太陽を待ちながら

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太陽を待ちながら

家に帰って、先輩のノートを開いた。ノートから先輩の匂いがしてきた。甘い香りっていうのかな。いい匂いだ。 ゴッホについて、先輩が授業で習ったこと、ネットに載っていた記事のコピー、個人的なエピソードと作品のリンク、作風や筆使いの変化など、俺には分からない専門用語も時々出てきて、まじめに授業うけてたんだと、先輩をちょっと見直した。 先輩は美人で仕事ができるんだけど、お茶目が過ぎるので、何考えているのかわからないときが、結構ある。だいたいあの「芦屋のひまわり」をどうしたいのか。見てハイ終わり。いい絵でしたね。さすがゴッホ。一件落着という具合に話が進むと思っていたら、女の子があらわれ、「フェイク」と書かれたキャンバスをわたされ、誰のなんのメッセージだ、ということになる。 事件は何も起こっていないし、誰も損をしてないように見える。先輩は得をしてる人間がいれば、裏に必ず損をしている人間がいるというが、今ところこの件で振り回されて、宿題が出ているのは俺だけで、憧れの先輩とお近づきになれたのは良かったが、一番損をしているのは俺じゃないだろうか。 ペラペラとノートを飛ばし読みしていたら「芦屋のひまわり」と日本にいまある東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館の「ひまわり」はそもそも贋作でないかという疑惑があるらしい。 ネットの拾い読みだけれど当時のゴッホの主な作品が30号で描かれているのに対して、この二つは40号だという。それも微妙にサイズが違うらしい。当時キャンバスを張る木枠は使い回しだったので、わざわざ違うサイズで描くのは、不自然だというのが、目立った贋作の根拠で、他にも細かな点でも、ゴッホ作品とは思えない部分が見受けられると、書いてあった。 そもそも燃えてしまった「芦屋のひまわり」が贋作ならば、話は簡単になるような気がする。それとも余計ややこしくなる?どっちだ? たくさんものを考えすぎて、頭がショートしてきた。カスタードプリンでもたべて、気分を落ち着けよう。
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