Episode1 野球場のシンデレラ

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 練習試合当日、柊は小平東高校の監督、酒田紀夫と試合前の挨拶へ行った。 「どうも、今日はよろしくお願いします」  酒田監督は標準体型の中年の男だ。酒田監督は笑顔で握手を交わした。 「まさか女子だけのチームと試合するなんて、思ってもみませんでしたよ。いい試合にしましょう」  いい試合、か。 「お手柔らかに。まだ出来て少ししか経っていませんから」  柊はベンチに戻り、スターティングメンバーを発表した。 一番ショート 日野七海 二番セカンド 望月由香 三番センター 篠川律 四番サード 三条紗依 五番レフト 須賀ジェニファー 六番ファースト 朝比奈姫華 七番キャッチャー 皆藤千尋 八番ピッチャー 氷川凛 九番ライト 加賀美翔 「……以上です。サインは昨日教えた通りのもの。一点を、ワンナウトを貪欲に取りに行く。その姿勢を貫いてください」 「はい!」  キャプテン同士のジャンケンが終わり、後攻めとなった。 「プレイボール」 「さあ、どうなる」  昨日聞いた話だが、練習試合は初めてだと言う。先発、氷川凛のピッチングに始まり、今日は見ることが多い。  凛の初球、アウトコースいっぱいにストレート。球速は120キロ程度だが、力がある。千尋のキャッチャーミットにズバリと決まった。 「中々いい球投げる」 「当然です」  記録員の真由は眼鏡を押し上げた。 「社会人女子野球選手に対して六十二打席、被安打二十五、奪三振八、四死球六、失点十一、防御率一・五九の好成績ですよ」 「三振取るより打たせて取るタイプか」  柊はつい、気になっていたことを訊いた。 「俺ってまださ、このチーム馴染めてないかな」 「微妙です」  何のオブラートにも包まず投げ込んできた。 「微妙、か」 「あまり選手と仲良くなる必要はありません。ただ、信用はされないと。そのための、第一歩がこの練習試合ではないんですか」  本当に厳しいことを言うが、その通りである。 「その通りだよ」  いつの間にか、三者凡退で交代しに選手たちがベンチに下がってきた。 「日野」 「お、日野って呼ぶの初めてじゃない?」 「うるさい。一番バッターの役割、言ってみろ」 「なるべく多くの球種、情報を落とし、ランナーとして出る」  柊はあまりの模範解答に圧倒されたが、 「素晴らしい。それをやって来い」 「まっかしときなさい」  ヘルメットを被り、バッターボックスへ向かっていった。 「望月、篠川先輩、七海……日野の打席、よく見ておいてくださいね」 「言われなくても」  望月と篠川は頷いた。 「30点。取るためだしね」  篠川は微笑む。やっぱり根に持っていたか。  快音響いて、レフト前に打球が飛んでいった。次は二番、望月。七海は中学から盗塁が上手かった。由香にバスターエンドランのサインを出した。 (へえ)  由香はサインを見て思わず微笑んだ。なるほど、セオリーではここで送りバントか盗塁。30点取るなら、それじゃ足りないって訳ね。  由香はバントの構えをした。サードは前進する。相手ピッチャーの堂前君、MAX130キロいかないくらいかしらね。一球目、アウトコース高めのボール球、七海はスタートした。 (自分はアウトでもいい。叩きつけろ)  バットの芯より下にボールを当て、高く二遊間にバウンドが上がり、抜けた。七海は三塁ストップ、由香の記録はヒット。 「うわ、すげえな。あのバットコントロール」 「望月はバットにボールを当てる技術が凄いからね。私も負けてらんないな」  次の打者は、三番、篠川。氷川、皆藤、篠川の三人はクラブチームの主力選手であり、社会人に対しても全く引けを取らず、むしろ、社会人を圧倒する女たちである。特に、この篠川律は頭一つ抜けている。  相手のバッテリーは、目と目で会話した。 (どうする、こいつら結構ガンガン打ってくるぞ) (とりあえずアウトコースに一球ストレートで様子を見よう)  相手投手が振りかぶり、アウトコースにストレートを投げた。無難な投球である。が、 (狙い通り)  カキーン、という快音鳴らし、打球は右中間に突き刺さった。ベンチからは歓声が上がり、七海はホームイン、由香は三塁で止まった。タイムリーツーベースヒットで、1対0。篠川先輩が打つとチームが盛り上がる。次は……。  四番サード、三条先輩。雰囲気あるよなぁ。見ていて、何かやってくれる、そんな気がする。  相手バッテリーは一旦タイムを取り、内野全員集まった。 「女子のくせにブンブン振って来やがる」 「落ち着け。相手は創部して少ししか経ってない急造チーム。少しボールが高くなっているかもな。低めに投げれば長打はない。落ち着いていけ」  キャッチャーはピッチャーの堂前の胸にキャッチャーミットを当て、ニヤリと笑った。 「一個ずつ確実に行くぞ!」 「声が出てきたな。そんな簡単に終わるチームでもないってか」 「ここを叩けるか否か。四番の役割ですね」  初球、アウトコースにボール球。 「警戒してるな」 「雰囲気ありますから。百六十七センチ。男子に比べれば小さい体ですが、それを越える威圧感がある」  二球目はアウトコースにストレート。ストライクを取られる。 「……見切った」  紗依はそう呟くと、バットを握り直した。 (もう一球)  アウトコースにストレート――紗依は踏み込むと、強引に引っ張った。再び快音がなり、打球はライトの頭上を越えた。由香、律がホームに帰り、紗依は二塁で止まった。3対0。 「ナイバッチー! 紗依せんぱーい!」  ベンチが更に盛り上がり、完全にペースをこちらのものにした。 「よっしゃあ、続くわよー」  五番レフト、須賀。聞いたところ、アフリカ系アメリカ人の父と、日本人の母を持つという。両親が野球経験者でもあり、アメリカでの野球も経験があるようだ。 「ジェニーの特徴はその豪快なフルスイング。当たれば飛ぶこと間違いなし。なのですが、スイングに集中しすぎてボールを見ていないことが多々あります」 「なるほど」  ジェニファーは二球で追い込まれていた。 (何としても、当てる)  第三球目、インコースに釣り球。ジェニファーは踏み込むと、インハイのボール球に手を出し、振り切った。快音響かず、打球はレフトにフライとなって飛んで行った。 「あちゃー」  レフトは下がる。下がり、下がり、下がり、フェンスが背中に当たり、ボールは頭上を越えていった。ホームランである。ベンチは歓喜の声を上げていたが、柊は口をあんぐりと開けていた。 「あれが入るのかよ。てっきりレフトフライかと」 「ジェニーのパワー、舐めちゃいけませんよ、監督。男顔負けですから」  これで5対0。未だノーアウトである。  次のバッターは朝日奈姫華である。相変わらず丸っこい。 「痩せなきゃ打てないだろこれ」 「私も言ってはいるのですが、中々……」  案の定、ショートゴロだった。ワンナウトランナーなし。次は七番、皆藤。非常にリードが素晴らしい選手だ。キャッチングも申し分ないが、キャッチャーとしては致命的に短身ゆえ肩が弱い。 「皆藤先輩、バッティングはどうなの」  「意外なところで打ちます」 「意外なところじゃないと?」 「打ちません」  結果はピッチャーフライだった。次は八番、先発の氷川。 「氷川先輩はバッティングどうなんだ」 「さすがにセンスは良いですね。結構打てます」  と、快音が響き、センター前に落ちた。センター前ヒット、ツーアウト一塁である。 「さて、一番楽しみな選手だ」  九番ライト、加賀美翔。十種競技の選手だったと言うが、何があったのか野球を始めたらしい。身体能力が高く、足も速い。だが……。 「うらぁ!」 「ストライーク、バッターアウッ」  ブオン、という音に反し、バットは空を切った。 「ミート出来ないのか」 「課題ですね、ミートは」  真由も眼鏡を押し上げる。  その後、凛の高速シンカーがキレ、三振の山を築き上げた。打ち取るタイプだが、三振も取れる。優秀な投手だ。打線も繋がり、二回には3点、三回には1点、四回には3点、五回には4点と攻め立てた。 「これで16対0……。勝負あった」  五回のマウンドには楡木桜子を送り、見事三者連続三振に打ち取り、コールドゲームで幕を閉じた。柊は酒田監督に終わりの挨拶しに、帰りの際走りよった。  「今日は受けて頂いてありがとうございました。選手たちの課題も見つかったし、『いい試合』でした」  酒田監督は笑顔で、 「いやいや、私らの方こそ。鍛え直さなきゃあかんですな。女子にやられたままで、終わる訳にもいかんですし」  女子にやられたまま。女子、か。 「また今度、機会があればよろしくお願いします」  柊はそう言って、帰りゆく小平東高校野球部を見送った。 「予想、外れたわね」  凛が柊の横に立ち、鋭い目付きで見上げた。 「いや? 予想以上のものを見せてくれました。大収穫でしたよ」  柊は屈託のない顔で笑うと、部員らの方を向いた。ベンチ裏で応援していた庄田は、皆の前に立つと、話し始めた。 「えー、お疲れ様でした。私は野球全然わからないんだけど、凄い、ってことは本当にわかった。このチームは無敵なんじゃないか、とさえ思えてきたの」 「先生他のチーム知らないからだよ」  とツッコミも聞こえ、場は笑いに包まれた。 「私は、みんなで甲子園行きたいって、今日この試合を見て思った。だから、私なりに精一杯フォローするから、頑張っていきましょー!」 「おー!」  と部員たちは明るく返す。この後に話すことは本当にやりづらい。 「お疲れ様でした。まあ、30点は取れませんでしたが、それ以上のものを見せてもらいました。ありがとうございます」  柊は帽子を取り、頭を下げた。ちょっとしたどよめきが走る。 「でも、課題も浮き彫りになりました。明日からそれはガンガン修正し、更に進化していきたいと思います。なので、覚悟の方しておいて下さい」 「うえー、やだなぁ」  千尋が舌を出し、いかにも嫌そうな顔をする。 「強くなるためだよ。あんたの采配も悪くなかった。私らが甲子園行けるかどうかは、あんたにもかかってるのよ、監督」 「わかってます。俺も、皆さんと成長しなきゃいけませんし」  おー、という感心したような声を上げられ、柊はバツが悪そうに咳き込んだ。ここで、千尋が皆に提案した。 「ねえねえ、胴上げしようよ、胴上げ」  驚きの提案に柊は動揺した。 「いや、皆藤先輩、それ、地区大会優勝したらとかでしょ」 「やろうやろう!」  と七海も便乗する。 「仕方ないわね、監督さんですもの」  凛も笑いを堪えながら周りに集まった。 「優しく上げますから、安心しておいて下さい」  朝日奈、皆も集まり、柊を皆の腕に乗せると、思い切り上に投げた。胴上げは三十回続き、夕焼けもその風景を見て笑っているようだった。
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