Episode1 野球場のシンデレラ

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 庄田先生は野球部の顧問だったらしい。そんなようなことを篠川先輩が言っていたが、パニックだった柊は感知していなかった。 『部活決まった? え、野球部の監督!? 助かるわー才谷君』  同じ人種しかいないのかと柊はため息をついた。 「柊、今日の野球部の練習メニューどうしようか」  七海が目を輝かせながら訊いてきた。 「いや、今まで通りでいいよ。選手の特徴も性格も、何もわかってないんだから。でも、あれはやっといて。打撃力向上のため」 「オッケー伝えとく」  監督になったからにはちゃんとしたい。女子が甲子園なんか行けるわけがない。廊下にへばりついている鏡で、自分の姿を見た。身長百八十五センチ、体重、痩せて八十キロ。この程度のガタイの奴なんてゴマンといる。あんな華奢で、体重も軽い女子が、男子の野球に勝てるはずもないと、世間は言うだろう。  柊はグラウンドに出ると、まだ誰も来ていなかった。着替え中だろうか。  マウンドに一つ置かれたボールを拾った。久しぶりに握った硬球の感触は、冷たく、硬かった。   試しに、と振りかぶり、ホームベースの上、ストライクゾーン目掛けて投げた。球はストライクゾーンの真ん中を通過し、そのままバックネットに当たった。球威、球のノビ、球速。それ自体は衰えていない。だが、また肩を壊すのではないかという恐怖が、ボールを握れなくさせていた。 「ちょっと、どいてくれる? そこは選手が上がるマウンドよ。監督は大人しく見てて貰えないかしら」  振り返ると、茶髪を二つの三つ編みにし、野球の練習着を身にまとった女子が、柊を睨んでいた。 「えっと、すみません」  柊はマウンドの土をならし、すぐに降りた。 「そんないじめちゃだめだよー、凛。後輩だけど立場は監督なんだから」  後からプロテクターを付けた背の低い女子が、笑いながら歩いてきた。背番号を見ると、1と2。エースと正捕手というところだろう。マウンドに上がると、キャッチボールを始めていた。 「あ、さすが早いなぁ、氷川先輩と皆藤先輩。あ、柊」  黄色のグローブを付け、こちらに走ってきた。 「こっちのピッチャーが氷川(ひかわ)(りん)先輩。うちのエースピッチャーで、キャッチャーが皆藤(かいとう)千尋(ちひろ)先輩。うちの正捕手だよ」 「へえ」  なるほど、氷川さんは中々キツそうな人で、皆藤さんは悪ノリしそうな人か。  柊はメモ帳を取り出すと、スラスラとペンを走らせた。 「氷川先輩、身長と球速、球種だけ教えてください」  凛は舌打ちをすると、「MAX125キロのストレート、ツーシーム、スライダーに縦スライダー、スローカーブ、高速シンカー。身長は百六十六。以上」と嫌そうに答えた。  柊は氷川凛、と書いた紙に身長、球速、球種を書き、メモを閉じた。 「ありがとうございます」 「あと、いやなら監督なんてやらなくていいわよ。このチームは監督なんていなくても大丈夫だし」  去り際にそう言い放たれた。 「氷川先輩、ちょっと言い過ぎですよ」 「そうよ、せっかくやってくれるって言ったのに」  七海と千尋は柊を庇った。が、凛の舌剣は止まらなかった。 「使えなければ意味はない。昨日今日転校してきた人間に、この学校のイメージが最悪の野球部を任せられるの?」 「先輩!」  七海を手で制止すると、凛の方へ向き直った。 「その通りです。では、俺からも言わせてもらいます。このチームは甲子園に行けません」  その一言に、場は凍りついた。  「設備は整っていても、この選手の少なさ、指導者の数も圧倒的に少ない。それに、何より女子だ。運動する体として進化してきた男に、勝てるはずがありませんよ」  凛は柊が言い終わる前に胸ぐらを掴みあげていた。その目は怒りに燃えたぎり、狩りをする狼のようだった。 「というのが一般的な意見です」  凛は胸ぐらを掴みあげたまま、眉をひそめた。 「俺は甲子園優勝できると思ってます。球種を聞いたところ、かなり珍しい持ち球ですね。精度にもよりますが、普通の高校生ならまず当たらないものばかりです。それに、身長も高い人も何人かいるし、キャッチボールの球質を見る限り中々いい選手たちだ。特徴や特技、弱点はじっくり見ていくしかありませんが、少なくとも公立高校のゆるく野球やってる男子よりは全然強いですよ」  そう毅然と言い放った。そのあまりの堂々として、どこか大胆な言い回しに、三人は圧倒された。 「俺は生憎肩を怪我してるんで、同じグラウンドには立てないですけど、サポートはさせてください。じゃ」  そう悠然と去っていった。凛はフッと息を漏らすと、「生意気言いやがって」と微笑んだ。
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