの構えをした。相手バッテリーとしては、簡単にバントはさせたくない。が、高めにストレートを投げるも、簡単に一塁線に転がされた。これでワンアウト三塁。ここでクリーンナップが来る。  相手バッテリーはタイムを取った。宇野は笑顔で藤田に走り寄った。 「落ち着け。お前の普段の力を出せば簡単に打ち取れる。次はクリーンナップだけど、お前なら簡単にいけるよな」  藤田は頷く。宇野は戻っていった。だが、二人は知らなかった。プロと同等か、それ以上とも言われる篠川律の実力を。  三番センター篠川律は、真ん中低めに入ったストレートを、捉えた。快音残し、打球はセンター方向にグングンと伸び、定位置より少し前に出ていたセンターの頭上を悠々と越えていった。七海は楽々ホームインし、律は五十メートル六・六秒の俊足を飛ばし、三塁に滑り込んだ。タイムリースリーベースで1-0。 「続く」  四番サード三条紗依。三条紗依もまた強打者である。彼女は居合道の数段者である。居合とは抜刀し、いかに早く対象物を斬れるかに焦点を置く。 「ボール」  インコース高めのボール球にも微動だにしなかった。 (のぞけるくらいしろよ。仕方ない。監督にはああ言われたけど、ここはスライダーだ)  藤田は頷く。紗依は精神を研ぎ澄ました。ゆえに、一度見た動きは完全に見切り、刀を振らねばならない。ボールはアウトコースのボールゾーンからストライクゾーンに流れてきた。 「……見えた」  紗依は呟くと、バットを構える。柊は苦笑した。 「スライダー投げるの早いよ。決め球に使わないと」  藤田はセットポジションから、スライダーを真ん中に投げた。そこから左打者である紗依のインコースに食い込む―― (よし!)  宇野はスライダーのキレに安心感を抱いたが、それは一瞬で終わった。狙っていたように紗依は踏み込むと、右方向に引っ張った。打球は二遊間頭上を越え、スライスしながらライトの左横に落ちた。律は打った瞬間から走り出し、ライトが追いついた頃には余裕でホームインし、紗依は二塁に到達した。  規格外――。この言葉がこの二人、そして日野七海に良く似合う。140キロのボールを簡単に弾き返すようになるのに、それほど時間がかからなかった。 「女を超えている」  柊は微笑んだ。女の子だから、女の子だから。この常識を覆す力が、律、紗依、七海にはある。その後ジェニファーは大きな当たりだったがライトフライで、紗依がタッチアップで三塁に進んだ。ツーアウト三塁。  ここで、七番ライト加賀美翔。加賀美翔は十種競技の選手でもある。足も速く、膂力もあり、体幹も強い。チームトップの俊足でもある。  さあ、どうするか。柊は一旦考えた。彼が頭に描いていることは、過去に誰もやったことがないであろう奇策だ。だが、彼女ならできるだろう。ツーアウト三塁。内野は中間守備だ。柊はサインを出した。紗依は目を大きく見開き驚いたが、野球未経験者である翔は大きく頷いた。 (ごちゃごちゃ考えるな)    セットポジションから、藤田が足をクロスさせた瞬間、紗依はスタートを切った。そして、翔はバントの構えをした。 (センスでやれ。センスで。バントの技術はもう既に教えてある)  翔は、140キロある球をバットの下に当てた。ボールは勢いを殺し、一塁の方向に転がっていった。内野手らは予想外すぎるその戦術に、一歩目が完全に遅れた。 「ツーアウトからのセーフティスクイズだと」  この奇策には柳楽も思わず叫んだ。藤田は手をいっぱいに伸ばし、ボールを掴み、ファーストに思い切り投げた。 「セーフ!」 (速い……)  足の速さは男子の俊足の選手よりは遅い。だが、なんと言ってもスタートが速い。それに体と足がぶれず、最短で一塁に到達した。これができる高校野球選手はほとんどいない。これで2-0。その後千尋は三振に倒れ、チェンジになった。 「この回重要です。きっちり零点に抑えて、流れを持ってきましょう」 「はい!」  二回の表、関東北は右の四番からの攻撃である。ピンチの後にチャンスあり。これは、野球の神様が作った、野球を面白くするスパイス……。 「辛いスパイスになりそうだ」 「さっきからブツブツと何言ってるんですか」  初球、アウトコースにスライダーでストライク。やはり、氷川凛の武器は精密なコントロールとキレの良い変化球。この二つが上手く噛み合えば怖いバッターなどいない。しかも、女子野球ではMAX125キロの豪速球を投げ込んでくるのだ。プロからのスカウトも来ている彼女は、日本のエースになるのも時間の問題だ。  ただ――大人の女性と高校生男子では運動能力が天と地ほどの差がある。パワーで押し切られれば、球は簡単に飛ぶ。  二球目もアウトコースにスライダーで、外への意識はさせた。次はここ。インコースにストレート。詰まって内野に飛べば最高。  凛は頷くと、フゥーと息を吐いた。投げ急ぐな。いつも通り、振りかぶり、足を上げ、放る。凛の飛行機雲のような軌跡を描いたストレートは、千尋の構えたインコースに吸い込まれるように飛んで行った。四番は詰まりながらも振り抜く。 「レフト!」  ジェニファーは懸命に前に走るも、ボールは前に落ちた。レフト前ヒット。ノーアウト一塁。 「まずいな」 「はい。氷川先輩はセットポジションでの失点率が非常に高いですから」  その原因も探りたい。首脳陣としては願ってもない好機。  凛は一息ついた。大丈夫。周りもよく見える。千尋の、あのキャッチャーミットに投げ込むだけ。  初球――  凛は舌打ちした。上位打線のくせにバントかよ。  千尋がボールを掴み、二塁を一瞬見ると、一塁に送球した。ワンナウト二塁。相手ベンチは盛り上がりを見せた。 「凛、大丈夫! ひとつずつね」 「凛先輩ワンナウトー!」  千尋、七海を筆頭に、皆から声がかかる。凛はバックを見ると少し微笑んだ。  次は六番。凛はセットポジションから、右バッターのインコースに高速シンカーを投げた。バッターは踏み込み、手を出す―― (よし、食いついた)  打ち取った当たりは、ショートの方へ転がっていった。が、サードとショートのちょうど間を打球が通り、レフトへ抜けていく。ランナーは打った瞬間から走り出し、三塁ベースを蹴った。 「バックホーム!」  レフトのジェニファーは走りながらボールをグラブで掴み取ると、思い切りホームへ送球する。ジェニファーは長身ゆえか、強肩である。矢のような送球は千尋に向かって飛んで行った。
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