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5
おかしいとは思っていた。
国王、首相、大統領並に偉い神様の護衛がたった2人だなんて。
担架で運ばれるのがハリヤ・マリア氏のみでないことが明らかになったとたん、マリア・ティールーム地下裏口に黒ずくめの男女が数十人集合したのである。なかには地球人よりひとまわり小柄な有尾族である純血種ヒトスキ人もいた。
ミリガンははじめからわかっていたようで彼らに事情説明と指示を与え、自分はカウと一緒に救急車に乗って行ってしまった。
黒ずくめの団体がバイクや車に乗り救急車の周囲を固め、残った4〜5人が2、3分ギイルと会話をした後、井ノ原に頭を下げた。
「我々はヒトスキ政府の特命により密かにカウ様の護衛にあたっている者です」
彼らはいつからカウの側にいてどこからわいてでてきたんだろう。
「先にホテルへ戻られるのなら我々がお送りします」
と淡々と言われた。
「私も病院へ行きたいのだが」
頼んだら意外にあっさり連れて行ってくれた。
井ノ原が行ってなにができるということではないのだが、友人がふたりも倒れたのに一人ホテルで寝そべっていることもできない。
病院の待合いで1時間ほどギイルとボーッとしていたら、ハリヤ氏の長男にして専務取締役にして一般女子社員と結婚したいと言い出して父親とは険悪中のオスカー専務が駆け込んできた。
「オスカー」
「井ノ原先生! 父は!」
つかみかかる勢いである。
「ハリヤ氏は緊急手術だそうです。サユリさんとザンニさんが手術室の前に」
「ありがとう」
全力疾走したばかりなのにまた全力疾走で去ってしまった。
入れ替わりにやってきたのは小柄でミルクティー色の肌に小さな耳、針金のような質の黒髪と尾を持つ男性。純粋ヒトスキ人だ。さっきも屋敷の前にいた。
「護衛官のシースといいます」
ヒトスキ人は深々と頭をさげた。
「カウ様の容態は安定しました。大事をとってミリガンは泊まり込みです。我々も引き続き護衛にあたります」
ギイルは黙って頷く。その表情をしばらく黙ってのぞき込んでいたシースであるが。
「ギイル。そろそろ我々にも教えていただけませんか。今回カウ様がヒトスキに行くのはなんのためなんですか」
一部の者しか知らないあたりはさすがにお忍びらしい。
「友達に会いに」
ギイルは簡単に返した。
「誰ですそれ」
それでなくとも静かな待合いロビーだというのに。もの音ひとつたてられないほどの沈黙に支配されてしまった。
「カウ様が年間行事以外でヒトスキに来たことはないんですよ。いきなり来ると言われてヒトスキ政府は出迎えの準備で大変な騒ぎになっています。それが、ただ友達に会うだけなんですか。学校まで休んで」
天井に届く身の丈のギイルの目は天井のさらに向こう側をさまよっているようである。
「実は、その友達というのは私の友達でもあるのです」
ギイルが困っているふうなので、井ノ原は口を挟んでしまった。
「つきつめるとハリヤ・マリア氏の友人でもある。だから私たちは一緒に行くことになっていたのです」
若いヒトスキ人の目が丸くなった。
「宇宙の紅茶王と宇宙規模の作家とヒトスキの神であるカウ様との共通の友人ですか」
「なにかおかしいことがあるかい」
井ノ原は微笑を添えた。
「どこの誰なんですか。それがわからなくてはヒトスキ到着後我々はどう動いたらいいのかわからない」
「実をいうと、その人物に直接会ったことがあるのはハリヤ氏だけなんです。その人の住まいはハリヤ氏から託された手紙に書かれています」
コートの内ポケットから白い封筒をちらつかせる。マリア・ティールームの社章が刻印された封筒には確かにハリヤ氏のサインと封印がある。
「詳しいことはすべてこの手紙に書いてあるが、私が知っていることは、その友人は病気で余命いくばくもない。今会いに行かなくては永遠に会えないということだ」
「その人物はヒトスキ人なのですか? せめて名前だけでも教えてください」
「残念ながら本名を知っているのもハリヤ氏だけでそれもこの手紙に書いてあると思う。しかしこれを開けるのは本人に渡すまで禁じられているのです」
「なぜ、というかあなたの言うことは突っ込みどころが満載だ」
それはあえて聞き流す井ノ原。
「この手紙を使わずとも、ハリヤ氏はまだ自分も行く気でいたからです。今となっては無理になりましたが、それでもハリヤ氏の言うことは守ろうと思います」
病院のひんやりしたロビーのなかで、ひだまり友情劇を見せる井ノ原。
シースは井ノ原のうさんくさい笑顔に説得されたのか軽く頷いた。
「わかりました。そいうことならヒトスキに着くまではなにも聞きません…いや、カウ様の体調によっては中止していただくことになりますが」
再び一礼し病室へと去っていくシース。
でまかせなのか真実なのか自分でもわけがわからない言い訳を信じていただいて申し訳ない気分だ。
とはいえ、思いつきの発言はなにかのとき作品の小ネタとして使える。心のネタ帳に記録である。
「井ノ原先生ありがとうございます」
天井からギイルの声がした。
それから1時間後、ハリヤ氏の心臓手術が成功したことが伝わって、カウも気持ちよく寝ていることがわかり、今日のところはホテルに戻ることになった。
「おおげさなんだよ」
翌朝、再度病院を訪れた井ノ原にカウが言う。
「ちょっと気を失っただけなのに」
「気の送りすぎです。絶対安静ですから」
たたみかけるようにミリガン。
「一晩寝たら元気になったし、ハリヤ氏は大切な友達なんだ。助けてなにが悪い」
というものの、白いカウは白いベッドと融合しているかのようだ。
「ハリヤ氏の手術うまくいったわけだし。よかったじゃないか」
弱々しい声。泡となって消えてしまいそうだ。
「自分のしたことを正当化するおつもりですか。カウ様はそれでいいかもしれませんがヒトスキ星の民はどうなります。自覚と責任を持ってください」
ミリガンの目が赤いのは徹夜看護だけが原因ではなさそうである。
「そうだね。でも目の前に助けられる命があったら放っておけないよ」
白い腕に流される点滴の色は薄い黄色。高カロリー輸液にビタミンでも流しているのだろう。
「ミリガン、ぼくは行くからね」
ミリガンは窓辺にもたれかかり眉間をかるくマッサージ。
「いま行かなきゃ二度と会えなくなる」
「誰に」
条件反射で尋ねてしまうのは井ノ原。
「う〜ん、手紙の主かな」
昨日シースに言ったでまかせが偶然にも本当のことのようではないか。
カウはとたんに寝息をたててしまった。
「早い」
0コンマ数秒で熟睡にはいっている。いままで寝言と話していたのか?
「他人に生体エネルギーを送ったのですから衰弱して当然です」
窓を開けると心地よい風が入ってくる。
額を押さえるミリガン。そのときノックの音がして護衛官のシースが入ってきた。
「カウ様の容態を知りたいとヒトスキ政府が言ってきています」
「予定通りと伝えてください」
「え」
シースは首をちょこんと前に出した。
「今日いっぱい熟睡すれば回復します。大丈夫です。明日ハナツバキに乗船します」
口が半開きになったのは井ノ原も同じだった。本当に大丈夫なのか。
「完璧に回復するまで入院された方がいいのではありませんか」
シースの目は1日寝たぐらいで、これほどまでの衰弱が良くなるものかと訴えている。
「とにかくヒトスキには向かいます。いま行かなくては二度と会えなくなるとカウ様が予言しているのです」
「そこまで大切な人物に会いに行くのですね」
シースはそう話をまとめ、また来ると言い残して退室した。
「井ノ原先生。わたくしはカウ様の夢を叶えてあげたいのです」
椅子に座り込むミリガン。に井ノ原は「わかります」と返した。
「それと、マリア・ティールームでは緊急重役会議が開かれることになったそうです。今後の方針と予定を1日で決めるそうです」
つまり井ノ原にはなにもすることがないようだ。
「それでは、私はホテルで原稿を書いていますのでなにかあったら携帯に連絡ください」
「わかりました」
こんなに物音を立てているのに起きないカウをそのままに井ノ原はホテルに戻った。
ホテルに戻った井ノ原は残ったミルキーウェイの原稿を書き上げ、天の川書房に送信したところ、即担当編集のヒイラギから「ありがとうございます」と丁寧な返信があった。
夕飯はホテルのレストランで『紅茶御膳』なる新メニューがあったので注文。紅茶そばやら紅茶葉を混ぜ込んだ掻き揚げや茶葉の漬け物、ヒルメーロ牛サーロインステーキ+紅茶ソースなどに舌鼓を打ち、ふたたび部屋に戻ったら天の川書房若社長サニーから「源ちゃん、この調子で次回もよろしくね」というハートマークが飛んできそうな画像メールが入っていた。
『幻ハンター暁金之助 幻の茶を追う』
いままで断片的に現れていたあふれんばかりのキャラクターとシチュエーションをネタ帳に放出させる。
この作業だけは何年経ってもノートに手書きスタイルの作家が多いと聞く。あちこちに散乱する暁金之助のアクション、謎の美女の微笑、老人の涙の生い立ち、相棒銀狼と老人の影武者との関わり。
頭の中で暴れまくる彼らを交通整理し、正しい筋道へと誘導する作業。
彼らが駆け回る速度が速すぎて追いつくのに必死だ。
幻ハンターにおける幻の茶がなにをもって幻なのかも作者の中ではすでに決まっているが、キルネのaフラッシュはどういう場所に育ち、どういう加工をして、どういう色、香り、味がするのだろう。
「ふふふ」
想像をふくらませるとますますキルネの地に足を踏み入れるのが楽しみになってくる。
「とはいえ難しくなってきたな」
ふとペンを持つ手が止まる。
眠ったカウ。
倒れたハリヤ氏。
二人の容態が重要問題だ。
いくらヒトスキ星の神であるカウが「ぼくが行くと言っているんだから行くんだ」と言い張っても周囲が許さなかったらそこで涙をのんでいただくしかない。
マリア・ティールームとしても、社長が倒れたいま、普通だったら自由旅行でキルネという島国に行ってお茶を飲むことより新しい人事を組み直すことのほうを優先させるだろう。
「おれが考えたところでどうにかなるわけじゃないからな」
ふたたびネタ帳にペンを走らせる。
創作活動のあまりの楽しさに、疲れなど感じないからそのまま突っ走ってストーリー作りなどをしていたらずいぶん遠くまで来てしまったようで、カーテンから日差しが入り込む時間になっている。
「久しぶりに完徹してしまったな」
お腹もいい感じにすいている。たったいま紅茶御膳を食べたような気もするのにあれは昨日の夕食なのだ。
「さてと」
大きくのびをして席を立った。
マリア・ティールーム直営であるマリア・ホテル名物のモーニング。食べないと3ヶ月は後悔のあまり不眠症になるという。
濃い紅茶にミルクもさることながら有名なのは焼きたてのスコーンである。
紅茶を練り込んだものとプレーンと2種類だが、歯ごたえサクッでなかは密度の濃い生地がほかほか湯気をたてるのである。さらに茶葉と共に品質がよいとされるヒルメーロ乳牛からできるホイップクリームが絶品なのだ。ホワイトマウンテンと呼ばれるクリームはいつでも山のようにピンと立っておりクリィミーな香りも食欲をそそる。生ものなのでここでしか口に入れることができない逸品だ。
ふたつに割ると黄色がかった生地から白い湯気が立ち、その表面にクリームナイフですくった真っ白なクリームをのせる。
「幸せだ」
おかわり自由のスコーンをほおばるだけで、ホテルのティールームが小川せせらぐ高原の別荘地に変身する。
感動に溢れている。この幸せを文章にしたい。自分の持つ力を総動員してイメージを全宇宙の人々に伝えたいと井ノ原は心底思った。
これぞ作家冥利。
「ご馳走様でした」
部屋に戻って歯をみがいているときミリガンから着電した。
カウが目を覚ましたというのでタクシーを走らせ病院へ。
「おはようございます」
病室に入った井ノ原が見たのはベッドの上で元気よくミルクティーにスコーンをほおばるカウの姿だった。
「井ノ原先生心配かけてごめんなさい。起きたらお腹すいちゃって、特別朝食用意してもらっちゃいました」
白いシーツが敷かれた銀のお盆の上には先ほど井ノ原が食べたものと同じメニューがのっている。
「それはホテルの」
「出前ですわ」
かわりに答えたのはミリガンで、カウはマリア・ホテル名物モーニングに舌鼓を打っている。
「丸1日寝てたから。ここで体力つけなきゃね。今夜船がでるんだから」
湯気たつスコーンに頬をゆるめ、クリームをてんこ盛りにする。大きく口をあけてほおばろうとするも鼻の頭についてしまう。
井ノ原は「大丈夫なのか」という言葉を飲み込んだ。
「一晩寝れば治る」という言葉は地球人(日本人)に限って使われる言葉ではないのだな。そんなことを考えてしまう。
「美味しいよね。なめらかでコクのあるホイップクリーム」
鼻についたクリームをナプキンでぬぐうカウは声にも張りがある。倒れたうえに丸1日半寝込んだとは思えない。これが神の回復力なのか。
「ねぇミリガン、ヒトスキに着いたらやっぱり大臣たちに言わなきゃいけないんだよね。キルネに行くこと」
ちょこっと首をかしげるだけで長い髪がふわりと揺れる。いまだに井ノ原はどう表現したらそのはかない輝きを読者に伝えることができるのかわからないでいる。
「そうですね」
ミリガンは寝ていないのだろう。眉間をマッサージしそのままこめかみも押さえ首をまわしている。
さすがに母星に着いたら目的は明らかにしなくてはならない。
井ノ原は護衛官のシースにカウは瀕死の友人に会いに行くのだと言ってしまったと腕を組んで考えたが、まぁたいしたことではないだろうと微笑することにする。
「先生も食べた?」
「あぁ、美味しかったよ」
「だよね」
顔中に生きる喜びを描くカウを見て、ハナツバキのティールームでティーカップを手に同じ顔をしていたエリカを思い出す。美味しいものに対し素直な感情を全面に放出する。見ているこちらも幸せな気分になれる。
「そういえば、昨日の夜エリカさん来たよ」
「え」
カウはふたつに割ったスコーンにクリームのほうが多くないかというくらいのっけている。
「追い返されたから病室まで来れなかったけど」
つけすぎたクリームをながめるカウに井ノ原が「寝てたのにどうしてわかる?」と尋ねたのと扉が勢いよくスライドしたのは見事に同時であり、現れたのはこれまた会議や残務処理で一睡もしていないと思われるオスカー専務であった。
「カウ君、いまのは本当か」
目にくまができている顔で迫られては、ちょっとしたホラーショーである。
「本当にエリカが来たのか」
「専務、落ち着いてください」
後ろにこれまた寝ていない第一秘書のザンニが押さえにはいったのでカウは無事にスコーンをほおばることが出来た。
「うん。気配がしたから、気をつかんでみたらやっぱりエリカさんだった」
「追い返したのか、誰が?」
「病院の人だと思うよ。ハリヤ氏は大手術のあと面会謝絶でしょ」
身内でもない人間を緊急手術後の集中治療室にいる患者に会わせるなど病院側が許すはずがない。
オスカーもようやくそんな簡単なことに気付いたのか。一歩下がって頭を下げた。
「すまない。私は君に、父の命を救ってもらったお礼を言わなければならないのに」
さらに頭を下げる。ザンニも一緒に。
「本当に、ありがとう」
「お礼はぼくがしたかったくらいです。キルネ行きのチャンスはもうないかもしれないし」
「体は大丈夫ですか」
オスカーは頭をあげたと同時にベッドと同化しているカウを気遣った。カウは笑顔で頷く。
「元気になったよ」
オスカーもザンニも無理して微笑んでいるのではないかというカウをまぶたにいれたとたん顔が麻酔をかけられたかのようにゆるゆるになった。
「よかった。ではみなさん、キルネには予定通り向かいます」
断言するオスカーの目から寝不足と疲労のクマが消え去っていた。
「やったね」
素直に喜ぶのはカウ。
「会社は?」
井ノ原は独り言ではなく真面目に尋ねた。
「私の留守中は副社長の叔母が社長代行をするので。それにキルネとの独占契約の続行には社運がかかっています。しかも門外不出のaフラッシュに招待されているのです。キャンセルなどありえません」
大企業を背負った重役の姿勢はどこの惑星でもだいたい同じであろう。面会謝絶の父を置いてまでの価値がキルネにはある。そういう結論に会社としても達したのだ。
「今夜発のハナツバキには予定通り私も乗船します。それを伝えに来ました。時間になったらお迎えに参ります」
オスカーは再度頭を下げてザンニと共に病室を出た。
「井ノ原先生」
スライドドアが完全に閉まったとき、ミルクティーを手にしたカウが語りかけてきた。
「なんだい」
返す井ノ原。病室には暖かな日差しが差し込んで花瓶の花にきらめきを与えている。
「まだまだお昼のメロドラマは終わらないよ〜」
キューピッド気取りのカウの笑いには、待ちに待った最終回をテレビの前で正座して待っている心境が見て取れた。
井ノ原がいったんホテルに帰り、メールチェックをすると天の川書房の編集担当ヒイラギからで、送られた追加原稿のなかに誤りと思われる箇所があるのだが直しますか? というものだった。
貼付ファイルでその箇所を確認すると『ゴールデンレトリーバーのナナは柴犬のハチに散歩に行こうと促した』と書かれていた。
「しまった」
ここで散歩に行こうと言い出すのがナナのほうになってしまったら悩んでいるのがハチのほうになってしまう。普通に読んでいたら絶対気付くミスだ。
即『柴犬のハチはゴールデンレトリーバーのナナに散歩に行こうと促した』と直して送り返す。
送信したら急に睡魔がやってきたのでベッドに倒れ込むことにした。布団もかけずにでは風邪をひきそうだが、宇宙一万能なロングコート着っぱなしなので大丈夫であろう。
目が覚めたらオスカーという名のお迎えが来ていた。というかお迎えが来たから目が覚めたのか。
「井ノ原先生、寝起きですか」
ロビーにおりた井ノ原に開口いちばんオスカーがそう言うので「なにか変ですか」と尋ねたら。
「寝グセついてます」
手をまわすと頭のてっぺんあたりがはねていた。
井ノ原を拾ったマリア・ティールームの社用車は病院に向かう。
「ぼくもマリア・ホテルに泊まりたかったな」
海の見える贅沢な部屋だったが、ほとんど原稿執筆に費やしていたので景色に対する記憶がない。
「ずっと寝てたから体なまっちゃったよ」
すっかりごく普通の状態になっているカウの隣でミリガンのほうが青白い顔になっている。
「大丈夫ですか」
「休んでいないのでしょう」
「大丈夫です。心配なさらないで」
男たちの心配がミリガンに集まるのも仕方がない。
「ミリガン、船に乗ったら思い切り寝ていいからね」
カウとしては呟き程度のつもりだったのに意外にもみんなの視線が集まってしまった。
「え、なんだよ!」
そんな神様にミリガンは女神の微笑みを浮かべた。
「はい。ありがとうございます」
「早く行こうよ。モタモタしてたら船出ちゃうよ」
頷いたギイルが病室の扉をスライドさせたら真っ正面に誰かが立っていた。ギイルが扉より大きいせいで最初誰かがいるのかわからなかったが。
「ここからはヒトスキ政府代表として私もお供させて頂きます」
声だけがギイルの背中から流れてきて、その隙間から姿を現したのはヒトスキ人のシースであった。
「護衛官のシースです。本来なら御社と交流のある護衛長官が来ることろですが、緊急案件でしたのでわたくしが。申し訳ありません」
初めて会うオスカーにわかりやすく自己紹介をする。シースは感情を出さずこう付け足した。
「ヒトスキ星政府の命により、50名の護衛官がスクウォーからついて参りました」
「そんなにいたの?」
びっくりの井ノ原。
カウが倒れたときどこからともなく登場した護衛は数十人だったのに、実際はもっといるということか。
「そんなにいるんだよ。少ないほうだよそれでも」
と溜息混じりにカウが即答してくれた。
「常に周囲の風景となじんでぼくを護衛して監視しているの」
神様は苦笑いになっている。学校でも? と聞くと「学校はVIPの子供が大勢集まっているから学校がやとっている警備会社があるんだ。個人の護衛で学校の敷地内に入れるのは5人までになってる」と答えが返ってきた。
学校の規定によりカウの直属の護衛はミリガン、ギイル、病欠で来れなかったララという女性。シースもその一人なのだが学校とヒトスキ星を行ったり来たりなうえ、なるべく影ながらに徹しているという。
「よろしくお願い致します」
「いえ、こちらこそ。よろしくお願いします」
そうこうしている間にシースとオスカーは互いの自己紹介を無事済ませたようだ。
「では、みなさん参りましょう」
宇宙船ターミナルはどこも警備は厳重で身分証明カードを通さないとたとえお見送りでも建物のなかに入ることは出来ない。
「こちらからどうぞ」
警備員に誘導され、井ノ原たちはVIP専用口から入る。
「これだけ厳重な警備なら安心だしな」
「井ノ原先生なにか言った?」
前を歩いているカウが振り返ったので井ノ原は前方を指さした。
「あそこであやしい光線の餌食になっている人がいるから」
不法侵入者、全宇宙指名手配犯、コソ泥。ゲートでのボディチェックや身分証明カードの偽造が発覚したらどこからともなく地球の日本人技術者が命名した『あやしい光線』が発射され、どんな星の人間だろうと頭と胸をかきむしりながらひっくり返り、口からよだれを垂らし「いひひ、うふふ」と泉のようにあふれ出す笑いを止めることはできないことになっている。
「ほんとうだ。ぼくはじめて見る。あれがあやしい光線にやられた人なんだ」
その光線はどこから発射されるのかはわからないが、神経に作用するだけで命を奪うことは決してなく、当てられた人にしかわからない妙な悶絶を五感に与える仕組みになっている。
「あああん。やめて、やめ、やめ」
嬉しいんだか悲しいんだか、痛いんだかくすぐったいんだか、辛いんだか嬉しいんだか。
あやしい光線にやられのたうちまわる、は虫類系異星人の周りにはアッという間に人だかりができて全宇宙警察官が人垣を分け入って輪の中心に入っていくようだ。
「近くで見たいなぁ」
「いけません」
ミリガンの一喝で長い耳が垂れ下がってしまうカウ。シースの先導で一行はあやしい光線にやられた人を横目にハナツバキ搭乗ゲートへと向かう。
井ノ原はカウが倒れたときにマリア・ティールーム地下に招集された隠密護衛たちの姿を発見した。ひとり見つけると面白いようにあちらこちらで一般旅行者に紛れ込んでいる隠密たちが発見できた。
新聞を広げている者。アベックを装っている者たち。椅子で寝たふり、おみやげを買っていたり。この人たちはそれとわからないようカウに張り付いており、緊急事態が起こったら一斉に群がってくるのだ。
VIPの護衛においてこのような形態はめったにない。大抵よその星の偉い人物がやってくるときは物々しいガードマンに囲まれてどこに主要人物がいるのかわからないくらいなのに。カウの場合は、どうぞ癒されてくださいといわんばかりの露出度だ。事実、光の存在は誰の目をも釘付けにし隠すこともできないが。
とたん、護衛官たちが動き出した。
新聞を閉じたり、椅子から起きあがったり、おみやげは買わずにでてきたり、アベックはこちらに接近してきた。
(なんだ?)
ミリガンとギイルがアイコンタクトをとったのを井ノ原は見逃さなかった。
「ミリガン、大丈夫だからみんなを下げて」
しかし緊急警備体制にストップをかけたのはカウ自身で、それまで緊急事態になっていることに気付かなかったオスカーと秘書として同行するザンニはようやく「なにかあったのか」と聞いてきた。
「オスカーさん、正面です」
それにカウはしれっと答えた。井ノ原も真っ正面に視線を送る。
行き交う人々の中央に仁王立ちしてこちらをにらんでいる人物がいた。Gパンにスニーカー、赤いチェックのシャツ姿。野球帽タイプの帽子をかぶり体より大きいかもしれないナイロンバッグを脇に抱えている。
いかにも一行を待ちかまえていましたという態度。これでは護衛官が動き出してもしょうがない。
「あっ」
オスカーが走り出したので井ノ原もその人物が危険でないことが理解できた。
カウが井ノ原のコートの袖を引っ張り「いよいよクライマックス」と呟いてニッコリ。ミリガンが息をのむ音まで聞こえてきた。
「エリカ、どこに行ってたんだ」
エリカは無言で帽子を取った。まとめ上げていた髪を大胆にカットしており、楕円形の眼鏡はコンタクトにかえているようで無邪気な学生のような印象を与える。職業当てクイズで誰も彼女の仕事を当てることは出来ないであろう。
「エリカ、どうしたんだ?」
しかしながら彼女の顔は緊張のあまりこわばっており、目の前に会いたかった人がいるにも関わらず、それを通り越して他の誰かをにらみつけていた。
(おれじゃないよな)
と井ノ原は思った。カウでもミリガンでもギイルでもない。
「え?」
やがてみんなの視線が自分に集まっていることを知ったザンニである。
「なんですか、私の顔になにかついているとでも?」
エリカの足がようやく動き出したがさびついたロボットの足のようにぎこちない。カウの隠密護衛官たちも側によっては来ないがいつでも行動に出れる雰囲気をむんむん醸し出している。
しかしエリカはそのような護衛官が敵意をもって見ていることなどまったく気付かぬ様子。まっすぐ進んでザンニの前で足を止め、右手を差し出した。
「なんですか」
疑問符を描くザンニにエリカはハッキリ叫んだ。
「ザンニさん。あなたのチケットを私にください!」
エリカの顔は瞬く間に真っ赤になった。
「オスカーと一緒に行くのは私でなきゃダメなんです」
護衛官たちだけでなくカウにみとれていた一般旅行者やターミナルスタッフまで注目してしまう声量になっているが、脳がゆだっているエリカには周囲の状況などまったく目に入らないようだ。
「秘書なんかじゃなくて、個人としてついていくことを決めたんです。オスカーの側にいたいんです。だからあなたのチケットを私にください」
エリカは差し出した手のひらからも湯気がでそうな勢いである。
(わけがわからん。でもパワーは認める)
井ノ原は速攻で思った。
エリカ自身、ブレンダーになりたくて厳しい試験に合格して入社したマリア・ティールームでこんなことになるなんて思ってもみなかった。
身分も風格も違いすぎる。社長は大反対で、由緒ある家柄の婚約者を用意していると聞いた。あたりまえのことだ。オスカーからの告白は嬉しかったけれど、あきらめるしかなかった。自分のせいで全宇宙一のお茶メーカーの名に傷がつくのだ。
だから何事もなかったかのように専務の好意はお断りし、会社も辞めて田舎へ帰ろうとしていた。
これですべてに片が付く。
そのはずだったのに、突然社長が会社のロビーですれ違いざま呟いた。
『オスカーを頼む』
頭の中でなにかがはじけた。
ハイヒールが足に痛い。タイトなスーツが重く感じられた。
「こんな終わりかた、納得できない」
近くにいたビニー女史に「今日で辞めます」と言って社を飛び出していた。ハナツバキの出航までに準備しなければならないことがいろいろあった。
髪を切ってマンションに戻ったとき、オスカーからのメールが入っていて社長がふたたび倒れたことを知った。病院に駆けつけたが身内ではないからと病院関係者に追い返された。
「私にできることは、オスカーの力になることなんです」
「エリカ」
決心を聞いたオスカーまでもが真っ赤になっている。はたからみるとかなり面白い光景だが、本人たちは必死なのだ。
ただならぬ圧力に困惑するのはザンニである。専務とキルネに同行するのは秘書として当然であり会社命令である。それを退社した人間が愛を理由にハナツバキのチケットをよこせとは言語道断。素直に渡す方がおかしい。
がしかし。ここで一社会人としての常識を通したら、袋だたきにあいそうな雰囲気になっているのは果たして気のせいなのだろうか。
自分の答えひとつでこの場の雰囲気が大きく変わってしまう。マリア・ティールーム専務秘書として当然のことを言って愛社精神を貫くのが人として当たり前の行為である。とはいえ、全宇宙に名をとどろかす作家や一つの星の神様までもがハッピーエンドを願っているような視線をぶつけている。その視線は剣山より痛い。チケットを渡さなかったら自分は無実の悪者になってしまう。
「え、えっ、しかし、それは」
「お願いします」
目の前に突き出されたエリカの右手が震えている。味方でなくてはならない筈のオスカー専務までもが、自分の答えを固唾をのんで見守っている。
(待て。情に流されていいのか? これはビジネスではないのか。プライベートのお遊びじゃない。まして婚前旅行などでは決してない。これは会社命令なのだ)
ザンニは常識をとる。誰が自分を責められよう。
意を決してエリカに社会人としての常識を告げようとしたとき。
「ザンニさん」
カウがスーツの袖口を引っ張って耳打ちをした。ほんの2、3言だったと思う。
みるみるザンニの顔から冷静さが失われていった。
「そ、それは本当なのか」
カウは力強く頷いた。
ザンニは内ポケットからハナツバキのチケットを取り出し、エリカの手のひらに握りしめさせた。
「専務を頼みます」
沈着冷静が服を着ているはずのザンニの慌てようにエリカの目は丸くなる。
「専務、申し訳ありません。私も大切な人の側にいたいのです」
オスカーと皆に一礼したかと思ったら陸上選手の速さで去ってしまった。
皆、呆然とその背中を見送った。
「カウ、彼になにを言ったんだい」
井ノ原の問いにカウは平然と答える。
「サユリさんが看病疲れで倒れた」
「本当に?」
「さぁね」
「おいおい」
屈託のない微笑みに井ノ原の意識はお花畑に飛んだ。
「ザンニにそんな女性がいたのか」
一方真顔で呟くオスカーである。
「オスカー、私」
隣にはエリカが残っていた。
「やっぱりあなたの側にいたい。迷惑かけるかもしれないけど」
答える代わりに思い切り抱きしめた。
めでたしめでたしである。
大歓声よりすすり泣きが多くみられる。ここに至る経緯も事情も知らない人々の集合体だというのに。最終回だけですべての筋がわかってしまっているみたいだ。
と思ったらミリガンもハンカチを握りしめていた。
「いいものみさせてもらったね」
カウはいったいなんの神様なんだろうか。
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