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 俯いている目の前の彼が口に出さなくても何を言いたいのかは予想がついた。もう、潮時なのだ。初めて会った頃の熱い眼差しなどとうに冷めきっていて、彼にとっては違和感の気まずさが限界なのだろう。またダメなのか、そう諦めることにも慣れてきていた。アキにしか見えていない、いびつな赤い糸の結び目を拾い上げて、解いた。今までで一番長く続いたのに、と思ったが、意に介さない接ぎ木の糸は簡単に元の二本の切れ端に戻った。何もくっついてはいない。彼の糸の端から、しゅるしゅると、更に細い糸切れが伸び始めて、アキを素通りしてどこかへ向かって行った。無理やりに千切ったそれは、一度千切られてもまた同じ相手へと繋がりにいく。今までの相手は皆同じく、そうなってきた。 「別れようか、俺たち」  なかなか言い出さない彼に変わって終わりを告げた。彼の為を思ったわけではない、これ以上長居してはアキ自身が辛い思いをするからだ。無言でただ一度頷いた彼を後目にカフェの伝票を掴んでレジカウンターへと向かった。会計を済まして伝票を受け取った時には彼が誰かと電話で話している声が遠くボソボソと聞こえた。糸はもう正しく繋がり終わったのだろう。店の外に出て、週末の浮かれた街中に反して独りのむなしさしかない足取りで駅に向かいながら、自分の赤い糸の端を掴みあげて見た。今まで一度も他の糸と繋がったことのないそれは、新品そのもののきれいな断面で、2年近く結ばれていた痕も最早見当たらない。結び方が違うとかそういう問題ではないことはいい加減分かっていた。人の恋路を邪魔していることも分かっていた。いくらアキが邪魔しても結局は収まる所には収まってしまうのだ。好きになった相手の糸は皆誰かと繋がっていた。  物心ついた頃には赤い糸が見えていた。アキにとっては当たり前に見えていたものだったので、それが、他の人々には見えないものだという事、何を示しているものかという事かは特に興味が無くて気にしていなかったが、ある日気づけば両親の間に繋がっていたそれは、それぞれ家の外へと向かって伸びていて不思議に思った。アキが中学に上がる前に親は離婚したので母親と一緒に家を出た。新しい家で待っていた新しい父親と母親の糸は繋がっていて、少しまだ色味が馴染んでいなかったが、しっかりと一本の赤い糸に馴染もうとしていた。その頃には『運命の赤い糸』という言葉の意味も分かっていて、それは好き合っている二人の間にあるものだと思った。だから一度繋がっても切れてしまうこともあるし、また、別な糸と繋がれることもあるのだと知った。  初めての彼女は塾の同じクラスの子で、ちゃんと両想いで付き合い始めたのに糸が繋がる様子が無いことを気にはしたが、その内繋がるのだろうと思っていた。塾の帰りに隣のクラスの男子に彼女が呼び止められて、幼馴染みだと教えてもらったことがあるその男子と彼女の糸が繋がっていることに気づいてしまった。家が近所で中学も同じだという二人は兄弟のように仲がいいとは思っていたが、彼女が好きなのはアキのはずなのに、アキではない相手と糸が繋がっていることに苛立ちを覚えて、彼女の糸を千切った。糸は簡単に千切れてボソボソとした断面は、少しするとしゅるしゅると不格好に伸び始めて、アキではなく、例の男子の千切れた糸へと向かっていった。そしてまた二人の間の赤い糸は繋がった。  受験勉強で忙しくなると彼女と会う機会も少なくなり、志望校も違ったので、自然消滅のように別れていた。別れる運命だったのだと赤い糸は言っていたのかもしれない。  高校で好きになった長い黒髪がきれいな彼女の糸は既に誰かと繋がっていて、その相手は数学の教師だった。そして、その教師から告白されたのはアキだった。同性だということよりも糸の繋がっていない自分に何故、という困惑の方が強く、同時に、アキが付き合えば彼女と教師の糸は切れるのだろうか、という下心があり告白を受け入れることにした。数ヶ月経ち、準備室の窓から見えた後ろ姿の彼女が手を繋いで帰ってゆく相手と糸も繋がっていて、あれ? と思い傍に寄ってきた教師の足下の糸を見ると廊下の方へと伸びていた。「どうかした?」と小さく笑いながら顔が近づいてきて、その意図を察して瞼を閉じることが自然と身についてきたその頃にはもう手遅れで、でも、好きになっていた彼の左手に指輪が現れるようになるのはそのすぐ後だった。  何度目かの失恋の時に飲みに付き合ってくれた大学の友人の糸を、酔った勢いで千切ってみたら、その翌日に友人は彼女と別れたと言った。糸はアキが千切ったままの状態で、他の糸と繋がろうとはしない様子だった。……これは、どういうことだろうか、と初めての現象に密かに心臓が高鳴った。彼女の事を話す彼の顔に、恋をしている人の笑顔に、その目で自分のことを見てくれないだろうか、と憧れていた。今目の前には、誰とも繋がっていない糸の端が、二つある。これは、そういうことだろうか……? とアキの糸と結んでみた。その数時間後には付き合うことになり、今までどうしてこの方法に気が付かなかったのだろうかと過去のことを悔いたが、今が幸せならそれで十分だった。赤い糸で結ばれていなければ、結べばいいのだ。と、いう考えは甘かったのだと数日経って気付かされた。  付き合い始めの盛り上がりが最高潮で、後はただ冷めて下降していく一方だったのは彼の方で、アキの気持ちだけが取り残されて、空回りした。泣き落としが効いたのは数回で、次第に避けられていくのは明らかだった。アキの方も段々と辛くなって、もう千切ってしまおうと思った赤い糸は、結んだ時のままで、簡単に解けた。アキの糸から解放された彼の糸はすぐに千切れた先が伸びて、どこかへ向かい、数日後には大学構内で別れた彼女と彼が一緒にいる姿を見かけることになった。ただ、アキが二人の糸を邪魔していただけだったのだ。でもそれを素直に認めたくはなかった。本当に好きだと思ったから、この人と糸が繋がっていたらいいなと思ったから、結んだだけで、ただそれだけで。アキの糸の先はどこにも伸びようとはしなかった。  失恋した相手の姿が日常的に目に入るのは辛くて、同じ職場の人に気持ちが向かないように、いつからか通うようになった店に向かった。さっき別れてきた彼とは別な場所で知り合ったが、失恋した時など一晩限りの相手を探す時によく利用している店だった。薄暗く落ち着いていて一人飲んでいても浮かない、男女限らず利用できる店だ。先客が数人いて、カウンター席に腰掛けると微笑みながら静かな声で「お久しぶりです」と言いながらおしぼりを差し出される。注文をする前にシェイカーの軽快な音が響いて、目の前に置かれたのはグラスホッパーだった。そのカクテルの意味する所に、今夜アキが店を訪れた意味を察しての誘いなのだろうか、と上目遣いでちらり店主の顔色を窺うと蠱惑的に微笑まれた。今までも何度か寝たことがあったので、それもいいかもしれない、と気持ちが揺らいで、ねぇ、と内緒話をするように顔をそちらに寄せた。 「今日何時に閉めるの?」  ふふっと笑い声を漏らした彼が片手を添えて耳打ちしようとした時、うっ、と嗚咽を漏らす声が聞こえて、思わずそちらを向いた。カウンターの端、二席向こう側で突っ伏している男が、肩を少し揺らしていた。驚いてポカンとしていると、手の甲を指先でトントンと叩かれた。店主の方に向き直ると唇の前に人差し指を一本立てて、しー、と声に出さずに言われた。そうっとしておいた方がいい客、ということだろうが、自分だって気にしてもらいたい状況だということを思い出して拗ねる様な顔で唇を尖らせた。その唇に軽く指先で触れて、「あと1、2時間、待てるなら」と囁いた後テーブル席の客に会計で呼ばれたのか彼は離れていった。腕時計を確認すると終電まで30分ほどしかなかった。ミントカラーのカクテルを口に運んで、これを飲んで帰るか、あと数時間待つか……と少し悩み、常連客だったのかテーブル客の元からなかなか戻ってこない店主の方をちらっと見たが、その二人連れを除けばカウンターにいるアキと泣いている様子の男の、二人しか店内に客はいなかった。ということは、カウンターの男が帰れば早く店を閉められるのではないか? と気づいた。いつもの閉店時間はそこまで深くはない。少し苛立ちもあってカウンターの席を詰めて男の隣に移動した。アキが隣に座ったことに気づいたのか気づいていないのか、近くにくるとより男が泣いている様子が分かった。 「……大丈夫?」  一応気遣うように努めて優しい声音で尋ねると、ピクリ男の肩は反応した。数秒間が空き、ゆっくりと頭を上げた男は、手の平で目元を拭いながらアキの顔を見つめてきた。眉は下がり赤く、濡れた目元のその顔は、予想外にとても整った顔立ちで、泣き顔でもそう思える程の美形だった。男は一度頷き、口を開いた。 「大丈夫、じゃない」  言動が矛盾していることから、相当に傷心のようだ。……どうしたものか、と迂闊に声をかけてしまったことを後悔したが、男は何かアキが言うのを待っているようなので、もう後には退けなくなってしまった。 「良かったら、話、聞くけど……」  渋々そう言ってやると、驚いたように軽く目を見開いたあと、目を細めて微笑んだその顔は、眩しかった。  話を聞くと男が泣いていた理由は、結婚目前だった彼女に浮気されていて、しかもその浮気相手との間に子供ができていたということで破談になったということだった。まぁ、人それぞれの好みがあるだろうが、顔だけでなく座っている体勢でもよく見れば上背がありそうなことが分かりスタイルも良さげなこんなイケメンでも浮気されるんだな、と、元々はノンケだった恋人に結果失恋した自分が無理ないなぁと思えてきた。無理やり糸を結んで繋いだ錯覚だったのだろうが、それでも仮に赤い糸を繋いだ瞬間は本当に恋に落ちたように、好きでいてくれたんだ、と小さく溜め息が漏れた。それでもいつかは目が覚めてしまう。 「なんか俺ばっかり……すみません」  溜め息の理由を勘違いした男が、少し伸びた背中をまた丸めて謝ってくる。 「いや、いいって。話聞くって言ったの俺だし」  自分自身の後ろ向きな思考を誤魔化そうと煙草を一本取り出して咥えると、目の前に灰皿が滑るように置かれた。一瞬意味深に店主と目が合った後、あっ、と隣の男に顔を向けた。 「煙草、いい?」  返事の代わりに男はライターの火を灯して差し出してきた。 「どうぞ」  反射的に煙草をそれに寄せて火を使わせてもらった。ゆっくりと吸い込んで、横に煙を吐き出す。アキのライターはポケットに入ったままだった。男も喫煙者なのだろう。そういえば、とぽつり呟いた。 「彼女も、前まで吸ってたのに、数ヶ月前から全く吸わなくなったんです……その頃には妊娠が分かってたんだ……」  じわっ、と男の目元に再び涙が浮かんできて両手で顔を覆って俯いた。あ、やばい、と焦って灰皿に煙草を置いて背中をさすってやると少し震えているのが手の平を通して伝わってきた。これはもう、どうあっても立ち直れないんじゃないだろうか……と気が遠くなりかけた時に、彼の糸の先が目に入った。途切れたままのそれは、アキが無理に千切った先端よりも荒れてはいないが少しささくれ立っていて、一度は繋がったものが切れてしまったのだろうと思えた。何か新鮮な気がして拾い上げて、気付いた。当然と言えばそうなのだが、今までアキが気にしてきた赤い糸は既に誰かと繋がっていて、アキが好きになる相手は誰かと繋がっている状態のものばかりで、それ以外の人の糸を気にすることはあまりなかったからだった。そうか、自分以外の失恋した人の糸の先はこうなっているのか……としみじみと思い、もしこれを他の人と結んだら、一時的な錯覚でも立ち直るだろうか、と考えた。今日家に帰るまで立ち直ってくれれば、まぁ、いいだろう、とアキの糸の端と結んだ。ぽんぽん、と背中を叩いてやった。 「その内いいことがあるって」  吸いさしを手にとってまた息を吸う。ぐすっ、と鼻を啜る音が響いたあと、涙は止まったのか静かになった。 「………それ、」 「ん?」  横を向くと思ったよりも近い距離で真っ直ぐにこちらを見ている目とぶつかり、驚いて、何を言われているのか分からずに固まると、目は逸らさないままで煙草を持つ手を軽く握られた。 「もらってもいい?」  そのまま手を引っ張られて、アキの手の平に口づけるように一口吸ったあと、顔を逸らして煙を細く吐き出した。手を軽く押し戻すように離される。 「ありがとう」  涙袋を押し上げて微笑まれて、急な緊張に戸惑いながら目を逸らし、煙草を口に運ぶと自分が飲んだものとは別なアルコールの香りがほんのり漂って、やにわに胸の鼓動が速くなった。確かにいい男だとは思ったが、それと好みかどうかは別問題だ。本当に迂闊なことはするものではない。考えてみれば今までアキから好きになった相手としか糸を結んでみたことはなかったので、気の無い相手と結んだ時にどういう気持ちになるのか知らなかった。今後は気を付けよう……と糸を解く為に空いている手を伸ばすと、それを掴まれた。 「お兄さん、優しいね」  そうじゃない、と思っても、親指の腹でゆっくり、撫でられて、首の後ろが熱くなってきた。手の平にじわり、汗が滲む。違うと分かっていても、嫌な気は決してしない。本当の気持ちじゃなくても、胸が苦しくなるその感情を知っている。  ぬるり、熱く柔らかい舌と舌が絡まり、そういえばキスも久しくしていなかったと思い出した。甘い息苦しさに頭がぼうっとする。口づけは続けたままでホテルのベッドに少しずつ押し倒されて、太腿を撫でられる。ねだるように首を捻ると舌を吸われて、呼吸ごと飲み込まれてしまう。唇が離れていこうとするのでそれを追いかけて首を伸ばし、両手で二の腕を掴むと鼻から笑い声が漏れたのを感じた。頭を撫でられて、宥められながら舌が引き抜かれると、だらり二人分の唾液が口に垂れてきて顎まで生暖かく濡れた。それに舌を這われて舐められ、首筋や耳にも舌の熱を感じると、ぞくぞくとして、あっ、と声が漏れた。耳の後ろに吸い付かれて、服の中に手が差し込まれて直に肌を撫でられると下半身に熱が集まる。 「耳弱い?」  耳に直に息がかかりながら囁かれて、湿った熱さに眩暈が起こりそうで何も言えずに、ごくりと音を立てて息を飲みこんだ。胸元の突起を爪の先で軽く引っかかれて、思わず甘ったるい声が出てしまい、手で口を塞いだが、その手はすぐにはがされた。 「可愛い声我慢しないで」  ちゅっちゅ、と唇を吸われてから胸元に同じ熱を感じて、先端を舌先でくすぐられて、あっ、あっ、と声を上げる。我慢など放棄しているつもりだったが、いつの間にかベルトを外されて前を寛げられ、ボトムスを脱がされて下着にも手をかけられた時、なけなしの理性が働いて男の手を掴んだ。 「あの、男、だけど、」 「そんなの気にしない」  今さら、と短く笑われて臍の辺りに口づけられる。下着を脱がされながら既に立ち上がっているものに布が引っ掛かるのが見なくても分かって羞恥に顔が熱くなり枕に顔を埋めた。優しく、握り込まれて、より自らが硬くなるのを感じた。上下に扱かれると直接的な快感に腰が揺れる。 「んっ、んっ、んっ、」  枕が自分の唾液で濡れてくるのが気持ち悪いが、室内灯があまりにも明るいままで、同性の男である自分の卑しい姿を晒すのが怖かった。あと、もう少しで、という所で急に手の動きが止まった。えっ、と顔を上げると、影が落ちてきて覆いかぶさるように顔が近づいてきて額にキスを落とされた。 「入れてもいい?」 「うん、あ、待って、」  ベッドサイドに手を伸ばしたけど上手く取れずにいると、うん、そうか、と言いながら男が代わりにローションのボトルを手にした。それを受け取ろうとするも、渡してくれなかった。 「自分でやるから、」 「いいよ」 「男……初めてだろ?」 「そう、だから教えて」  にっこり笑う男には余裕さえ見えて、少し悔しかった。けれども半端に煽られた体が辛くて、折れることにするしかない。 「指まだ増やす?」 「んっ、も、いい」  二本の指で中を擦られているだけで先端から透明な体液が糸を引いて、たら、たら、と零れてしまっている。早く、男のものが欲しいと、指をきゅっと締め付ける。ふふっと声を出して笑った男は言う事を聞かずに指を3本に増やしてきたので足の裏で胸を蹴り返して無理矢理体を離した。 「もう、いいって」 「乱暴だなぁ」  文句を無視して男の股間に顔を寄せると、硬く立ち上がっていたそれに安堵して舌を伸ばした。裏側を舌からゆっくり舐め上げていくと、んっ、と声が漏れ聞こえて嬉しくなる。先の割れ目に軽く吸い付いてから、開封したコンドームを開けた口で挟んだまま一気に咥え込む。喉の奥まで届く前で咽そうになったので口から出して、残りは指と舌で根本までゴムを伸ばしていく。耳を掴むように親指で撫でられた。 「……えっろ」 「おっきい、ね」  顔を上げる両脇を持ち上げられるように引きずり上げられて、再び押し倒されて、顔が近づいてきたので、ゴム臭いから、と逸らすと、「大丈夫」と言われて下唇を舐められて、唇を吸われた。 「早く入れたい」  はぁ、と吐息混じりに囁かれて、触れられていないのに先走りがまた新しく垂れてくる。体を少し横に倒して、左膝を抱え上げて見せる。 「早く、入れて」 「あのさ、」  ぐっと先端を当てられて、ずずっ、ずぷ、と一番太い所まで入れられると、その後は一気に押し込まれ、擦り広げられた快感に軽く達してしまった。力が入りぎゅうっと中を締め付けてしまうと、あっ、きつい、と言いながらも腰を使って出し入れされて擦られて、その度にぴゅっぴゅと小さな射精を繰り返した。 「あっ、ぁ、あ、あ、あっ、待って、」 「名前、教えて、」 「えっ? あ、ぁ、アキ、」 「字は、どう書くの?」 「んっ、教えな、いっ」  一度動きを止めたと、思うと、繋がりはそのままに、並んで横向きに寝るように後ろから抱え込まれて、体を密着したまま揺すられて、ベッドがより断続的にギッギッと軋む音を立てた。耳のすぐ後ろで、はぁ、はぁ、と荒い息が聞こえて、小さな声で何度も名前を呼ばれる。 「アキ、気持ちいいね」  聴覚も含め体中で男の熱を感じて嬌声以外に何か口にする思考がまとまらなくて、ただ胸の前に回されている二本の腕を、しっかりと抱きしめた。  吐精したそれを、ずるっと引き抜かれて、さっきまで体の一部のようだったものが無くなった寂しさに、じんわり目元が熱を持った。涙が出ないように眉間を寄せて瞼を閉じるとそこへと口付けを落とされる。 「どうかした?」 「……なんでもない」  誤魔化しの赤い糸の繋がりで始まる偽りの気持ちは、いつかは終わってしまうことは嫌でも知っている。それは明日や今日中、数時間、数分後かもしれない。目が覚めてしまえば、彼は同性の男と寝たことを後悔するかもしれない。糸の結び目を手繰り寄せて、目の前に置く。早く、解放してあげないと。 「具合悪い? 体、大丈夫?」  気遣うように優しく、頭を撫でられる。その手の温かさに、気持ちは揺らいで、胸が詰まりそうになる。何も知らない、名前さえも知らない相手に、抱くこんな気持ちなんて、まやかし以外の何ものでもない。それでも体は今の自分に正直に動き、結び目を視界に入らない所へ放り投げた。 「……名前、」  起き上がると頭に置かれた手はそのままで、撫で続ける。 「教えて?」  上目遣いで顔を見ると、額がこつり、合わされて呼気のかかる距離で「カズシ」と言われ、持ち上げられた手の平に指で逆さに漢字で『一志』と書かれた。 「アキも今度でいいから漢字教えてね」 「今度……」  そんなものあってもいいのだろうか、と罪悪感が募るが、今は考えないことにした。下から掬うように唇を重ねて、一志(かずし)、と名前を呼ぶ。 「もう一回、する?」  肩に顔を埋め、抱きつくように背中に腕を回す。願わくは、まだ現実に戻らないでいて欲しいと。首筋から背中を、ゆっくり、ゆっくり撫でられる。 「体大丈夫?」 「うん、全然平気」 「本当に?」 「本当に。あの、それと……もし嫌じゃなかったら、次は生で、いいから」 「俺は嫌じゃないけど、」 「いっぱい中に出して」 「………」  少しの沈黙が訪れて、さすがに引かれただろうか……と後悔していると、抱きしめたままに勢いよくベッドに押し倒された。一瞬何が起こったのか分からずに呆気に取られていると、重なる体が少し離れて、少し睨んでいるようにも見える強い眼差しで目を、じっと覗かれて、親指の腹で、ぐいっと唇を押し上げられた。 「……大人しそうな顔して、本当にいやらしい子だなぁ」 「いやらしいのは、嫌?」 「嫌じゃない……好きだよ」  首を捻って、キスを落とされる。 「アキ、好きだよ……」  啄むようなキスで何度も唇をくすぐられる。 「…………俺も、」  好き、と言った言葉は二つの唇の間に消えていった。 つづく
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