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第五章 狼狽の再会
ミエの言う通り、その後教室内に異変は起こらなかった。生徒たちの今の関心事は秋の学園祭のことで、そこにみんなの意識が集中しているせいなのかもしれない。ミエも学級委員長として、その中心で忙しそうだった、ただ、真知子があれ以来急に大人しくなったのは不気味だったけれど。このまま学園祭が無事に終わってくれることを祈るばかりである。
これまでミエとカフェ巡りをしてきたが、都内の店は残すところ、あと5軒となった。雪乃とは、その後近郊や地方の店まで足を延ばしたが、ミエをそこまでつき合わすつもりはない。雪乃と再会できなくとも、その時点で潔く諦める。そう思っていたところ、珍しくミエから大樹の携帯に電話があった。
「先生、今週のカフェ巡りのことなんだけど」
「ああ、どうした」
大樹はてっきり用事が入って行けなくなったということだろうと思っていた。
「もう一度、広尾のツリーハウスのお店に行かない?」
「いいけど。何で?」
「また夢を見たんだ」
「夢かあ」
「何よ。私の夢を信じないわけ?」
「そういうわけじゃないけどさあ」
「あの広尾のお店で、先生は雪乃さんと再会できるの」
「何?」
「だから、そういう夢を見たの」
「そう…」
そんなことはあり得ないと思っている大樹には、他人事のように思える。
「そうって。先生これは神様のお告げなんだよ」
「わかった、わかった。じゃあ、そうしよう」
せっかくそう言ってくれるミエの気持ちに応えたいという思いになった。
そして当日、大樹は待ち合わせの時間より少し早く広尾の改札口でミエを待っていた。やがて、ミエが現れた。その姿が目に入った時、大樹はなぜか胸が詰まった。
自分はこの子に出会うために、こちらの世界に来たのではないか。
歳は離れているし、自分の教え子だけれど、大樹はミエをもう失いたくないと思った。
「先生どうしたの。顔が怖いよ」
「悪かったな。顔が怖いのは生まれつきだ」
「ふふ。先生らしくない冗談」
「そうかあ」
「そんなことより、早く行こうよ」
会話を楽しんでいた大樹を促すミエ。
レ・グラン・ザルブルまでの道を並んでゆっくり歩く。レ・グラン・ザルブルへミエと行くのは今日で二度目。この先もミエとカフェ巡りを続けるために、大樹は今日ミエに自分の思いを告白するつもりであった。
レ・グラン・ザルブルは変わらぬ佇まいで立っていた。いつ来ても、このお店は人を優しい気持ちにさせてくれる。3階の喫茶室に入る。
「先生、来てる?」
ミエが大樹に身体を密着させて訊いてくる。それだけでドキドキする。
「いや、いない」
「おかしいな。でも、この後に来るのかもね。とにかく座りましょう」
ミエに導かれる形で、入口が見える席に座る。
「なんか懐かしいね」
初めてこの店で出会った時のことを思い出しているようだ。
「懐かしいって、たった2か月前のことだよ」
「そうなんだけどね」
店員が注文を取りに来た。二人ともアイスコーヒーヒーを頼む。
「その後、真知子はおかしな行動とってない?」
教室では訊けないので、ここで訊くことにする。
「あれ。知らないんだ先生。担任なのに」
「何だよ。何かあったのか?」
「真知子に彼氏ができた」
「何だ。そんなことか。そんなの俺が知ってるわけないじゃないか。知らなきゃいけない義務もないし」
「そりゃあそうだよね。じゃあ、私に彼氏ができたって言ったら?」
虚を突かれ、大樹の頭は真っ白になった。言葉が出てこない…。
「何で黙っちゃうわけ」
「それは本当なのか?」
「何、真っ白な顔しちゃって。嘘だよ~ん」
「もうやめろよ。そういうこと言うの。俺はなあ」
このまま一気に告白してしまおう。言葉を続けようとしたまさにその時に、入口から入って来る雪乃の姿が目に入った。ミエの見たという夢が正夢になった。大樹の視線の先をミエが辿る。
「雪乃さん?」
大樹はただ頷いた。しかし、大樹の目は雪乃のすぐ後ろにいる一人の男性の姿を捉えていた。雪乃が後ろを振り返り、その男性と笑顔で何かを話している
大樹の心は千々に乱れていた。直前まで大樹の心はミエのことでいっぱいだった。しかし、雪乃の姿を見たとたん自分の心がわからなくなった。
「あの男の人誰?」
ミエが残酷なことを訊いてくる。
「いや、知らない」
目を雪乃のほうに向けたまま答える。雪乃とその男は、大樹たちの席から少し離れたところに座った。運よく大樹の席から雪乃の顔が見える。大樹の視線を感じたのか、雪乃の目が一瞬大樹をとらえたが何の反応も示さず、すぐに前の男性に注がれた。
「どういうことだろうね?」
「それは俺が訊きたい」
「先生、どうする? どうしたい?」
「いずれにしても決着をつけたい」
「わかった。先生、私に任せてくれる?」
「任せるって、どうするつもりだ?」
「彼女が一人で現れたんだったら、先生に任せたけれど。彼女は男と二人で現れた。どういう関係かもわからない。そこに、突然先生が出て行ったらおかしなことになりかねないでしょう。だからここは女の私に任せて。そのほうがうまくいく」
ミエの言う通りだった。先ほど自分と目があっても、何の反応を示さなかったということは、今の雪乃にとって自分は見知らぬ男に過ぎない。だから、突然自分が雪乃の前に現れ、『前世』の話をしても、ただ怪しまれるだけかもしれないのだ。
「わかった。任せる」
「うん。じゃあ行ってくるね」
雪乃の元へと向かうミエの後ろ姿を見て、大樹はようやく気づいた。雪乃が現れてから健太は雪乃のことしか考えられなくなってしまっていたが、今の自分にとってミエは大切な存在であることを。そんなミエに自分はひどく残酷なことをさせているのではないか。
ミエが雪乃に近づき、何かを話している。やがて、雪乃が立ち上がり、連れの男に一声かけた後、二人で外へ出て行くのが見えた。
窓の向こうの青空が眩しい。周囲の空気がさっきよりどんよりしている。
それからしばらくの間、大樹は雪乃と一緒に入ってきた男性の背中を見ながら、あらゆる状況を想像していた。
どれくらい経ったであろうか、ミエと雪乃が再び喫茶室に戻ってきた。その際、雪乃はちらっと大樹に目を遣ったが、そこに特別な感情は浮かんでいなかった。一方のミエは硬い表情をしていたが、大樹と目が合うと、少し柔らかい顔になった。
「話してきた」
ミエの、大樹の心の中を探るような言い方は何を意味するのか。
「そうか。嫌な役回りをさせてすまない」
雪乃との話を、すぐにでも聞きたいという気持ちと、聞くのが怖いような気持ちのはざまで揺れ動いている。ミエはいったいどのように話を進めたのだろうか。
「ううん」
そう言って下を向いてしまったミエ。彼女も話しあぐねている。
「ミエ、俺に気を遣う必要はないよ。ズバリ聞かせてくれないか」
「わかった。じゃあ言うね。雪乃さんは結婚していた」
「そうか…」
ショックではあったが、そういうこともあり得るとは思っていたので、そんなに驚きはしなかった。
「先生」
「ん?」
「辛いね」
「うん」
「とにかく、一度話し合ったほうがいいと思う」
「でも。今さら」
「何を言ってるの、先生。雪乃さんはまだ何も気づいてないだけ。だから、私、雪乃さんにどうしても会って話を聞いてほしい人がいるんですって言ったの」
確かに、決着は自分自身でつけるべきだろう。
「ありがとう。で、彼女は何と?」
「私の勢いに気圧されて了解してくれた」
「ミエには本当に感謝だな」
そう言ってミエの顔を見ると、辛そうにしながら言った。
「だって、こうするしかなかったでしょう」
「ミエ…」
ミエの気持ちが痛いほどわかる大樹は、ミエにかける言葉を失っていた。
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