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「で、結局のところカウ様はどちらのどなたにお会いになられるのですか」  ハナツバキ出航1時間後、一同はカウのいるVIP室に呼び出されてた。  司会進行は惑星ヒルメーロより表にでてきた専属護衛官のひとりで生粋のヒトスキ人シースである。 「井ノ原先生の言うことを信じる私だとお思いですか」  シースの漆黒の瞳には確実に危険人物を射抜く殺気が宿っている。〈プロの目〉だと井ノ原の作家魂が感じる。 「井ノ原先生、彼になんと言ったのですか」  おそるおそるオスカーがたずねる。その隣でエリカもじっと見つめている。 「ハリヤ氏、カウ君、私。共通の友人に会いに行くと言いました」  スイカ割りを成功させた笑顔で返す井ノ原である。 「その人物はハリヤ氏しか会ったことがなく重い病気で余命幾ばくもないそうです」  シースは手裏剣でも飛ばしそうな勢いである。 「ハリヤ氏から手紙も預かっていますし」  井ノ原は動じることなくコートの胸ポケットからハリヤ氏の手紙をだした。 「父が、手紙を?」  ちょっと失敬と封筒を受け取り確認をする。封筒もマリア・ティールームのものだしサインもまさしく、ハリヤ氏の直筆。 「その手紙がハリヤ氏の書いたものとしても、それだけではヒトスキ政府に正確な報告はできないのです。ご理解頂けますよね」  シースは容赦がない。 「ミリガン。これ以上黙秘を重ねることはヒトスキ政府への反逆とみられても文句は言えませんよ」  シースの額には『ヒトスキ政府命』というハチマキが巻かれているかのようだ。 「ハリヤ氏が病気の友人に会いに行くつもりだったのは本当だよ」  ホットミントティーをすするカウが仕方ないなぁとばかりに口を開く。 「その手紙もその人物にあてたものだよ」  オスカーの握る封筒には宇宙共通語で『親愛なる友 ネイに』と書かれている。 「ネイさん、という方ですか」  特に感情のないオスカーの台詞に人一倍反応したのはシースであった。 「ネイ! まさかキルネのネイですか!」  外にまで響く悲鳴である。 「ハリヤ社長がキルネと茶葉の独占契約を結んだことは知っているぞ。まさか、あなたがたは」 「声が大きいよ」  せっかくのミントティーが渋くなるとカウ。  井ノ原は(するどいなシース。さすが護衛のプロ)と感心した。 「ぼくが行きたいからハリヤ氏に頼んだんだ」  なにか文句でも? という空気が充満。  シースが勢いよく椅子から立ち上がったものの、カウ相手に怒鳴ることなどできはしない。 「シース、座ってよ」  神の命令は絶対である。シースはいささか乱暴に腰を下ろし頭を抱えた。 「キルネ側がカウ様を拒否しているのではなかったのですか」 「長のネイがハリヤ氏の説得に応じたと聞いています」  ミリガンが本当のことを語る。シースは食い入る目で一同を見渡し。 「ヒトスキ政府としては、悪魔の島にカウ様を行かせるべきではないという決議が」 「そんな大昔からの差別のせいでぼく個人の故郷を思う気持ちを無視するの? キルネ側の許可がでたんだからいいじゃないか。だから困るんだよ頭のかたいヒトスキ政府のおじいちゃんたちは」  ミリガンとギイルは黙ったままシースをみつめている。 「なんだその目は。だから私は嫌なんだ。よその星の人間を護衛にあてるのは」 「すべてのヒトスキ星人があなたほどの身体能力を持っていれば問題はないのでしょうけどね。身体能力ならキルネ人の方がかなり優れていますよね」  はげしい稲光がミリガンとシースの間に発生した。ヒトスキ星はお茶を中心とした農耕惑星で人々はおだやかに日々を過ごすのを愛する。戦闘能力という単語が辞書にないほどの平和主義国家なので人々の体つきもそれに対応している。  運動神経抜群のキルネ人を除いては。 「ミリガン、シース。お客様の前でみっともないよ」  お国の裏事情を痴話喧嘩で暴露など恥ずかしいったらない。カウはためらうことなくふたりに抗議の視線を投げつけた。  紫色の沼に頭から投げ込まれ両足をバタつかせる感覚を一緒に味わうミリガンとシース。ちっぽけな言い合いがきっかけでカウが自分たちから離れてしまったらどうしたらいいのかという不安が襲いかかる。本当はこれくらいのことで見捨てられるわけがないと頭では思うのに、なにか得体の知れない不安がそういう安易な考えを許してくれないのだ。  カウの瞳の色に深みが増している。 「申し訳ありません」  ミリガンとシースは同時に頭をさげた。わがままを叱られてお母さんに許しを請うみたいに。 「ぼくだってキルネ人なんだ。それなのに生まれて一度も故郷に足を踏み入れたことがない。本音を言うと連れて行ってくれるのなら誰だっていいんだよ」  しかし、と言いかけたシースを瞳で制止する。 「いま行かなきゃ二度と会えないのは本当なんだ。確信できる予知だよ」  長いまつげに涙が絡んでいるように見え、たいへん可哀想なのにだれもが『美しい』と魂を抜かれてしまう。  沈黙が続き、この場はお開きとなった。 「オスカー、この手紙は君が持ってくれないか」  カウたちの部屋を出てからオスカーとエリカをティーラウンジに誘ったのは井ノ原である。差し出されたハリヤ氏の手紙をオスカーは素直に受け取った。  キルネの長、ネイ宛の手紙。 「自分が行けないことへの詫び状と思いますから」 「ありがとうございます」  ハリヤ氏も本当は息子に持たせたかったに違いない。オスカーも素直に受け取り、スーツの内ポケットにしまいこんだ。 「ところで井ノ原先生はキルネの地理に詳しいのですか?」 「それは私のほうがお伺いしようと思っていたのですが」  孤立無縁の島である。行ったことがあるハリヤ氏が同行できないいま、排他的と全宇宙にその名をとどろかせているキルネに予備知識もなく上陸するのは簡単なことではないだろう。  かといって地球のいち出版社の若社長サニーのおじいちゃんのうろ覚え話を披露するのはあまりに意味がないことのように思える。 「すみません。あまりに急な出発だったもので、事前調査ができなかったというか、もとから情報がないというか」  オスカーも恐縮する。まさか手術した父親を起こして聞くわけにもいかない。 「そうなんですよね。一般的に知られていること以外の情報がない。aフラッシュという名の由来すら 地球にないというのが不思議でならない」 「どういうことですか」 「aというのは地球のアルファベットという言語です。ほかの星でaという文字をみたことがないし、似たような文字はあってもエーとは発音しない」 「ということは、aフラッシュという名は地球人がつけたと?」 「もしくは地球に来たことがあるキルネ人がアルファベットのはじめの文字であるaを拝借したか」  井ノ原は興味深いんだがなと付け加えた。 「あの、参考になるかわからないんですけど」  オスカーの隣に座っているエリカが口を挟む。スーツ姿のオスカーとは対照的なGパン姿のままだ。 「私の祖父のいとこの奥さんの弟さんがキルネ人に親友がいるって聞いたことがあって、会いに行ったんです。出発前になにか情報を得ようと思って」  井ノ原とオスカーはとっさに『遠い』と思いはしたが、そこまで遠い親戚でもキルネ人に知り合いがいるというのは奇跡かもしれない。 「その人も登山が趣味で。あ、あの私の家系は山登りが好きな人が多いんです。で、ヒトスキ星に登りに行ったときキルネの方と知り合ったそうなんです。よその人とは決して交わらないと聞いていたのにとても気さくでいい人だと言ってました。ロンという若い男性だそうです。会話をしているうちにキルネには登山家がウズウズするような山があることを知って。是非連れて行ってくれと頼んだそうなんですが、ロンさんは神聖な神の茶が ……と呟いたあと、それは無理だろうと言ったそうです」  神の茶。aフラッシュのことと考えてまず間違いはないだろう。貴重なお茶が山のてっぺんにあるというのは神聖さが増す条件ではないか。 「参考になりましたか」 「もちろんだとも。ありがとうエリカ」 「はい」  腕を組んでキルネについて考える井ノ原の前で恋人たちは手をとりあってハートマークの世界にひたりまくっていた。  自室に戻り、ベッドに仰向けに倒れこんで天井を眺める。 (幻ハンターの世界もクライマックスだな)  井ノ原の頭のなかでキャラクターたちが動き始めた。 (こんなふうに……) 「幻の茶は神聖なる山の頂に」  小さな漁船。ワイン樽の上に老人は変色した地図を広げた。無理をいってだしてもらったしけの海。水しぶきが地図の要所要所を色濃くしていく。 「覚悟はいいな」  老人はタクトを振るようにメンバーの表情を確認した。 「心配するな。俺はプロだ」  老人の想いに応えるため暁金之助は微笑みを浮かべてみせた。その隣で相棒の銀狼が揺れる船に「おれ、ジェットコースター苦手なんだよね」と青い顔をしている。 「あの方のためにも、必ず」  もう一人は謎の美女である。胸に手をあて祈りのポーズをとる。泣いているのかもしれない。でもただの水しぶきなのかもしれない。  老人は3人の若者に懐かしいものを愛でるような瞳を向けた。自分にも輝けるエネルギーをおしげもなく発散させていた季節があった。すべてに前向きで、不可能などあり得ないと信じていた。 (将来ある若者の命をわしの我が儘で危険にさらしていいのだろうか)  これから待ち受ける危険を思うと、こんなしけなど、ゆりかごのなかで寝息をたてるようなものではないか。 「爺さん、怖かったら船で待っててくれて構わないんだぜ」  思ったことは言わずにはいられない半獣人が船酔い顔を近づけていた。 「いや、そういう訳にはいかん」  彼らには手伝ってもらうだけだ。幻の茶をあの人に飲ませることが出来るのなら、自分はどうなっても構わない。 「爺さん」  暁金之助。前に進むことしか知らない若者が見つめている。 「幻の茶は爺さんが持って帰るんだ」 (かっこいいぞ。暁金之助)  作者もほれぼれ。  急激な眠気が……。 「井ノ原先生」 (どんな危険が彼らを待ちかまえているのだろう。自然現象の他にお茶を守る聖獣というのが必要だ。どんなタイプにしたものか) 「井ノ原先生ってば」  カウの声だ。 「うえっ?」  虚構から現実に引き戻されたら大歓声に囲まれていた。  その99%は黄色い悲鳴でヒトスキ星の女性たち(年齢層幅広し)が警備員に押さえられながらカウの名を呼んでいる。 (しまった。作品世界にのめり込んで現実逃避をしていた)  宇宙いちの茶葉の産地。常夏のヒトスキ星に到着したのだった。 「心ここにあらずって顔してるよ」  ギャラリーがうるさいので顔を近づけないとなにを言っているのかわからない。しかしカウに耳元でなにかをいわれると女性たちが「なにあの地球人!」「カウ様に近づきすぎよ!」「なに話しているの!」などなど暴動を押さえにまわっている警備員が可哀想になるくらいの大騒ぎを始める。  なかには魂を抜かれたまま意識が体に戻らず担架で運ばれる女性もあちこちで見られる。 「すごい人気だな」  一行はヒトスキ政府が用意した専用車に乗って首相官邸に向かうことになっているのだが。 「お忍びではなかったのか?」  これでは来日を宣告の上プロモーションに訪れる芸能人と変わりがない。 「お隣のヒルメーロ星滞在から全国民に知れ渡っているよ」  カウ様から離れて! という今にも刃物が飛んできそうな罵声も聞こえてくる。井ノ原のなかで幻ハンターが四散していく。 「手とか振らないの」  なにげにカウに尋ねると。 「パニックになるから」  という答えが返ってきたが、これ以上のパニックとはどういう状態になってしまうんだろう。  よく見れば涙を流して両手をあわせる老婆もいる。 「うむ」  フラッシュをたく報道陣と奇声をあげるファンのなかにヒルメーロ星でみた私服護衛官が混じってもみくちゃにされていたりする。 (お仕事頑張ってください)  心からねぎらう。  前を歩くシースが「こちらです」と外に待たせてある黒塗りの車に案内する。工業惑星ウル産のソーラーカーとわかった。高温多雨とはいえ天気の日は1日で1ヶ月分の充電ができるヒトスキ星では最適な車といえよう。  カウとミリガン、シースは1台前の車に乗り、井ノ原、オスカー、エリカはギイルと共に後ろの車へ。井ノ原はヒトスキ星官僚とは縁のない人間だが、オスカーは仕事の関係上知り合いが多い。車中出迎えの外務大臣にハリヤ氏の病気見舞いを言われた。 「ありがとうございます。幸い手術も成功し一命を取り留めることが出来ました。カウ様には大変なご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」  カウが倒れたことはヒトスキ星上層部の耳にも届いているだろう。ヒトスキ星政府にしてみれば首相より偉い神様の命がよその星の、たかが社長のために奪われそうになったのだ。これが惑星間の交流にどういう影響を与えるのか。頭を下げるだけでは片づかない。 「頭を上げて下さい。この件についてはカウ様からマリア・ティールーム側を責めるなという命を受けました」  車の助手席に座る年老いた外務大臣は老眼鏡をはずし眉間をマッサージした。 「カウ様は自己主張が強くていらっしゃる。ヒトスキで幼年期を過ごさなかったせいにちがいありません」  独り言みたいだが客人に聞かせようという音量である。  神様はキルネ人から生まれ、充分な教育と医療施設のあるヒトスキ政府に引き渡され、体調管理を受けながらヒトスキ星の象徴として一生を過ごすと大臣は言う。 「もちろんキルネには充分な報酬を渡しますよ。生活の保証をね」  ということはつまり、キルネで産まれる神様はヒトスキ政府に売られるのか。と思うがそれを外務大臣に向かって言うほど井ノ原は命知らずではない。  神様の温室育ちの歴史にピリオドを打ったのがカウの母親だった。なにかしらの超能力がある神様であるが、彼女はべらぼうにIQが高かった。ヒトスキ星では誰も彼女に知識を与えることが出来なくなり、さらに本人の知識を高めたいという欲求は止められず、それを知ったスクウォー側が是非とも留学に来て欲しいとラブコールをヒトスキ星政府に送ったのである。全惑星の天才やら研究好きが集まっているスクウォー側としてはヒトスキ星の神秘と言われる 神様の研究をしたかったという下心もあったわけだが、なにより本人が強く望んだので協議の結果、かなりしぶしぶ留学させることとなったのである。 「リリ様をスクウォーに送り込まなければこんなことにはならなかったウエッホッ」  ここで大臣は咳き込んだ。井ノ原たちが目をみはるほどの大きな咳は車の窓ガラスに振動を与えた。 「大臣、お薬を」  運転手に促され、ヒトスキ星民族衣装の胸ポケットから吸引式のスプレー薬を取り出し吸い込む。 「申し訳ない、ぜんそく持ちなもので」 「お大事にしてください」  さすがにスーツに着がえているエリカがあたりさわりのない言葉を返した。  椰子に似た南国木材をふんだんに使用した平屋建てのヒトスキ星首相官邸に到着するや「しばらくお待ちください」とウエイティングルームに通され上質なファーストフラッシュのお茶がふるまわれた。 「色、香り、風味。今年のファーストは上出来ですね」 「まったく」  吹き抜けとトップライトで開放感と採光を充分に取っているウエイティングルームでオスカーと井ノ原がお茶の出来栄えをたたえ合うなか。 「今日も生きていてよかったぁ」  ティーカップを手に雲の上ではずんでいるような満足をみせるエリカ。そんな彼女をこれまた揺れるまなざしでみつめるオスカーである。 「そういえばオスカー」 「はい」  井ノ原に水をさされても照れが消えないでいる。ラブラブ街道ばく進中だ。 「マリア・ティールームでいただいた、ミルクを入れると味が変わるお茶のことなんだが、あれはどういうからくりなのかな」 「あれですか。簡単なことです」 「お待たせいたしました」  さっき外務大臣の車を運転していた男性が出迎えにきた。いつでも聞ける質問だからと井ノ原は「あとで」とオスカーに言い、オスカーも「はい」と頷いた。  3人が大臣の秘書兼運転手に連れられて向かう先は第一会議室。ウエイティングルームから続く解放廊下を中庭を眺めながらコの字型に進んでいく。  中庭にはシンボルツリーであるお茶の木が官邸の屋根と肩を並べるように心地よい日差しを浴びている。 「立派な木ですね」 「ありがとうございます」  秘書はそれ以上のことを言わないので会話が続かない。仕方がないので井ノ原は秘書の揺れる尻尾をながめてみた。本来小柄なヒトスキ星人は尾も決して長くはないから地面にひきずることはなさそうだ。カウと比べるとボリュームも少ない。書道で言えば墨をつけすぎた漆黒の細筆だ。 「客人をお連れしました」  つきあたりの扉を開けるとウエイティングルームと似た作りの吹き抜けの部屋。天井からのトップライトが蛍光灯をつけなくても人々の顔をはっきり認識させる。断熱作用があると全宇宙でも定評のヤシに似た木造は冷房がなくても涼しさをもたらす。  左右に並んだテーブルの両端に、ヒトスキ政府閣僚が右に5人左に6人集合して井ノ原たちを横目にしたりあからさまににらみつけている。  井ノ原たちの正面。の空いたところに玉座よろしくカウが座っており、両端にはミリガンとシースが、真後ろにはギイルが立っている。  3人は入り口すぐの並びに座らせられた。カウの正面であるが小走りしないと近づけない距離である。  カウは3人に笑顔で手を振っている。このような場でそんなことなさらないでくださいとシースーに叱られている。 「首相のズイです。ヒトスキへようこそ」  カウに一番近い位置にいる老人(大臣たちは皆老人なのだが)が立ち上がった。井ノ原たちも椅子から立ち頭を下げた。 「お久しぶりです首相」  茶葉の取引がある関係上、オスカーは閣僚たちとは顔見知りの様子で、老人たちも目を細めて頷いている。 「オスカー君、そちらのご婦人は初めて見る顔ですが」  違う大臣がテーブルに肘をつき顔を乗せて聞いてきた。オスカーが堂々と婚約者ですとエリカを紹介し、エリカも丁寧に挨拶をした。 「で、そちらは地球の方ですか」  井ノ原は悟った。閣僚たちの冷たい視線は自分に向けられていたということに。  自己紹介をしても、老人たちの中に井ノ原の著書を読んだことがある者がなく。この空間では知名度がゼロということになってしまったのもマイナスイメージに花を添えている様子。 (う〜ん、完全によそ者扱いの目だな) 「あなたはカウ様とはどういう御関係なのでしょう」 「どういう?」 (どういう……どういうなんだろうか)  どういうと言われてもこの旅で初めて会いました。これからはぐくまれる友情を大切にしようと思っているとでも言えばいいのか。  さらに目つきの悪くなる閣僚たち。 「失礼、質問を変えましょう。あなたは何故キルネに行くのですか」  矢のような質問。 「ハリヤ氏から誘いを受けたからですが」 「そうではなく、あなたの目的です」  しわに埋もれた閣僚たちの目が一斉攻撃で井ノ原を縛り上げる。 「あぁ、それなら新作の取材です」  老人たちはそれぞれの顔を見合わせ、頷きあい、肩を上下させてクックックッと笑った。 「文筆業とやらのあなたが、作品の取材でキルネに向かうというのですね」  作家が作品のために取材旅行にやって来た。なにか問題があるとでも言うのか。 「その通りですが」 「地球人はもう少しまともな嘘が言えないものですかねぇ」  首相が吹き抜けを仰いでフォッフォと笑うのを合図に他の大臣たちも同じように笑い出した。おもちゃ屋の商品陳列みたいだと井ノ原は思ったが声には出せない。 「地球の茶葉の質が悪いとは言わないが、ヒトスキ産に比べたら需要は少ない」  閣僚たちはまた顔を見合わせて「そうじゃそうじゃ」と頷きあっているのが、福招きのイベントのように思える。 「で、どこの企業に頼まれたんじゃ」 「は?」  井ノ原はつい変な声をあげてしまった。  閣僚たちのこちらをにらみつけるタイミングも全員ぴったりである。普段から練習しているのだろうか。 「とぼけても無駄じゃ。このスパイめが」  井ノ原はたまげた。目からコンタクトが落ちそうになるほどに。 「スパイ? 私が? なんの?」 「待ってください、この方は本当に大作家なんです」  オスカーが弁論をしてくれるが、お偉いさんたちはハリヤ氏が倒れたのも井ノ原の陰謀じゃないかとまで臭わせてきた。  井ノ原としては老人たちがこのような発想をしてくるとはまったく想像していなかったので面食らったが。 (無理やりなこじつけは、なにかの作品に使えるな。心のネタ帳に記入しよう)  腕を組んでうなづくが、閣僚たちに通じるわけもなく。 「井ノ原さん、あなたには別室で詳しい話を聞かなくてはなりませんな」  変な方向に話は進んでいる。 「ちょっと待ってよ首相! なんでそうなるんだよ!」  カウがしびれをきらして玉座から立ち上がった。大臣たちは一瞬カウのほうを見て頬をピンク色に染めたが、一致団結の精神で井ノ原に厳しい視線を戻した。 「井ノ原先生がスパイ行為なんかするわけない。井ノ原先生はアーク賞を受賞するほどの作家で紅茶が好きなだけなんだ」 「カウ様お座り下さい」  表情なく言うのはシース。 「これはカウ様の身の安全にも関わることでございます」  と違う大臣が口を挟む。 「そうじゃ。こやつの目的はキルネの茶ではなくカウ様かもしれません」  さらに違う大臣が援護射撃。 (え、なんだって?)  カウを誘拐して身代金でも請求すれば孫の代まで遊んで暮らせるだろう。なんてことは今の今まで考えていなかっただけに井ノ原は感心してしまった。 (なんて面白い発想をする人たちなんだ) 「井ノ原先生がそんなことするわけない。そんな悪人だったらぼくはとっくに気付いているよ」  カウのいうことには説得力がある。なにせ手を握っただけで様々な奇跡を生み出すのだから。 「いや、カウ様はお疲れになっております。カンが鈍っておられるかもしれません。しかも地球人というのは精神訓練とやらで本音を隠すことができるニンジャとも呼ばれる種族。純真なカウ様を騙すことなどたやすいかと」  井ノ原は目をむいた。 (ニンジャを知っているとは!) 「その男を別室へ」 「待ってよ! やめてよそんなこと」  警備兵が2人井ノ原の真後ろに立ったとき、カウがシースの制止を振り切って首相のもとへ走り寄った。  カウが正面に立つことにより、首相の裏返る言葉は非情なもので。 「この男のスパイ行為を食い止めるには、こうするしかないのじゃ」  井ノ原はトレンチコートのポケットをまさぐろうとした。トレンチコートには瞬時に姿を隠せる透明化繊維が仕込まれているのだ。逃げることは簡単にできる。  ところが、それを目にしたのかはわからないが、首相が声をあげる。 「あぁ、もうひとつ手があった!」  手が止まる。  首相、なにを言う気だ? 「カウ様がキルネ行きを諦めることじゃ。そうすればこの男は解放してさしあげましょう」  首相の言葉に他の大臣も「そうじゃそうじゃ」と小刻みに頷く。  それがオチか。と井ノ原が溜息をついたら、隣のオスカーも同時に溜息をついていた。 「卑怯だぞ首相」 「申し訳ありませんカウ様、最近耳が遠くなりまして」  都合のいい耳である。 「井ノ原先生の身元は私が保証します。それではいけませんか?」  オスカーの申し出も聞いているのかいないのか。大臣たちは一斉に目を閉じ、夢の世界に旅立っているようにも見える。 「そこまでしてカウを行かせたがらないのは何故なんですか」  単刀直入に聞かねばらちがあかない。井ノ原はポケットに手を入れたまま首相に視線を向けて尋ねた。 「それはあなたがスパイだからじゃ」 「だから井ノ原先生はそんな人じゃないと何度も言っているじゃないか」 「いくらカウ様のお言葉でもこればかりは。悪魔の島に行かれて戻って来れなくなったらヒトスキはどうなりますか」 「首相の言う通りじゃ、キルネ人はカウ様と心中する気なんじゃ」 「キルネは危険なんじゃ行ってはならん」 「後生ですから」 「お願いじゃ、いかんでくれ」  大臣たちは泣き落としに入った。 (なんなんだ、この人たちは?)  緊張感というものがあるんだかないんだか。  井ノ原はどう行動したものかわからなくなる。 「危険? なんだよそれ、なにが危険なんだよ」  わけがわからないのはカウだけではない。ミリガンもシースになにか聞こうとしたが目をそらされた。 「無茶苦茶だな」 「ですね」  友好を深める井ノ原とオスカー。 「首、首相!」  天井からタライでも落ちてこない限りこの会議に終わりはないと思われたとき、扉が開いて警備の男が一人転がり込んできた。小走りに首相のもとへ。なにか耳打ちをしている。 「キルネからの使者がぼくたちを迎えに来たって!」  その耳打ちは丸聞こえだったらしく、カウが井ノ原たちにしてやったり顔で報告した。 「ヒッ!」 「悪魔が来ているのか!」 「魂吸い取られるぞ」  一気に目を見開く大臣たち。椅子から降りようとしている者までいる。 「外務大臣、教育大臣! その言動は差別法違反だ!」  カウがかみつく勢いで叫んだので大臣たちは震えながらも椅子に座り直した。 「カウ様もお座りになって下さい」  感情を表に出さないシースであるが、白目が血走っている。 (ほう、護衛官が負の感情を出すほどキルネ人は忌み嫌われているのか)  それほどまでのキルネ人の登場。  井ノ原も興味が沸く。  大型犬を前にした小型犬のように震える大臣たちを横目に、カウは玉座に座り直しひじかけの上で人差し指をトントン叩く。 「失礼しますよ」  男はすでに会議室の中に入り込んでいた。あまりに自然に扉の前に立っているのでここのセキュリティーは大丈夫なのかと首をかしげてしまうほどだ。  悪魔の化身と恐れられ、太古の昔は酷い差別を受けていたキルネ人。体躯が大きく耳が長く尾にボリュームがあるというのが、すべてに小柄なヒトスキ人と違うところである。  ヒトスキ人のキルネ人に対する形容は『終わらない夜が覆いかぶっさてきて地獄へと誘う』というものらしいが、現れた男は身長は180㎝はありそうだが牛蒡のように細い。ギイルに肩を叩かれたら脱臼しそうだ。面長の顔の細い目に丸眼鏡が学者風で、ボリュームのある硬質の髪は真後ろで束ねている。  しかも、ニコニコ顏だ。 「そんなに怖がらないでくださいよ。襲いかかったりしませんし」  ひょうひょうと喋る。 「相変わらず図々しい種族だな」  シースの見開かれた目にはあからさまに殺気がほとばしっている。 「警備の方はすんなり通してくれたんですが」  入ってきたときからニコニコ顔の成人男性。 「嘘をつけ、警備員を威嚇したのだろう」  見れば部屋の中にいるヒトスキ人警備員は皆恐怖ゆえに固まってオブジェと化している。まともに動いているヒトスキ人はシースだけかもしれない。 「シース、失礼なことを言うな」  カウが叱責。 「なにもしてないのになぁ」  鼻をかき微笑する男を井ノ原はおもしろいと思った。 「こんにちわ。ヒトスキで同族の人に会うのは生まれてはじめてです」 「やぁカウ。メディアでは見ていたけど、生は初めてだ」  男はきさくであった。 「カウ様に向かってなんて口を!」  シースの脳天から火柱が吹き出すのは時間の問題だろう。 「神様といっても、同じヒトスキ人じゃないですか。しかもキルネ人だし」  ひょうひょうと返す痩身の男。 「この……あっ……」  噴火前にシースは崩れ落ちた。なんてことはない、カウが手を握っただけである。 「だれか、シースが寝ちゃったから医務室連れて行ってあげて」  老いた閣僚たちは池の鯉よろしく口をパクパクさせている。死人が出ませんようにと祈りたくなる。  キルネ人ひとりやってきただけでここまでの反応とは、ヒトスキ人のキルネ人に対する感情はまったく太古と変わりないのではないか。人種差別はそう簡単にはなくならないということか。 「参りましたね」  しかし男は気にしていない様子である。入ってきたときからニコニコ顔が崩れない、というか、もともとこういう顔なのかもしれない。  カウが玉座から降り男に駆け寄った。ミリガンがあとを追う。 「迎えに来てくれたの?」 「はい。長に頼まれました」  カウの表情がこれまでにないほど明るくなった。 「えっと、あれ? ハリヤ・マリアさんは?」 「父は急病で倒れたのでかわりに私が。息子のオスカー・マリアです。彼女は婚約者のエリカ・シュー」 「はじめまして」 「私は地球から来た作家の井ノ原哀理です」  頭を下げる一同に男はほんの2秒ほど沈黙し。 「あぁ、そうなんですか。わかりました」  納得した。 「わたくしカウ様の主治医兼警護官ミリガン・パウアイと申します」 「初めまして。綺麗な方ですね」 「ありがとうございます。で、あなたのお名前は」 「ロンです。よろしく」 「どこかで聞いたな」  と井ノ原。 「つい最近聞いたな」  とオスカー。 「おじいちゃんのいとこの奥さんの弟さんのお友達の?」  とエリカが驚愕。 「それってずいぶん遠くない?」  ツッコミはカウが入れた。 「カウ様、いけません。その男についていっては」  首相がテーブルの端を握りしめて声を絞り出した。 「キルネは危険なんじゃ」  大臣たちも一斉に頷いているんだか小刻みに震えているんだか。 「危険だの、恐ろしいだの。ぼくの故郷を悪くいうのはいい加減やめてくれよ」  ヒトスキ政府にはお世話になっているとはいえ、ここまで制止される筋合いはない。 「いい加減、怒るよ!」  カウの髪が静電気を帯びたかのように膨れあがった。 「カウ様」  とっさにミリガンがカウの両肩に手を置く。 「落ち着いてください」  唇をとがらせる。 「そうそう。大臣の言うとおり、本当にキルネは危険なんだよ」  突如、ぶっそうなことを言いだすロンのニコニコ顔は変わらない。 『え?』  全員が目を丸くしてロンに注目。 「島の火山活動が活発になってきていてね。近いうちに沈んでしまうんだ」  にこやかである。 「ヒトスキ政府はいまだ公式に声明を出していないんだけど、そんなことは住んでいる僕らがよく知っている。そんな危ない土地に神様を行かせたくないのはあたりまえだよね」  一同は石膏像になった。  天井のファンがまわる音だけが空間を支配している。 「あれ、みなさんどうしたんですか」  ひとり動いているロン。本気で皆の反応を心配しているようだが、この様子ではなにが原因で時が止まっているかはわかっていない。  ロンは隣に立っていた井ノ原の肩を人差し指で突いた。 「イデッ!」  らしくない声を出してしまうが、おかげで全員の動きが正常を取り戻した。 「本当なんですかその話」  井ノ原は限りなく落ち着いているつもりで尋ねる。 「残念ながら、本当です」  閣僚たちは頷きっぱなし。 「あぁ。もって今年いっぱいかな。だからみなさんが来ることを許可したんだ」 「それじゃ、aフラッシュは」  全宇宙紅茶王の息子、オスカーがお茶のことしか考えられないのは当然とはいえる。 「飲み収めですね。来年はないでしょう。すみません、独占契約してしまったのに。もう4〜5年はもつかと思ったんですけどね」  井ノ原は頭のなかで頭を抱えた。 (まさか考えていた小説のオチと重なるとは)  幻ハンターの最大の見せ場として、幻の茶を生み出す島は火山の噴火と共に消えてなくなる設定に決めていたのである。  溶岩と共に海中深く沈みゆく島に、茶葉の入った袋を握りしめた老人の目から一筋の涙。 「終わった。なにもかも」 「いや、これからだよジイさん。これから新しい紅茶を、あんたが作るんだ。それが、あの人との約束だろ」  幻ハンターに肩を叩かれ。 「やれやれ、まだ死ねないのだな」  と優しい笑みを浮かべる老人だった。  ……というはずだったが。 (洒落にならないな)  難しい顔になる作家。  この設定はボツとなるかもしれない。取材したことはあくまでも参考だ。モデルのプライベートに踏み込むことは作家として許されない。 「そんなことになったら、あなたがたキルネ人はどうするのですか」  ミリガンの的を得た質問。ロンはちょっと肩を落としたが、変わらぬ表情で。 「僕らキルネの有志は数年前から本土とキルネを行き来し、ヒトスキ人と交流し、新しい移住先を捜していたのです。ヒトスキ人の大半は好意的で、おかげさまでいい土地も見つかり、ようやくヒトスキ政府に交渉を。というところまできたのですが、閣僚たちがこの状態なので大変困っています」 「ぼくなにも知らなかった」  うなだれるカウ。つまみひとつで照度が落ちていくシャンデリアのようだ。 「ひどいよ。知ってて黙ってたなんて」  その言葉は閣僚たちにむけられたもの。彼らはさらに小さくなってしまった。 「まぁまぁ。彼らはカウがキルネで危険な目に遭うのを心配していたのですから」  ロンの笑い顔はさらにカウの胸を締め付けたようである。涙が溢れてきた。  官僚たちをにらみつけ。 「大嫌いだあんたたちなんか。こんな重大なこと隠して、このままキルネが沈んでしまえばいいと思っているんだろ」  早足で退室してしまった。 「カウ様」  すぐあとを追うのはミリガンとギイル。 「待って待って」  とロンも追うので井ノ原たちも必然的にあとに続いた。  振り返りもせず外へ出ようとするカウに警備員も国会議員たちも頬を赤らめつつ「どちらへ行かれるのです」と声をかけたり「首相たちは?」と疑問を投げかけたり「お待ちください」と制止する者もいたが、誰の顔も見ずコの字型の回廊を通り過ぎようとするので次々に道を譲ってしまう。  さわらぬ神に祟りなし。そんなことわざが井ノ原の脳裏をよぎったが、それでもさわらねばならないのが護衛官の役目。 「勝手な行動は許しません」  追いついたミリガンの言葉を合図にカウの体はいとも軽々ギイルに持ち上げられた。 「離せ! 離せったら!」  フォークリフトのように両脇を後ろから差し込まれ持ち上げられて足をバタつかせている。  このようなシーンは地球の日本人であれば年末年始恒例で見られる。 「殿中でござる」  ついオスカーは「は?」と返してしまったが、井ノ原は暴れるカウを見つめており、今口に出した言葉を忘れている様子。 「私、知ってます。地球で有名なドラマ『忠臣蔵』前半クライマックスですよね。ちょうどここ、マツノロウカみたい」  エリカが解説するもオスカーは観たことがないので首をひねるだけだ。 「カウ様、閣僚たちに謝っていただきます」 「なんで!」 「誰のおかげで今の自分がいると思っておられるのですか」 「ミリガン、わけのわからないことを言うな! 裏切ったのはあっちだ」  カウは本気で怒っているようだが、この状態では子供のだだこねにしか見えない。  井ノ原は一歩前に出た。 「カウ、僕からもお願いするよ。謝って欲しい。キルネが沈むのは彼らのせいじゃないし、彼らも君の身を心配しているんだよ」  井ノ原の優しい笑みに糸が切れたマリオネットになるカウ。  ロンが続いて。 「僕らキルネ人はこれからヒトスキ人を頼って生きていかなくてはならない。いざこざは起こしたくないんだ」 「だけど……」  目をそらすので、井ノ原はカウが動けないのをいいことに、両手でほっぺたをつまんで真横に引っ張った。 「だけど、じゃないだろ」 「ひぇんひぇい! はにふんら!」 「私には大臣たちが悪人には見えないけどな」  スパイとか言われた身ではあるが、この際水に流してあげようと思った。 「さ、あやまろうか」  手を離してあげると唇を尖らせた少年の顔があった。  しばらく力の抜けた猫のようになっていたのだが。 「ギイルおろして」  おろされたと同時に回転力の落ちた駒のように逆戻り。官僚たちが震えている部屋に戻っていった。
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