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9 オテフセ団解散の時
「鉄!」
耳元で叫ばれて目が覚めた。
青い顔で見つめる人がいた。
「……かあ、さん?」
「なにが母さんよ、大口開けて昼寝なんて」
頭の芯まで目がさめて。自分が木越の家のリビングで居眠りをして母が起こしに来てくれたことを鉄は理解した。
「なんで母さんがここにいるんだ」
「なんでって、それは」
「優希! 優希!」
悲鳴が耳をつんざく。
ゆるくなった長い巻き毛を獅子舞のように振る女性の後ろ姿が確認できた。
「だるいの? 熱はっ!」
悲鳴をあげる女性は寝起きですか? と聞きたくなるような化粧気のなさ(というかすっぴんだ)だが目だけは異様にギラギラしている。よれよれのトレーナーにジーパン。この家に、ここまで遠慮なく大きな声がだせる人物。
「ウソッ、木越のお母さん?」
鉄の知っている木越桜子はしわひとつ確認できない化粧(シャネル)に体型を絞り込む防御のようなスーツ(シャネル)を着こなしている元ミスK医大。
息子の名を悲鳴のように呼びながらもてきぱきと手の指手首足首の関節に腫れがないか確認、ノドに手をやりリンパの腫れ確認、まぶたをこじあけて光を当てて瞳孔確認をおこたらない。
「熱がある。葉子さん、冷凍庫にアイス枕があるの」
「わかった」
柴浦葉子は冷凍庫からアイス枕をだして近くにあったタオルにくるんで手渡した。木越はソファーに横になった。
「ローンの心配してろよ。仕事辞めて貯金底ついてんだろ」
さすがにここまで大騒ぎされては木越も目がさめるというものだ。
「なに言ってるの!」
大粒の涙を流す木越母は息子に向かって病気でなかったらひっぱたいているところだと言った。
「母さんが連絡したの」
と鉄は聞いた。
「あたりまえでしょ。桜子さんショックで動けないって言うからお母さんが車で迎えに行ったのよ」
木越母の実家は高速含め2時間ほど車を飛ばした北のほうだったと思う。
「なんで黙ってたの馬鹿っ!」
木越母の声はよく通る。リビングに反響してありとあらゆる角度から悲鳴が突き刺さってくる。
「母さん、美人が台無し」
「そういうなだめ方やめて! お父さんみたいじゃないの!」
「ははは」
「笑ってる場合じゃないでしょ!」
熱がある木越はだるくて仕方がないから喋り方もいい加減になっている。それだから余計木越母の叫びは勢いを増す。
「なんで言ってくれなかったの」
木越は「ブランドのほうが大切だろ」と口を動かした。木越母は声を失う。
「桜子さん、優希君熱があるんですから」
間に入る柴浦母。
「優希君、薬は飲んだの」
「朝に」
と木越はテーブルの上に置かれた薬袋を指さした。母親達は飛びつくように中身を確認する。
「ブレドニン、ロキソニン、デパス、ムコスタ、リウマトレックスも飲んでいるのね。この粉薬はなにが入っているのかしら。胃に負担かかりそうだけどムコスタだけで大丈夫かしら」
「私だったらボルタレンを出すわ。それでどうなの」
「どこもかしこも痛みは酷いよ」
と患者が言うので元医師は改めて手のひら、足首(靴下ぬがせてた)、膝をみようとジーンズを降ろそうとしたがそれは「腫れてないから」と木越の抵抗にあってあきらめた。
「心許ないわね。わたしがいい専門医を紹介するからそこに行きなさい」
「同じことを親父さんも言ってましたが」
思わず鉄は突っ込んでしまった。会話に入れる隙間を見つけて滑り込んだのだが、木越が額に手をあてて「バカ」と言った。
鉄がなんで? と聞く前にせっかく鎮火しかけた木越母のヒステリーが再活動をはじめてしまった。
「こんなときだけ父親面するなんて!」
目が涙で腫れてはいるが、すっぴんでも充分綺麗な木越母はゆらりと立ち上がる。怒りに震えても炎の華ように艶やかであった。
「葉子さん、また車借りてもいいかしら」
「え?」
「誠一郎に先を越される前にしかるべき病院に優希を連れて行きます」
「なに熱くなってるの」
と熱のある木越は言ったが、
「患者は黙っていなさい」
を持って迫られるような迫力に皆たじろいだ。
「もう6時になる。閉まる時間だ」
木越は先方に気を使う。
「急患なら診てもらえるに決まっているでしょ」
その同意の求め方は正しいが、
「オレ急患じゃない」
リウマチ患者が微熱とだるさで動けなくなるのはよくあることだと木越は言いたかったようだ。
「なにを言うの、微熱が急に上がることもあるでしょ」
「一晩寝れば治るから」
「いいえ、わたしが紹介する病院なら安心してあなたを任せられるから。今からでも絶対診てくれるほどの仲なの。すぐ行くわよ」
凶暴な生き物の勢いで木越母は車をだそうとしたが、極度の興奮状態に恐れをなした柴浦母が運転をすると申し出た。
自分以外の人たちが心配になったので鉄もついていくことにした。
「なんでこんなところで渋滞しているのよ!」
道路工事すら年先も予定のない道が通行止めになっている。
「こっちは急いでいるのに! ちょっと見てくるわ」
助手席の木越母が飛び出して前方に走って行く。
「すっぴんで外出れられるんだ。しかもノーブランドの服着てるのはじめて見た」
ハンドルを握る柴浦母は後ろの木越に、
「桜子は好きな人のことになると見境なくなるからね」
と言った。
「かなわないわ、あのパワーには」
「周囲に迷惑かけてるだけでしょ」
冷却ジェルを額につけた木越が溜息。
しかし柴浦母はなにかを思い出したように、
「うふふ」
と笑うだけ。
「大変なことになってるわ」
ゼイゼイ息をきらして戻ってきた木越母は迂回することを促した。
「なにがあったの」
「この先の河原で野良犬がいっぱい死んでて虹を渡って行ったんですって」
鉄は眼球が飛び出るほど目を見開いて隣の木越を見た。木越は知らん顔。
「なに、それ」
なにも知らない柴浦母が聞くと、
「わたしにもよくわからないわよ、とにかく河原で野良犬の死骸がたくさんあって処理と野次馬で通行止めですって」
と木越母は舌打ちをした。
オテフセ団が霧のように消え去ったあと、河原には保健所から逃げ出した野良犬たちの死骸が残されていた。
七色の虹を渡って白い雲の向こうに消えていった筈なのに。現実が夕日の元にさらされていた。
警察と保健所の職員を先頭に、高台を埋め尽くしていた見物人は次々に犬たちの元へ近づいていく。
呼吸を止めた犬たちは皆このうえなく幸せそうな笑顔を浮かべて横たわっていた。
保健所の職員は仕事として多くの野良犬たちを処分してきたがこんな嬉しそうな顔をして息を引き取った犬を見たことがないと大粒の涙をこぼしはじめる。
警官は犬を飼っていた。家に帰れば家族よりも先に「お帰りなさい」と駆け寄ってくる、可愛くて手放したくないし永遠に一緒にいたい。
静かに横たわるやせこけて汚れた犬たちはみんな我が家の愛犬と同じ笑顔をしていた。警官は公務を執行出来ず鼻水同伴で泣きじゃくりはじめた。国家公務員生活年、このような失態ははじめてのことだった。
それが伝染したかのように愛犬を抱っこしていた主婦がハンカチで目をおさえはじめ、リードを握る定年退職したおじさんが洟をすする。
ちいさな女の子が傍らの母親の手を握りしめて言う、
「なんでわんちゃんしんじゃったの?」
河原はみるみる涙の渦に包まれていった。
車は渋滞を避け、カーナビをほとんど無視して遠回り。本来なら1時間以内でいけるところを1時間分もかかったと、木越母の頭からは確実に怒りのドリルが飛び出していた。その形相は小児科医としてお子様には決して見せられないものだったとのちのち鉄はふりかえる。
着いた松崎クリニックは住宅街のど真ん中にあってたしかにリウマチという語句も看板にあった。
「まだ灯りがついてる」
診察時間は6時分までと書いてあるのに8時近くなったいまもクリニックの前には自転車やら車も1台停まっていた。
「あいかわらず混んでいるわね」
木越母はまた舌打ちをした。
「もう受付終わってるって」
と木越は言う。入り口の扉には『本日は終了いたしました』という札が下がっているのもおかまいなく「とにかく話つけてくるわ」と木越母は先に一人で乗り込んでいった。
「松崎さんいい人だけど、こんな遅くに大丈夫かしら」
柴浦母も松崎クリニックを知っているようだ。
しばらくして、肩をいからせて木越母が戻ってきた。憤怒が倍増しているように見える。車内の3人はやっぱり無理があるだろうと溜息をついたのだが。
「診てくださるって」
と何故か悔しそうな顔をした。
「ケンカしてまで診てもらわなくてもいいよ。帰ろうよ」
木越がここまで遠慮する様は鉄には新鮮だった。
「ケンカなんかしてないわよ、あなたが心配する必要はないの」
「ふふ」
と柴浦母がひらめいたように笑う。
「なにが可笑しいのよ」
にらみつける木越母に柴浦母は、
「ご主人が先手を打ってたんでしょ。今日あたり桜子さんが優希君連れて来るからよろしく頼むって」
「葉子って変なカンだけ働くわよね」
木越母は苦い粉薬を水なしで飲まされたような顔をした。
「よかったな木越」
と言ってみた鉄。木越は額の冷却シートに手をあてたまま車の天井を眺めていた。
鉄がオテフセ団最大にして最後の悪事のその後を知ったのは診察を終えた木越母子を送ってからだったので夜も時をまわっていた。
しかもパソコンからの情報ではなくついに本家オテフセ団の悪事をテレビのニュース番組がトップでとりあげたのだ。
「犬の死骸が河原に転がってた……」
声に出して画面に食い入ってしまう。犬たちの死骸にはモザイクがかけられていたがインタビューを受ける職員や警官はもちろん、目撃者の殆どがハンカチで目をおさえながら空を指さして犬たちは虹を渡ったと主張して、オテフセ団は安易に犬を捨てる人間に警鐘を鳴らしたのだと語っていた。
オテフセ団は都市伝説ではないとオカルト研究家を名乗る大学教授やホラー作家や集団行動心理に詳しい精神科医が議論を闘わせていた。
女子アナがいままにでたオテフセ団の目撃情報を一覧表にして解説したが身に覚えのないネタも満載で、JR中央線中野~三鷹間を自殺防止というたすきをつけて走っただの、いじめっ子にカバン持ちをさせられていた小学生のカバンを持ってくれただの、痴漢の手をひっかいただの。立ち小便をしていたらイチモツをねじ曲げられただの。暴走族のバイクを走って追い抜いただの。ウエットタイプのドッグフードを与えたらお礼を言われただの。「そんなことしてねえよ」と突っ込みたくなるほどのラインナップが多々あった。
「妖怪かなにかの類なのかしらね」
母がのんびり言う。
「妖怪があんな趣味の悪いTシャツ着るかな」
とあえんが突っ込む。
『悪の秘密結社なら幼稚園バス乗っ取って総理に辞職しろと言って欲しいものですな』
インタビューで豪快に笑った国会議員は数日後辞職に追い込まれた。
「集団幻覚なんじゃないか」
緑茶をすする父はいたって冷静に意見を述べた。テレビではなく鉄に突っ込んでいるのは目線で明らかだ。
「え~、どうやって~」
テレビに向かって言っていると思っているあえんは父の発言を笑い飛ばした。母も笑って、
「催眠装置でも開発されたのかしら」
母は超能力よりは現実的な意見を述べた。
「お母さんそれいいセンいってるんじゃない。知らぬ間にあたしたち試されているのかも」
「こわいわね、だれがなんの目的でそんなもの作ったのかしら」
それを聞いて祖母が「うひょひょ」と笑う。
柴浦家の女性陣はそれで意見がまとまったようだ。
それ以後、オカルト、妖怪、集団催眠、宗教と様々なジャンルで話題になったが、本家が半年以上も活動をしなくなれば次第に風化していくわけで、次の年が明ける頃には「あったね~、そんなの」くらいになり果てていった。
翌春
去年も同じ日にこの掲示板の前に立っていた。違いといえば1年前は大雪だったが今日は晴天ということ。
「お兄ちゃん!」
涙あり笑いありの人混みのなか、両目にいっぱい涙を浮かべる妹の姿を認めた。
「あえん」
「えっえっ」
しゃくりあげながら走り寄ってくる。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんの番号があった」
鉄はずっこけた。
「うれしくて、うえ~ん」
「おいおい、そういうお前は」
「あたしが受かるのは当たり前じゃない、お兄ちゃんが受かってよかったよ」
鉄は苦笑いを返してあえんの頭に手をやった。
「おまえもおめでとう、がんばろうな」
あえんは鼻水までたれそうな勢いで頷いて、
「頑張るのは一度に2人分の授業料払わなきゃいけないお父さんだよ」
貯金通帳を開いて眉間にしわを寄せる父と母の姿が浮かぶ。
「それ言われたらなにがなんでも跡継がなきゃじゃねえか」
「よろしくね、お兄ちゃん」
内科医か整形外科医になるというあえんは笑顔で応えた。
「ふたりともおめでとう」
振り返ったところに木越がいた。
「木越さん! ありがとうございます!」
あえんの声は2オクターブほどあがっていた。
「これからもお兄ちゃんをよろしくお願いします!」
自分じゃなくておれなんだ、と鉄は思った。
「わざわざ出てきて大丈夫なのかよ」
本来なら休みの日は寝ていたい筈だ。
「痛みより心配のほうが勝っちゃってさ」
「それで見に来てくれたのか」
「合格させるって言った手前もあるし」
白い息を吐きながら手袋をしている手をさする。
「よかった、合格して」
やたら重みが感じられ、合格できたのは奇跡だったかもしれないとおもわされた。
「お兄ちゃん、あたし友だちと祝勝会行くから、夜家で。木越さんそれじゃ」
木越が頷くとあえんは手を振って友だちのところへ駆けて行った。
「さて、柴浦に昼飯おごってもらうか」
鉄は目が点になった。
「なんで、合格したのおれだろ」
「オレのおかげだろ」
「うっ」
鉄はひるんだ。木越の英語レッスンは予備校の先生より納得が出来たし、それ以上に木越がいなかったら医大受験自体諦めていたかもしれなかった。
「ファミレスのステーキでいいよ」
「高いぞ、それは」
「夜はすき焼き、楽しみだな」
「え、うちもだぜ」
「お宅にお邪魔するんだよ」
「お前今夜うちに来るの?」
柴浦家では代々受験に合格したらすき焼きをすることになっている。ここ2年はお流れになっていたのだが、今夜は晴れてパーティーだ。
「合格したら是非きてくださいってお前の親に誘われていたんだ」
「昼肉食って夜も肉かよ、胃は大丈夫なのか」
一生副作用が強いといわれる薬を飲み続けなくてはならない病気を抱えているわけで、患者によっては胃炎を起こして強力な胃薬を飲まなくてはならないこともある。
「念のため先週胃カメラやったんだ。さわぐほどの胃炎は認められなかった。松崎先生も喜んでた。それにリウマチの薬を飲むと副作用で腹が減るんだよ」
親が勧めた松崎クリニックは木越に合っていたようで体調に合わせた的確な薬をだしてくれるそうだ。月に2回、シオゾールという金製剤も打つようになった。前の病院で出し過ぎていた薬は徐々に減らし、漢方薬も出してくれる。体中の臓器に異常がないか定期的にチェックする。
「それはよかったな」
「親父も3ヶ月前から今夜の予定はあけておいたと言ってる」
「え! 親父さんも来るの」
木越は頷いた。
「前回オレのせいで松阪牛のすき焼きが食べれなかっただろ。根にもってるんだ」
鉄は涙がでそうになった。いや、でたかもしれない。
「母さんが柴浦のお母さんに電話して買い物の時間打ち合わせしてたぞ」
「お母さんも来るの?」
木越一家が押しかけて来るなどという話、鉄は聞いていなかった。
(おれなにも聞かされてないぞ)
「落ちたらお流れになる話だったから言えなかったんだろ」
親の気遣いに胸が熱くなった。
(よっぽど奇跡だったんだな、おれの合格)
「寒いところで立ち話はキツイな。はやく行こうぜ」
先を行こうとする木越のあとを追う鉄。
そこここいらで万歳三唱が聞こえてくる。鉄ははじめて学校から正門に通じる道に桜の木がが並んでいることに気付いた。
(今年から桜並木が見れるんだ)
この1年、色々なことがありすぎたが結果オーライだ。
(かえって真剣に合格しようという気になれたんだ)
鉄は心の中で木越の背中に手を合わせた。
「実は大学辞めようと思っていたんだ」
K医大の門をでたあたりで木越は切り出した。
「え?」
「去年の今日。退学届け出すためにここに来たんだ。朝から熱があったけど肺炎起こしてもかまわないくらいクサッてた」
「なんで」
言ってしまってから「ごめん」と鉄は付け加えた。
「偶然がっくり肩を落とす柴浦見つけて、なんとなくあとをつけた。退学届けはいつでもだせると思って」
「まじで」
あえんだけでなく木越にまであとをつけられていたのだ。ショックが強くてまったく気付かなかった自分が心底なさけない。
「山手線でたましいここにあらずのお前がどっかり座ったとき、たまってた嫌な塊が爆発したんだろうな。犬怪人がでてきた。家に帰ったらクロが両手をついて待っていたよ」
「オテフセ団と病状ってなにか関係があるのか」
鉄はつかさず尋ねる。オテフセ団出動のたびに木越の体調は悪くなっているような気がしたから。
「それは関係ないだろ。オテフセ団は安定した活動をしたが、病状は波がある」
「そうか、オテフセ団ださなきゃ病状よくなるんじゃないのか」
「変わらないよ。オテフセ団出さなくなっても病気は病気だ」
本人でも説明できないことはあるらしい。
「ああ、でも共通して言えることは苛々かな。苛々することが多い日は痛みもだるさも酷くなるしクロは秋田犬になる」
「クロはまだ現れるのか」
「母さんが帰って来てからはオレの部屋にしか出なくなったけど」
「大丈夫なのか」
「心配するな、去年ほどの鬱憤はないから」
ファミレスが見えてきた。
「ファミレスはドリンクバーがないと損した気になるよな」
と語る木越は母親が帰ってきた日以来オテフセ団を出していない。
木越母は息子の病気を知り、夫が同じクリニックに息子を連れて行こうとしていたことを知ったとき、面とむかって夫と話し合う覚悟を決めたという。
大学を休みがちな木越。病気の状態によっては留年するかもしれない。それでも医師免許をとることを目標に病気と向き合うと言った。ヒステリー症の母親も浮気性の父親も涙して「わたしがいるから」「私がいるから」と合唱したとかしないとか。
「子はかすがいだな」
「自分で言うなよ」
「冗談じゃなくてさ、オレが病気にならなかったらこうはならなかったよ」
「それは不幸中の幸いなのか」
「綺麗事は好きじゃないんだけど……不幸中の幸いくらいがちょうどいいのかね」
結果、木越一家は揃ってすき焼きを食べにやってくる。
ファミレスに入って禁煙席に通してもらう。ウエイトレスが木越しか見ていないのが不満だ。
(しかし凄かったな、オテフセ団は)
ひとりにひとつ大きなメニューがあてがわれ、どれにしようか迷いつつ、木越が高いものを頼みませんようにと祈る。ステーキの網焼き写真が鉄格子を連想させた。
(保健所の鉄格子は壊された形跡なかったんだよな、左右に引きちぎったのも幻覚か、じゃあどうやって犬たちはでれたんだ? 瞬間移動ってやつか?)
夜はすき焼きなのだからチキン焼きにしよう。おろしポン酢醤油、激辛アラビアータ、ハーブ風味。皮がパリッと焼けていてどれも美味しそうだ。
(オテフセ団が人間に与えた影響はあったよな。座席を譲ろうキャンペーンとか歩きタバコ禁止キャンペーンとか犬を捨てるなキャンペーンとか)
長続きして欲しいものだと思う。
(虹を渡った野良犬たちは笑顔浮かべて死んだんだよな……あの虹はどういう仕組みだったんだろう……オテフセ団は犬の生命をいたずらに奪ったのかな。いや、ガス室送りになる運命だった。飼い主の声を聞いた2匹は逃げていったわけだし、犬たちは幸せな顔をしていたと現場にいた人間たちはみんなオテフセ団を責めなかったし……いや違う)
責めなかったのは現場にいた人だけ。テレビ番組で話半分しか聞いていないタレントが次は人間を安楽死させる気だと言った。スタジオが騒然となった。
(オテフセ団を殺戮集団にしたてようとする……なんで同じ人間なのにその場にいた人といない人では受け取り方がこうも違ってくるんだろう……)
鉄はメニューから目を離し、声にだして尋ねた。
「お前の能力って、危険なものなのかな」
木越はメニューから目を離さずに淡々と。
「今更なに言ってんだよ、団員のくせに」
(そうだった、おれは木越のコマンドに応じてオスワリ、オテ、フセをやってしまったんだ……いや待て、あれになにか意味があったのか?)
「あるわけないだろ」
(なんてこった、からかわれたのか)
木越は平然とメニューをめくる。
テレビの真夜中討論番組ではオテフセ団について犬の命なら奪ってもいいのか、その時点で殺戮集団だと言われた。
(おれは違うと思う。オテフセ団は悪の秘密結社だけど、ツバ飛ばしながら殺戮集団と繰り返すヤツのほうがよっぽど真っ黒に見えた。第一、秘密結社の秘密部分知ったらあきれるぞ。すき焼きは肉しかとらないわ、人をおちょくるのが好きだわ。家出したお母さんが戻ってきて松崎クリニックに運ばれたときなんかめそめそしてたし、そんなガキんちょみたいなヤツの不平不満が秘密の中心部分なんだ、オテフセ団は家庭の事情と病気を苦にしたそれはそれはカワイソウな医大生から生み出された我が儘の抽出物なんだ、驚いたかコンチクショウ)
「いろいろ考えてくれてありがとな」
(クッソ~、礼なんかいってんじゃねーよ。おれはいまおろしポン酢醤油にするかハーブ風味にするかでなやんでんだ)
「柴浦に再会してなかったら今日の自分は違う自分だったんだろうな」
(それはおれもだよ)
「友だちっていうのも、あなどれないもんだな。こんなことなら小宮山以外のやつらともメルアド交換するんだった」
(そうだな)
と思いつつ、夜が和風にすき焼きだから洋風なハーブ風味焼きにしようと決めた。
「ヒレステーキ200グラムオニオンソース、ライス、サラダのドリンクバーセットでよろしくでしゅ」
木越はメニューから目を離した。
「それじゃあ店員をよぶでちゅ」
鉄は店員を呼ぶべくテーブルにあるボタンを肩をたたくように押した。
END
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