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 雀に似た茶色い鳥が木から木へ飛び移り、地ネズミが重そうな下半身を引きずりながら歩んでいる早朝。 「いい天気だ。みなさんは運がいい」  その『みなさん』を見渡すロンは苦笑した。 「オスカー大丈夫」 「あぁ、ミリガンさんから頭痛薬もらったから。エリカこそ本当になんともないの」 「あれくらい大したことないわ」 「あれくらい…」  顔色の悪いオスカーとケロッとしているエリカ。  そんなふたりは置いておいて。ロンはそれ以上に気になることがあった。 「井ノ原先生」 「なんですか」 「その格好で行くんですか」 「おかしいですか」  昨日となんらかわりはない。  中に着ているものはデニムに無地のシャツ、はまだしも。長い丈のトレンチコートに革靴が違和感である。 「断崖絶壁ですよ」 「ええ」  どこからわいてくるのかわからない作家先生の余裕に『ロングコートはないんじゃないか』という言葉を出せずじまいになってしまう。  かくゆうロンも半袖を長袖にしているだけでいつもと変わらない格好に巾着をしょっているだけだが。 「みなさん、おはようございます」  これまた顔色の悪いミリガンが頭をおさえながら広場にやってきた。 「わたくしはカウ様についていなければならないので同行できませんが、気をつけて行ってきてください」  と言い切ってからのように棒立ちになった。  たましいがアルコールを吸い込みすぎている。 「ミリガンさん?」  井ノ原が声をかけると、たましいが戻ったように動き出す。 「あ、ええ。大丈夫です、あれくらいのお酒。ただ頭痛薬がなくなってしまいましたけど」  オスカーだけでなく、部下たちもこぞって薬をもらいに来た。おかげで予想外に鎮痛剤が消費されてしまったのである。 「カウはどうしましたか」  宴会の途中で席を立ってからそのまま戻って来なかったカウ。 「ええ、長にお会いになったのですが、わたくしは恥ずかしながら同席できずでギイルが同行したのですが、人払いをされまして。カウ様が長となにを話されたのかはわからないのです。ただ部屋をでたカウ様は涙が止まらない様子で、そのまま寝室へ向かわれ今朝もまだ起きておりません」  それ以上はなにも言えないし、なにも聞くことは出来ない。 「お待たせ」  広場に落ちた沈黙を崩したのは自分もキャラ茶を採取に行くと言い張ったネネ。  さすがにビキニスタイルではなく長袖に長ズボン。ロンとペアルックだが、それを突っ込むような空気ではなかった。 「待って待って」  その後を追いかけてきたのはネネの母親のムム。今日はマスクもエプロンもしていない。 「みなさんにお弁当とお水」  大きな葉の包みと竹に似た植物で作った水筒を渡してくれた。 「今年でキャラ茶も最後だから、皆さんには貴重な登山になるわねぇ」  島の中央にそびえる山からはのろし程度の白煙が登っている。おかげで昨夜はいい温泉に入れたのだが、入浴中に震度3程度の地震があって、井ノ原は裸のまま死にたくないなと思ったりもした。 「火山も眠っていれば害はないのに」  井ノ原は呟いてから「そのまんまだ」と思ったが誰もそのおかしさに気付かず頷いてくれたのでよしとした。 「ネネ、ナンダは」 「朝起きてすぐ飛ばしたわ。ロンは」 「出る前に」 「じゃあ、行きましょうか」  ナンダってなんだ? という不可抗力駄洒落を口に出すことはできず。黙ってロンとネネのあとについていく。 「気をつけてね~」  後ろからムムが手を振った。  確かに登山は半端なコースではなかった。  昨日のハイキングでは周囲の植物がどんな種類のものであるかを考えながら歩くことが出来たが、倒れた老木をまたいで行く急勾配に道らしい道はなく、しかも突如として土が砂ぽくなっており足をとられる。 「ずいぶん地熱が進んでいる」  ロンが説明のように語り出す。 「昔は頂上まで緑の多い山だったんです。火山活動が認められてから徐々に乾燥が進み森が消えていきました」 「上に行くと砂利になるわよ」  ネネも楽しそうに言ってくれるが、そのようなところにお茶の木が本当にあるのだろうか。  と聞きたいところだが油断すると転んでしまいそうだし、体力を奪われそうなのでついていくので精一杯だ。それはオスカーも同じことらしく「暑い」と炎天下を呪っている。 「そうですね。木が枯れるので木陰も薄くなりますし、地からも熱が上昇していくのでかなり暑さを感じると思います」  日差しと日陰がまだらになって井ノ原たちに落ちている。帽子が必要になり皆ナップザックから帽子を出した。 「全宇宙科学製の登山服を着ているのに暑さを感じるなんて。ロンさんたちどうして大丈夫なんですか」  エリカの問いに。 「慣れ」  ネネの返答は簡単だった。 「井ノ原先生のほうが不思議だなぁ」  ロンの言うとおり黒コートで山登りをする人物を誰も見たことがない。 「普通の、コートじゃ、ない、ですから」  言葉が途切れるのはそのたび障害物をまたいでいるからである。 「全宇宙機械工業、に、兄がいるんです。特注で、作った、万能コートです」 「ただのコートじゃないんだ」  井ノ原の後ろでオスカーの目が渦巻きになっていた。 「やだな。普通のコートで登山する馬鹿はいませんよ」  井ノ原はゆるく笑った。 「最近運動してなかったのが、祟ったかな。かなり暑い」  とオスカーはいうが、飲み過ぎも手伝っていると思われる。  エリカはポケットから3センチほどの白いカプセルをだし両手を使って中身をひねりだす。飛び出した白いタオルをオスカーの首に巻き付けた。 「ありがとう、スーッとする」  それを見て便利なものがあるものだとロンがこぼす。 「携帯用クールタオルです。全宇宙機械工業のヒット商品です」 「なんでも全宇宙全宇宙」  振り返りもせず前進を続けるネネの背中。 「ネネ」 「なに、アタシなにか言った?」 「客人には丁寧な言葉を使ったほうがいい。これから外と接する機会も増えるし」  一瞬ネネの耳と尾がピンと張ったが、そのまま前進を続ける。しかもスピードアップ。 「ネネ、もう少しゆっくり歩いてくれよ」  余裕がなく無口になっている井ノ原はいろんな意味で置いてきぼりを食らっている気がしてきた。 (どうして彼らは井戸端会議をしながら、スキップをするように、道なき道を進めるのだろうか。いや待て、こんな山道は暁金之助にとっては『こんな山道』でしかない。大人が5人ほど手をつないで囲むほどの太さの倒木が前をふさいでも、ハードルのように飛び越えるし、暑さで老人が倒れそうになれば背負いながら悠然と進むことができる。銀狼などはジャングルで産まれ育ったのだから山道は遊園地のように楽しいものだろう。綺麗な女性が足を滑らせれば間一髪腰に手をまわして屈託のない笑顔で「だいじょうぶ?」と聞いたりする)  こんなときだからこそ頭が創作モードになってしまう井ノ原である。 (そうさ、ビル3階の高さがある巨大な岩が道を閉ざし、てっぺんから縄はしごが落ちていて「登ってください」と言われても彼らなら軽々クリアできる) 「井ノ原先生、聞いてますか」  ロンが縄はしごを指さしている。 「先に登りますからあとから来てください」  見上げれば岩のてっぺんから垂れている縄はしご。3階どころか5階ありそうだ。 「あ、ああ。了解したよ」  現実は甘くなかった。 「登るときは決して下を見ないでください」  ほかに道はないのだろうか。なぜ人は危険とわかっていてわざわざその道を進むのだろう。  縄はしごを揺らしながら簡単に登っていくロン。当然だが命綱という気の利いたものはついていない。 「ひとりづつ来てください」  その高さからではヒソヒソ声に聞こえる。 「これぞ山登りの醍醐味よね」  爛々と瞳を輝かせるエリカはお先にどうぞと言われる前にスルスル登ってしまった。青い顔の婚約者を残して。 「大したことないわよ。この縄はしご結構丈夫」 「どっちでもいいから早く行って」  尻を蹴り上げる勢いのネネ。  オスカーがときたま片手を離して「うえっ」というハラハラシーンもあったりしたが、なんとか登り切り、井ノ原が縄に手をかけたとき。 「井ノ原センセイ。宴会の席でロンと話してたわよね」 「ええ」 「移住のことでロンはなんか言ってた」  返答によってはこの場で撃ちます。とでもいうような目をしているのであえて正直にこたえてみた。 「無事移住が済んだら君にプロポーズするそうだ」  突風が縄はしごを大きく揺らし、上の3人がなにか叫んでいるが風の音で聞こえない。 「アタシが聞きたいのはそういうことじゃないの!」  耳が真横に張り、尾がゆっくり左右に振れている。このまま対峙していたら井ノ原にとってマズイ事態になるのは明白だ。 「じゃ、お先に」  これは逃げるに限る。軽く手を挙げ、何事もなかったかのように井ノ原は上昇をはじめた。下から石が飛んできても万能コートを着ていれば痛くないはず。  ネネが「待ちなさい!」といったが、女性の激怒する顔は見たくない。申し訳ないが先に行かせてもらう。  湿った縄のケバだちが手のひらに食い込み、体重のぶんだけ足かけ部分が垂れ下がりはしごが振り子のように揺れる。鉛筆の端を指で持って軽くゆらすとクニャクニャに曲がって見えるのに似ている。 (あれ? 結構風が強い…うわわわっ!)  そのまっただ中に井ノ原はしがみついていた。途中で落ちたら即死だろう。そんなことを考えては足がすくんでしまう。  突然の強風は糸を登る蟻を振り落とそうとしているのか。何故自分が登る番になってこんな状態になるのだろう。しがみついているばかりでは上への距離はかせげないのだがこの横殴りの風のなかでは足を上げるのもかなりの勇気がいる。 「いかん、目眩がしてきた。本気で怖い」  手を離したら確実に『即死』の二文字が黒い2枚羽根を広げて待っている。 (気持ち悪い、飲んでもいないのに吐きそうだ。いや待て! 全宇宙出版業界に『井ノ原哀理、山登りで男泣き』などという話が広まりでもしたらどうする。天の川書房に行くたび若社長サニーに『泣き虫源ちゃん、お山が怖い』と突っ込まれること必死じゃないか。さらに親兄弟の耳に入ってみろ。4人の兄から恥ずかしいと言われ、弟には呆れられるだろう。それよりまずいのは妻の父、つまりお義父さんじゃないのか。あの人はなにかと難しい。顔を合わすたび「ちゃらちゃらしおって」と言う。何故だ? いや、それは置いといて。とにかく登りきらなくては。この苦行をやり遂げることに全神経を集中させるのだ。暁金之助ならこんな岩肌縄一本で登る。作者が登れないでどうする。男なら根性で乗り切れ!)  井ノ原の思考は支離滅裂になった。 「よく登れましたね、風がやむまで待ってと上から言ったんですが聞こえませんでしたか」  ロンが上から見ていたらはしごごと振り子のようになっていたと心配しており。 「プロでもあんな無謀なことしませんよ」  とエリカは誉めているわけではないなということがわかった。 「そうだね、無謀だったよ」  井ノ原はガラにもなく真っ青である。 「井ノ原先生、水飲んでください」  親切なロンの勧めで水筒に入った水を飲む。レモンに似た柑橘を入れているようでサッパリする。 「でも作品のいいヒントが得られました」  ロープ一本の岩登り。突風と敵に襲われる暁金之助。しかも背中には老人を背負っている。暁金之助危機一髪。  手に汗握ること間違いなし。 「井ノ原先生、作品のためにあえて突風の中登ってこられたのですか」  オスカーはプロ魂に感激している様子だったので、井ノ原は苦しみに耐え抜いた笑みで返した。 「井ノ原センセイ落ちなくてよかったですね」  風が収まって最後に登ってきたネネが背後から声をかけた。 「待てって、言ったの聞こえませんでしたか」  そういう意味だったのかと思っても、あんなおっかない顔されては行くしかないではないか。 「体力に自身があるところでもみせたかったんですか。山をなめないでください」 「ネネ、そういう言葉はないでしょう」 「いいんです。無茶をした私が悪いのですから」 「でも先生、ネネ言葉に気をつけなさい」  間に入ってネネを正面から見据えるロン。瞳に互いの姿を写すふたり。 「これだから文明ボケした異星人は嫌いなのよ」  ネネは肩をいからせ先に行ってしまった。 「なにを怒っているんだろう」  ロンのつぶやきの隣で井ノ原はもう一口水を飲んだ。  あのような難所はあそこだけだったようで、あとはただのけわしい傾斜が続く。  時間が経つにつれ水分を失われ横倒しになる木々が増え、土が砂になり砂利になっていく。 「島は頂上から死んでいく」  2時間がたったとき、ロンの背中が呟いた。 「半年前まではこの辺にも緑があった」 「ロン、ここが限界よ」 「そうだね」  肉眼で森と荒野の境界線がみえるほどになった。荒野は当然ながら木々の陰がないから照り返しで真っ白に見える。3秒も真下にいたら灰になってしまうだろう。 「歩きにくいですが、こっちに行きます」  境界線をなぞるように左手に進む。登りからは解放されたが体が斜めになりながらの歩行はたいへん滑りやすい。 「気をつけてくださいね」 「わぁっ」  言ってるそばからオスカーがこけた。 「ヒヤッとしたよ。全宇宙機械工業の登山靴なのに滑るなんて」  万能コートをもってしても暑さを感じている井ノ原。この山にこもった熱はいつ機嫌をそこねてもおかしくない。  眼下に海が見える。ここまでてっぺんだけを見て登っていたからどこまで来たのかわからなかった。 (海の青さは工業化の進んだ地球より数段美しいな。この海のなかでなら、死んでも美しいものに生まれ変わることができるだろう。不老不死の秘密さえ隠されているのかも。海底には宝石箱が沈んでいるのか) 「このネタも使える」  心のネタ帳に記しておく海洋ロマン。 「着きました」  ロンとネネが立ち止まった。  その先には道がなかった。  終着点はサスペンスドラマで探偵が謎解きを披露するには最適な断崖絶壁。  半円型に削り取られた島の一部分。常に地上からの風が吹き上げている。底はどこまであるのだろう。 「高所恐怖症には耐えられないところだな」 「まったく」  高いところは恐怖症ではない井ノ原とオスカー。こういうところは大好きと胸に両手を合わすエリカ。 「あそこに野生の木があります」  ロンが指さしたのは現在地が建物の最上階だとしたら隣のビルの3階下という場所。岩と土が混じり合った箇所からお茶の木が顔をだしていた。 「あれが神のキャラ茶です」 「あんなところに」 「どうやって摘むんですか」 (これはロープ1本で崖を降りるしかない。木にくくりつけ崖を降りる暁金之助。吹き上げる風と空から来る敵。そして幻のお茶の守り神である聖獣。三つ巴とも四つ巴ともいえるクライマックスシーンの幕開けだ)  わくわくする作者井ノ原。 「崖を降りるなんて無茶はしませんよ」  説明はロンに任せ、指笛を青空にとどろかすネネ。 「しないんですか」  誰もが『何故ガッカリする?』と井ノ原を問いただしたくなったが、空から黒い物体が2つ飛んできたのでそちらに意識を奪われ保留となった。  さらに指笛を吹く。先ほどとは微妙に音の高さが違うように聞こえた。 「あれは狩猟鳥のナンダです」  ナンダ。出発前に言っていたあれがこれか。  2羽の赤い羽根を持つ鳶ほどの大きさの鳥はネネの合図に従って木に止まり、ガザガザ枝先をついばみはじめた。 「すごい、茶葉を折ってるぞ」  双眼鏡で確認するオスカーたちを見て井ノ原も胸ポケットから万能サングラスをだし、双眼モードにしてかける。ペリカンに似た顔をしているナンダが茶木の先端を器用に折ってくちばしの袋に入れている。 「ナンダをここまで仕込むのに卵から育てて2年はかかります」  山のガイドの言うことに「へぇ~」と声をそろえて感心する登山客3名。  さらに指笛を短く2度吹くと2羽のナンダは仲良くこちらに向かって飛んでくる。  大漁だったのかアゴ袋が左右に大きく揺れている。 「ヨウ」  一瞬強面のお兄さんにあいさつされたのかと思ったがナンダの鳴き声だった。 (ナンダがヨウと鳴くのか……)  ロンが広げた風呂敷ほどの白い布の上に着地し口をあける。自分では吐き出せないので茶葉はネネとロンが手を入れて採取。布に広げる。 「どう」 「はずればかりだ」  どれも鮮やかな緑色をしたオレンジペコーである。なかにはフラワリーも混じっている。 「はずれ?」 「いい茶葉に見えますけど」  オスカーとエリカの疑問をよそにネネはナンダをふたたび飛ばす。 「これはこれでいいお茶になりますが、キャラ茶は茶葉から違うのです」  そう簡単には採らせてくれないというわけだ。 (ナンダがヨウ……ナンダ、ヨウ……なんだよ) 「ククク」  ツボにはまってしまった井ノ原。顔を伏せて笑っている。  ナンダがヨウと鳴くことが地球の日本人としてはかなり面白かったのだが、よその星の人にはわかってもらえずあえて放っておかれるのであった。 「きた」  往復3回目でようやくあたりがきたという。 「これがキャラ茶です」  お茶の葉は緑色だが先端の新芽であるフラワリーオレンジペコーのみが産毛にくるまれた白色。 「なんでここだけ真っ白になるんですか」  オスカーは長い紅茶人生のなか、父親に連れられ様々な星の様々な茶葉を見てきた。 「信じられないな。常識では考えられない」  エリカもポカンと口をあけたまま静止してしまっている。 「だから幻のキャラ茶と呼ばれるんですよ。原因はわからない。この時期だけに生えるのですがただの突然変異かもしれません」 「ヨウ」  ナンダたちの調子がよくなってきたのか次から次へとヒットする。とはいえ、キャラ茶になり得るのは先端のみでマッチの先ほどの大きさしかないので、なかなかまとまった量にならない。  井ノ原たちもナンダの口から茶葉を取り出すのを手伝い、キャラ茶と普通の茶葉をよりわけた。  ひとつひとつに真珠の輝き。吐息ひとつで飛んでいってしまいそうだから作業中は声を出すこともできなかった。 「これくらいでいいでしょう」  とロンが下山を決めた時には日も沈みかけていた。  キルネ最後の神の茶は、ティーポットひとつぶんの量だった。 「思ったより採れました。カウが来たおかげかな」  ロンとネネは満足そうだった。  帰りは行きより若干楽だった。くだり道だし、日も落ちてきて暑さが和らいでいる。  ようやく広場が見えてきた。大勢のキルネ人が5人に手を振っている。 「おかえり~」  何事もなかったかのように元気なカウが中央におり、その傍らには車椅子に乗った老人が弓矢を飛ばしそうな目つきでにらんでいた。 「おじいちゃん」  それを誰よりも早く発見したのはネネで300メートルの距離を走っていく。 「余力あるな」  これだけの登山をしてと太股が笑っているオスカーは言いたかったが、隣のエリカに「これくらいでへばってたら会社は支えられないわよ」と厳しい突っ込みをいただく。 「あの方が、長ですか」  井ノ原の問いにロンは頷いて。 「長が外にでるなんて」  と言うので、井ノ原は「珍しいのか?」と聞き返す。 「よほど体調がいいんでしょう」 「そうですか」 「ヨウ」  思わず振り返ってしまったが、上空をナンダが通過しただけだった。 「長、ただいま戻りました」  車椅子に収まった老人は頬のこけかたや、足や腕の細さからして、ただならぬ病を浮き彫りにしていたが、異星からの客人をにらむ眼光だけはそこいらの若者より生きていた。 「君がハリヤの息子か」  骨に乾燥した皮がついているだけのノドから、予想以上に太い声。オスカーはすぐに返事が出来なかった。 「手紙は読ませてもらった。ありがとうと伝えてくれ」  手紙に何が書かれていたかはハリヤ氏と長にしかわからないが「ありがとう」という力強さが二人の関係を表しているかのようで、井ノ原は即座に心のネタ帳を開いて速記させてもらった。個人のプライバシーなのでそのままは使わないが、美しい言葉は自分なりのアレンジを加えて全宇宙の読者に読んでもらいたいと思う。  オスカーは「はい」と頭をさげた。 「地球の客人よ」  すなわち自分のことだと井ノ原は頭をさげる。 「頼みます」  長はそれしか言わなかったが、意味は充分伝わったし「はい」と言わせるだけの力を受け取ることができた。  長は傍らのネネになにか囁き、ネネは母のムムに「戻るって」と伝え、それを聞いていたギイルが車椅子を浮かせるように持ち、ムムと一緒に病床へと戻って行った。それに合わせ村の衆も家々へ戻っていく。夕ご飯の支度をする時間なのだ。 「どうだった?」  と茶摘みの成果を聞くカウ。  ロンが茶摘みは豊作だったと告げた。 「これから乾燥にはいります」  ネネは「お先に」と集団から離れ家に向かっていった。 「みなさん、疲れたでしょうから温泉につかってください。すぐ夕飯にしますから」  ロンの言葉に一同はホッとしたのだが、このときはまさか2晩続けて宴会だとは夢にも思ってもいなかったのである。  ということで、風呂からあがったら宴会であった。 「キルネの方がこんなに陽気だったなんて。ヒトスキ政府からはなにも聞いていませんでしたわ」 「ヤだなぁミーちゃん、おれたちのことなんだと思ってたのぉ~」  強姦魔が腕を折られる鋼鉄の女とヒトスキ政府からも恐れられているミリガン・パウアイ女史が、昨日会ったばかりのキルネのおじさま軍団に完璧になじんで肩寄せあって大爆笑している。 「昨夜はどうかしておりました。どうかお許しください」と失態を土下座までして詫びていたという護衛官の皆さんも、まさか2回戦があるなんて思いもしなかった。2連チャンでしこたま飲まされている。 「ギイルが飲めなくてほんとうによかったよ」  昨日に引き続き、にぎにぎしい大宴会場の玉座に座らせられているカウ。その隣で巨漢のギイルが頷いた。  それより、嫌でも気になるのが……。 「早く島を出たいな」  その逆隣であぐらをかいてむくれているミミである。 「女の子がそんな格好しちゃだめだよ」  神様に言われるから直す。ということをミミはしなかった。 「なんで女の子だと勉強しちゃダメなの」  それどころか挑戦的である。黒く輝く瞳が純白の神様を圧している。 「誰がそんなことを言ったの」  それには答えないミミ。ふくれっ面だけは変わらない。 「あたし、いっぱいいっぱい勉強していろんな星の人と仲良しになりたい。それで、インターナショナルな学校に通うの。キルネしか知らないで一生終わるのはイヤ」  体育座りになって頭を埋める。 「大丈夫だよ」 「……」 「ミミならなにがあっても大丈夫だから」 「ほんと?」  顔をあげたミミの目は涙で潤んで赤くなっていたけれど、カウの顔を見るという行為によって次第に笑顔に変わっていく。なんだかわからないけどそれが不思議なことに思えた。 「がががんばってね」  神様が真っ赤になる理由がわかるはずもないミミは、涙を拭って。 「ありがと」  笑顔を返した。 「すっかり仲良しだな」  ハンカチ落としの鬼のように井ノ原が背後に立っていた。 「い、井ノ原先生いつからそこにいたんですか」  慌てるカウをよそにギイルはホットティーを音をたてずたしなんでいる。 「ロンとネネの姿が見えないようだが。知らないか」 「乾燥室よ。みんなが摘んだお茶を乾燥させているの」  茶葉の乾燥作業。 「乾燥室か、見てみたいな」  aフラッシュとはもう呼べない、神聖なるキャラ茶の製造方法は是非とも見ておきたい。井ノ原の作家魂が燃えまくっていた。 「連れて行ってあげる」  ミミが立ち上がったので、カウも立ち上がった。 「ギイル、ぼくも行きたいんだけど」  ここでギイルの取るべき行動は、カウが乾燥室へ行きたがっているが許可しますか? と責任者であるミリガンに判断してもらい、許可がおりたところで自分がカウのお供をする、なのだが。  ギイルばかりでなくカウも井ノ原もミリガンの姿を捜すのに時間を要したくらいで。  発見した時には、赤ら顔のミリガンはいつの間にか聴診器を操っており、簡易健康診断にはキルネのみなさんによる列ができあがっていた。 「いいよ、責任はぼくがもつから」  素直に頷いたギイルはカウと一緒に席を立った。 ロンとネネは作業にいそしんでいた。 「長のところにいなくていいのかい」  宴会会場である集会所が温泉旅館の大宴会場の広さとすれば、ほぼ同じ広さの茶葉乾燥室。採取した茶葉はその日のうちに麻に似た布をひいた板に載せ棚にしまい乾燥させる。  ふたりは向き合って座り、テーブルの上に置いた畳大の板の上に一枚ずつ摘んだ茶葉をちぎり並べていた。 「母さんがみているから大丈夫よ」 「宴会にいかなくていいのかい。カウが寂しがるよ」 「ミミがいるから大丈夫でしょ」 「ふたりの交際を認めるの?」 「あのねぇ、なんでそういう方向にもっていくのよ」 「まんざらでもなさそうだけどな」 「そんなことより……移住先は」  ネネの声に張りがなくなる。 「どうしたの」  急におとなしくなるネネを気遣うロン。  ネネは茶葉をちぎっては投げ、ちぎっては投げている。 「そんな乱暴に扱ったら質が落ちるよ」 「移住先は決定したの?」 「あぁ、大陸にいいところがあったよ」 「大陸? 冗談でしょ、無人島捜してたんじゃないの」 「僕らは視野を広げるべきだ」 「おかしいんじゃない。ヒトスキ人がアタシたちを受け入れるとでも思っているわけ?」 「すべてのヒトスキ人が差別をするわけじゃない。この計画は友好的なヒトスキ人の協力もあってのことなんだ」 「誰もアンタなんかについていかないわよ」 「差別を生み出しているのは君のそういう心じゃないのか」  ネネは茶の枝を放り投げ立ち上がり手のひらをグーにしてロンの頬に飛ばそうとした。 「お取り込み中失礼」  井ノ原のおかげでロンは頬にあざを作らずに済んだ。 「井ノ原先生、いつからそこにいらしたんですか」  人が悪いとロン。 「ネネ、ロンと喧嘩しないで」  カウまで現れた。 「喧嘩なんかしてないわよ」  ネネは腕を組んで座り直した。 「ぼくは賛成だよ。みんなが大陸に移住するの」  カウの側にいるミミも大きく頷いた。 「それは神としてのカンなの?」  ネネは顔を合わせない。 「容易じゃないことだけど、ぼくの立場からしてみたら、ヒトスキ人もキルネ人も仲良くして欲しい。ぼくに出来ることがあれば協力する」 「子供が偉そうなこと言わないで」 「カウかっこいいじゃん」  合いの手を入れるミミ。 「子供は黙ってなさい」 「その子供たちの未来のためじゃないのかい」  すっとぼけた声を出してしまった井ノ原に皆の視線が集まった。 「あ、いや失礼」  軽く右手を挙げてスマイル。 「いや、井ノ原先生の言うとおりですよ。僕らはいつまでも箱のなかに収まっていたら腐ってしまう。いつかは出なくてはならないそれが今なんです」  ロンは諭すように言う。 「恐れていてはいつまでも和解はできない。それは君にだってわかっているだろ」  ネネはムッツリ腕を組んだまま。 「2日も宴会をしてしまうのも、みんなよその星の人と交流したいからなんです」  なるほどな、と思える。 「僕らは決して排他的じゃない。引きこもって出て行こうとしないだけだ」 「おじいちゃんのところ行ってくる」  ネネが席を立ち足取り重く退室していく。一同は気の利いた言葉が見つからないまま見送るしかない。 「ちょうどキャラ茶を乾燥させるところです」  ロンは話題を素早く変えてきた。 「追わなくていいのか」と心が叫んだが恋愛ドラマを繰り広げている場合ではない事態がこの島には迫っている。ロンは客人に最後のキャラ茶を堪能してもらうのが務めなのだ。  テーブルの上には目の粗い布がひかれた畳1枚分の板。その三分の一のスペースにキャラ茶になる白い新芽がひかれているのだが、マッチの先っぽサイズしかないうえに布が白いので目を近づけないと葉があるのかわからない。 「一晩乾燥させてから釜でいります」 「え、発酵を止めるの」  反応がいい井ノ原。 「はい。それがこの茶葉に一番あった製法なんです」 「中国茶みたいだ」  葉の形状が白茶や黄茶に似ているゆえに製法も似るのか。 「中国茶とは地球のものですよね。ハリヤさんも同じことを言ってました。茶葉を直接カップに入れて湯を注ぐのも同じだそうです。この島を出て新しい生活が始まったら中国茶は是非飲んでみたいです」 「地球に来ることがあったらご馳走しますよ」 「あたしも!」 「ぼくも飲んでみたいな」  ミミとカウが口をそろえる。  誰でも皆大歓迎と井ノ原は返した。地球には紅茶のような完全発酵茶以外にも半発酵、弱発酵を中心とした中国茶や、熱処理により発酵を食い止める不発酵の日本茶などがある。宇宙の紅茶王であるハリヤ・マリア氏も地球の茶葉と製法技術には高い評価をしているくらいで1000年前と比較したら大幅に生産量は減ってしまったが質は大昔と変わることはない。 「日本茶には独特の作法があります。極めると楽しいですよ」 「それは是非教わりたい」  ロンの笑い顔は台詞によって微妙に違うことがわかってきた。 「あまり手をかけないのがキャラ茶の基本なので明日には飲むことが出来ます」  板の上の小さな葉が一斉に小さく揺れた。凍えるような震え方。 「地震」  あれよという間に輪郭がぶれる勢いに発展。 「井ノ原先生、そこにある青いシートを取ってください」  テーブルの上に網戸の網のようなものが筒状になっている。 「それをひいて、茶葉が飛んでしまうのを防ぎます」  了解した井ノ原はすぐさま網をとって板に広げた。ロンが巻き戻りを防ぐため手を伸ばし、茶葉が板から落ちるのを防ぐ。立っているのがやっとの揺れのおかげでただ大の大人がふたりしてテーブルの上に上半身を乗せ足をバタつかせているように見える。 「これくらいの揺れでしたらすぐおさまりますからご心配なく」 「これでこれくらいなんですか」 「火山の機嫌が悪くなったらもっと違う音がするはずです」  ロンの言うとおり、5秒経って揺れがおさまってきた。 「そっちは大丈夫か」  と上半身をテーブルに乗っけたまま聞くのもなかなか恥ずかしい。カウとミミはギイルに抱きしめられておりあらゆる危険からブロックされていた。 「すごい揺れたね。建物が崩れるんじゃないかって思ったよ」 「大丈夫よ。地震には負けないように建ててるから」  ロン同様ミミも余裕である。 「カ、カウ様、無事ですかー!」 「井ノ原先生ずるいですよ~。一人でこんなところ来ちゃって」 「もの凄く揺れましたね。びっくりしました」  酒臭い息が3つ乱入してきた。 「ギイル、あなたわたくしに黙ってカウ様連れ出すなんてどういうこと」  ミリガンはカウがいないことにようやく気付いて来たようだが、まとめ上げた髪がほつれて乱れているし、白目が充血しているしで厳重注意もまったく説得力がない。 「ミリガン大丈夫?」 「カウ様、わたくしなんかの心配をしてくださるのですか」  泣き上戸だ。 「ここがお茶を乾燥させる部屋ですか。おおっ、エ~フラッシュも乾燥中ですね」 「キャラ茶です」  オスカーの酔っ払い発言に訂正をかぶせるロン。 「ええ、エエ~フラッシュですよね。宇宙中そう呼んでいるじゃありませんか」 「キャラ茶」  ムキになりかけるロンを井ノ原は「なにを言っても無駄です」と静止させた。おそらく眠りかけているオスカーは明日になったらこの場に来たことすら覚えてはいないだろう。 「ごめんなさい、今日も飲み過ぎちゃって」  さすがに2連チャンはきついとエリカ。やたらみんなに「ごめんなさい」と頭を下げる。 「わかりましたから、みなさん出ていってください」  火事場に集まる野次馬を追い払うようにロンは全員を部屋から追い出した。 「明日、キャラ茶を煎れますから」  いよいよ旅も終演か。井ノ原は幻ハンターもどうオチをつけるかを考えなくてはと思った。
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