どちらか片方が欠けるということ

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ーーある男の独白。 ■◆■◆■◆ 奴を葬り去った。 そう、この手でだ。 それは皆の願いだったはずだ。 希望だったはずだ。 もちろん建前でなければの話だが……。 今にして思うのだが、本当にこれで良かったのだろうか? それが人類が望んだ結末だったのだろうか? 確証はない。また、検討のしようもないのだ。 もう、奴はいなくなったのだから。 奴がいなくなって、いろいろな変化が現れた……ような気がする。 まず、皆の顔から笑顔が消えたように思える。 なぜだろう? そもそも俺の行動は、みんなの笑顔を守るためのものだったのに。 そして、元気がなくなった、着飾ることがなくなった、虚勢を張らなくなった、誘惑することもなくなった、発展しなくなった、開発もなくなった、争いもなくなった、競争がなくなった、欲求がなくなった、探求もなくなった、不安がなくなった、幸せがなくなった……ほか、色々なものがなくなった気がする。 いいことも、そうではなさそうな事も含めて。 ああ、今にして思うのだ。 奴はとても美しく、禍々しいほど神秘的な存在だった。 だから、多くの人が魅了された。年齢、性別の関係なしに。 しかし、その大部分の人間は欺かれるのだが、奴はそんなことはもちろん意にも介さない。 それは奴の魔法が解けて我に返って離れていく人以上に、絶え間なく次々と奴の虜になる人のほうが遥かに多いからだ。 また、欺かれても欺かれても、狂おしいまで奴にへつらう信者のなんと多かったことか。 奴の存在は人々を大いに惑わせ、狂わせた。 しかし、皮肉なことだが奴の存在が猛威をふるい、人々が熱狂するほど世の中は活性し、いろいろな技術や文化、芸術が生まれたのも事実。 不幸になる人は多かったが、反面幸せにすることも多々あった。 咎められることも多かったが、称えるべきことも同じくらいに多かったことは紛れもないことなのだ。 今にして思うと当然全てではないが、正しいことが多かったという気がしないでもない。 なら俺はどうなんだ? 悲しいかな、上辺の評価や誰かの利益のために利用されるようなことばかりで、さらにいざとなったら簡単に捨てられてしまうような、軽く、お安い存在でしかなかった。 金、欲望、健康、出世、血筋、長生き、コンプレックス、民族、宗教、戦争……あらゆる偽善を前向きに飾り立てるキャッチコピーに悪用され続け、結句過ちの全責任はなぜだかが俺へと転嫁される。非難される。 俺自身はそんなものに加担したことなどないにもかかわらずだ。 本当にうんざりすることばかりだったよ。 奴との関係性を例えるなら、光と影というのがぴったりとくる。 もちろん奴が光で俺は影。 奴は常に人気者。俺とはまるで逆に。 そう、いつの時代においてもだ。 そして、皆は俺の形相が怖いともいった。 だがな、一体誰がそうしたと思っているんだ? 他ならぬお前達だろうよ。 泥臭く、必死になって奴を追い続け、奴の手下だけではなく、仲間面した連中から裏切られるのも日常茶飯事で、戦いだけに明け暮れる毎日。 振り向けば、誰もいない。気がつけば、また一人。 なんて惨めで魅力が乏しく、孤独な存在だったろう。 そんな日々を送れば体は傷だらけになり、心だってズタズタさ。 裏切られ、ひっくり返され続けているのだから、そりゃあ顔つきなんか険しくもなるだろうよ。 そして考える。 俺が奴を追う理由はなんだったのだろう? 俺はいつだって奴を追い求めていた。 それこそ狂信的なほどに。 そう、この世の誰よりも切実に真剣に追いかけていたのだ。 時折考えはしたが、いつも答えは出なかった。 嫉妬かもしれない。 皆の願いだからか? もしかしたら憧れかも。 いや、愛情なのか? 許せない存在だからか? ルサンチマン? 近親憎悪? それとも俺の存在価値を証明するため? そうこうしているうちに、俺の執念が実る時が来た。 俺はついに奴を倒したのだ! その瞬間、世界中が俺に注目した。 称賛した。 熱狂した。 感動した……はずだ。 はず、というのもあながち外れてはいないだろう。 そう、あれだけの喝采と注目を集め、世界中の人が俺を称えるシュプレヒコールも、すでに懐かしい話でしかないのだから。 今では誰も話題に挙げないところか、俺の存在すら忘れてしまっていることだろう。 ……ん? 待てよ? 皆が俺の存在を忘れている? ……まさか。 が、たしかに、今の世の中で俺の存在は必要とされていない。 もしかしたら奴は俺に倒されることも織り込み済みだったのだろうか? 善意もなければ悪意もなく、まるで死んだような世界にするための最終手段として。 ということは、俺は利用されただけなのか!? この結末こそが奴の望んだ世界の姿なのか!? いや……そんなことはない。 断じて、そんなことはない! ……はずだ……と思いたい。 その時、 「ふふふ……」 どこからか、奴がせせら笑う声が聞こえたような気がした。 ■◆■◆■◆ 「ふぅ……」 退屈な日々は余計な妄想を掻き立てた。 やることが何もなくなった毎日が酒量を増やし、自堕落な生活へと誘った。 荒んだ生活を送っているせいか、ここ最近の老け込み方がやけに気になる。 いや、奴を倒した後、それまで自分の中でみなぎっていた気力や熱量が、突然ガクッと急降下したことは感じていた。 一言でいうと、生きがいを失ったからなのだろう。 ライバルがいなければ、俺には溢れるほどのエネルギーなど不要なのだから。 あれほど筋骨隆々だった肉体はすでに見る影もなく、堕落した生活の澱は蓄積し、脂肪へと変換されている。 そして酔いがそうさせるのか退屈な日常が刺激を求めるのか、やたらと奴が生きていたいころが懐かしくなる。戻りたくなる。恋しくなる。 『あの頃は充実していた。生き生きしていた。そして……こんなことは俺の立場上口に出せないが楽しくもあった』 ということは……やはり俺の選択は間違っていたということなのだろうか? 「でも、もうどうしようもないさ」 そう、これが現時点における俺の偽らざる本心なのだ。 ーー男の独白はここまで。 男は酔いつぶれた。 トロンとしたうつろな視線の先には、トロフィーや贈り物、雑誌や新聞の切り抜きから表彰状などが数多く飾られている。 なお、その中にある表彰状にはこう書かれていた。 ------------------------------------------------------------------------------- 正義の味方殿 貴殿の働きにより、この世から悪の存在がすべて取り除かれたことに深く感謝します。 これからの人類の未来は、永劫明るく快適で、素敵なことになるでしょう。 その功績は永久に、代々語り続けます。                               人類一同 ------------------------------------------------------------------------------- 【終わり】
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