写真でめぐる昔旅♪~伊勢神宮その2~

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○瀧原宮  続いてお送りするのは、こちらの瀧原宮(たきはらのみや)。  何度か伊勢に行く中で、私が常々行きたいと強く思っていた伊勢神宮の別宮である。  まつられているのは、毎度おなじみ天照大御神。  ホント、この方、どこにでもいるのね。  私が行きたかった理由は2つ。  ①はるか昔は、この瀧原宮こそ天照大御神が鎮座した『元祖・内宮』で、他の別宮とはひと味違うため。  ②各地に点在する別宮のうち、瀧原宮だけが遠く、山奥に鎮座している。山奥の神社とはこれまた惹かれる。  それぞれについて、例によって少し説明を申し上げよう。  皆さま、コーヒーかお菓子のご準備を。  まずは①について。  瀧原宮の御鎮座については、こんな記録が残されている。  今から遡ること2000年前の話。  元々、天照大御神は、天皇とともに皇居のある大和(現・奈良県)にいた。  10代崇神天皇の時代、天照はどこか鎮座するにいいところはないかと、大和を出て、近畿諸国を巡行を開始する。  続いて、11代垂仁天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)が、御杖代(みつえしろ)となり、天照を奉戴して、宮川の下流から上流へ向かった。  御杖代とは、神の杖となってご神体をお支えする人のことを指す。  つまり、お供だ。  で、宮川とは一体どこか。  三重県南部を流れる川で、途中、瀧原宮近くを通り、伊勢市街を抜けて、伊勢湾に続いている。  この後、地図を載せるのでそちらを見て頂くとわかりやすいかと思う。  天照と倭姫命、2人仲良く(かどうかは知らないが)せっせと川に沿って山を上り、『ここいいじゃん』とたどり着いたのが、この瀧原の地。  宮殿を建て、天照が瀧原宮に鎮座した――これが、始まりと言われている。  しばらく後、天照が『やっぱ下流に戻るわ』と言い、再び伊勢に戻る。  以降は、伊勢を本拠地とし、これが今の皇大神宮となる。  他の別宮とはちょっと違う、『元祖・内宮』。  伊勢神宮好きと名乗るからには、ここに行かないわけにはいくまい。  皇大神宮の前身とあって、作りや雰囲気もよく似ている。  そのあたりは、写真と一緒にご紹介しよう。
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