3 路上タバコポイポイ

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3 路上タバコポイポイ

「えっ、ええっ!」  と鉄は驚きの声をあげたが、それ以上に腰を抜かしたのはその場にいた人間たちだった。 「なに、どこここ」 「落ち着けよ。吉祥寺駅前の商店街じゃないか」  吉祥寺なら何度か行ったことがある。たしかに三浦屋とかシェイキーズの入り口やらが視界にある。 「サンロードかよ!」  それよりもなによりも、落ち着けと言ったのが黒ラブ男なのが一番の衝撃だ。 「行くぞ」  黒ラブ男が走り出した。人混み多い商店街だが見事に人々がよけてくれる。 「待ってよ」  鉄、もといゴルデン男もあとを追った。黒ラブ男はひとりの背広を着た男に向かっていた。  人々の悲鳴と携帯のフラッシュにタバコの煙を悠長にふかしていた初老の男性はゆっくり振り返った。自分にむかってくる黒ラブ男とゴルデン男の姿に「ひいっ」と声を上げて逃げ出す。しかし指に挟んだタバコははなさない。  運動能力に定評のあるレトリーバーコンビにおじさんが勝てるわけがないわけで、すぐさま回り込まれてしまった。 「こんな人通りの多い商店街で歩きタバコなどしていいわけがないだろう」  凄む黒ラブ男。震え上がったおじさんは火のついたままのタバコを捨て、まわれ右をして逃げようとしたが、そこにはゴルデン男が棒立ちしているわけだ。 「武蔵野市では路上喫煙は禁止されている」  黒ラブ男はおじさんが捨てたたばこを拾い上げ、動くことのできないおじさんの手にふたたび持たせた。  黒ラブ男はゴルデン男にうなずいてみせた。そのとき、鉄はしなくてはいけないことを悟った。  犬怪人はおじさんの両脇をつかみ持ち上げた。足が宙に浮くおじさん。周囲の人々は犬怪人にむかって「やめろ」とも「いいぞいいぞ」とも言わず、ひたすら携帯をかまえている。  犬怪人は猛ダッシュでおじさんを商店街から駅前のバスロータリーに設置された黄色い鳥のオブジェのような灰皿まで連行した。  最初からそこで喫煙を楽しんでいた人々が犬怪人に連行されたおじさんを見て目を見開いた。当のおじさんもなにが起こっているのかわからないといったふぬけた表情。 「ここで吸え。それから吸い殻を道に捨てるなよ」  黒ラブ男ににらまれ、おじさんは震えながらうなずいた。 「よし、次いくぞ」 「ああ」  犬怪人らは今度はパルコ方面に向かった。なにかのパフォーマンスで、怪人は着ぐるみだろうとまったく無視する人もいた。  Tシャツに書かれた『悪の秘密結社 オテフセ団』という白抜き文字にひかれてあとを着いてくる物好きもなん人かいた。 「いた」  ガード下で信号待ちをしているカップル。コーデュロイのジャケットにひきずるようなマフラーをした金髪短毛の男と白いフェイクファーのショートコートに赤いミニスカートに白いロングブーツを合わせた目のくりくりした女の子。ふたりでタバコをくわえていた。 「あいつら、二十歳越えてると思うか」  と黒ラブ木越が聞いてくる。 「男はわからないけど、女の子のほうは高校生、へたしたら中学生にみえる」 「成敗だ」 「成敗かよ」  黒ラブ男とゴルデン男は指をならし、信号が変わる前にアベックの肩を叩いた。  どアップでせまる犬怪人に「キャーッ!」と女の子が正直な感想を述べた。拍子にタバコがアスファルトに落ちたのでゴルデン男は拾って渡そうとする。 「やめてよ、変態!」  しかし抵抗をみせる女の子。つかさずタバコをくわえたままの若者がかばうように前に立つ。 「なんだテメー」  メンチとやらをきったつもりらしい。 「歩きタバコは禁止されている」  冷静に黒ラブ男は言った。 「ふざけんなボケ、どこで吸おうが勝手だろクソ」  若者はつかさず拳をだそうとする。 「言葉ではかなわないと認めるわけだ」  黒ラブはそうつぶやき片手でゲンコツを受け止めた。ギャラリーから拍手がおこる。 「おい、連行するぞ」  と黒ラブ男は若者の腕をそのまま後ろにひねって腰を折らせ、その勢いに任せて腹を抱きかかえバスロータリーにむかって走り出した。 「待ってくれ」  焦ったゴルデン男。女の子の手をひっぱった。 「君、未成年だろ。歩きタバコ以前に吸っちゃだめだ」  しかし女の子は目の前に起こった異様な事態に声もだせず抵抗もできず連行されるがままになっている。  ゴルデン男のもっともな演説に拍手を送る傍観者。しかし、その傍観者のなかに「自分が選ばれなくてよかった」という顔をしたくわえタバコがいるのを黒ラブ男は見逃さない。 「そこの! そことそことそこもっ!」  黒ラブ男はそいつらを指さした。ルールを守らない人たちにルールを守る人々の視線が一斉に集まった。物言わぬ視線に責められて彼らはあわててタバコをその場に捨てて足で踏みつぶす。 「ポイ捨てするなっ!」  ゴルデン男のなかにいさせてもらっている鉄がつい吠えてしまった。 「あんたらにこの女の子を責める資格はないっ!」  携帯のシャッターをきっていた手が一斉に止まった。  ゴルデン男は女の子の手をひいて先に連行された若者のところへ連れて行った。  そのあとを野次馬がついてくる。その数は路上喫煙者を連行するたびに増えていった。 「やるじゃん、ゴルデン男」 「カッコいいぞ!」  そのうち声援がかかるようになる。  ゴルデン男は声援にてれた。  しかし、突然現れた異形の犬怪人にすべての大衆が優しいわけがない。 「着ぐるみなんだろ」 「そのシャツ近くでみたーい!」 「引っ張ってみようぜ」  犬怪人の周囲に飴にたかる蟻のように人間たちが群がってきた。 「うわわわわわ!」  手足をばたつかせながら目をあけると、鉄は木越家のリビングに戻っていた。 「あれ?」  まのぬけた声を出してしまう。あれは夢かまぼろしだったのか。 「お疲れ様」  いつの間に用意したのか木越がグラスにそそいだウーロン茶を口にしている。 「まあ、飲めよ」  ノドはカラカラだ。ありがたく飲まさせていただく。 「犬怪人たちは?」 「瞬間移動が可能だ」  野次馬のせいであまり路上喫煙者を喫煙場へ連行できなかった気がする。 「死ぬかと思った」  最終的に野次馬に囲まれ圧死しそうになったのだ。 「ははは」 「あはは」  木越が笑うから付き合いで笑ってみた。 「で、あれのなにが悪事だったんだ」 「傷害罪かな」 「殴ったりはしてないぞ」 「じゃあ拉致監禁」 「監禁はしてないじゃん」 「じき誰かが決めてくれるさ」 「即効性の悪事じゃないんだ」 「そうだな」  それ以上聞くとバカにされそうな気がして鉄は黙った。 「柴浦」 「なんだよ」 「楽しかったか」 「へ?」  楽しいことをしたのだっけ。 「どういう意味で」  逆に聞いたら木越はがっかりしたような顔になった。 「子供みたいな顔するなよ」 「だれが」 「おまえが」  言われて木越はますますぶすっとなる。 「滅多にできない体験ができたのにたいした感想がない柴浦のほうが変だ」  お願いしてもできる経験ではない。がしかし鉄の心のなかにはタバコの煙のようなものがくすぶっていた。 「でも、それ悪魔の力だろ。そう思うと楽しいなんて軽々しく言えないよ」 「……」  鉄の言うことが予想外だったのか、木越は路上にソフトクリームを落とした子供のような表情になってきた。 「でも、歩きタバコは悪いことだし。あれはあれでいいんじゃないかな」  なぜフォローするハメに、と思いつつも木越の表情に明るさがでてきたのでそれはそれでいいのかなと思ったりもする。 「そろそろ帰るわ」  昼過ぎに来たのだがもう6時近くになっていた。 「ちょっと待て」  立ち上がりかけた鉄だったが、 「まだ望みを聞いていなかった」  うれしそうをひきずっている木越。意外に子供っぽいところがあったんだなとはじめて思った。 (近寄りがたいなんて思ってたけど)  しかしその隣にお座りをしてじっと見つめている赤柴のクロがいる。 (やっぱり近寄りがたいかも) 「言えよ。望み」 「望みって」 「悪に手を染めてなんの見返りもないのは悪いからな」  手を染めちゃったのか? 鉄は深く落ち込んだ。 「どうするクロ」  木越は犬に話しかけた。クロは鼻の頭をペロッとなめた。 「そうか、そうだよな」  木越は本気でクロと会話しているのだろうか。ひょっとしたら変なクスリ飲んだり打ったりしてはいないか。 「よし決めた。オレが責任をもって来年K医大に合格させてやる」 「ギョッ!」  鉄は生まれてはじめて「ギョッ」という言葉を感情込めて言ってしまった。 「おれ、まだ医大受けるとは……」 「なにか問題でもあるのか?」  木越は平然と言う。 「だから、悪魔の力で、おれの頭脳ではどうにもできない医大入試をどうにかするとでもいうのかなって」  それは悪いことだと思いつつも、悪魔に魂を売るのも悪いことではないのかもという気になっている自分に気付く。 「そんなことするわけないだろう」  木越は笑った。よほど可笑しかったのか両肩を抱えて「イタタ」と言う。 (木越が大笑いしている)  そんなことが新鮮なくらい学校で木越が大笑いしているところを見たことがなかった。 「悪魔と契約したのはオレであって柴浦じゃない。柴浦の入団に対してはオレが報酬を払うということだ」 「入団の報酬」  鉄にとってオテフセ団に入るということはアルバイトに等しいのか。 「オレが勉強を見てやる。現役K医大生だぞ。合格間違いなしだ」 「おれ、またK医大を受験するのか」 「お前は頭が悪いんじゃない。要領が悪いだけなんだよ。小学校からの腐れ縁が言ってるんだから信じろよ。お前に合った勉強法でやれば必ず受かる。いや、受からせてやる。っていうか受かって欲しい」  鉄はあんぐりした。 (木越って、こんなに熱いヤツだったっけ) 「柴浦に、外科医になって欲しいんだよ」 (跡継ぎはあえんがなるんだけどな) 「妹さんよりお前のほうがむいてる。オレはそう思う」 (その根拠はどこからくるんだ) 「なんだかんだ言って、本当は医者になりたいんだろ」 「う、ううっん」  胸がズキンと痛んだ。 (アタマさえよければ) 「お前は馬鹿じゃない。それをオレが証明してやる。大丈夫だ」  クロがおおきなアクビをした。  木越は玄関先まででてきてくれた。 「じゃあ、また連絡する」  軽く手を振る木越だが、動作が重そうに見えるまだ熱があるんじゃなかろうか。 「ああ、またな」  木越家をあとにしようとしたとき、正面の家にワゴン車がとまった。  木越が一歩前にでる。  車から出てきたのは住人である若奥様。スリムなジーンズにトレーナー。目鼻立ちのはっきりした凛々しい女性だ。 「こんばんわ」  木越が声をかけると若奥様はオアシスをみつけたように「こんばんわ」と返した。  奥様は車の後ろから車椅子をひっぱりだした。助手席をあけるとちいさな女の子がいるのが認められた。 「ちゃん、こんばんわ」  小学校に上がる前と思われる女の子は木越に声をかけられたとたん顔をあげ、頬をピンク色に染めて、 「おにいちゃん!」  と大きく手を振った。  母親に車椅子に乗せられた麻柚ちゃん。 「あのねおにいちゃん、麻柚あしたようちえんに行くの」  満面の笑みだ。 「よかったね」 「うん!」 「さ、お家に入るわよ」  母親は麻柚ちゃんを家に入れてから車をカースペースに入れ、改めて木越に話しかけた。 「まだ決まったわけじゃないの。幼稚園側と父兄を交えた面接。麻柚が普通の幼稚園に通うにはいろいろ解決しなければいけないことがあるから」  母親は自分に強くあれと言い聞かせているようにみえた。 「専用のトイレとか工事費用もかかるし、ほかの園児の教育が遅れるって反対する父兄もいるから。普通の学校に行ってお友だちいっぱいつくらせてあげたい。それが麻柚と私たち親の願いなんだけど現実はドラマのようにはいかないわね」 「幼稚園はどちらなんですか」 「クラリスよ。この辺の人はみんなクラリスだし、近いし」  その幼稚園なら鉄も聞いたことがある。先生が美男美女だらけといわれている。 「クラリスか」  木越がなにかを考えているようになった。 「ありがとう。優希君もお大事にね」 「はい」  向かいの若奥様は坂田という表札がかかった家に入っていった。  鉄は首をひねった。 「お大事にねって、病気なのかお前」  木越は3秒も間をおかず、 「昨日熱だしてたじゃないか」  と言った。 「あ、そうか」  そもそも自分はお見舞いに来たのだ。 「それより柴浦」 「なんだ」  木越は坂田家をじっとみつめて言い放った。 「明日、クラリス幼稚園を襲撃することにした」
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