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場面四 わだつみ(一)
島は、表戸を遠慮がちに叩いた。
返事はない。躊躇いがちに扉に手をかけると、戸締まりはされていなかった。
戸を引き、島は中に入った。
部屋は片付いていた。枝吉はまだ起きていて、灯をつけて本を読んでいる。傍らにあるのが徳利なので、まだ飲んでいるようだ。
「世徳」
「忘れ物か」
枝吉は顔を上げずに尋ねた。
「いや、その………ちかっと………」
躊躇いを吹っ切ろうと、島はぶるぶるとかぶりを振った。酔った頭がズキズキと痛む。
「その―――すまん」
「弘三郎はどがんした」
島の謝罪を聞いたのか聞かなかったのか、本に目を落としたまま枝吉が言った。
「弘三郎がおらん場では会いとうなかと、わさんが言うたとじゃろ」
突き放すように言われて、島は唇を噛む。
「………すまん、そがんつもりは」
半端な情ならかけない方がいい。
確かにそうだ。大切な友の深い思いに、生半可な肚では向き合えない。
その刺々しさに、どうしたらよいか判らずに俯いていると、ゴトん、という鈍い音がして、何事かと顔を上げた視界に、徳利が大写しになった。
「うわっ!」
咄嗟にしゃがみ込んだ背後で、徳利は壁にぶつかり、ガシャんと音を立てて砕けた。
「世徳―――」
「帰れ!」
枝吉が、銅鑼のような声で一喝した。炯々と光る眸が、怒りに燃えてこちらを真っ直ぐに睨みつけてくる。
友の激情に、一体どう応じたらいいのか判らない。島は額を押さえた。
嘘も気休めも通用しない。この男には見抜かれる。
「世徳、こんままでは駄目か」
思いの深きはわだつみのごとし―――枝吉の思いの深さは、多分、島のそれとは比較にならない。だが、たとえ半端な情でしかなくても、島にぶつけられるものはそれしかない。
「こんままのおいでは駄目か。わさんの気持ちに触れて、こん身体を繋いで、ばってん、おいがわさんを友と思う気持ちは、そん前と後で少しも変わらん。わさんを抱きたいとも抱かれたいとも正直思わん。ばってん、わさんと身体ば交わすんを嫌じゃとも思わん。おいにはそれで精一杯じゃ」
枝吉は文机の前にあぐらをかき、島を睨みつけたまま微動だにしない。
「わさんが好きじゃ。わさんが望むならこん身体ぐらいくれてやる。わさんは大事な友じゃけん、失うのだけは絶対に嫌じゃ」
激(げき)しすぎて涙が出そうだ。島は強く瞬きをした。
ゆらゆらと、枝吉の傍らで灯火が揺れている。
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