にひきめ。

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にひきめ。

 陸橋の上に建てられた改札の前は、休日ということもあって閑散としていた。ローカル線の、終着駅に近い住宅街の駅だ。主な利用目的は通勤通学だ。  だから改札前に立っていた羽住くんもすぐに見つけることができた。 「おはようございます。ちゃんと私服で来たんですね。一瞬、本当に制服かと思いましたが」  花があいさつを返すよりも先に、羽住くんに突っ込まれたくないところを突っ込まれてしまった。花が選んだのは白のVネックに紺のプリーツスカートだ。学校指定の白い運動靴じゃなくて空色のスニーカーだったり、グレーのポシェットを斜め掛けしていたりという違うはあるけれど、色合いはほぼ制服。悩みに悩んだ末の安全策だ。わかってはいるけど指摘されると恥ずかしい。思わず仏頂面でそっぽを向いてしまった。  花が機嫌を損ねたことに気が付いたらしい。羽住くんは降参と言うように両手をあげた。 「すみません。苦情はあとでゆっくり。まずは隠れてしまいましょう。二人が来てしまうと困ります」  羽住くんは改札を通って駅構内へと入っていく。花もあとを追った。駅構内は改札のすぐ横に売店があるだけのシンプルな作りをしている。隠れられる場所なんてなさそうだが、 「水族館に行くならあちらのホームに降りるはずなので、ここなら気付かないと思います」  羽住くんは売店の影に置かれたベンチへと手招きした。確かに影にはなっているけれど階段に向かう途中、ちょっと横を向いただけで見つかってしまいそうだ。首を傾げながら腰かける花を見下ろして、 「人がいることには気が付いても、真隅さんと俺だということに気付かれなければいいんです」  羽住くんはにこりと微笑んだ。羽住くんはベンチに座る花を見下ろしたまま、座る気配がない。 「座らないの?」 「俺がこうやって立っていれば、真隅さんぐらい小さければ見つからないと思いますし。もし真隅さんがいることに気付いても、俺が背中を向けていれば誰といっしょにいるかまではわからないでしょう? あちらも二人でいるところを見られたら気まずいはずです。わざわざ声をかけてきたり、探ってきたりはしないでしょうから」 「あちら”は”、ね」 「……訂正します。あちらは気まずいでしょうから」 「よろしい」  と、頷いて、花は苦笑いする羽住くんをまじまじと見上げた。確かに。後ろ姿だけを見たら同級生だとは気付かないかもしれない。  羽住くんは黒いスキニーパンツと白のTシャツ、その上に薄手のブルーのシャツを羽織るシンプルな服装だ。でも背丈があるから一見すると高校生に見える。学校では中学生そのものの制服姿だし、猫背気味に歩くから気にしなかったけど、高校二年の花の兄よりも羽住くんの方が背が高くて高校生らしいかもしれない。それにいつもは目が隠れるくらいしっかり下ろしている前髪を少し上げているし、メガネもかけていなかった。  花の視線に気が付いたらしい。 「あれ、伊達メガネなんです。メガネをかけていないと何故か絡まれることが多くて……」  羽住くんは苦笑いで頬を掻いた。そういえば入学式の日に先輩たちに絡まれたときもメガネをしていなかった。まぁ、あのときは羽住くんが無自覚にケンカを吹っ掛けに行っていたように思えるけれど。  メガネを外して前髪をあげると顔がよく見える。羽住くんの性格的にカッコいいともてはされることはなさそうだけど、整った顔立ちはしている。うさん臭いちょっとイケメンと、うさん臭いメガネなら、前者の方が絡まれやすそうだ。花の地域の不良の場合は、だが。  一人、納得して深々と頷く花に羽住くんは困り顔で首を傾げた。 「それにしても、こういうこと。よく思い付くよね」 「追っ手の目をやり過ごすためにヒロインを路地裏に引き込んで、ラブシーンを演じるって、小説や映画でもよくあるじゃないですか。あれの応用です」  花の呆れ気味の賞賛に、羽住くんはにっこりと笑みを浮かべた。 「一応、恋愛モノを読むための研究、の続きですから」  町内会の運動会から逃げることしか考えていなかったけれど、そういえばそうだった。もう一つ。そういえば、そういうシーンだと――。 「もれなくヒロインからビンタや急所に蹴りを食らうよね。再現しとく?」 「応用ですから。そこはなしにしておいてください。……っ、すみません」  苦笑いで言いながら、羽住くんが大きなあくびをした。慌てて口を隠すと小声で謝った。律儀だな、と思っているとバイブ音が響いた。羽住くんのスマホだったらしい。ズボンの後ろポケットから取り出して、画面を確認すると、 「……あのバカ」  ぼそりと呟いて眉間にしわを寄せた。どのバカだろうか。花の前では使ったことのない乱暴な口調に、花は目を丸くした。当の羽住くんは声に出ていたことに気が付いていないらしい。半歩下がって背後を確認したかと思うと、スマホに素早く文字を打ち込んだ。 「九時を二分ほど過ぎてますね。九重さんが遅れてるみたいです。……西谷くんは改札の前にいるんですよ」  羽住くんが背後を指差しながら言った。半歩下がって確認したのは、そのためだったらしい。スマホで何か打ち込んでいたのは、仮称・あのバカにそのことを連絡していたのだろうか。なら、相手は――。  と、足元で電車の近付いてくる音が聞こえてきた。九時に待ち合わせていたということは、この電車に乗るつもりだったのだろう。今の時間帯なら十分か十五分間隔で電車はやってくる。次を待てばいいだけだ。のんびりと構えていた花だったが、 「ところで真隅さん、足の速さに自信はありますか?」  羽住くんが唐突に、わかりきったことを尋ねてきた。それも引きつった表情で。 「あるように見える?」 「ですよね。俺もです」  なら、なぜ聞いたのか。いぶかしげに見上げると羽住くんの眉間には、なぜか深いしわが浮かんでいた。 「今、入ってきた電車を逃すと、次は十分後です」 「十分くらい待つよ」  小説を読んでいれば十分くらい、あっという間に過ぎてしまう。小説のことを考えてぼんやりしていても、小説のことを羽住くんと話していても、十分なんてすぐだ。羽住くんもそこまでせっかちとは思えないのだが。 「俺もです」  案の定。羽住くんはこくりと頷いた。でも表情はひきつったままだ。 「でも……あの二人、運動部なんですよ」  羽住くんが言ったことの意味を飲み込んで、何が起こるかを理解して。 「いや、まさか……」  花も頬をひきつらせた。  そんなに急ぐような用事じゃない。電車を一本、見逃すくらいなんてことないはずだ。ほんの十分待つくらいなんてこと……。しかし花たちの不安をあおるように改札の方からバタバタと賑やかな足音が近付いてきた。同時に電車が停車する音も。ちょうど電車が到着したらしい。花からしたらアウトなタイミングだが、 「走れ、九重! 余裕で間に合う!」  西谷くんからしたら余裕で間に合うタイミングらしい。花は羽住くんと顔を見合わせて、乾いた笑い声を漏らした。 「りょ~……かいっ!」  九重さんの、息切れしているわりには元気な声に、羽住くんと揃って舌打ちする。どうしようかと尋ねるより先に、西谷くんと九重さんが賑やかな足音とともに花の目の前を駆け抜けて行った。追いかけるのかと尋ねるより先に、 「真隅さん、走りますよ!」  羽住くんに腕を引かれた。思っていたよりも強い力によろけながら、慌てて羽住くんのあとを追いかけた。 「こっちです」  羽住くんに手を引かれるまま階段を駆け降りた。文句をいう暇も、止める暇もない。目の前の車両に駆け込もうとして、 『ドアが閉まります。駆け込み乗車はお止めください』  ホームにアナウンスの声が響いた。思わず足を止めそうになった瞬間、 「すみません!」  謝罪の言葉と同時に花の腰に腕がまわされた。驚く暇も、身じろぐ暇もない。力任せに引き寄せられ、先に電車に飛び乗っていた羽住くんの胸に倒れ込んだ。直後に背後でプシューとドアが閉まる音がした。  電車が動き出して、思わず顔を見合わせて、 「ま、間に合った……」 「間に合いましたね……」  二人揃って大きく息を吐き出した。羽住くんはもう一度、 「すみませんでした」  と、謝ってソロソロと花から身体を離した。 「座りましょうか」  苦笑いする羽住くんに頷いて、車両の端の三人席に腰掛けた。隣の車両をのぞくと、向こうは余裕で間に合ったらしい。西谷くんも九重さんも息が切れている様子もなく、ガラガラの座席に並んで座って楽しげに喋っている。窓枠が影になっているのか、花と羽住くんが隣の車両にいることには気が付いていないようだ。尾行するにはちょうどいい席だ。  背もたれに寄り掛かって、ぼんやりと窓を流れていく景色を眺めて。次の駅に着くころになって、ようやく呼吸が落ち着いてきた。 「目的地はわかってるんだから、一本くらい遅れてもよかったんじゃない?」  大きく息を吸い込んでから、隣に座る羽住くんを見上げた。羽住くんはもうしわけなさそうに眉を八の字に下げた。 「休日で水族館の最寄り駅は混んでいるんです。一本、遅れると見失ってしまうかと思ったんですが……すみません」  本気で電車に飛び乗ったときのことを気にしているらしい。申し訳なさそうに首をすくめて、微かに目元を赤くする羽住くんに、花は思わず吹き出した。同年代の男子にあんな風に腕を引かれたり、抱きしめられたりしたのは初めてだ。ちょっと恥ずかしかったし驚いたけど、別に嫌だったわけでもないし、怒ってもいない。それにいつもは大人ぶって冷静な羽住くんが、こんな風に動揺しているのが見られるのは楽しい。  花の笑い声に目を丸くしたあと、羽住くんは苦笑いで肩の力を抜いた。 「……っ、すみません。昨日、寝るのが遅くなってしまって」  気が抜けたのだろうか。大きなあくびをした羽住くんが慌てて口を押えた。そういえば駅のベンチで待っていたときも眠そうにしていた。夜遅くまで小説でも読んでいたのだろう。花もよくある。そして毎回、母親やこのみに怒られている。  ドアの上に設置された液晶ディスプレイを見上げると、停車駅とそれぞれの駅までの所要時間が表示されていた。地元駅から水族館の最寄り駅まで乗り換えはない。西谷くんと九重さんを見失うこともないだろう。 「少し寝てたら? 降りるまで四十分くらいあるみたいだし」 「でも……」 「あの二人、すごい動き回りそうだし。体力温存しておいた方がいいと思うよ。私も小説、読みたいし」 「真隅さんの目的はそっちですか」  花がカバンから小説を取り出して目をキラキラさせるのを見て、羽住くんは苦笑いで頷いた。 「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます。着いたら起してもらえますか?」 「わかった」  花の返事は聞こえていたのだろうか。腕を組んでうつむくと、羽住くんはすぐに眠ってしまった。穏やかな呼吸音にくすりと笑って、花は小説を広げた。土日で一気読みするつもりだったシリーズの三巻冒頭だ。  一巻で魔法使いの少女と契約した主人公は、生き返った幼なじみとともに街の人たちを苦しめている貴族たちを倒すことに決める。魔法使いの少女と傭兵仲間、貧民街時代の仲間と協力して無事に貴族たちを倒すことができた。  貴族たちが隠していた財宝を街の人たちと分け合い、主人公はそのお金を元に冒険に出ることにした。三巻の冒頭は主人公と幼なじみ、魔法使いの少女が砂漠を渡るシーンから始まった。  魔法使いの少女が幼なじみの命と引き換えに望んだこと。その一つが外の広い世界を知りたい、見に行きたいということ。そして、もう一つが――。 「ん……」  隣から聞こえた声に、花はハッと顔をあげた。すっかり小説の世界に集中していた。起きたのだろうかと隣を見ると、羽住くんの身体が左右に揺れていた。まだ熟睡中のようだ。  見まわすとずいぶんと席が埋まってきていた。花たちが座っている三人掛けの席もいつの間にか羽住君の隣に知らない人が座っていた。反対側に倒れると知らない人の迷惑になる。腕を引いて起こそうか、どうしようか、と迷っているうちに電車が揺れて、羽住くんの体が傾いた。 「重……」  よかったと言うべきなのだろうか。体が傾いた拍子に羽住くんが寄り掛かったのは、知らない人ではなく花の方だった。花の肩に寄り掛かった羽住くんはまだ起きる気配がない。  羽住くんのさらさらした黒髪が、花の首筋に触れた。くすぐったい。それになんだか落ち着かない。本に目を落としてみたけど内容が全然、入って来なくて、花はぶすりと頬をふくらませた。  肩で突いて起こしてやろうか。羽住くんの顔をのぞき込んだ花は、思わず吹き出しそうになってしまった。ポカンと口を開けた警戒心ゼロの間抜けな顔。いつもちょっとうさん臭いけど穏やかな笑顔を浮かべて、大人びた雰囲気の羽住くんとは思えない。花は少し考えてから本を閉じた。これはきっと、あとでからかうネタにできる。  車内アナウンスが響いた。次の次が降りる駅だ。  そういえば、西谷くんと九重さんのようすを全然、見ていなかった。 (私、尾行に向いていないなぁ……)  花は苦笑いで隣の車両に目を向けた。と、――。 「……!」  九重さんと目が合った、気がした。花は慌てて本を開くと顔を隠した。しばらくしてから本を盾代わりにそーっと隣のようすをうかがうと、九重さんは西谷くんと楽しげに喋っていた。眉をひそめたり、唇を尖らせたり、西谷くんの肩を叩いたり、意地の悪い笑顔を見せたり。ころころと変わる表情を、花はじっと見つめた。  目が合ったとき。九重さんは怖い目をしていた、気がした。じっと、こちらを――花を値踏みするような目で見つめていた、気がした。ただの気のせいかもしれない。尾行しているという負い目から、そう見えただけかもしれない。でも、そんな表情をしているように見えたのだ。 「……右のドアが開きます。次は……」  車内アナウンスに花ははハッとした。いつの間にか次が降りる駅になっていたらしい。すでに車窓にはホームが見えていた。速度もずいぶんと落ちてきている。 「羽住くん、起きて! 降りるよ!」  小説をカバンにしまって、羽住くんを揺する。電車のドアが開いて、人が次々と下りていく。 「ん……」 「ほら、行くよ!」  眠気まなこで目をこすっている羽住くんの腕をつかんで立ち上がった。羽住くんも素直に立ち上がってついてきた。 「ごめん、……熟睡しちゃった」  子供っぽい口調と声に驚いて、花は後ろにいる羽住くんを見上げた。当の羽住くんもびっくりしたらしい。目を見開いて、耳まで真っ赤にしてかたまっていた。花は勢いよく吹き出した。 「よく寝てまちたねー。とりあえずおんりしましょ……むぐっ」  赤ちゃん口調でからかうと、羽住くんの大きな手に口をふさがれてしまった。 「……聞かなかったことにしてください。行きましょう」  必要以上に冷静を装った、いつもどおりの大人ぶった口調に、花はまた吹き出してしまった。気まずさからか。羽住くんは眉間にしわを寄せてそっぽを向くと、先に立って歩き出した。 「すみません、降ります!」  もう人が乗り始めていた。大声で言いながら人の間を割って進む羽住くんの後ろを、花はちょこちょことついていく。こういうところは本当に手慣れている。花一人だったり先を歩いていたりしたら、人に押し潰されたり流されたりして降りれなかったかもしれない。でも羽住くんが前を歩いてくれるおかげで、人に押し潰されることも流されることもなく無事にホームに降りられた。  人の少ないホームの中央までやってきて、羽住は足を止めた。 「大丈夫ですか?」 「うん、大丈夫」 「すみません。俺がもう少し、早く起きていれば……お願いします、忘れてください」  からかってやろうと思ったのに。勘付かれて、花の口は羽住くんの大きな手にふさがれてしまった。
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