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雨に打たれながら戻ったオフィスに、もう結弦や他の社員の姿は見えない。
濡れたシャツを脱ぎ捨て、替えのシャツを羽織る。奥の部屋から彩華が出て来る。
「ごめんなさい、お借りしたわ」
長めの裾を選んだつもりだが、俺のシャツでは膝までは隠せていない。彩華は落ち着かない様子を見せている。
「缶で悪いけど、暖まるよ」
ビル内に置かれた自販機で買った飲み物を渡す。彩華は両手の中に缶を握りしめ俯いている。
「彩華、君らしくない。何があったの」
「私らしいってなあに」
答えを返せずに見つめあう。彩華の中にある葛藤に俺は覚えがある。
まさか、君は―― 嘘をついていたのか。
「伊織、寒いわ」
真実を言葉に変える事ができないでいる。手に入らないと知っているから嘘で固める。
「彩華、ごめん。婚約はしていない」
もう一度誰かと、本気で向き合う時が訪れるとは思ってもいない。他愛もない嘘で君を泣かせている。
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