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「ごめんごめん。困らせちゃったね」
黙り込んでしまった私に優しく、でも少し焦ったように語りかける。
何と返せばいいのか浮かばず、地面に視線を落としたまま無言で首を振った。
「本当にダメだね、オレは。アヤちゃんが困る事ばっかりしてる」
「困るというか……何て言ったらいいのか……その……」
しどろもどろになってしまい、顔を上げることもできない。
胸の鼓動が収まらず、それに比例して呼吸も大きく、そして早くなる。
「これ以上何も言わないから大丈夫。そんなに不安な顔しないで」
もっと踏み込んだ言葉を無意識に期待していたのかな。
そんな自分に驚きながら顔を上げると、優しく微笑む田中さんの顔が見えた。
「不安って訳ではないんですけど、こういう事には慣れてなくて……すみません」
「でもアヤちゃん、誘われる事多いでしょ?永松だってアイツなりに一生懸命なんだろうなって思うよ」
「そんな、全然ですよ」
「アヤちゃんが社内でも声をかけられてるのは知ってるし、負けるつもりもなかったけど、最近はもしかしたら勝てない相手がいるんじゃないかって思ってる」
急にどうしてそんな事を?
あの人生最大のモテ期はとっくに終わっている。そんな人はいない。
じゃあ勝てない相手って誰の事?
もし田中さんを超える人がいるとすればそうちゃんだけ。でももう別れているのは知っているはずだし……
何だか心の内を見透かされているようで怖い。
「私はそんなにモテないし、今、仲良くしている特定の男性もいないです。ふたりっきりで食事に行ったりするのは田中さんだけです」
ああ、言っちゃった。
これじゃあまるで田中さんは特別な存在だと言ってしまったようなもの。
後から振り返れば、この時ユウキとも距離を置き始めていたし、この瞬間思い浮かぶこともなかった。
「そんな事はないと思うけど……でも良かった。最近食事もよく断られるから、嫌がられてるのかと思ってた」
「せっかく誘って頂いてるのにすみません。何だかいろいろと余裕がなくて」
仕事を理由に断っていたのに、やっぱりバレている。
これ以上嘘をつくのはためらうけれど、まさか友達に他の男性と田中さん、どちらかに決めるよう忠告されましたなんて言えない。
本当は違うのに、“仕事の”とも取れる『余裕がない』なんて便利な言葉を使ってごまかす。
「アヤちゃんと話してると凄く楽しいし、オレの長い話もニコニコ聞いてくれて癒しにもなってる。誘ってばっかりだけど迷惑じゃないかな?」
そんな風に褒められると何だか恥ずかしい。
嬉しくて一生懸命抑えていた気持ちが溢れそうになる。でもここは我慢。
「迷惑なんてことは……私の方こそ話を聞いてもらったり相談に乗って頂いてばっかりで申し訳ないです」
「アヤちゃんは本当に謙虚だね。
じゃあ今度は食事以外のデートに誘ってもいい?」
「デートですか?!」
それはまた大胆なお誘い。
声を張り上げた私に田中さんは困ったように笑った。
「あっごめん、調子に乗り過ぎたね。そういう事は少しずつだよね。ゆっくり考えてくれたらって思ってるから」
「……はい」
これはもう想いを伝えられたようなものだと思っていいのかな。
私もそろそろ自分の気持ちをはっきりさせないといけない。
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