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バイクを適当な駐車場に止めるなり、棗は散策しようと言い出した。海に行くのはどうしたのだと思ったが、まあべつに、それでもよかった。ヘルメットはヘルロックにくくりつけて、俺たちは街に繰り出した。当然休日の鎌倉なんてものはゴチャゴチャしていて、とてもリラックスはできない。でも、それがいいんじゃないか。休みっぽくて。ちなみに、棗のバイクに付いていたヘルロックは、ヘルメットが二つ止められる仕様になっていた。
「人ばっかや。」
一歩先を歩きながら、棗は言った。着物の女の子たちとすれ違う。そして、俺も答える。
「そりゃそうですよ。今日、日曜日でしょ。」
「日曜日なあ。なんか、贅沢やねえ。」
「そうですか?」
「うん。贅沢な使い方してるわあ。」
店の前に飾られた扇子を見ながら、彼は声を弾ませた。
「贅沢な、一縷くんの使い方。」
「なんだと!」
彼は嬉しそうに前を行く。すいすいと迫り来る通行人をかわし、それでもどこかゆったりと、ただ道を歩いている。人波の中でも、彼はこんなに鮮明だ。俺のように背が高いわけでもなく、きっと紛れやすいだろうに。不思議な人だ。所々に散りばめられた、色濃い過去のエッセンスが、彼にはよく似合う。どこにいたって馴染むくせ、どんな景色の中でも浮き彫りになり、孤立する。妙ちくりんな存在だった。
そんな彼でも、俺のことを置き去りにしないよう、時々振り返って笑うので、もうどうしようもなくなって、少し無理やり隣に並んだ。手を繋げばいいのか、とも思ったが、その必要はなさそうだった。それ以降の棗はぴとりと俺に付いて離れず、もう前を歩こうとはしなかった。他人の目は気にならなかったし、誰も俺たちを見てなどいなかった。
棗は鎌倉に来たことがほとんどないと言い、小町通りを存分に満喫していた。と言っても、あまり買い物はせず、ただ店の並びを眺めたりするばかりだった。数年ぶりに訪れた割には見覚えのある店も多く、俺もそれなりに観光らしいことをしたのではなかろうか。
うろうろと街中を練り歩き、時には店だけでなく、興味本位で細い路地に入ったりもした。学生の頃だって、こんな無意味に歩き回ったことはなかった。けれど、理由もなく楽しいと感じるのは、ずいぶん久しぶりだった。
「見てえ、一縷くん。ちんまい赤べこおる。」
ふと彼が足を止める頃には、もう大通りは抜けていた。一瞬で人混みは消え去るものだ。
喫茶店と思しき店の前で、棗は立ち止まった。そしてその目線の先には、先ほどの発言通りに首を振っている小さな赤べこがいる。鎌倉に店舗を構えておきながら、赤べこを置いておく店も店だが、棗は棗で着眼点がおかしいだろうと思うと、ちょっと笑えてしまって、困った。
「なにわろてんねや。」
「いや、すみません。」
目敏い彼は呆れたように呟いたが、すぐに持ち直して、赤べこに笑いかけた。そして、店のドアに手もかけた。
「もう二時なんだよ、一縷くん。」
へえ、そりゃ初耳だ。
赤べこの喫茶店は思っていたより薄暗くて、静かな内装だった。オレンジ色の照明がほんのりと弱く照らしていて、それがなんとなく落ち着いた。俺たちは適当にコーヒーとサンドイッチを頼むと、ちょっとだけ赤べこの話と、棗が買った金属の栞の話をして、時間の流れを楽しんだ。やがて運ばれてきたコーヒーは、独特な色使いのカップに入っていて、その話も少しだけした。サンドイッチはマスタードが効いていて美味しかったが、俺はどうもぼんやりしていて、棗の作った卵の味噌汁を思い出していた。
そして俺と棗はゆっくりと遅めの昼食をとった。本当に、ひたすらゆっくりと、魂が眠りそうになるほど。
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