写真でめぐる昔旅♪~伊勢神宮その2~

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 御贄地。  みにえどころ、と読む。  皇大神宮に奉るお供え物を採るところのこと。  天照大御神が皇大神宮に鎮座された後、倭姫命がこの御贄地を定めるため、志摩を巡行した。  その後、伊佐波登美命がこの地に神殿を創建し、御魂を祀った。  これが、伊雑宮の創建について伝わっている話である。  つまりは、ここは豊かな土地だから、お供え物を収穫するのにいいよね、と判断されたわけだ。  ちなみに、これは朝廷側に残された記録であって、元々は地元の人々に祀られていた神の社である、とする説もある。  それが、伊勢神宮といつ、どのように関わりを持ったかは定かでないそうだ。  しかし、実際行ってみるとわかることがある。  伊勢の中心地からここに来るまでの、あの山道だ。  今ほど交通網の発達していない古代において、この志摩が伊勢とは全く別の社会を形成することは、容易に想像できる。  山を越えれば違う村、町、集落になるのは、いつの時代も自然のことだ。  こういうことを発見できるから、旅ってのは面白いんだよなあ。  地図を眺めているだけでは、実際の地理はわからない。  話を戻そう。  伊雑宮が、他の別宮とはちょっと違うのが、何となーくお分かりいただけだろうか。  皇大神宮から遠く離れたところにあり、独自の役割を果たしている。  実はそんな別宮が、伊雑宮のほかにもう1か所あるのだが、それは次にご紹介するとしよう。  豊かな食べ物を生み出す土地を敬い、神を祀る。  豊受大御神のことと言い、いかに農作物、海産物が古代日本人にとって重要だったかよくわかる。  四季豊かな土地で暮らす農耕民族ならではの文化である。  伊雑宮では、今でも御田植式という古代からのお祭りが続けられているらしい。  田植えに関する神事で、社に隣接する御料田で行われる。  私が行ったのは2月の寒い冬のこと。  もちろん、稲は植えられていない。  しかし、駐車場で車を降りて少し歩いた先に現れた風景に、私は思わずわあっと声を上げてしまった。 ↓気持ちいい晴れた空の下に、山並みと田畑の広がる風景。  人がいないのをいいことに、本当に『わあ』と言ってしまった。cb312292-bc50-4b86-9e35-46c190ae69d5
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