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I Ain't Gonna Stand for It
ひそやかな声が聞こえる。
「朱鷺ちゃん、『カクテル』って何です?」
緑が朱鷺子の頭をドライヤーで乾かしている。赤瀬が何か浴室に向かって怒鳴っている。どうせ三人で風呂に入ろうとか言われたんだろう。あの童貞には無理だ。
「ああ……桐壺グループお抱えの殺し屋だよ。親父は多分取引までにそれを寄越すだろうね。全員女なの。親父はマッチョが嫌いだから。二人で一組なんだ。度が強い『カクテル』の名前ほど強いんだってさ。」
「会ったことあるの?」
「ないよ。何人いるかも知らない。明日にはわたしの指が届くんだろうな。」
朱鷺子は緑の髪を乾かそうとドライヤーを交代した。緑は眼鏡を外して気持ち良さそうに目を閉じている。
「うーん、生配信で犯行声明ってどうするもんなのかなあ」
「緑、今のうちにガス栓切って。警報機先に取れよ。あの女全くキッチン使ってないぞ。やってやれ。言葉で教えてやる必要なんてない。」
耳元で囁くと緑が眼鏡をかけて、とろんとした緑色の瞳で朱鷺子を見つめた。
「朱鷺ちゃん、タバコは我慢ですよ?」
赤瀬は今日の分の抗うつ薬を飲んでいないので苛々していた。もう家に帰りたい。
「いい加減にしてください。こんな狭い風呂に三人で入れるわけがないでしょう?」
服を着たまま赤瀬が浴室に入ると、カーテンの引かれたユニットバスで、黒澤が青桐を沈めていた。道理でやたらと静かになった後バシャバシャやってるとは思ってたんだ。
「黒澤、」
「こいつ、困らせようとしやがって」
大きなため息をついて、赤瀬は礼を述べた。
ヘアアイロンのコードで絞殺した黒澤は、指紋がつかないようよく洗い、風呂の蓋をバタンと閉じて、青桐を浴槽に収納した。
「黒澤、服を着たらどうだろう」
「お前もシャワー浴びろ。」
「死体とシャワーか、最高だな」
「朱鷺子、あいつ生配信なんかするつもりないぞ。多分俺たちが来てからの会話は配信は知らないが録られてる可能性がある」
「わかったわかった。言う通りにするよ。汚れた服はゴミ袋にみんな入れといてくれ。」
声が上ずった赤瀬はそこまで言うと浴室の扉を閉めて、自分がひどく興奮していることに気付いた。黒澤が自分のために人を殺した!今度は本当に!嘘じゃない!どうしよう!まずい、まずい、駄目だ!そう思いながら赤瀬は水シャワーを浴びて、火照りを冷ました。赤瀬は、風呂の蓋を開けなかった。
「赤瀬あいつ薬飲んでないんだけど」
黒澤が少し苛々した様子でソファに腰掛けた。朱鷺子は勝手に寛いでいる。
「黒澤くん、そんなこともあると思って緑が一緒に来てるの。赤瀬くんの薬はこちらで用意するわ。」
「赤瀬くんが出てきたら、また移動ですね。『カクテル』が明日にも動き出しそうです」
「はあ、お待たせしました。どうするんですか、あの人殺しちゃって。」
「赤瀬くん、『ファイトクラブ』よ。わたしがタイラー・ダーデンなの。」
「道理でガス臭いと思った。本当に最低だ、あんたら」
プリウスが青桐のアパートを出て、数時間後。冷蔵庫のコンプレッサーの火花が原因だった。深夜、音だけの配信に突如切り替わった青桐の生配信は、未明に青桐のアパートが大音量で爆発され配信が終了したのを赤瀬は聞いた。
「あの女、親父に取り入ってたから一番最初に潰さなきゃダメだったんだよ。」
まるで言い訳のように朱鷺子は繰り返した。
「追っ手が来るんでしょ?」
まだ朝早く、モーテルのベッドでうとうとしながら赤瀬は憂鬱な気分で朱鷺子に尋ねた。四人で寝るには狭すぎるが仕方ない。黒澤はすやすや眠っている。緑は床で薬品を丁寧に整理している。
「来るでしょうね、きっと。でも、わたしはパパからお金を奪って、絶対に自由になる」
そう言ってまた眠る朱鷺子は眠り姫のようにも、奴隷のようにも見える。
浴槽では耐水紙を抱えて水に浸かった青桐さやかが発見された。
『パパ助けて!10億円出さないと殺される!一人で来て!8/3 ボン・キホーテ桐壺店屋上にて 朱鷺子』
赤瀬はこれまでずっと、休学中にアルプラゾラムをいくつ飲んでも、抗うつ薬をいくら飲んでも、いくつ暴力映画を観ても、憂鬱な気持ちと怒りが渦巻いて仕方がなかった。
しかし、アパートの爆発のニュースを見るたびに体が透き通って胸は空っぽになり、青桐を沈めた時の黒澤の表情を反芻するたびに頭が冬の突き抜けた青空のように感じた。
もう我慢しなくていい。
赤瀬は、きっともう自分は我慢しないだろうと思った。
赤瀬を癒すのは愛だの恋だの絆だのではなかった。ただ、黒澤の振るう暴力の手触りだけが彼を突き動かすことを知った。
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