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密か心
姉の葉月の結婚式の夜、その流れで従弟の貴文が久しぶりに家に泊まることになった。機嫌が良いながらも式の最中泣き通しだった両親と、三人だけで食卓を囲むのも何か気まずかったし、何より急に家族が欠けた穴を一日だけとは言え貴文が埋めてくれたことがありがたかった。
それは父母も同じだったようで、日頃はそれほど酒を飲まない父も相伴してくれる相手がいることが嬉しかったのか、いつもより多く杯を空けながら饒舌に会話を楽しんでいるようだった。やがて父が眠り込むと、母はぼやきながらも優しく父を起こし、それを合図のように自分たちも二階の部屋に引き上げた。
「葉月さん、綺麗だったな」
寝間着代わりに貸してやったスウェットに着替えながら、貴文がぽつりと言った。
「そう思ったなら、直接本人に言ってやれば良かったのに」
「え。俺、言わなかった?」
「言ってない。晴れて良かったとか、幸せになれとか……そんな当たり障りないことだけ。姉貴も女なんだし、貴文が褒めてやればきっと喜んだのに」
「……俺の中では、葉月さんが綺麗なのは当たり前のことだからな。自己完結してた」
自嘲気味に呟くと、貴文はどこか寂しそうに懐かしそうに微笑った。
この二十歳になったばかりの二つ上の従弟が、さらに一つ年長の姉にずっと恋していたことを知っているのはたぶん自分だけだ。色々サポートもしてやったが、彼の中の姉に対する恋情はあまりにも尊すぎるのか、まるで偶像を崇拝するように遠くから大切に眺めるだけで終わってしまった。
それでも高校で初めて彼氏ができたことを伝えた時には、さすがに顔色を変えたことを今でも覚えている。
「貴文はさ、本当にこれで良かったの? 後悔とか、ない?」
「何だ、今日は随分踏み込むんだな」
「こんな話、多分これで最後だからさ」
「……良かったと思ってるよ。相手の立花さんて、俺から見ても良い人そうだし。葉月さんのこと、きっと幸せにしてくれる」
「そう……」
言葉通り清々しい表情の貴文に少しばかり物足りないような感覚を味わいながら、それでも今日のことをすでに過去のこととして扱おうとしている貴文の想いを、それ以上ほじくり返すことは無粋に思えて口を噤んだ。しばらく沈黙が続いた後、互いに今日は疲れたよな、と取って付けたように言いながらベッドと布団にそれぞれ横になるとリモコンで電気を消した。するとしばらくして、暗闇の中で貴文が不意に声を掛けてきた。
「瑞樹の方こそ、良かったの?」
「良かったって、姉貴の結婚? そりゃもちろん、めでたいことだし」
「ふぅん……ほっとした?」
「……ほっと?」
「うん。俺は正直、悲しいって気持ちもあったけど、ほっとする気持ちも同じくらいあったよ。手が届かないものを、中途半端に眺め続けるのって何気にしんどいだろ。だから、葉月さんがあの人のものになって、正直解放されたような気もしてる。瑞樹も同じ気持ちじゃないかと思ってさ」
心の奥底まで見透かすような不思議な声音に、瑞樹は思わず息を飲みながらも平静を装って呆れたように笑った。
「……おまえ、何言ってんの? 意味わかんねーし」
「そう? だったら俺の勘違いかな。変なこと言ってごめん。おやすみ」
「……おやすみ」
それきり会話は途切れ、貴文は早々に眠ってしまったようだった。
直前の貴文の言葉と、瞼に焼き付いた姉のドレス姿と幸福そうな笑顔。
静寂の中でそれらがより鮮明に甦り、胸が燻るような感触と焦げる匂いを身の内に嗅いだような気がしていた。
(終)
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