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 多分、すべての準備ができていなかったのだと思う。  試合で戦う為の基礎体力とか、どんな状況でも通用するショットのバリエーションとか、そしてそれ以上に、どんな苦境に陥っても食らいついてゆく気持ちの強さとか。  僕がトラブルに見舞われ続ける間、杉田先輩はアドバイスのようなことを一言も口にしなかった。一言二言の助言が足しになるような、技術的な問題でないと重々理解していたのだろう。  やっとの思いで十八番ホールを終えた僕は、まるで負け戦から逃げ帰った兵士さながらの失意の表情だったに違いない。誰も僕に今日一日の感想を聞かなかったのは、泥まみれのパンツと壊滅的なスコアが最終日の内容の全てを物語っていたからだろう。  それからの帰路はまるで白昼夢のように記憶がおぼろげだった。ただ、氷室先輩が申し訳なさそうな表情で監督に向かって深々と頭を下げていた姿が目に入り、それがあまりにも痛くて、僕の胸に深く突き刺さって、見ていられずすぐさま目を背けたことだけが、焼き印のようにくっきりと記憶の中に刻まれていた。  僕のゴルファーとしての夏は、死んだように終わった。  あとで竹内とは別の同級生から連絡があり知ったことだが、僕は男子12人中に9位で、選手の枠に遠く及ばなかった。その原因は最終日の後半に尽きるものだったけれど、竹内の最終日のスコアも実はさして良くなくて、全体で5番手だったとのことだ。一人相撲も甚だしかった。  竹内も僕同様、選手の座を逃したものかと思われたのだが、実は杉田先輩は今年、プロテストを受ける予定で、プロテストと日程が被っていたため、最初から試合に出る予定ではなかったらしい。公にはしていなかったが、後輩たちの指導のために合宿は参加したのだという。杉田先輩にとっては将来がかかっているのだから、プロテストを優先するのは当然のことだろう。  だから竹内も滑り込みで選手となることができたが、主力を欠いたチームでは関東予選を突破することは叶わなかった。ただ、竹内にとっては1年にしてレギュラーメンバーで試合に出場したという実績に繋がったのだから、来年も特待生になれるのかもしれない。獲物を見定めたら全力で仕留めにゆく、そんな猛禽類の性分が報われたのだろう。  そして杉田先輩のプロテスト受験は合宿が終わってすぐの、7月の最終週に行われた。プロテストは一次、二次、そして最終試験から成るが、杉田先輩は日本学生ゴルフ選手権の実績で一次は免除となっていた。  合宿で目にした杉田先輩の実力なら当然、合格できるものと僕は思っていた。ところが二次試験で大叩きをしてあえなく不合格となったという。スコアを聞いてにわかには信じられなかったが、コースが難しかったというわけでもない、らしい。  部員たちは合宿後も学校の練習場で自主的に練習をし、試合を手伝い、また杉田先輩のプロテストの応援にまでついて行くぐらいだったから、それらの結果は部内で周知の事実だった。  あの合宿以来、さまざまな口実を用意しては部活への参加を避けていた僕を除いては。  そして、八月が終わる、その直前のことだった。
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