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序章 下半身が大蛇になった男
男として生きていた時には、貧弱な下半身に悩み続けていた。
……いや、貧弱ってのは、太もものマッスル的なものじゃなく。つまるところあれだ。シンプルに言うと、アレが短小だった。
男子トイレ、横並びの小便器で。更衣室で。銭湯で。
「なんだお前のソレ、イトミミズかよ」
と、指さして笑われる日々。
幸か不幸か、上半身のスペックは悪くなかった。パンツを穿いてさえいれば、まあまあモテた。だが俺は結局童貞を貫くことになった。
正確には、かなりイイトコロまで行ったんだ。
彼女の部屋にしけこんで、お互い全裸になり、いよいよというところで彼女が言った。
「あっ。たけのこの里」
……俺は彼女の部屋を飛び出した。
せめてきのこの山だったら、とりあえず童貞卒業まではいったとおもう。しかしたけのこの里。まさかのたけのこの里。
耐えられなかった。
そして俺は、夜の街を走り抜けた。降りしきる雨、少し霧まで出ていた。構わず走る。走る。涙で視界がかすんでいた。
……たぶん、俺の方から車道に飛び出したのだと思う。トラック運転手に恨みはない。むしろ迷惑をかけた、ごめんなさい。
そうして俺は死亡した。
ああ、なんてさみしい人生なのか。
たけのこの里。イトミミズ。
そんな言葉が脳裏をめぐる。
もしも俺のナニが、キノコの大山脈だったら。
俺の下半身が、鎌首をもたげた大蛇のようであったなら。
ぐるぐる回る意識と視界、その中心に、突然強烈な光が差した。直視できないほどに光り輝く金髪の、女神が俺を見下ろしている。
――生まれ変わったら、何になりたい?
女神は聞いた。俺は答えた。
「下半身が大蛇になりたい」
ふと、気が付くと。
俺は薄暗く、じめじめした場所にいた。どうやら洞窟らしい。自分の手を見下ろすと、やけに白くほっそりしている。胸元には二つの豊満な山。紫がかったうねる髪が、臍のあたりまで伸びている。
女の体である。
しかし腰から下は、蛇だった。
俺はしばらく、呆然とそれらを見下ろしていた。
えっ? なにこれ。
えっ?
なにこれ。
……えっ? ちょっと待ってこれほんとなに!?
転生したらしいということは、女神の登場からだいたい想像がついていた。そしてどうやら、女性の体であることも理解した。
しかしこれはなんだろう? 顔がたちはわからないが、たおやかかつ豊満な若い女の体。それがなぜに全裸で、こんなダンジョンの深みに寝転がっているのだ。
俺はあたりを見回した。人の気配はなく、洞窟は静まり返っていた。あたりは光源ひとつなく真っ暗闇……なのに、なぜか視界が効く。
床は岩肌が剥き出しの地面。いや、正直心地は悪くない。むしろいい。かなりいい。落ち着く。ここが我が家だという感覚がある。だがそれがまた不気味である。
なんで俺、ひとりでダンジョンに住んでるんだ?
いやそれよりなにより、なんで下半身が蛇なんだ。
恐る恐る、触れてみる。
ひんやり。ざらり。ちょっとだけぬるり。
……触れられている、感触がある。やっぱりこれは俺の体らしい。ぱっと見は人魚に似ているが、つま先のほうに尾びれなどはなく、そのままちゅるんと先細っている。紫がかった鈍色の、なめらかなウロコがヌルリと光る。やはりこれは蛇の体だ。
尾の先にはたっぷりと粘液がしたたり、さらにその向こうに、巨大な卵の殻がある。
どうやら俺は、ここで生まれたばかりらしい。生まれたときから大人の女。そして下半身は蛇という奇妙なイキモノ――
ん? あーなんだっけ、これ。なんかそういうモンスター、ゲームで見た覚えはあるぞ。なんだっけコレ……神話にも出てくるやつ。あんまりそういうの詳しくないんだよな。でも知ってるなあ、なんだったかな。
えーとえーと……
あっ。
「そうだ、ラミア!」
俺は大きな声をあげ、ぽんと手を打ち歓喜した。
そーだそーだ、ラミアだラミア。
「下半身が大蛇になりたい」っていったらそりゃラミアだよなうん、んで、ラミアってのは女性しかいないんだろう。男性モンスターでその形態って聞いたことないし、どうしてもこうなる。なるほど理解。
疑問が解けた俺は晴れやかな顔で、遠く、どこにともなく視線をやった。そこにいるわけもない存在に向けて絶叫する。
「こういうのと違うぅううううううっ!」
わんわんと、洞窟に響き渡る女の声。俺は頭を抱えて突っ伏し、地面の代わりに、そこにあったおのれの下半身をぺちぺち叩く。
そうしてしばらくぴいぴい泣いた。泣きながらぺちぺち。はたから見たらとんだSMシングルプレイである。だが当人は大変なんだ。
俺はラミアになってしまった。どうすんだよこれ、これからどうしたらいいんだ! こんな体になってしまって、心の底から嫌悪と不安を覚えているのに、魂の内側がすんなりとその事実を受け入れているのがまた怖い。
泣きじゃくる声に、クウと小さな音が混じる。腹の虫だった。
俺はからっぽの胃を――ギリギリ人間の肌である部分――をさすって、顔を上げる。
……俺はこれから、ラミアとして生きていかなければならない。魔物とて、衣食住が必要なんだ。
こんな生物がいるあたり、いまさらだけどもここは異世界か?
コンビニあるかな。あ、でも金がない。というかこの姿じゃ店に入れない。どうしよう――――と。
「……近いぞ。魔物の気配がする」
人間の声が聴こえた。俺は慌てて岩陰に隠れ、そうっと様子を窺った。我が巣穴に押しかけて来た招かれざる客は、三人の男女であるらしかった。
先頭の男――まだ年若い、明るい目をした男が、剣を片手に進んできている。
「油断をするなよ。近年は低級スライムのいい狩場だが、一昔前は、人食い蛇妖女(ラミア)の産卵場所だったという……そんなのが出てきたら、おれたちじゃまだ敵わないからな……」
「こ、怖がらせるなよ勇者さま」
「そーよ。さくっとスライムコアを手に入れて、冒険者ギルドの酒場でパァっといきましょ」
……冒険者? 勇者さま……ね。
俺は口元に、にやりと笑みを浮かべた。
ふうん、なるほど。暗闇にびくびく怯えているようじゃまだまだ駆け出しだろうけど、それでも、初めての戦闘というわけではないだろう。
――己のために、魔物を狩り、糧にしたことのある人間。
そう考えた瞬間、甘い匂いを感じ取る。彼らの体臭だ。ヒト臭くて、甘くて、美味しそうなにおい。
くう、と再び、俺の腹が小さくなった。
試しに手をニギニギ、とぐろをウネウネ。よし、問題なくよく動く。
生まれて間もないときでも、攻撃力を持つ生物。
当然だ。ヒトの赤子が乳を吸うように、人食い蛇妖女は、ヒトを食って生きていくのだから――
よし。『わたし』は決起して、下半身をくねらせ、ずるり、洞窟を張った。
わたしが姿を現したとたん、悲鳴を上げる勇者御一行。あら、思ってたよりも年若く、活きが良くて――美味しそう。
わたしは舌なめずりをした。
とりあえず……ごはん、狩っちゃおうっと!
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