桜の下で

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桜の下で

大河が伊丹に助けられてから、2年以上経った。 出会った当時小学校2年生だったジュリも、この春、フリースクールの5年生に進級した。 「また、背が伸びたね。成長期に入ってきたかな」 大河が柱に鉛筆でジュリの背を書き記した。それを見ながら伊丹もジュリの成長が嬉しかった。 「伊丹、僕、ブラジャーが欲しい」 ジュリの言葉に伊丹は目が点になった。 「小さいけど、前より少しだけ胸が出てきた」 ジュリの言葉に大河も驚く。 ジュリは大石の病院の小児科医の指導の元、10歳からホルモン治療を受けている。 その影響が成長に従って出てきたのかと伊丹は思った。 精神的な面の安定や、身体的な問題としてホルモン治療を開始したが、本当にジュリが女になりたいと願っているのか伊丹には疑問だった。 ただ、自分が男である事に嫌悪感を持っているのは確かだった。 それは精神科医からも説明は受けている。 「自分が男だったから、あいつは僕を傷つけた。僕が女の子だったら、僕は傷つけられなかった」 そうジュリは言ったそうだ。 ジュリの心の傷は深い。 だからジュリが望むならと、女になる道を選ばせた。 いずれは戸籍も女に変えるつもりでいる。 伊丹はジュリの心の傷を少しでも軽くするためなら、それが正解か不正解か分からなくても、ジュリのしたいようにさせるつもりでいた。 大河はジュリを寝かしつけて、伊丹のいるリビングに戻ってきた。 「なんだか不思議なもんだな。まるでかぐや姫を育てている感じだ」 いつの間にかスクスク育つジュリに伊丹は戸惑いを隠せない。 「子供なんて、そんなものなんですかね。自分が子供だった頃なんて、もう覚えてもいませんよ」 大河もはにかんで言う。 「お前もまだ成長しそうか?」 伊丹がソファに身を預けて大河を見て尋ねる。 「俺、ですか?」 なんのことか分からず大河はキョトンとする。 「毎晩パソコンに打ち込んでるヤツだよ。英語だから読めねー」 笑いながら伊丹は言う。 「ああ。前の研究所にいた時の論文ですか。途中までのものは裏切った奴に全て持っていかれたので、もう一度書き直しているんですよ。もう焦る必要もないのでゆっくり仕上げるつもりです。なので今は俺の趣味になってますけど」 その裏切り者は、大河を嵌めた借金のカタにはまり、行方不明になったと聞いた。 行方不明になった原因は、伊丹が動いた事にあると大河も薄々は感じている。 「もう一度、研究所に戻りてぇか?」 伊丹が煙草に火を着け尋ねる。大河は首を振った。 「俺を信じてもくれなかった研究所に未練はありません。それよりも俺は会長のそばにいたいです」 真っ直ぐな目で大河は言った。 大河の精一杯の愛の告白だった。 「ばぁか。お前だっていつかは惚れた女と所帯だって持つときが来るだろぉ」 フフフと笑って伊丹は言う。大河がたまに女と会っていると思っているからだ。 「いいえ。俺はここに、会長のそばにいます。あの首輪を引っ張られた時、俺は会長の飼い犬になりました」 にっこり笑って言う大河に、伊丹は吹き出して笑う。 伊丹の笑顔をずっと大河は見ていたかった。
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