よんひきめ。

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 翌日の土曜も、日曜も、天気は快晴だった。  花が部屋で本を読んでいると、 「いい天気なんだから外に出なさい!」  と、母親に首根っこを掴まれた。  衣替えのあと、買い物を手伝えとのお達しだ。本を開いても内容が頭に入ってこない。ちょうどいいかと大人しく部屋から出ると、母親も兄もなぜか真っ青な顔で花の体調を心配し始めた。  結局、寝ていろと言われて二日間とも部屋にこもっていた。  いつもどおりの週末だ。  ***  週が明けて月曜――。  十分休みに隣のクラスを覗いてみたけれど、羽住くんの姿は見えなかった。ただ席にいないだけなのか。今日も休んでいるのか。  昼休み――。  花はお弁当を食べ終えると図書室に向かった。本を返却したかったのもあるけれど、羽住くんが来ているかもしれないと思ったからだ。  図書館司書の小林さんは裏の図書準備室で図書館だよりを作っていた。花は貸出カウンターの中に入るとイスに腰かけた。昼休みも図書室を利用する生徒は多くない。読まなかった本の返却手続きをして、最初のページからニシキアナゴのしおりを抜き取った。  図書室に生徒は誰もいない。羽住くんは今日も図書室に来ないつもりなのだろうか。そもそも学校に来ているのかどうか。花は自分の口元をそっと撫でた。  なんで羽住くんはキスなんてしたのだろう。それが理由で学校を休んでいるのだろうか。花も顔を合わせるのは少し気まずい。でも気まずいまま、以前のように本の話をすることもできなくなってしまうのはさみしい。 (なかったことに……気にしてないことにしたら。そうしたら、今までどおりに話をできるのかな)  花は手の中のニシキアナゴのしおりをちらっと見て、すぐに裏返してカウンターに置いた。つぶらな瞳に見つめられると、今はちょっと落ち着かない気分だった。  ドアの開く音に花は顔をあげた。羽住くんが来たのだろうか、と、思ったのだが。入ってきたのは九重さんだった。九重さんは花に気付いた途端、スッと目を細めると睨みつけてきた。 「……」 「……」  重苦しい沈黙と鋭い視線に耐えられなくて目を逸らすと、九重さんの足音が遠退いた。本を開き、顔を隠してようすをうかがうと、九重さんの背中は本棚の奥に消えていった。九重さんが図書室に来るなんて珍しい。入学式の日に倒れた羽住くんの顔をのぞき込んでいるのを見て以来、一度も見たことがなかった。  何を探しているのだろう。九重さんは本棚と本棚のあいだを行ったり来たりしている。抱えている本の背表紙がちらっと見えた。見覚えのある背表紙だ。先週水曜に羽住くんが貸出手続きをしないまま持って帰ってしまった、魔法使いが出てくるシリーズの本だろう。きっと羽住くんに頼まれて、こっそり本棚に戻しに来たのだろう。でも残念ながら羽住くんの図書カードには、花が本のタイトルを書いてしまった。それに九重さんのようすだと目的の本棚にたどり着く前に昼休みが終わってしまいそうだ。  花はため息をつくと、本を閉じてカウンターに置いた。 「あの……九重さん。その本、返却手続きするからこっちに持ってきてください」  九重さんは驚いて固まったあと、露骨に嫌そうな顔をした。でも自力で目的の本棚を見つけ出すのは難しいと思ったのだろう。渋々といったようすでカウンターにやってきて、ドサリと乱暴に本を置いた。大きな音に花の肩がびくりと跳ねた。 「は、羽住くんは今日もお休みなんですか?」  間がもたなくて思わず聞いてしまったけれど、九重さんの表情がさらに険しくなっただけだった。花は首をすくめた。あとはやっておくから帰っていい――と、言いたいのだが、そう言うタイミングも逃してしまった。 「真隅さんはずいぶんと平然としてるんだね」  返却手続きをする花の手元を睨みつけていた九重さんが低い声で言った。怒りを押し殺した声だ。正直、怒られる理由はいろいろと思い浮かぶ。花は思わず身構えた。 「なおちゃんから聞いたよ。先週の水曜、私となおちゃんがいっしょにいるとこを見てたんだって?」  なおちゃん? と、少し考えて、貸出カードに書かれた羽住くんのフルネームが”羽住 直哉”だったことを思い出しだ。ちゃん付けで呼ぶほど親しい仲になっていたのか、と花は目を伏せた。 「盗み見してたんだ」  九重さんの責めるような口調に、花は頭の上の方からすーっと冷たくなっていくような感覚を覚えた。確かにそうだ。そのとおりだ。でも羽住くんと二人で、西谷くんまで巻き込んでうそをついていた九重さんに言われたくない。責められたくなんかない。 「あれからずっと部屋に引きこもって、憑りつかれたみたいにずっと本を読んでるんだけど。真隅さん、なおちゃんに何したの? 何、ひどいこと言ったの!?」  九重さんの金切り声が、静かな図書室にやけに響く。 「なのに、そんなに平然としてられるんだ。真隅さんにとっては、その程度ってこと? それとも、何? 西谷と付き合ってるから、なおちゃんに何されようが、何しようが気にもしないってこと? それって、なおちゃんが可哀想――!」  九重さんの言葉を遮るように、花はイスから立ち上がると背筋を伸ばした。  九重さんからは全く気にしていないように見えるらしい。心が読めるわけでもないのに。花が九重さんに直接、気にしていないと言ったわけでもないのに。 (ずっと……本を読んでも集中できなくて、楽しくなかったのに……)  おどおどしているのが馬鹿らしくなって、花は九重さんを正面から見据えた。正確には女子の中でも背の高い方の九重さんを、学年で一番小さい花が見上げる形になるのだけど。 「西谷くんとは付き合ってないよ」 「じゃあ……!」 「西谷くんのことが知りたいなら、西谷くん本人に聞いたらいいんじゃないかな」  正直な西谷くんのことだ。九重さんに聞かれれば、なんだかんだで全部、答えてしまうはずだ。でもこれ以上は花が答えることじゃない。それと――。 「羽住くんとのことだけど。私が気にもしてないとか、どう思ってるかとか。それは羽住くんと私の問題だから。羽住くん本人と私が話すことだから」  花はあごを引いて、九重さんを下から睨み上げた。 「九重さんには関係ない」  図書室から昼休み終了間際に戻って来た花は席に座ると同時に机に突っ伏した。  チャイムが鳴って先生が来たかと思ったら、プリントを配り始めた。花がのろのろと顔をあげると社会担当の先生じゃなく、ゴリ男が教壇に立っていた。黒板にチョークで書かれた文字は”自習”。五時間目は急遽、自習になったらしい。  ゴリ男はプリントを配り終えると、 「騒ぐなよ!」  と、念押しして教室を出て行った。  教室が静かだったのはゴリ男が出て行って二、三分ほどだった。誰かの声がぽつりと聞こえてきて、そのあとは一斉にお喋りが始まった。席移動もだ。仲の良い子同士が集まって、教室は一気に賑やかになった。 「で、なんで落ち込んでるのさ」 「……っ」  いきなり肩を叩かれて、花は無言の悲鳴をあげた。振り返るとこのみがにやにやと意地の悪い笑みを浮かべていた。 「落ち込んでるように見える?」 「まぁね」  花の前の席の男子は教室のすみに友達と集まってカードゲームを始めていた。このみは前の席に座ると、花の頬を突いてきた。なすがまま、されるがままに突かれながら、花はうつむいた。  あのあと、九重さんは何も言い返さずに図書室を飛び出して行ってしまった。目には涙が浮かんでいたように見えた。九重さんと教室で顔を合わせるのが気まずくて、花は授業が始まるギリギリまで図書室にいたのだが。  花は教室をぐるりと見回した。九重さんの席にも、いつもいっしょにいる女子バレー部の子の輪の中にも九重さんの姿が見当たらない。 「当てて見せようか。九重さんと、図書室でなんかあったんでしょ?」 「な……!」  なんで、と叫びそうになって、花は慌てて口を押さえた。 「このみさんの目を誤魔化そうったって、そうはいかないわよ。……と、言いたいところだけど。ちょっと、あったから」  このみは声をひそめると、花の耳に口を寄せた。 「泣きながら教室に戻って来て、そのまま早退したんだよ」 「九重さんが?」  このみがこくりと頷くのを見て、花は頭を抱えた。ちょっときつい言い方をしてしまった自覚はあるし、反省もしていたけれど。まさか、そこまで傷つけていたとは。 「花さんには小学校の頃から、何度も言ってきたと思います。普段、大人しい子がキレるとまわりは予想以上にビビるのです。定期的にちっちゃく怒っておきなさい、と」 「このみさんには小学校の頃から、何度も言ってきたと思います。なにその不思議なアドバイス、と」 「意外と有益なアドバイスだったかもって思い始めたんじゃない?」  にんまりと笑うこのみに、花は額を押さえた。同意はしかねるけれども、ちょっと揺らいでいる自分がいた。 「友達に図書室に行ってくるって言ってたみたいだし、西谷とのこともあるし。もしかしたら、女バレの子たちになんか言われるかもね」  このみの視線を追いかけると、九重さんと仲の良い女子バレー部の子たちがいた。花とこのみのようすをうかがっていたらしい。視線が合ってしまった。でも女子バレー部の子たちは視線を逸らさず。むしろ花とこのみのことをキッと睨み返してきた。 「それは、まぁ……いいけど」  睨み合いをしていても仕方ない。花は目を逸らすと頬杖をついた。 「まぁ、なんかあったら、すぐに相談しなさい。とりあえず、こうだ!」 「……っ」  うつむく花の髪を、このみはぐしゃぐしゃと掻きまわした。あまりの勢いに目を白黒させていると、 「一組、うるさいぞ! 大人しく自習しろ! 席に戻れ!」  隣の教室で授業をしていた数学の先生が教科書片手に怒鳴り込んできた。クラスメイトたちは蜘蛛の子を散らすように席に戻っていく。慌てて席に戻ろうとするこのみに、 「ありがと!」  花は小さな声で言った。このみはきょとんとしたあと、ニカリと笑ってみせた。  ***
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