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第七章 『未来』への添い寝
一週間後、雪乃の願いで今度は大樹の部屋で会うことになった。その場にミエも来ることになった。雪乃との会話を聞いたミエがどうしても来たいというのである。断ることなどできなかった。
「男の一人部屋にしちゃあ、きれいにしてるよね」
ミエが部屋に入るなり言った。ミエも大樹の部屋に来るのは今日が初めてだ。
「大掃除したに決まってるだろう」
こんなくだらない会話ができるのはお互い心を許しているからだろう。
「そりゃあ、そうか。でも、雪乃さんって会うたびに思うんだけど、きれいだよね。そこはかとない大人の色気があって、蠱惑的な感じがするもの」
「さすが学級委員長だけあって難しい言葉を使うね」
「やめてよね。そんな子供扱い」
「ごめん。でも、ミエも十二分にきれいだよ」
「やだ、先生。それって口説いてる? 好きなら好きって言ってよ」
「好きだよ」
自然に出てしまった。だが、自分がミエに対して感じ始めていた恋愛感情は、今揺れ動いている。それは雪乃との再会によって、大樹の気持ちが雪乃に移ったということだけではなく、ミエが『記憶』の中の自分の長女とあまりに似ていたからだ。
「先生、今この状況でそんなこと言われたって、私はどうすればいいの…」
「それは…」
大樹がすべてを話そうとしたその時、ドアチャイムが鳴って雪乃が到着したことを報せた。ミエが迎えに行く。部屋に入ってきた雪乃の表情は硬かった。
「こういうところに住んでいるんだ」
雪乃が『前世』で初めて大樹の部屋を訪れた時も同じことを言った。
「雪乃さん、まあそこに座って」
まるで自分の部屋のように言うミエに、雪乃が若干不思議そうな顔をした。
「おい、ここは俺の部屋だからな、ミエ」
寸前まで二人の間に流れていた微妙な空気を忘れようとするかのように、経口を言い合った。
「仲がいいのね」
雪乃が羨ましそうに言った。
「仲なんて良くないです」
怒ったように言うミエ。
「そうなの」
「雪乃さん、私、今日二人で会うって聞いて強引に来ちゃったんですけど、私がいちゃダメ? ダメなら帰るけど」
「ううん。ミエちゃんには二人の話を聞いてほしいの。なぜだかわからないんだけど、ミエちゃんって二人にとっても大事な人のような気がするから」
「ありがとう、雪乃さん。というわけで、雪乃さんのお許しをもらったから、私ここにいるね」
「わかった。それにしても雪乃、わざわざここまで来てもらってすまない」
「いえ。人生で一番大切な話をするのに喫茶店というわけにはいかないでしょう。かといって、うちには主人がいるし」
雪乃が放つ『主人』という言葉に、大樹はどうしても嫉妬してしまう。
「そうだね」
「それに、あなたが住んでいる部屋に来れば何か新たに思い出せることがあるんじゃないかと思って」
「そうだよね。で、雪乃さん、何か思い出した?」
ミエの言葉に雪乃は部屋を改めて見渡して言った。
「う~ん、具体的にはまだ何も思い出せないんだけど、この空気感には覚えがあるわ」
「そうなんだ」
二人のやりとりを聞いていた大樹が雪乃に質問する。
「それで、一週間考えてどうだったの?」
大樹はミエのためにも早く結論が出したかった。
「私は、こちらでは『前世』と違って裕福な家に生まれることができたの。いい意味で生まれ変われたのね。何不自由なく育てられ、恵まれた人生を歩んでいた。お友達もみんなお金持ちの子ばかりだったし、遊びも全然違った。だから、『前世』のことなど頭の片隅にもなかった」
雪乃はこっちで十分幸せに暮らしていた。
「幸せだったのね」
自分の代わりにミエが応えてくれた。
「そう。だから私に太田小百合という名前の友達はいなかったし、その小百合さんの結婚披露宴の受付であなたに出会うこともなかった」
「ごめん。せっかく幸せな人生を歩んでいた君の心を乱してしまった…」
「ううん。私がこちらの人生で感じていた幸せはどこか嘘くさかったの。それは自分でも薄々わかっていた」
「それで?」
興味津々という顔で先を促すミエ。
「そんな時、偶然ネットで見つけたのが広尾のあのお店。引き寄せられるように行って見たら、私は自分がそこで何年もの間誰かを待っていたような気がしたの。でも、誰も現れなかったから帰ろうと立ち上がった時に、今の主人が声をかけてきたの」
「そうかあ。だから、その人を運命の人だと思っちゃったんだ」
ミエの目が点になっている。
「そう。私が待っていたのはこの人だと思い込んでしまった。彼は平凡なサラリーマンだったから、良家の子息との結婚を望んでいた両親は彼との結婚に大反対だったけど、私は彼を選んだ。運命の人だと思ったから。でも、それは間違いだったのね」
果たしてそれが間違いだったと言えるのか。大樹は複雑な思いで聞いていた。
「今雪乃さんは先生のことが好きですか?」
「ええ」
「ご主人より?」
今日ミエに来てもらって良かったと思った。自分だったら、こんな訊き方はできなかったかもしれない。
「一週間考えたけど、私はやっぱり大樹を愛している。ただ、3年も一緒に暮らしてきた主人に対する思いが消えないのも事実、それに…」
「それに、何?」
「今の大樹の心の中にはミエちゃんがいる」
「私?」
自分のことを指さすミエ。
「そう。わかっているくせに」
「うん。わかってるよ。私も先生のことが好き。でも、残念ながら先生には雪乃さんのほうがお似合い。心配しないで、雪乃さん。先生のことは私が振ってあげるから。こんなカワイイミエだから、先生なんかよりずっと若くてカッコいい男の子が列をなして待機してるし。ねっ、先生」
大樹はミエの言葉に胸が詰まって何も言えなかった。
「大樹はどうなの?」
雪乃が大樹の気持ちを確かめてきた。
「雪乃が言うように僕はミエのことが好きになってしまった。でも、君と再会できたことで…」
「二人ともはっきりしないなあ。この際、リセットするしかないよね」
「リセット?」
「こっちに来るタイミングがズレたためにこうなってるわけじゃない。だから、もう一度タイミングを合わせるためにリセットするの」
「そんなこと、どうやったらできるって言うんだ」
「先生、訊きたい?」
「本当にあるんだったらな」
「たった一つだけあるよ。それは二人が同時に『この場』からさようならするの。そうすれば、今度こそまた一緒になれるわ。ただし、その『未来』が来世なのか『前世』なのかはわからないけれどね」
「心中しろと言うことか」
「そんな古臭い言葉は好きじゃないな。時を合せる旅とか言ってよ」
「簡単に言うな。どんな言葉を使っても、自ら命を絶つという重大な決意をしなければならないんだ。しかも、その結果がミエの言う通りになるとは限らないじゃないか」
自分はともかく、雪乃はこちらで十分幸せな暮らしをしている。大樹に再会してしまったことで、それが揺らいではいるけれど。ミエの言う通りになるという保証もないのに雪乃を自分の思いに引きずり込むことはできない。その雪乃は黙ってミエの言葉を聞いている。
「それは信じることしかないの、先生。二人で身も心も強く繋いで、ひたすら信じ、祈ることでもう一度二人にとって本当の幸せに触れることができるの」
ミエの言葉に雪乃が反応した。
「そうよね。私はもう一度本当の幸せに、この手で触れたい。身体中で感じたい。大樹、覚悟の問題よ。得たいものが大きいほど、捨てなければならないものも大きいものよ。私は覚悟はできている。あとは大樹だけ」
いつも思っていることだが、いざとなると女のほうが強い。大樹の心配などよそに、雪乃はミエの言葉を信じ、その結果やってくる『未来』をも自分のものにしているようだ。大樹が乗らないわけにはいかない。
「わかった。信じよう」
「先生、辛いけど、私が見届けてあげるね」
「お願いね、ミエちゃん」
雪乃が答えていた。
決行日は二週間後の日曜日の夜とした。雪乃のことも考え、できるだけ苦しむことなく、かつきれいなままで旅立てるよう、車の中で睡眠薬を飲み、排ガスを車内に引き込むことにした。
予定の場所に着き、黙々と準備を始める。二人が旅の途中で離ればなれにならないよう、ミエが二人の身体を縄で結びつける。
「さあ、二人とも目を瞑って」
ミエの言葉に応じて二人は目を瞑る。
「じゃあ、これから薬を飲んでもらうから口を開けて」
雪乃と大樹の口にミエが薬を入れる。
次第に意識が遠のいていく。
「じゃあ最後に手を握り合ってもらうよ」
そう言って、ミエが大樹の手を取り雪乃の手を握らせた。
「先生、ミエは先生と出会えて幸せでした。ありがとう」
大樹は頷くことしかできない。
「雪乃さん。先生をよろしくお願いします」
ミエも雪乃もの息遣いだけが聞こえる。やがて意識は消えた。
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