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額を押さえて落ち込んでいた羽住くんだったが、
「さて、あの二人は……」
無理やりな感じで気持ちを切り替えて顔をあげた。
改札は階段をのぼった先だ。西谷くんと九重さんは階段の、あと数段で昇りきるところにいた。この駅はターミナル駅で、電車から降りる人も、乗るためにホームで待っている人も多い。休日ということもあってなおさらだ。早く二人に追い付きたいところだけど、階段を埋め尽くした、ゆっくりと進む人波を見ると難しそうだ。
「はぐれないように気をつけてくださいね」
「私の心配よりもあの二人を見失わないように気をつけてよ」
羽住くんが差し出した手をぺしりと叩く。完全に子供扱いだ。羽住くんは残念そうに眉を八の字に下げた。
「行き先は水族館とわかっているので心配いらないかと思いますが……はい、気をつけて見ておきます」
階段をあがって、改札を出て、左手の階段を下って、外に出て。目の前の大きな交差点を渡ると水族館の入り口だ。駅周辺に比べたら人は少ないけれど、水族館の入口付近も随分と混みあっていた。
「まずはチケットの購入列に並ぶ……はず、なんですが」
人混みにげんなりして俯いていた花は、歯切れの悪い羽住くんの言葉に顔を上げた。羽住くんが苦虫を噛みつぶしたような顔で見ている先を追いかけて、
「ハンバーガーを買う列に並んでますねぇ、羽住さん」
花は苦笑いで言った。
水族館の入り口の左右にはカフェやお土産屋がずらっと並んでいる。西谷くんと九重さんはそのうちの一つに並んでいた。
「……帰りのつもりだったのに」
ぼそりと呟く羽住くんをちらりと見上げて、花は首を傾げた。花の視線に気が付いて、羽住くんも不思議そうに首を傾げた。どうやら独り言が声に出ていることに気が付いていないらしい。花は聞かなかったことにして首を横に振った。
「さて、どうしよっか」
呟いて、花は嘆息した。
九重さんの朝からの行動を考えると、寝坊して遅刻。朝御飯を食べ損ねたから水族館に入る前に腹ごしらえという流れだろう。初デートで、この展開はどうなのかとも思うが。西谷くんと九重さんは店の前に掛かっている大きなメニューを指差して、あれやこれやと相談している。楽しそうだから、これはこれでありなのだろう。
店の前に掛かっているメニューには大きな写真がついていた。ちょっと距離のある場所にいる花でも目をこらせばなんとか見えた。
ハンバーガーのバンズにはあざらしの顔が焼き印されていた。イルカの形をしたパンに選んだ具材を挟んでもらうイルカサンドや、のりとたくあんでペンギンの顔に見立てたペンギンおにぎりなど。水族館の生き物に因んだメニューが用意されているようだ。
「そこのベンチで待っていましょうか」
羽住くんが植木の影になっているベンチを指さした。
「うん、わかった」
「そう言いながらどこに行くんですか、真隅さん」
ふらふらとカフェに向かおうとする花の肩を、羽住くんが苦笑いでつかんだ。
「あーいやぁー……」
「まぁ、わかってますけど。目的はあれですよね」
羽住くんが指差す先を見て、花は勢いよく頷いた。
水族館メニューの中にはドリンクやデザートもある。シロクマの顔をしたアイスクリーム、アザラシの形のカラフルなシャーベットが泳いでいるソーダ。そして――。
「ニシキアナゴのヨーグルトフラッペ」
「真隅さん、大好きですもんね。ニシキアナゴとチンアナゴ」
「なぜ、それを……!」
「なんで、がく然とした顔をしてるんですか。キーホルダーやら小物入れやらスマホの壁紙やら。あれだけニシキアナゴとチンアナゴで揃えておいて、どうして気付かないと思ったんですか」
そう言って羽住くんが指さしたのは花が斜めにかけているグレーのカバンだ。正確にはカバンのチャックにつけているキーホルダー。学校のカバンにつけているモノよりもひとまわり小さめのニシキアナゴとチンアナゴが仲良く揺れていた。
(まぁ、羽住くんなら気付くか……)
花は気恥ずかしさに熱くなった頬を撫でた。
「じゃあ、買いに行きましょうか」
「見つからない?」
「ふらふらと買いに行こうとしていた人が何を今さら」
「ニシキアナゴとチンアナゴに引き寄せられるのは、人の性です。仕方がない……」
「真隅さんだけですよ、そんな性を持って生まれてきてる人は。あちらはまだ店内で並んでいますし、外のレジなら鉢合わせる心配はないと思いますよ」
言いながら、歩き出す羽住くんのあとを花は小走りについていく。浮かれてスキップ気味になっているところを羽住くんに見られてしまった。
「他に気になるメニューはありますか?」
くすくすと笑いながら羽住くんが尋ねた。
「これ以上、食べたら夕飯が入らなくなるので」
「昼ごはんをすっ飛ばして夕飯の心配ですか。大きくなれないですよ」
母親か。レジで注文する羽住くんの背中にツッコミと拳を入れようとして、
「どうぞ」
羽住くんに差し出されたニシキアナゴのフラッペを見た瞬間、すべてがどうでもよくなった。
アイシングで白と黄色のシマシマを描いてニシキアナゴに見立てた太めのスティックビスケット。それがヨーグルト味のフラッペに三本差してある。白い砂から顔を出すニシキアナゴそのものだ。
「走ると転びますよ」
羽住くんがまた母親みたいなことを言っているけど無視だ。羽住くんの手からプラスチックのカップを奪い取ると、花は小走りにベンチまで戻ってスマホを構えた。
まずは真上から。つぶらな目がかわいい。次に斜め上から。ツンと持ち上げた顔がかわいい。次に真横から。黄色と白のシマシマ模様の細長い身体がかわいい。最後に、下から――。
「ストロー、差し忘れてますよ」
「ま、待って! もうちょっと待って!」
「はいはい」
ベンチに座ったり、立ち上がったり、しゃがみこんだりして撮影し終えた花は、
「撮りきったぁ!」
空を仰ぎ見た。もうこれで帰ってもいいくらいの充実感だ。
「今、帰ると運動会に引きずり出されますよ」
「心を読まないでよ、羽住くん」
「読めませんよ。真隅さんが分かりやす過ぎるんです」
ニシキアナゴのヨーグルトフラッペ撮影会のあいだ、入り込まないように後ろで待っていてくれたらしい。振り返ると、羽住がストロー片手に苦笑いで立っていた。
「……お待たせしました」
「いえいえ」
ようやくベンチに腰掛けて、羽住くんが差し出した青いストローを受け取った。このままに飾っておきたいかわいらしさだが、仕方がない。覚悟を決めてストローを突き刺した。眉間にしわが寄っていたらしい。吹き出した羽住くんが、自分の額を指差して、またくすくすと笑い声をもらした。
ストローを吸うと、甘酸っぱいヨーグルトの味が口の中に広がった。走ったり人混みに揉まれたりで暑くなっていたから、冷たさと甘過ぎない味がちょうどいい。
ほっと落ち着いたところで、
「はい、羽住くん」
花は羽住くんにフラッペのカップを差し出した。羽住くんは目を丸くして花を見つめたあと、ストローに目を落として困り顔で微笑んだ。
「ヨーグルト味、苦手だった? 冷たいのがだめとか?」
「いえ。ストローをもらってきますね」
そう言って、ベンチから立ち上がろうとする羽住くんを見上げて、花はフラッペに差したままの青いストローを指さした。花の不思議そうな表情と無言の問いに、
「間接キスになりますけど?」
羽住くんはイタズラっぽく笑った。
「気にするの?」
花もにやりと笑って返した。からかっていると分かっているからというのもあるけれど、本心でもあった。このみや兄とだって同じようなことをしている。羽住くんだって言うほど気にしていないだろうと思ったのだ。
羽住くんは目を瞬かせたあと、にこりと微笑んだ。
「俺は、気にしませんけど、少しは気にしてほしいとは思います」
何が気に入らなかったのかわからないが、何か気に入らなかったらしい。羽住くんは花からカップを受け取ってストローをくわえたかと思うと、ズーッといきおいよく吸い込んだ。あっという間にカップの中身が半分くらいになってしまった。ニシキアナゴのスティックビスケットが傾いて、カップのフチに寄り掛かった。
「ど……どうかしましたか?」
「どうもしませんよ。どうしてですか?」
恐る恐る尋ねる花に、羽住くんはニコニコと笑顔で聞き返してきた。笑顔が怖い。笑顔なのに怖い。
ご機嫌斜めな羽住くんのようすをうかがいながら、花はカップのニシキアナゴに手を伸ばした。羽住くんはそっぽを向いたまま、カップを花の方に差し出してくれた。花はニシキアナゴに見立てたスティックビスケットを一本、引き抜いた。つぶらな黒い瞳がこちらを見ている。やっぱりかわいい。口に入れるのを迷っていると、くすりと笑う羽住くんの声が聞こえた。覚悟を決めて頬張るとアイシングの甘さとビスケットのバターの香りが口の中に広がった。かわいい上に、美味しい。
「ニシキアナゴ、一匹は羽住くんの分ね」
「本じゃなくて匹なんですね」
花は傾いてカップの縁に寄り掛かっている二匹のニシキアナゴを指差した。くすくすと笑う羽住くんに、内心でほっとする。怒っている羽住くんは怖いけれど、それだけじゃなくて。なんだか花の知らない何かを隠しているみたいで不安になってくるのだ。
「もう一本は私ね」
一匹を引き抜いて、花は自分の口に入れた。最後の一本を引き抜いて、羽住くんの口に押し込もうとすると、
「真隅さん」
やんわりと手で押し返されてしまった。今度は完全に仏頂面だ。
「だから、少しは気にしてほしいと……」
言い切らずに羽住は体を傾けて何かをのぞきこんだ。花も羽住くんの視線の先を追い掛けて振り返った。視線の先にはカフェでハンバーガーを食べている西谷くんと九重さんの姿があった。さっきよりも人が多くなってきている。通りを行き交う人たちのすきまから二人の姿が映画フィルムのコマに途切れ途切れに見えた。
ハンバーガーとセットでポテトを頼んだらしい。九重さんがよそ見をしているすきに、ポテトを持っている九重さんの手をつかんで、西谷くんが食べてしまった。それに気が付いた九重さんは西谷くんの肩を叩いた。腕を伸ばすと、西谷くんが反対側の手に持っていたハンバーガーを引き寄せて――。
花はそこまで見たところで耐えきれなくなって、顔を引っ込めた。
「この居たたまれない気持ちはなんでしょうか、羽住くん」
「なんでしょうね、真隅さん。はたから見るとああいう感じになりますけど、いいですか?」
真顔で尋ねる羽住くんを見上げて花は首をすくめた。またちょっとだけ機嫌が悪くなっている気がする。でもやっぱり理由がよくわからない。少し考えて、花はポンと手を叩いた。
「でも、ほら。九重さんたちと、私と羽住くんは違うから……!」
ああいう感じにはならないよ、というより先に、
「……そうですね」
羽住くんは花の手からスティックビスケットを取り上げた。そのまま口に入れたかと思うと、サクサクサクサクといい音を立てて食べきってしまった。味わわれることなく、あっという間に姿を消したニシキアナゴに花は悲鳴のような情けない声をあげた。
花の悲鳴に意地の悪い笑みを浮かべたかと思うと、
「そろそろ行きましょうか」
羽住くんは立ち上がった。カフェに目を向けると、トレーを手にした西谷くんと九重さんが店の入り口近くに置かれたゴミ箱の前にいた。店員に声を掛けられてトレーを手渡したところだった。二人はカフェを出るとすぐに水族館のチケット売り場に向かった。三つの売り場には、それぞれ十人ほどが並んでいる。西谷くんと九重さんが列に並ぶのを確認して、羽住くんがほっと息をついた。ようやく本来の目的地である水族館に入るようだ。
「予定より一時間遅れですね」
羽住くんがスマホを確認して、ぼやいた。
「最初からそういう予定だったかもだし。尾行させてもらってる側が文句言っちゃ失礼でしょ」
「……まぁ、そうですね」
歯切れの悪い羽住くんの手からカップを奪い取って、花は残っていたフラッペをズズーッ、と吸い込んだ。
「ゴミ、捨てて来るよ」
「わかりました。それじゃあ、先に並んでますね」
チケット売り場の列を指差す羽住くんに頷いて、花はカフェの外に置いてあるゴミ箱に小走りで向かった。ゴミ箱に空になったカップを捨てて、チケット売り場に向かおうとして。花は振り返ったところでたたらを踏んだ。
開館時間から一時間近く経っているからだろうか。思っていたよりも早く入場券を買えたらしい。西谷くんと九重さんが花の前を横切った。と、言っても十メール近く距離はあったし、人混みの中だったらから二人が気付いた様子はなかった。気付かれても偶然、会った風を装って誤魔化せばいいのだけど、花の場合、すぐに顔に出てしまいそうだった。
念のため、大柄な男性の影に隠れながら、ちらちらと二人の様子を探る。西谷くんと九重さんはチケットを手に水族館の入り口に向かっていた。ふと西谷くんに何か言って、九重さんが足を止めた。スマホを取り出して画面を見た瞬間、九重さんは目を見開き、頬を押さえた。心なしか青ざめ、顔も強張っているように見えた。西谷くんも九重さんの異変に気が付いたらしい。心配そうな表情で何か声をかけたけど、九重さんは素早い動きでスマホをしまって、勢いよく首を横に振ると西谷くんの背中を押して水族館へと入っていってしまった。
(お母さんからお説教メッセージでも届いたのかな)
九重さんの表情を不思議に思っていた花は、すぐにハッとした。
この人混みだ。少しでも時間を空けると見失ってしまうかもしれない。花は慌ててチケット売り場に向かうと、きょろきょろとあたりを見回した。羽住くんは列のどのあたりにいるのだろうか。人が邪魔で見つからない。こういうときは、と、スマホを取り出そうと足を止めて、
「そんなところで立ち止まると、人とぶつかっちゃいますよ。行きましょうか」
そっと肩を押された。顔をあげると、いつの間にやってきたのか。花を見下ろして、羽住くんが微笑んでいた。うながされるままに水族館の入り口へと歩き出す。
「チケット、どっちがいいですか?」
歩きながら二枚のチケットを差し出して、羽住くんが尋ねた。
チケットは真ん中にミシン目が入っていた。下半分は係員が回収するのだろう。水族館の名前と今日の日付、チケットの種類が印字されていた。上半分にはデフォルメされた魚のイラストが描かれていた。一枚は白地にオレンジの模様がかわいいカクレクマノミ。もう一枚は大きな胸びれを羽ばたかせるように泳いでいるマンタだ。
どちらにしようかと迷っている花の手から、羽住くんがチケットが取り上げた。驚いて顔をあげると、羽住くんが係員にチケットを手渡しているところだった。いつの間に自動ドアを通り抜けて館内に入ったのだろう。チケットの可愛いイラストに気を取られ過ぎてしまった。花は苦笑いして、あたりを見回した。館内は夜のように薄暗かった。天井も足元も、白やピンク、青の小さな明かりがついたり消えたりしている。まるで星屑みたいだ。
「残念ながら元々、ニシキアナゴもチンアナゴもないらしいんですよ」
羽住くんがチケットの半券を差し出した。
「聞いたの?」
「好奇心で調べてみただけです。迷うなら両方持っていていいんですよ?」
「ううん、こっちにする」
カクレクマノミの半券を渡すと、羽住くんは受け取って財布にしまった。ちらっと見えた財布の中はすっきりとしていた。レシートを入れっぱなしにして、ごちゃごちゃになっている花の財布とは大違いだ。きっとチケットもすぐに捨てるタイプだ。
(なら、カクレクマノミももらっておけばよかったかなぁ)
そう思いながら、花は自分の財布にマンタの半券をしまった。
羽住くんに背中を押されて、エスカレータに乗った。一人分の横幅しかない細いエスカレータだ。薄暗いトンネルの中を昇って行くと、
「……っ」
不意に明るくなった。眩しくて思わず顔を伏せると、
「ペンギンですよ」
羽住くんの声。エスカレータの下の段にいる羽住くんが指差すのを見て、花は顔をあげた。
ゆらゆらと揺れる水面の向こうには青空が見えた。波のあいだを縫って、太陽の光が差し込んでくる。その光を小さな影が横切った。ペタペタと歩くちょっと間の抜けた、可愛らしい姿とは全然、違う。ペンギンたちは飛行機雲のように水の泡の線を引きながら、水の中を飛び回っていた。
トンネル型の水槽の中を泳ぎ回るペンギンは右に左に、上に下にと縦横無尽に飛び回っている。ぐっと頭を上にあげて、空に向かって昇って行って。あっという間に小さくなっていく姿は、いっそ格好良い。
「人魚姫みたい」
「人魚姫ですか?」
羽住くんが不思議そうに聞き返した。花は満面の笑顔で頷き返した。外の世界に何があるのか。ドキドキしながら海面を目指して昇っていく人魚姫の姿だ。
「足元、気を付けてください」
羽住くんの声からほどなくしてトンネル型の水槽が終わった。白塗りの天井にハッとして足元に目を落とすより早く、羽住くんにそっと背を押された。おかげでつまづかずに降りられた。
エスカレータで昇って来た先は屋上だった。見上げると青空に白い雲が浮かんでいる。いい天気だ。こんな日に屋外で運動だなんて、たまったものじゃない。羽住くんは足早にエスカレータを離れると、人の邪魔にならないところで足を止めた。あたりを見回しているのは、ターゲットの二人の姿を確認しているからだろう。
ぼんやりと眺めていたせいで飛び回るペンギンたちを撮り忘れてしまった。未練がましくエスカレータの出口を見つめていると、
「逆走はできないですけど、再入場はできますよ」
羽住くんが言った。当たり前のように考えていることを言い当てる羽住くんに、花は思わず後ずさった。
「だから心を読まないでってば。羽住くんは魔法使いなの?」
「魔法使い? ……じわじわ距離取るの、やめてください。傷付きます」
「今、読んでいる小説に出てくるんだよ。ほぼ、万能。人の心だって、のぞき見できちゃう魔法使い」
へぇ、と相づちを打ちながら羽住くんが指差す方に、花も目を向けた。西谷くんと九重さんは並んでペンギンを眺めていた。あの下にトンネル型の水槽があるのだろうか。早くのぞきに行きたいけど、今、近付くわけにもいかない。手近な水槽をのぞき込むと、二匹のウミガメがゆったりと泳いでいた。手すりに頬杖をついて眺めていると、隣にやって来た羽住くんも同じように手すりに寄り掛かった。
「土日に読むと言っていた小説ですか。性格の悪そうな魔法使いですね」
「そう、羽住くんに良く似た性悪……と、言いたいところだけど、そんなこともないかな。立ち位置としてはヒロインっぽいし」
「なんだ、女性キャラなんですね」
「性悪ってところはツッコミないの?」
呆れ顔の花に羽住くんはくすりと笑うだけだ。
二匹のウミガメは丸い水槽の中をゆったりと泳ぎながら、鼻先をつつき合っている。
「恋を知らない魔法使いの少女は、幼なじみの命と引き換えに主人公から恋をする心をもらうの。丸ごと、全部」
「そして恋のできなくなった主人公に、魔法使いは恋をする……と、いうところでしょうか。さ、行きましょうか」
あっさりと言い当てる羽住くんに、花はふくれっ面になりながら歩き出した。見ると西谷くんと九重さんがペンギンの水槽を離れていくところだった。その次はカワウソのようだ。カワウソも早く見たいけど、まずはペンギンだ。花は人混みを縫ってペンギンの水槽に駆け寄った。海の近くの草原に住んでいるペンギンらしい。プールの奥に作られた陸地部分には草が生えていた。
「落ちないでくださいよ」
身を乗り出して水槽の中をのぞきこむと、揺れる水面の奥にたくさんの人の頭が見えた。やっぱりこの下にトンネル型の水槽があるらしい。泳ぎ回っているペンギンの数も多かったけれど、陸で毛づくろいをしている数の方が多い。ふわふわの毛に覆われたヒナもいた。スマホを向けてヒナの写真を撮っていると、
「魔法使いの恋はどう進んでいるんですか」
花の画面をのぞき込みながら羽住くんが尋ねた。
図書室にいてもストーリーを聞かれることはよくある。読む気がないから聞くのかと思っていたが、ネタバレを気にしない性格らしい。ミステリーだけはうっかり犯人を言ってしまうと渋い顔をするのだが。
「まだ三巻だし、メインは主人公と幼なじみの友情と冒険だから。魔法使いの行動がトラブルの原因になっていたりするけど……あんまり進展はしてないかな」
「魔法使いも全部じゃなく、半分くらいにしておけばよかったものを……」
「元も子もないなぁ。まぁ、過去になんかあったっぽいんだけど……あ、続きが読みたくなってきた」
「今は我慢してくださいね」
そう言いながら、羽住くんはスマホとパンフレットを取り出して、見比べ始めた。背伸びでのぞき込もうとすると、パンフレットを花が見える高さまで下げてくれた。パンフレットにはショーのタイムスケジュールが書かれていた。三十分に一回は何かしらのショーや体験会をやっているようだ。
「十分ほどでアシカショーなんです。二人はそれを見に行ったみたいですよ」
「見よう! カワウソ見てから、見よう!」
「はいはい、わかりました。カワウソを見てから行きましょうね」
花が人のすき間からカワウソコーナーのようすを探ると、すでに二人の姿はなかった。花がペンギンに夢中になっているうちに移動してしまったようだ。花はちらりと羽住くんを見上げた。羽住くんも同じようにペンギンを見ていたはずなのに、どうして二人がアシカショーを見に行ったとわかったのか。
(背中に目でもついている……とか)
カワウソコーナーへと歩き出す羽住くんの背中を睨みつけ、花は、ますます小説に出てくる魔法使いっぽいな、と思った。
アシカショーの会場はカワウソコーナーの奥にあった。会場の手前に設置されたアマゾン川コーナーでピラニアが泳いでいるのを眺めていたせいで、ショーの開始時間ギリギリに入ることになってしまった。
水槽にへばりついていたのは花の方だ。羽住くんはと言えば、いかつい顔をした大量のピラニアからずっと顔を背けていた。ピラニアが出てくるパニック映画を見て以来、苦手らしい。
アシカショーの会場はすり鉢状になっていて、丸いプールの中央に丸いステージがぷかぷかと浮いていた。ぷかぷかと揺れるステージの上にアシカが泳いで登場するらしい。
ぐるりと会場を見回して、先に座っているはずの西谷くんと九重さんを探す。千人以上が入れるだろう広い会場で二人を探すのは難しいけど、ウォーリーを探せみたいでちょっと面白い。先に見つけたのはやっぱり羽住くんだった。別に勝負をしていたわけじゃないけど、はんだか悔しい。
九重さんたちは前から二列目のベンチに並んで座っていた。西谷くんのスマホを二人でのぞき込んでいる。撮ったペンギンやカワウソの画像を見ているようだ。
花と羽住くんは最後列の、二人の真後ろに腰掛けた。背中に目はついていないから、ここが一番見つからない。羽住くんがそう言うのを聞いて、
(羽住くん自身の背中に目がついていそうな気がするんだけどなぁ)
と、花は真顔でツッコミを入れた。心の中で、だが。
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