Episode1 野球場のシンデレラ

7/31
前へ
/32ページ
次へ
 放課後、柊はカバンを提げ、グラウンドへ来ていた。もう既に、グラウンドの整備が始まっている。その中に、七海もいた。 「七海、ミーティングするから、全員集まったら集合かけてくれ」 「おっ、監督初仕事か?」 「るせぇやい」  ふと、柊は落ちていた硬球を拾った。 「柊、投げられないんでしょ?」 「今まではね。肩の靭帯を損傷してて、痛すぎてボールなんて投げられなかった。靭帯治すには動かすしかないんだって。少しずつ強度を上げていくしかないんだけど」 「じゃあ、キャッチボールする?」  柊は驚きの提案に「え?」と七海の顔を見た。 「ほら、グローブ持ってるんでしょ?はめて待ってなさい」  勘がいいな……。柊はカバンからグローブを取り出すと、左手にはめた。黒をベースに、青いラインの入ったブランドのピッチャー用グローブ。高校進学したら使うと買っておいたものの、結局待ちきれずに中三の夏から使い始めた。公式戦では四回ほどしか使っていないが。 「ほら、行くよ」  七海の手から硬球が放たれる。ボールは糸を引くように真っ直ぐ柊の胸元へ飛んでいき、グローブに収まった。 「ナイスボール」  柊は軽く、ボールを押し出した。ボールは七海の頭上に飛び、七海はジャンプして取った。 「わりい」 「焦らない焦らない」  七海は再び投げ、柊の胸元にあるグローブに収めていった。 「懐かしいな」  柊はボールを投げ返しながら、七海に言った。 「そうだね。こうやってキャッチボールするのは小六以来かな」  七海も柊にボールを投げ返す。キャッチボールをしながら、会話も弾んだ。 「そうか、もうそんな前だっけか」 「中三の頃はキャッチャーの瀬尾くんとずっとキャッチボールしてたもんね」 「ああ。悪いな」 「いやいや。あの頃は無敵だったもん。全国大会優勝、決勝戦でノーヒットノーランも達成したしね。私も四打席三安打三打点の活躍よ」  誇らしげに自分と柊のことを語る七海に、苦笑した。 「あれはたまたまだよ」  柊が投げ返すと、七海は取り、少し憂いな目つきでグローブの中のボールを見つめた。 「また、全国に行きたい。てっぺん目指したい。私は勝ちたい。また、仲間のみんなと、笑いたいよ」  七海の嘘偽りのない本音に、柊は思わず口つぐんだ。この肩さえ、この肩さえ健常なら、「大丈夫」と、声をかけられたのだろうか。「任せておけ」と胸を張れたのであろうか。 「監督、ミーティングを始めましょう」  いつの間にか、部員がずらりと並んでいた。七海は列の端に行き、号令をかけた。 「えー、勝手ながら、三日後の日曜日に練習試合を決めてきました。相手は小平東高校。場所はこの冴島学園グラウンド」  と、一人の選手が手を挙げた。凛であった。 「監督は、何点差で勝つつもりですか」  凛は試していた。やる気のある監督か、やらされてやっているだけの、受け身なのか。返答によっては信頼を失う。逆もまた然り。 「30対0」 「は?」  驚きの思考開示に、チームは動揺を隠せなかった。 「相手は、宮田さんに聞いた話によれば部員が十人の弱小校。もちろん、油断は禁物です。しかし、このくらい点を取れるチームでなければ、強豪ひしめくこの西東京では生き残れない。妥当だと思いますが、氷川さん、どうです」  凛は歯ぎしりした。自分はピッチャーである。打線が点を取ることを信じ、投げ続ける役目だ。ここで、「30点なんて無理に決まっている」という言葉を発した場合、チームに嫌な雰囲気が流れることは避けようもない。 「取ってやるわ、凛」  列の中央で目を閉じ、腕を組んだ。紗依が静かに答えた。 「中々面白いことを言うのね、才谷君、いえ、監督。元全国最高投手だったその眼に、応えて見せるわ」  紗依の言葉を聞き、七海は顔をパァっと明るくさせた。 「よーし、みんな、30点取ってやりましょう!」 「おー!」  と気合いと、柊の挑発に、スポーツマンたちは火がついた。  練習が始まり、柊は真由に尋ねられた。 「本気で言っているんですか」 「いや? 30点なんて取れるわけない」 「ならどうして」 「ハッパをかけただけだよ。この方がムキになる。負けず嫌いなスポーツマンなら尚更さ」  柊は真由にそう言うと、いたずらっぽくニッと笑った。
/32ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加