彼の悩み 〜ソウタ目線〜

1/15
988人が本棚に入れています
本棚に追加
/120ページ

彼の悩み 〜ソウタ目線〜

あれは内示の日のことだった。 俺は部長から内線で呼び出され、会議室へ向かった。 「桜井ソウタ、4月1日付で〇〇職へ職種変更、**支店□□課へ異動です」 部長はいつもと違い、かしこまった口調で内示を告げた。 「はい、よろしくお願いします」 「いよいよだなー。期待してるぞ。頑張れよ!」 「ありがとうございます。頑張ります!」 「**支店は規模が大きいし、業績も良いからやり甲斐があるな! □□課の課長は新卒の頃から知ってるけど、桜井とは性格的にも合うと思うぞ」 「そうなんですか?それはよかったです」 上司との相性はとても重要。 とりあえず安心した。 「それから申し訳ない。研修期間だけど、経験を加味して前に話したよりも短くなるんだそうだ。 とりあえず半年。そのあと年明けにフォローアップがあって……」 部長は前もって人事部に確認してくれたようで、詳細を教えてくれた。 半年か…… それならすぐアヤちゃんに来てもらえる。 きっと喜ぶだろうな。 はしゃぐアヤちゃんの笑顔がぱっと浮かんだ。 「ところで……ここからは個人的な話になるけど、どうするんだ?」 「何がですか?」 「佐藤さんだよ。**支店じゃ飛行機の距離だからなあ。大丈夫か?」 全然大丈夫じゃありません、遠過ぎます、とは言えない。 「一応、ふたりでいろいろ話はしてますけど……」 結婚の話はまだ誰にも言わないことになっている。 その制約の中で “いろいろ” と言って、それとなく部長に伝えた。 でもアヤちゃんが知ったら怒られるだろうな。内緒にしておこう。 「そうか。ならいいんだけどな。 でも会社としては佐藤さんにはまだまだ頑張ってもらわなきゃならないからなあ」 「ははは……」 とりあえず笑うしかない。 すみません、部長。 アヤちゃんはあと半年で辞めます。 心の中でお詫びする。 「個人的には早く幸せになってもらいたいけどな。まあ娘みたいなもんだから」 部長には俺たちと歳の近い娘さんがいて、アヤちゃんと名前の響きが似ているらしい。 それからアヤちゃんは部長にツッコミを入れる数少ない女性社員の一人。 「離れ小島(部長席)で寂しい」とこぼす部長にとって、そんなアヤちゃんは “娘みたいなもん” なんだろう。 今までにもたまに部長が言っているのを聞いていた。 ところでアヤちゃんは何処へ異動なんだろう。 「あの……」 「なんだ?」 「いや、何でもないです」 いくら気にかけてくれている部長でも、流石にそれは教えてくれないだろう。 思わず聞いてしまうところだったと少し焦る。 「何だよ。気になる事は今のうちに聞いておけよ!」 「いや、大丈夫です」 「そうか?じゃあもう席に戻っていいぞ。 そうだ、佐藤さんに悪い虫が寄りつかないように俺がよく見張っておくから心配するな」 部長は俺の肩をポンポン叩いて、豪快に笑った。 この春、部長は本社へ異動じゃないかと言われている。 その部長が見張るということは、アヤちゃんも予定どおり本社へ転勤ということか。 しかし、**と東京じゃ遠過ぎるだろ…… 大きな支店に異動なのはありがたいけど、困ったなぁ。 アヤちゃん、落ち込むだろうな。 しゅんとする彼女の顔が浮かんだ。 でも離れるのは半年。 きっとあっという間だと思う。 席に戻り隣の課を見ると、アヤちゃんは機嫌の良さそうな顔でパソコン打っていた。 何課になったんだろう。 早く聞きたいけど、きっかけがない。 もちろん俺も公私混同しないよう気をつけてはいるけど、アヤちゃんは前と変わらず徹底している。 会社で下手に話しかけたら後で絶対怒られる。 アヤちゃん、怖いからなぁ……(小声) 何とか聞き出せないものかと気を揉んでいると、絶好のチャンスがやって来た。 彼女が皆に背中を向けて社内システム専用のパソコンを使い始めた。 隣には同じパソコンがもう一台。 “別にアヤちゃんがそこにいるからじゃなくて、俺だって今どうしてもそのPCで照会しなきゃならないんだから仕方ない” 心の中で誰に向けたのかわからない言い訳をし、書類を持ってそのパソコンに向かった。 「**支店」 パソコン前に座り、誰にも聞こえないよう小さな声で一言呟くと、彼女は微かにピクっと反応した。 しれっとした顔でパソコンを触っているけれど、心の中では 「ウソでしょーー?!」「遠すぎるよ!!」とパニックになっているのは想像がつく。 今夜会ったら「そうちゃ〜ん」と泣きベソをかき、延々と会社への恨み節を吐くだろう。 本当に申し訳ない。 でも離れても半年だけだから頑張ろう、アヤちゃん。 心の中で彼女を励ました。 すると今度は真っ直ぐ画面を見たままの彼女が、 「本社」 「◎◎課」 と、これまたボソボソと伝えてきた。 やっぱり本社か。 っていうか、◎◎課?! 行きたい人も多い◎◎課。彼女も一度はやってみたいと言っていた。 流石だな。 アヤちゃん、嬉しいだろうなぁ。 だからさっき機嫌が良さそうだったんだ。 だけど◎◎課になったら、アヤちゃんは仕事を続けたくなるんじゃないかな。 いや、アヤちゃんのことだから、きっとためらうことなく退職するはず。 でもせっかく希望の部署に行けるのに、不完全燃焼のまま仕事を辞めさせていいのだろうか…… 彼女が立ち去り一人残されたパソコンの前で、俺は悩んでしまった。
/120ページ

最初のコメントを投稿しよう!