踵の音

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「最近ね、伊丹がいなくても僕さみしくないよ。大河がいてくれるから」 寝る前に、大河がジュリに毎晩絵本の読み聞かせをするのが日課になっている。 「それなら良かった。今夜もゆっくりおやすみ」 ジュリが深い眠りに落ちるまで、大河は読み聞かせをやめない。 スヤスヤ眠る寝息が聞こえてくると、大河は絵本を閉じて電気を消しジュリの部屋を静かに出た。 リビングで伊丹を待ちながら、大河はパソコンで作業をしていた。 研究所時代の論文を書いていたのだった。 「遅くまで起きてるんだな」 背後から伊丹の声が聞こえて大河は振り向いた。 「会長、おかえりなさい」 大河は微笑むと立ち上がりキッチンに向かい、冷えたミネラルウォーターをグラスに注ぎ伊丹に渡す。 伊丹からは、どこかのラブホテルのボディソープの匂いがする。 「俺が遅い時は寝てて良いと言っただろ」 「ええ。でもジュリの報告もしたかったので。今日も何事もなく俺の課題は全てやってくれました。ただ、学校は行きたがらなくて。転校させてでも、行かせたほうがいいと思います。春には3年生ですから」 大河の言葉に伊丹はため息をつく。 「まあな。事務所に来て、俺の部屋の壁に落書きするよりは、学校に行ってくれたほうがいいって事は分かってる。ただ、あいつの心の傷は癒えていないし、友達の作り方も分かっていない。もっと大きくなれば、身体の変化で自分と他者の違いが明確になる」 伊丹の苦悩をずっとジュリのそばにいる大河も分からなくはない。 「少しずつでも、通えるように学校に相談してみては?それでも今の学校が合わなければ、フリースクールと言う手もあります」 「フリースクール?」 「いろんな事情で、学校に行けない児童がいく学校です。主に不登校になった生徒が通っています」 大河の言葉に伊丹は頷いた。 「そうか、それならジュリも通えそうだな!」 伊丹が笑顔になって大河も嬉しい。 「最終手段として考えてもいいと思います」 「いや、フリースクールにしよう。見学に行くぞ!」 もう伊丹には、フリースクールしか選択肢がなかった。
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