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その日、僕は有名なスクランブル交差点で信号待ちをしていた。びっくりするほど人がたくさんいる。信号が青になると一斉に人が動き出す。その中に入れば右往左往しつつも向こう岸に辿り着くことができる。
青になった信号機を見て歩きだそうとした瞬間に携帯が鳴った。仕事の電話だ。このお得意さんはすぐに電話にでないと後々面倒だからな。苦々しい気持ちで端に寄り通話ボタンを押す。会話の間中、ぼんやりと交差点を行き交う人を眺めていた。
お得意さんの話は長かったが悪い内容ではなかったので僕は少し高揚した気持ちになっていた。だからだろうか?信号が何回か変わると交差点を何度も行き来する女性がいることに気づいた。そして、彼女は道に迷ったのか?体調が悪いのか?と心配になってしまい、電話が終わった後うっかり彼女に話しかけてしまった。
「あの、大丈夫ですか?」
信号を渡りきったところでその女性に声をかけた。
「存在を認識しないで」
彼女はぼそりとそう言った。その言葉が妙に僕の心に刺さった。
「話しかけられたら『何者か?』になっちゃうじゃない。私は何者にもなりたくないの。雑踏にいれば『その他大勢』でいられるじゃない」
「え?」
僕はぼんやりと佇むことしかできなかった。
「でも、声をかけられたってことはもう潮時なのかもね」
彼女はびっくりするくらい真っ直ぐな目で僕を見た。
「心配してくれてありがとう」
そう、にこりとも笑わずに言うとまた雑踏の中去っていった。
その数時間後、有名な女優が突然の引退発表をしたことをネットのニュースで偶然知った。
なんてことはない。
その日以来、僕は人ごみを見るとこの中に目的地があって歩いているのではなく。ただ、雑踏にまぎれ何者にもなりたくないためだけに歩いている人がいるんじゃないだろうか?そう思うようになったのだ。
だから。
「こんな人ごみ嫌だ!歩きたくない」
と、誰かが言っても。
(もしかして、この人ごみに意味がある人がいるのかもしれないよ)
心の中でこの人ごみを望んでいる人のことをふらりと考えてしまうのだ。
それは、なんだか悪いことじゃないような気がしている。
また、今日も『ダレカ』が歩いている。
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