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場面一 恋の重荷(二)
「恋の重荷?」
島が問い返すと、木原は気のない様子で説明する。
「庭師のジイサんがやんごとなき女御に懸想ばして、そいを知った女御に「恋の重荷」て重か荷を与えられる話じゃ。持ち上げて庭ば回ったら姿ば拝ましてやろうて言われて頑張るが、結局は持ち上げられんまま死んで、女御ば恨んで祟って出る。「思い」と「重荷」が通じとっとじゃ」
木原は荷物から矢立を取り出し、筆を手に取った。
「団にょ、世徳への知らせじゃが―――」
「そいで終わりか」
「何じゃ、こがん話の面白かと?」
木原は面倒くさそうに言ったが、手に持った筆を一旦置く。
「まあ、血筋かの? つね叔母が好きな曲じゃ」
「母上が?」
つねは島の母の名で、木原の父の妹にあたる。親族揃って近所に住んでいるので、従兄弟といっても互いに兄弟同然、相手の親は親も同然、という親密さだ。
「女御は老人ば気の毒に思う。老人は散々恨み言ば言うが、とうとう、跡ば弔ってくれっとなら、こん深か恨みもいつかは溶けて、女御よ、御身が守護神となろう、と語る。
思ひの煙立ち別れ、稲葉の山風吹き乱れ、恋路の闇に迷ふとも、
あと弔はばその怨は、霜か雪か霰か、終ひには跡も消えぬべし
とまあ、こん位でよかか。興味のあっとなら、謡いん本ぐらい明善堂にあっとじゃろ」
明善堂は、江戸藩邸内にある藩校である。
「いや、すまん。わさん、よう覚えとっとじゃな」
「こんぐらい、武士の嗜みじゃ」
「そうか」
島は苦笑する。文の一家、と一応郷里では言われている島一族なのだが、実のところ、島自身は文章関係がそれほど得意ではない。年少ではあっても、この木原の方がよほど巧みかもしれない。
「で、世徳には何と書き送っと?」
枝吉世徳は、島と木原の従兄で、年は島と同じ二十四歳である。去年、藩命で一足先に江戸へ留学し、今は幕府の学校である昌平坂学問所―――場所は江戸城の北、神田明神の近くにある―――で学んでいる。神童と言われ、二十歳前には藩の学者から「大家」とまで賞賛されたという、天才肌の男である。
「あれは、着いたとなれば明日にでも行ってやらんと機嫌を損ねよう」
島は言った。枝吉は基本的に陽気で豪快だが、一面ひどく神経質で癇癪持ちなところがある。
ちなみに「世徳」は「名」ではなく対外的な「字(あざな)」で、名を経種という。島も幼い頃はそう呼んでいたのだが、十歳にもならぬ頃に名前で呼ぶなと拒まれたため、今では世徳と呼んでいる。独立心の強い枝吉は、どうやら年端も行かぬうちに早々に「身内」的な馴れ合いに抵抗を覚えたものらしい。
そうじゃの、と木原は同意したが、わずかに困った顔をする。
「ばってん、着いて早々じゃが、おいは明日、上野に届けもんばことづかっとっけん、そっちへ行かんばならん」
じゃあ明日じゃな、という返事を予測していただけに、島は言葉に詰まった。
「………そりゃ、延ばせんのか」
「無理じゃ。確実に捕まえるなら塾がある二のつく日に行けと言われとっけん、明日を逃すと下手すっと十日遅れる。わさん、とりあえず一人で行って挨拶ばしてきてくれんか」
二のつく日。つまり二日、十二日、二二日だから、確かに明日十二日を逃せば十日遅れる。
だが、ちょっと。
とある事情で―――枝吉と二人で会うのは、今回だけは遠慮したい。
「十三日には、戻るか」
「戻るつもりじゃが、明日は多分飲んで帰るじゃろうから、泊るかもしれんし、何時になっか判らん。おいが行くとすっと明後日になっぞ」
木原は口を尖らせる。
「何じゃわさん、遠慮する仲でんなし。一人で行ってくりゃよかろう」
「いや、その―――」
返事に窮し、島は無意識に服を握った。木原はしばらく黙っていたが、はあ、とわざとらしく大きなため息をついた。
「機嫌ば損のうてん、おいは知らんけんな。世徳は確実に、おいよっかわさんにきつう当たっぞ」
「………」
そうだ。
数多い従兄弟の中でも、島と枝吉の二人が同年で最年長になる。長男気質の枝吉は基本的に年下には優しいが、島に対してだけは理不尽なほど一切容赦しない。
それはそれで怖い―――が。
島の煮え切らない態度に、木原はやや呆れた様子だったが、もう一つため息をついてから、紙に筆を走らせ始めた。
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