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Episode1 野球場のシンデレラ
前の学校は学ランだったが、今回はブレザーだった。六月はそろそろ学校にも慣れ、友人や部活に力を入れ始められる時だろうが、自分は今日初めて来る。家から近い、学費が安い、野球部がないといういい事づくめな学校だったため転校する際良く見学にも説明にも行かずにサラッと簡単に決めてしまった。
ここは私立冴島学園高等学校。国立大合格を目指す者から専門学校、就職をする者まで様々なコースが存在する単位制高校……ということを少し前知った。もちろん普通科を選んだが。
高校なんて卒業出来ればいい。その資格さえ手にすれば何も問題は無い。それ目当てに高校に行くんだ。柊は端に作られた自分の下駄箱に靴を入れ、上履きに履き替えて上へ登った。一年生の普通科は五階にあるが、ひとまず担任に挨拶しなければならない。職員室の戸を叩き、名乗った。
「今日から転入します、才谷柊ですが、担任の先生いらっしゃいますか?」
自分の声を聞いて、一人の若い女の教師が自らの前に立った。特別美人というわけではなかったが、背が低く可愛らしい先生だった。
「あ、あー、才谷君。待ってたよ。私は担任の庄田絵里。クラスのみんなからは、しょうちゃんなんて呼ばれてるけど、ちゃんと庄田先生って呼んで……ね」
どうでもいい、という顔をしていたらそれを感じ取ったのか慌ててその話題を切った。
「あ、それと部活も早めに決めておいてね」
教室に向かう途中、驚きの発言をされた。
「え?」
「うちの学校、一、二年生は部活強制なの。心配しなくても大丈夫。運動部十一、文化部は八あるから。合うのがあると思うよ」
「はあ」
柊はため息をついた。部活など入りたくなかったが、仕方がない。茶道部あたりにでも入ろう。
そうこうしている内に、教室の前に来た。意外とクラスの連中はうるさくないのか、話し声程度しか聞こえなかった。チャイムと共に、教室に入った。その瞬間、クラスは皆前を向き、柊に視線を集めた。柊は後ろの落書きがされている黒板を遠い目で見つめていた。
「はーい、注目。今日からこの学校に転入してきた、才谷柊君です。じゃあ、才谷君、自己紹介して」
柊は再びため息をつき、
「才谷柊です。岩手から来ました。よろしくお願いします」
と無難に済ませた。パラパラと拍手が起こり、お調子者が「よろしくー!」など声を上げていた。うるさいな。心から思ってもいないくせに。
柊は一礼すると、指定された席に座ろうとした。が、一つの声に体が反応し、止まってしまった。
「柊? 柊だよね!」
柊はバッとその声の主を見た。
「七海?」
確かに幼なじみの日野七海だった。東京の高校へ行くことは知っていたが……。
「まさか、こんなところで再会するなんてね。柊、こんな数ヶ月会ってないだけなのに、男らしくなったね!」
柊は脳の情報処理が追いつかなかった。
「えーっと、東京の高校行くって言ってたのは知ってる。高野連の規定が変わって女子も選手として大会に出られるようになったからって野球の強豪校に仲間連れて行ったって聞いたけど……」
「そう! 大正解!」
「はーい、仲良いのはいいけど、先生の話も聞こうね」
全くどうなってやがる。七海がこの学校に入学していたなんて。柊は席についた。七海も隣りに座った。隣の席かよ。
朝のホームルームが終わり、七海が即座に自分の席の前に来た。
「ねえ、どうしてこの学校来たの? 清水西城高校に野球推薦で行ったって聞いたけど」
「肩を壊した。東北大会の予選でな。あそこは私立だから、怪我をしたスポーツ推薦の生徒なんて辞めてもらいたいんだろ」
七海は顔を曇らせ、「大丈夫?」と顔を覗いた。
「今は大分良くなったよ。少しなら投げられるくらいね」
「そっか。良かった……」
七海は心底安心したように胸を撫で下ろしていた。昔からそうだ。四歳から同じ幼稚園に通い、同じ小学校、同じ中学とまあ、そこそこの時間を共に過ごしたが、人を心から心配するやつだということはわかり切っていることだ。
「じゃあ、俺からもいいか?」
七海は頷いた。
「この学校、野球部無いだろ。お前野球しに東京に来たんだろ。なんでこの学校なんだ」
そう言うと七海はフルフルと震えだし、泣きついてきた。
「そうなんだよー。私らが入学決まった時に問題行動起こして野球部関係者全部追放されちゃってさー」
大声で泣いている七海を何とかなだめた。変な誤解が生じてしまう。
「それでね、野球部作ることにしたんだ。女子野球部。女子単体の高校野球のチームってないでしょ? それで甲子園優勝したら凄いと思うんだよね!」
なるほど。大体理解出来た。
「じゃあ、頑張れよ。甲子園」
「待って! まだ話は終わってない!」
「ん?」
「まだ完成していないの! 女子野球部!」
大抵の高校には部活には部員が何名か必要だ。しかし、七海は中学の頃に同級生はもちろん、上級生まで声をかけていたと聞く。それなら人数が足りるのではないか?
「何が足りない」
「監督よ」
野球部関係者は全員追放された。設備はあるだろうが、指導者がいないというわけか。
「それは、顧問にでも聞くしかねえな」
「聞いた。誰も引き受けてくれなかった!」
「そうか……難儀だな」
それも仕方がない。問題行動を起こし、廃部になったことのある冴島学園の最近の出来事と、女子だけのチームなんて誰も引き受けてはくれないだろうし、正式に部活として運営出来ていないのならなおさらか。柊は先ほど自販機で買った緑茶を飲んだ。こいつと話すと喉が渇く。
「そこで、才谷柊君、あなたに頼みたい!」
思わずお茶の噴水が出来そうになって柊は必死に口を押さえた。
「何言ってんだ。俺が野球部の監督なんて出来るわけないだろ」
「出来るでしょ。元清水西城高校野球部一年生エース、才谷柊君」
柊は七海の真剣な眼差しを一瞥すると、
「断る。俺はもう、野球には関わりたくない」
しばらく二人の沈黙が続いた。七海が嫌いな訳では無い。だが、野球はもう好きじゃない。
二人の沈黙をチャイムが割り込むと、一時間目の授業が始まった。
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