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西暦3003年5月3日。
銀座という街は相変わらず地球という惑星の、日本という島国の、首都である東京駅からバスに乗っておおよそ10分のところにあり、バス停留所である【銀座4丁目交差点】は、人類が異星との交流をはじめるよりはるか昔から老舗デパートと交番とショーウィンドーに囲まれるかたちで存在している。
気が遠くなるほどの大昔、と違うところといえば建物がその時代に合わせて建て替えられていること。デパートのシンボルである猛獣の銅像がAIの力で1時間ごとに咆哮をあげ時を知らせるのも、いまでは銀座名物となっている。
その猛獣が3回吠えたとき、黒いトレンチコートを着た男が4丁目交差点の交番の前を通過し、有楽町方面へ進んで1つめの角を左に曲がったところのちょい先にある1000年以上昔の英国カントリー風を思わせる店に足を踏み入れた。
「これはこれはミスター・井ノ原」
地球製の木材に宇宙素材のやたらキラキラしているミラージュガラスをはめこんだ扉を開けたとたん、奥のカウンターにいる異星人の支店長がカン高い声をあげた。
「やぁ」
彼は軽く手をあげ微笑んでみせた。
うまくサイドに流したクセ毛に茶髪、黒いトレンチコートの男は頻繁にテレビや雑誌にでてくるような人物ではないが月に1、2度はテレビか雑誌に顔をだしている人物ではある。
「ちょっと、あれ井ノ原先生よ」
「誰?」
「ほら、作家の。ワイドショーでコメンテイターとかしてるじゃない。どうしよう、あたしファンなのよ」
「ワタシにはただの地球人に見えるけど」
「なに言ってんの、アーク賞作家よ。〈幻ハンター・暁金之助〉映画になったじゃない」
「あぁ、それなら観たわ。あれの作者なんだ」
買い物客の異星人女子達は彼に聞こえないように会話しているつもりだろうが、特にファンのほうは興奮のあまり店じゅうの人に聞こえるボリュームになっている。
(参ったな)
心で呟いてあえて聞こえないふり。今はプライベートで趣味の買い物に赴いているのだ。
「地球旅行に来た甲斐があったわ~」
「自慢できるわね」
ピンク色の肌をした異星人の2人連れは頭から延びた触覚を絡ませながら歓喜を共にしている。
「いらっしゃいませ」
全宇宙に読者層をのばす作家、井ノ原哀理が奥のカウンターまで辿り着くと、再びこの店の地球第9支店店長であるハービィ・ハーブがカマキリのような細い体から突き出た4本の細い腕をこすり合わせて、は虫類の瞳をお得意さまに向ける。
マリア・ティールーム。それが全宇宙連合加盟惑星すべてに支店を持つ宇宙最大規模のお茶会社の名である。全宇宙の茶畑から茶葉を仕入れ、加工、ブレンド、輸出で星ひとつの経済を動かしているともいわれる惑星ヒルメーロの売り上げナンバーワン企業。
「ヒトスキ星のファーストフラッシュの新作が入ったそうだね」
「はい、ミスター」
ハービィ・ハーブの4本の腕のうち、上についた2本の手がさらに激しくもみあわさる。
「今日届いたばかりなんですよ」
振り返り、壁一面に並べられたビッグ缶のなかから一番上の5段目の一番目立つ中央に座している黒い缶に伸縮自在である上2本の腕を伸ばし、クレーンのように慎重に降ろしてカウンターの上に置いた。
「ヒトスキ星はシーア国、ウア農園の最高級品でございます。おそらくこの茶でファーストフラッシュはでつくしたかと」
左側の手で缶を抱え込み、上の右手で缶を開ける。とたん爽やかなマスカットに似た香りが店内を支配する。店を出ようとしていた客までもが振り返ったほどだ。
「ストレート向き。いいね」
缶のなかでは針金状によられた黄色ぽい茶葉がひきしめあっている。
「はい、ヒルメーロ星マリア・ティールーム本社天才ブレンダーであるオスカー・マリア専務が責任を持って加工いたしました」
味にうるさいお得意さまもこれならば文句も言えまいという自信に満ちた口調である。ハービィ・ハーブも伊達にマリア・ティールームの支店長はやっていないという自社愛のあらわれか。
香りが逃げてしまうので素早く缶に蓋をする。他の客にしてみたらご馳走をみせられただけでおあずけをくらったような気分になったことだろう。
「いかがなされますか」
ハービィの同意を求める目に、井ノ原は春の日射しの微笑みを返す。
「じゃあ、100グラムを2袋もらおうか」
「かしこまりました。他はよろしいですか」
井ノ原は「それだけでいい」と返した。
「はい。では袋に詰めてお渡しいたしますので会計を先にお済ませください」
ハービィは下の手で素早く伝票を書き、井ノ原に手渡した。
宇宙通貨が制定されてから現金を持ち歩く者はいなくなった。レジではカードを通すだけである。なのでいくら口座から落ちたのかは店と井ノ原しかわからないが、次の会計を待っていた熟年主婦客がレジに表示された数字を見て「ひゃあっ!」と台所でネズミに遭遇したかのような声をだしたことからその額は想像ができることだろう。
つかさず井ノ原はレジ係に言った。
「領収書お願いします」
とはいえ、印税対策はいつの時代もかわりはない。
品物を受け取りマリア・ティールームを出た井ノ原は黒のトレンチコートをひるがえし、新橋方向へ足をむけた。
高層ビルが乱立したり、空を飛ぶタクシーが動き回るなどの近代化をしても新橋はサラリーマンのためにある街であることに変わりはない。
遙か昔からの荒波に耐え、壊れることなく保存されてきた駅前の西暦1000年代の逸物、蒸気機関車が苦難や逆境に負けないの男のシンボルになって、ますます新橋を働く男達の聖地にしているのだ。
そんな新橋から歩いた方が銀座より近いロケーションに60階建ての天の川ビルは座している。
「だるい」
天の川ビル1階エントランスでジーパンによれよれのチェックシャツを着た女性が寝不足のこめかみを指でマッサージしながらつっ立っていた。
「ふあ~、超ねむい」
徹夜続きで美容院に行く暇もない髪はジャングルのようにのびまくって毛先がまったく揃っていない。そんな髪はうざったいから手首に巻いた黒いゴムでひとつにまとめる。
「うんが~っ」
ロビーの自動ドアの真っ正面で思い切りのびをする。醤油小皿のような大きくて丸い耳が目立ってみえる。深いグリーンの髪。それ以外は地球人によく似た惑星セイセイ出身である、天の川書房編集部編集一課ヒイラギ・マイマイ32歳独身。
そのダラダラした後ろ姿をふたりの受付嬢が真剣な表情で捉えていた。
「ねぇ、ヒイラギさんがロビーにいるってことは」
「いや~ん、井ノ原先生がいらっしゃるのね」
勤務中に不謹慎ともいえる喜びに満ちた受付嬢の声は、ヒイラギの地球人の3倍はよく聞こえる耳によく届いていた。
「黒がよく似合うのよね。渋いわよね」
「魔術のような口説き文句がステキだしぃ」
「あんた月刊ミルキーウェイに掲載された【魔術師の恋】にはいりこんでるでしょ」
「そういう先輩も読んだんでしょ」
「当たり前じゃない。あれでクラッとこなかったら女やめたほうがいいわよ」
ヒイラギは天井に向かって乾いた笑いを発射させた。
(あー。あの新作ね)
【魔術師の恋】
幼い頃から抱き続けた復讐。一人前の魔術師になった主人公がようやく親のカタキに近づいたら、カタキの娘を愛してしまい、娘のために寸前のところで復讐を思いとどまる。自分の魔術は殺すためではなく、愛する者を喜ばせるために使うべきなんだと悟ったところで本格的な事件は起こる。400字詰め原稿用紙で3
00枚の作品ある。
ヒイラギが説明すると駄作という印象を与えてしまいそうだが、作品を読めばその構成力と表現力。言葉の魔術に全宇宙の人々が井ノ原のインナースペースに引き込まれてしまうのだ。
だてに10代のときに宇宙最年少歳で大衆小説に贈られる最高の栄誉アーク賞を受賞してはいない。
「ヒイラギ君」
考え事と眠気の渦に巻かれていたら真っ正面に当の井ノ原先生が立っていた。
「あ、お、おはようございます」
天の川書房は宇宙規模作家井ノ原哀理のおかげでもっているといっても過言ではない。担当として失礼があってはいけないのだ。
「おはよう」
頭をさげるヒイラギに対し、井ノ原は軽く手をあげ、念入りに磨いていると思われる歯を覗かせ微笑んだ。真後ろの受付嬢が起立して深々とお辞儀をしているのが気配でわかる。
「社長がお待ちです」
エレベーターにむかって歩くヒイラギに井ノ原は一言。
「ヒイラギ君、今日もおもしろいね」
なにを根拠にそんなことを言うのか? 初めて会ったときからヒイラギは井ノ原に「おもしろい人」と言われている。作家先生の思考回路は理解できないことが多すぎるが深く考えるだけ時間の無駄というのもだ。
「ありがとうございます」
先生のご機嫌をそこねてはならないので一応お礼なぞ言ってみるが、ふたりだけのエレベーターで井ノ原は明らかに笑いを押し殺している。不気味なことこのうえない。
ヒイラギは苦悶する。
(やっぱ変だわこの人。っていうか作家にごく普通を求めるのが間違っているんだけど)
実をいえばヒイラギが気付いていないだけで、ロビーでアクビをしたりのびをしたり肩を叩いたり、ちょこまかハムスターのように動いている様を井ノ原はガラス張りのビルの外側から観察していたのである。
ただし、おもしろいと思ってはいても原稿を見るときはおだてもせずうかれもせず、冷静にものを言うヒイラギを井ノ原はちゃんと評価しているのである。
エレベーターは30階で止まりヒイラギが奥の社長室へと井ノ原を案内する。井ノ原にとっては子供の頃から慣れ親しんだ天の川書房だ。
「あ、先生。月刊ミルキーウェイの売り上げがどじょうのぼりです」
「ヒイラギ君、それをいうならうなぎだよ」
耳に挿入するだけの超小型自動翻訳機なしで地球語をここまでマスターしているのは見事であるが、突っ込みを入れたくなることもしばしばである。
「大きさの違いじゃないですか」
「いや、味がぜんぜん違うからね」
社長室入口で口をとがらせるヒイラギにトレンチコートの懐からマイクロディスクを取り出し手渡す。
「次のミルキーウェイの原稿」
「ありがとうございます」
地球語を完璧にマスターせずに地球の出版社の編集者がよく務まるものだと思われがちだが、作品に関してはパソコンにディスクをいれれば即座に地球語は各母国語に変換されるし、誤字脱字のチェックは人よりパソコンの方が優秀な時代である。さらに優秀なAIは特定の人物を中傷するような道徳表現のチェックや時代考証や他人の作品をパクッていないか売れるのかどうなのかなんやらかんやらまで見てくれるので、日々の会話でどじょうとうなぎを間違えることぐらいは編集者としてたいした問題ではない。
「ヒイラギ君。僕は今日から取材旅行にでるから何かあったら電話かメールして」
「幻ハンターシリーズのですか」
「そう」
「わかりました」
社長室の前に立ち、扉をノックするヒイラギ。中から社長の秘書室長柳川、地球人、ベテラン社員、男。が姿を現した。
「井ノ原先生、ようこそいらっしゃいました」
「こんにちわ」
笑顔付きの会釈で返す井ノ原。
「ぼっちゃ…社長がお待ちかねです」
柳川は一昨年他界した先代社長の代から天の川書房に秘書として仕えている。柳川を未熟な若社長の補佐にというのは先代の遺言である。
「それでは、私はここで。原稿は早速拝見させていただきます」
深々と頭を下げるヒイラギに井ノ原は軽く右手をあげて「じゃっ」と桜の花びらが開くような笑みを見せ、いちいちともとれるトレンチコートをひるがえし社長室に吸い込まれていった。
社長室に入るにはまず秘書待機室を通らねばならない。純和風を愛した先代の趣味をそのままに、入口すぐ右の棚には大鷲が翼を広げているような盆栽が飾られている。そのほかにもこの8畳間には歴代社長のお気に入りのお宝が並べられており、さながら社長ミュージアムである。
多くの来客が売ってくれないかと頼む宇宙芸術賞ものの盆栽の真上には、歴代の社長達の肖像が並べられている。いちばん左端には一昨年亡くなった先代が病に伏せる以前の、若々しくも俳優並にハンサムな笑顔をおしげもなく披露している。
「早いもので先代が亡くなられてから2年が過ぎました」
井ノ原の父の友人である先代には子供の頃からよくしてもらっていた。学生時代に恋愛作家として地球デビューしていた井ノ原が新境地として書いてみた冒険小説【幻ハンター・暁金之助】を先代が高く評価し全宇宙に向けての発売を決め、その話が先代の思惑通り全宇宙で評判となり、なんと宇宙規模の名誉であるアーク賞を受賞した。
受賞の知らせを受けたとき、先代が発した「これから君はモテる。女性問題は私に相談しろ!」という握り拳つきの第一声は十数年たった今でも忘れられない。
その先代の肖像を井ノ原は黙って見上げる。じっと、頭部のわざとらしいくらいに生い茂った黒髪を眺める。
亡くなったときは女子社員は勿論、退職をした元女子社員、全宇宙の女流作家たちまでもが葬式に姿を見せた時代劇俳優並の色男。
井ノ原は先代のまばゆい笑顔を前にして、肖像の頭部をまじまじと見つめ続けた。
(見事な人工毛髪、だよな)
「井ノ原先生?」
あまりに長いこと先代の頭を眺めていたら柳川に声をかけられてしまった。
「つい想い出にひたってしまったよ」
その言葉に胸が熱くなった柳川。眼鏡を外して目頭を押さえている。
井ノ原は奥の扉をノックして、開けた。
「サニー」
社長室内部はおごそかな雰囲気に満ちている。皮のソファーのかわりに4畳半の和室がかまえている。これは先代が茶をたてるのが趣味だったせいだ。ちなみに掛け軸の下にある生け花は先代の未亡人が3日に一度活けに来るものだ。その激しく入り組んだ造形は地球人には真似できないものがあった。生け花がわからない井ノ原には異星人である未亡人の腕がいいのか、個性なのかよくわからないのである。
伽羅の香りが絶えず香る。窓はブラインドの代わりに障子を使い、社長の机も総檜造り。社長席の真後ろには宇宙国宝である書家の【一期一会】という達筆がある。
幼い頃、曲がりくねった文字が読めなくて、なんて書いてあるのか先代に尋ねたら『出会った女は大切にしろということだ』と背中をダイナミックに叩かれた作品だ。
(一期一会か)
いまにも虚無僧が尺八を吹きだしそうな空間で、ヨーロッパ貴族容姿の新社長が窓辺に寄りかかって電話をしている。
「あぁ、だから。そうじゃないんだよ。そんなこというなんて貴女らしくない」
障子を5センチほどあけ、交差点を流れゆくサラリーマンを見下ろしつつ。甘く囁く携帯電話。
「来週、食事でもいかがですか。えぇ、ゆっくりお話しましょう。では時に銀座のいつもの店で。はい、それでは失礼いたします」
電話を切ってから溜息。くるくる巻き毛の金髪を軽くかきあげ、青い瞳を立ちすくむ井ノ原にむけた。
「源ちゃん」
「やぁサニー、今日も忙しそうだね」
井ノ原を本名で呼べるのは親戚を除けばサニエル・庄野だけであろう。
「参ったな、また裏スケジュールが増えてしまったよ」
ちっとも困っていない照れ笑いをみせる。父親から学んだ一期一会を忠実に守っているようだ。
「あがってくれよ」
ここは舞踏会会場で、貴婦人にダンスを申し込んでいるのかといわんばかりの手のひらの動きで4畳半を示す。
ふたりは頷きあって靴を脱いだ。
「源ちゃん、今回の作品も好評だよ」
井ノ原は100%地球人で、さらに100%日本国出身なので和室がしっくりくるが、異星人とのハーフであるサニーはレースのカーテンが蝶のように舞う窓辺でブランデーグラスをくゆらすのが似合っている風貌だ。和室で正座はあまりしっくりこない。
「天の川書房は源ちゃんでもっているようなものだから」
ミリン星出身である母親の血を強く受け継いだサニーの金髪も安泰だ。甘いマスクも父親母親バランスよく受け継いだし双方のいいところばかりをここまで貰うのかというくらい出来過ぎている。
「しばらく留守にすることになったんだ」
井ノ原が切り出したとき、ノックがして甚平姿の少年型アンドロイドが入ってきた。お茶くみロイド一服君だ。
「日本茶でございます」
見た目アイドル少年一服君。
「ありがとう」
「いいえ、仕事ですから」
ご主人であるサニーに微笑まれたりほめられたりするたびに頬を赤らめる。思わず引き寄せて頭をなでなでしたい衝動にかられるプリティーさだ。
「失礼いたします」
緑茶と茶菓子を出すという仕事を終えた一服君は社長と客に頭を下げて退室する。井ノ原が茶碗の中をのぞくと爽やかな緑色の中に茶柱が1本立っている。
「一服君はお茶を煎れるのが上手だね」
ぬるめのお湯でじっくりだされた甘味。渋みは少なくさっぱりして飲みやすい。上級な玉露だ。
「そのためのロイドだからね」
コーヒー、紅茶、緑茶にバーブティー、ココアに薬用茶に至るまで完璧な状態で煎れることができるロイドは中堅以上の会社ならば1台は欲しい代物であろう。
「ところで、留守にするって」
サニーは小判型の最中を口に放り投げる。糖分が主食といわれるミリン星の血を引くサニーはお酒も飲むが甘党でもある。彼にとってはお茶に菓子がついているというよりお菓子に茶がついているという感覚なのだ。
「あぁ、幻ハンターシリーズの取材旅行にでることになったんだ」
井ノ原哀理の代表作である幻ハンター・暁金之助シリーズ。幻と噂される、存在すら確認されていないお宝を求めて宇宙を旅し続ける正義感溢れるクールガイ。相棒の半獣人、お調子者の銀狼がいい味をだしていたり。心拍数の上昇が止められない大冒険、毎回出てくるゲスト女性キャラ、金之助ガールなどが人気の一因であるが、それより幻といわれる逸品の表現が流石はアーク賞受賞者という宇宙的賛美をうけているのである。
読んでいる者をお宝に触れさせ、瞳に焼き付ける文章力。新刊が出るたびに『本当にこのお宝があるような気がしています』『井ノ原先生自身が幻ハンターなんじゃないですか』というファンレターが押し寄せる。
「今度はなにをハントするんだい」
サニーも身をのりだす価値のある取材旅行だ。井ノ原は笑みと共にトレンチコートの内ポケットをまさぐった。
「これさ」
畳の上に置かれたのは、先程買ったばかりのマリア・ティールームの袋。
「これは?」
「見ての通りさ」
「マリア・ティールームは珍しくもなんともないよ」
「ラベルを見てくれ」
サニーは100グラム入りの細長い黒い袋を手に取り表示された手書きの名称を確認した。
「1st、ヒトスキ星シーア国ウア農園」
そのまんまを読む。
「ヒトスキ星が茶葉生産宇宙一なのは知ってるけど、これがどうしたの?」
「茶が好きな者だったらここでピンとくるんだけどな」
幻の逸品というものはその道に興味がなければ一生知らずに終わってしまうものだ。溜息をつく井ノ原に大学を卒業して2年しかたっていない若社長サニーは眉を寄せて。
「茶菓子だったら語れるのに」とぼやいた。
「これはヒトスキ星のシーア国でとれただ。飲んでみるかい?」
サニーは頷いて再び一服君を呼んだ。
「わぁい、シーア産のファーストフラッシュだ」
ラベルをみただけで瞳を輝かせるるアンドロイド。
紅茶の袋を受け取り給湯室に戻っていく。
サニーは「そういう代物なのか」と一服君の背中を見て呟く。
「源ちゃんは父にお茶マニアにされたんだものな」
「酒が飲めないぶん茶にいったんだよ」
しばらくしてサニーの鼻にマスカットに似た香りが届いた。
社長室とつながる扉は2つある。秘書待機室(さきほど井ノ原が入ってきた部屋)と給湯室(和室のすぐそばにあり、茶をたてるのが趣味だった先代の為につくられた部屋)。その開け放たれた給湯室から香っている。
「いい香りだな。マドレーヌが恋しくなる」
「そうだろ」
サニーの反応に井ノ原もご満悦。
「お待たせいたしました」
ティーポットとティーカップを載せた銀のお盆を持って一服君が和室にあがり、向かい合うふたりの間にそれを置いた。
「砂が落ちたら飲み頃です」
砂時計を手のひらで指す一服君は美女にキスでもされたかのようなふやけ顔になっている。
「一服君、なんだい客の前でその顔は」
「いいお茶を煎れられるのはお茶くみロイドとして名誉なことです」
社長の叱咤も讃辞に受け止めてしまう一服君。屈託のない笑顔に怒る気も失せてしまう。
「まぁいいじゃないか。ウア農園ファーストフラッシュはなかなか地球には入らないんだから」
井ノ原のフォローに大きく頷く一服君。羽交い締めにして頬ずりせずにはいられないキュートさだ。
「そういうものなのか」
だだ、どこそこの銘柄がいいとかいうレベルにはまったくついていけないサニー。
「ヒトスキ星は茶葉の生産が宇宙一で有名な惑星だ。高温多湿な気候と豊かな自然環境が茶葉の育成にもってこい。なかでもシーアはいい茶葉がとれる」
「はい、きれいな茶葉です。どれをとっても茶葉はサイズがおんなじで、夕日のようなオレンジ色でフルーティな香りがたまりません」
父親の趣味は息子にはまったく理解ができなかったが、息子の年上の親友にはこんなにも理解されたようだ。全宇宙のお茶のことしかプログラミングされていない一服君と立派に会話を成立させている。
「源ちゃん、時計の砂落ちた」
うんちくはいいから早く飲ませて欲しいところ。
サニーは大きめな球形のポットに手をのばそうとした。そのとき。
「あっ、すみません。これ3分計なのでもう2分ください」
一服君はあわてて砂時計をひっくり返した。
「なんだって? お前砂が落ちたらって言ったじゃないか」
「すまんサニー、この茶は5分間蒸らす必要があるんだ」
井ノ原が真面目な目をするので従うしかなかった。
2分後。
「すっきりしていて飲みやすいね。ほどよい渋みもあるし」
あざやかな黄色がかったオレンジの色を口にし、サニーは素直な感想を述べた。
「マスカットというよりシーア産のラピラピの香りに近いな」
「するどいですね、井ノ原先生」
井ノ原と一服君は互いの存在を認め合うかのように話を進めているが、サニーにしてみれば地球産のマスカットもシーア産のラピラピも同じ姿形をした果実にしか思えない。
「これが高級茶なのかい? 僕はミルクティー向きの色濃いお茶の方が美味しいと思うけどな」
唇をとがらすサニーに井ノ原は深く頷いてからさらなるうんちくを語る。
「紅茶は高級品だから必ず美味しいということはないんだ。量が取れないとか標高があって採取しにくい場所にあるから値が張るわけで、味や香りは食べ合わせや気分とか。朝飲むお茶と昼飲むお茶が区別されているように、自分に合った茶を選んで好きなように飲めばそれが最高のお茶なんだよ」
うんちく中の井ノ原はとても幸せそうである。
「で、この茶と幻ハンターの次回作とどうつながるんだよ」
サニーは本題に入った。ビジネスの話をしないと、ここが出版社であることを忘れてしまいそうだ。
「お茶にも幻の逸品というものがあるってことだよ。実はマリア・ティールーム社長ハリヤ・マリア氏に招待されたんだ」
「え、マジ?」
マリア・ティールームは宇宙中の茶葉を集め、ブレンドし各惑星に輸出することで生計をたてているといっても過言ではない惑星ヒルメーロのトップ企業。
その社長であるハリヤ・マリア氏といったら凡人では近づけないほどの宇宙的有名人、VIPである。
「ハリヤ氏が幻ハンターの大ファンだったんだ。で、縁ができてね。じきじきにaフラッシュを堪能してみないかと電話をもらったのさ」
「エーッ!」
井ノ原の言葉の意味がわかるものならここで悲鳴を上げるのは当然のことであろう。一服君は両手を頬にあてたまま固まってしまった。
「源ちゃん、一服君がフリーズしたぞ」
「回路がショートしたかな」
サニーと井ノ原はノドを湿らすために紅茶を口にした。さわやかなマスカットフレーバー。純粋にストレート向きのお茶である。
「aフラッシュって、ヒトスキ星のキルネに行く気ですか」
絞り出された一服君の言葉に、今度はサニーがティーカップを持ったまま固まってしまった。
「サニー、どうした?」
しかも急速に青ざめている。
「キ、キルネって、キルネ島か」
たてつけの悪い門扉みたいにカップ&ソーサーを畳の上に置くサニー。井ノ原はそのぎこちない動作を微笑み混じりに眺めている。
「aフラッシュは、惑星ヒトスキの小さな島国キルネでしか獲れない貴重で珍しい茶じゃないか」
からかうように返す。
「笑顔で言うことじゃないと思うな、それ」
一服君も社長の言葉に何度も頷いている。
サニーは息も継がずに続けて語る。
「キルネといえば悪魔の棲む島じゃないか。キルネ族は悪魔の化身。そうだよ、おじいさまから聞いたんだ。昔おじいさまとひぃじいさまが冒険気分でキルネに潜入したら、ひぃじいいさまは記憶がなくなるくらい謎の液体を飲まされグデングデンになって、子供だったおじいさまも、なんか変わったお茶を飲まされて、あれはええお茶だったたとは言ってたけど変な刺激があったとかなかったとか。携帯も圏外になるくらいの非文明島で、でっかいネズミがこわかったって言ってたぞ」
意志を持つサニーの金髪が内側から空気が入ったかのように膨れている。総毛立った猫のようだ。
「悪魔といって孤島に追いやったのは同じヒトスキ星人だろう。キルネ人の見かけが一般のヒトスキ人と違うというだけで迫害した。それにサニーのおじいさんの話はどこまで信じていいかわからない子供の頃の話で記憶が曖昧じゃないか」
「そうは言っても」
悪魔、排他的。キルネ人は隠れるように島からでようとしないで閉鎖的な暮らしをしている。
「まさかキルネに行くとは思わなかったからさ」
「大丈夫。ハリヤ氏は自らの足で現地へ赴きキルネ人の信頼を得てキルネ産茶葉の独占契約に成功したんだ。だから彼と一緒ならキルネ人も友好的になる」
井ノ原の目は獲物を捕らえた肉食獣のように爛々としている。きっと井ノ原の頭のなかは幻といわれるaフラッシュの茶葉と香りと色でいっぱいなのだ。
「aフラッシュってこういう時期に獲れるんですね。巷ではファーストがでまわっているのに…。時期的にはファーストとセカンドの間なのかな、多くの評論家の予想ではファーストの前だったのに」
一服君が呟いたからサニーも井ノ原もその言葉に会話の流れを任せる。
「ボク、aフラッシュについてはまったくデータを持っていないんです。それくらいほんとうに幻なんです。キルネ人だけが愛飲しているという、値段もつけられない高級茶ですから」
aフラッシュでなくとも、キルネ産というだけで値が張る。香り高く、鮮やかなオレンジ色は見る者に爽快感を与えるという。
キルネの茶はハリヤ氏の勇気ある単独行動のおかげでマリア・ティールーム独占契約で販売されることになっているが、量が獲れないのでヒルメーロ星総本店でしか購入できない希少価値商品だ。
ただ、幻といわれるaフラッシュだけはキルネ人のみのものとして未だ門外不出である。
「aフラッシュの収穫に招待されるのはハリヤ氏がキルネ人から信頼されている証拠だ。興味本位でキルネに潜入した人とは違ってね」
「悪かったな悪い先祖を持って。で、源ちゃんはそのおこぼれを頂戴するというわけだ」
うっとりする井ノ原に金髪を指に絡ませながら独り言のように呟くサニー。
「断っておくがなサニー、ハリヤ氏がおれを招待してくれたのは深い親交あってのことだぞ」
「わかってるさ。我が天の川書房も源ちゃんのおかげで宇宙規模の出版社になれたんだから」
白亜の城に住む貴公子の微笑みをみせるサニー。これで女子社員のハートも、締め切りを守らない女流作家の原稿もわしづかみである。
「船の出る時間だ」
立ち上がる井ノ原。
「キルネ人の機嫌を損ねて拘束されないよう気をつけてくれよ。ひぃじいさんは謎の液体のせいで、キルネでの記憶がほとんどなくなったらしいから」
「謎の液体って、ただの酒だったりするんじゃないのか」
「ひいじいさんはザルだったんだぞ、そんなことあり得るのかな」
「大丈夫、そんなことにはならないさ」
その余裕はどこからくるのか。首をひねるサニーである。
靴を履こうとする井ノ原に一服君が靴べらを差し出した。
「ありがとう」
受付嬢もクラッとくる微笑みに一服君は頬を赤らめ両手を胸元にあてた。
「源ちゃん」
そのまま社長室を出ようとする井ノ原の背中にかぶさるサニーの声。
「なに」
「ミルキーウェイの原稿は」
「ヒイラギに渡したよ」
「なら行ってよし。気をつけて」
「じゃ」
互いに軽く右手をあげスマイル。トレンチコートを翻して井ノ原は社長室をあとにした。
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