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クロウが星の光をながめていると、カツカツというかたい足音が、部屋の外のろうかから聞こえてきた。すぐにクロウは顔を上げた。心臓の音が早まる。
「来た……!」
クロウは声を押し殺すようにしてつぶやいた。その間にも、カツカツという足音は近づいてきて、やがて、ろうかに面したガラスのドアの向こうに、すらりとした大人の女の人が現れた。
ピッピッ。ウイーン。
その女の人がドアの外の装置を少しさわると、ガラスのドアが開いて、彼女は部屋に入ってきた。
白い薄手のコートをはおり、中に黒いつなぎを着て、足には銀色のブーツをはいている。短く切りそろえた髪はクロウと同じように真っ黒だが、ひとみの色は灰色で、すべてを射ぬくようなするどい目をしている。彼女の名前はジャン。クロウの育ての母だ。
実はクロウの産みの親は、クロウが赤んぼうの時に、事故で両親共に亡くなっている。ジャンはクロウの母親の妹、つまり叔母だ。事故の後、クロウはジャンとその夫に引き取られ、ここで育てられた。クロウはそのことを、何年か前に彼女に聞かされたのだった。その時、実の両親のことや事故について、クロウはジャンにたずねたが、彼女は答えてくれなかった。彼女はいまだに辛いのだろう。
さて、部屋に入ってきたジャンは、とげとげしい口調でクロウにたずねた。
「クロウ、なんで座ってたのかしら?」
クロウはすぐに立ち上がったつもりだったが、座っているところを見られていたようだ。彼は透明のカーテンから出ながら言った。
「お母さん、えっと……」
クロウは今も、ジャンをお母さんとよんでいる。クロウにとっては、彼女はずっと母親なのだ。彼は続けた。
「疲れたし、ちょっと考えごとしてて……」
すると母は、まゆの間にしわを寄せて言った。
「考えごとって?」
「いや……、外のこと……、とか……」
クロウがそう答えると、母親は大げさにため息をついてから、こう言った。
「クロウ、何度言ったら分かるのかしら? どこの星の子供だって、みんな同じなの。どこにいたって同じなのよ。みんな大人になるまでに、必死で勉強したり訓練したりしているの。役立たずのままじゃ、社会に出られないんだから。あんたなんか、遊んでる方よ」
彼女の言う通り、クロウも一日に二十五分くらいは、コンピューターで映画を見たりゲームをさせてもらってはいる。が、クロウは思った。遊びたくて外のことを考えていたのとは、少しちがうのだ。彼は何か言いたかったが、言葉がうまくまとまらなかった。考えているうちに、ひたいの古傷が痛い気さえしてきた。
「分かったら返事しなさい!」
母がどなった。クロウはびくっとして、
「……はい。ごめんなさい」
と小さな声で言った。母親はふたたび大きくため息をついてから言った。
「まったく。それで? 今日の結果は? 少しは期待してもいいのかしらね」
クロウは身がすくむ思いだった。今日の母は機嫌が悪いらしい。いや、今日の母も、と言うべきだろうか。彼女はいつもこういう調子なのだ。やっぱりもう少し点数を取っておくべきだった、とクロウは後悔した。
母親はコンピューターの一つを操作して、画面に出てきた表をにらみつけながら言った。
「七十五点、七十五点、七十点……。クロウ、なんでなのかしら? 合格点以上が二つしかないじゃないの」
「う、ん……。でも、昨日は合格点が一つだったし……」
「一つも二つも変わらないでしょ! なんであんたはすぐ言いわけするの!」
母は息子に向き直って声をはりあげた。クロウは耳をふさぎたかった。言いわけのつもりで言ったのではないのだ。彼はぐっとこらえたが、今にもなみだが出そうだった。
「まったく、まるであいつみたい。それにしてもあいつ、遅いわね。いったいどこで何やってるのかしら」
と、彼女が言い終わるか終わらないかのうちに、ろうかから、今度はゴツゴツとでもいうような足音が聞こえてきた。そして間もなく、ガラスのドアの向こうに、男の人が現れた。ジャンの夫、クロウの育ての父のジャックだ。
体が大きく、黒く光る厚手の上着とズボン、白いシャツに、金色のブーツをはいている。髪は真っ黒。ひとみはクロウの母と同じ灰色で、目つきも夫婦で似ていた。まるで雪豹のような目なのだ。
「よう、二人とも。どうした? そろってしかめっつらして」
ジャックがドアをくぐりながら言った。彼の後ろには、大きな縦長の箱が台車に積まれて、自動でついてきていた。
「まったく、よく言うわ」
クロウの母が言った。
「あんたが遅いのが悪いんじゃない! 私、言ったわよね? 十七時だって。なんでいつも遅れるのかしら。それで、その荷物は何?」
彼女は指輪をはめた右手の人差し指で、箱を指した。ジャックは自分の後ろをちらっと見た。彼の右手人差し指にも、妻と同じ指輪がはまっている。彼は言った。
「ふん。ここらへんのそうじとか雑用にな、中古で安かったから買ってきた。人型のロボットだ」
人型ロボットと聞いて、今までちぢこまっていたクロウは顔をかがやかせた。
「お父さん、見てもいい?」
クロウはジャックに向かって、そう聞いた。ジャンがクロウにとっての母親なのと同じように、ジャックはクロウにとっては本当の父親だった。
「ああ、いいぜ。お前なんかのもんじゃないけどな」
父親はばかにするように言ったが、クロウはかまわなかった。クロウの部屋やろうかで動いているロボットは、ただの円盤型とか腕だけとか、せいぜい虫の形をしたものだけで、人型ロボットはめずらしかったからだ。
「そんなことより、早くデータを見てほしいんだけど」
クロウの母が、いらいらしながら夫のジャックに言った。が、彼は箱のふたに手をかけながら、鼻で笑って答えた。
「ふん。どうせまだ、ぜんぜんだめだろ、こいつは」
クロウは自分がけなされているのが分かったが、ロボットの方が気になってそれどころではなかった。箱は大きくて、ふたがクロウの目線よりも少し高い所にあった。クロウの父はふたを外して、床に放った。すると、横目で箱の中をのぞいていたクロウの母が、声を上げて言った。
「何よこれ、ぼろぼろじゃない!」
クロウには箱の中がまだ見えなかったが、父親の表情がくもったのが分かった。クロウの父は妻の方をにらみつけて言った。
「ああ? 中古だって言っただろ? ぼろぼろなのは、おれのせいだって言うのかよ?」
クロウの母は鼻で笑いながら言う。
「ハッ! だって、そうじゃない。安物買いの銭失い、って言葉、知ってる?」
クロウの父はロボットの入った箱を台車ごといきおいよく横に押しのけ、ドアの外のろうかまでふっ飛ばした。箱はろうかのかべにガツンと大きな音を立てて当たった。
クロウは身をすくめた。また始まってしまった。いつもこうだ、とクロウは思った。ほんのささいなことから、この両親はすぐに、はげしいけんかを始めるのだ。いつものことだが、クロウは慣れることはなかった。いつも生きた心地がしなかった。
そんな息子のことは気にもせず、クロウの父は声を荒らげて妻に言った。
「うるせえんだよ。そのくだらねえ減らず口をやめろ。気に入らなきゃ、返品すりゃあいいだろうが」
「時間がむだじゃないの。ばかみたい」
「いいかげんにしろ!」
ピストル……! ピストルだ。おどろいたことに、クロウの父はふところからピストルをぬき、妻に向けたのだ。クロウは立ちつくしたまま動けなかった。
すると母親はクロウの体を引き寄せ、なんと持ち上げるようにして彼を羽交いじめにした。クロウは、今起きていることが信じられなかった。
盾にしたのだ。母は、息子を。そして父は、猛獣のような表情で、ピストルを息子と妻に向けている。クロウは全身から汗が出るのを感じた。息をするのも苦しかった。
そのまま何分たったのか、いや、クロウには何時間にも思われたが、ようやく、父親はピストルを下ろした。彼はそれをふところにしまいながら、はき捨てるように言った。
「ふん、まぬけが」
彼はそれ以上何も言わず、向きを変えて部屋を出た。そうして自分でろうかにやった箱をけとばし、歩いて去っていった。
母親は、盾にしていたクロウを軽く突き飛ばすようにして床に下ろした。クロウが息をつき、ふり返って母を見ると、彼女は夫が出ていったドアをにらみつけていた。クロウの方はまったく見ていない。
やがて、彼女もだまったまま部屋から出ると、装置をいじってドアを閉めた。立ちつくすクロウを、彼女は怒りの表情のまま少しだけ見たが、すぐに向きを変え、それからロボットの箱をけると、夫が歩いていったのとは反対側へと消えていった。
クロウは立ちつくしたまま、ガラスのドアを見ていた。体はふるえていた。
彼には分からなかった。なぜあの二人は、夫婦であそこまで、おたがいに怒りをぶつけ合うのか。なぜ、自分を、こんな風に、こんなに、ないがしろにあつかうのか。実の子供じゃないからだろうか。それとも、自分は、そんなにだめな子供なのだろうか。
クロウは、なみだを流していた。彼は思った。やはりあの二人は、本当の両親ではないのだ。さっきのことで、はっきり分かった。二人は結局、継母と継父なのだ。きっと親戚だからという理由だけで、いやいや自分を引き取ったのだろう。そうにちがいない。
クロウは服のそでで、なみだをぬぐった。彼は考えた。ここから、逃げださなくちゃいけない。ここにいては、自分は死んでしまうだろう。そんなことは本当はしたくない。けれど他に、どうしようもないのだ。
彼はドアに近寄った。ガラスのドアは閉じたままで、さわってみても、たたいてみても、まったく動きそうにない。かべの装置を動かさなくてはいけないのだ。装置はかべの内側にも付いている。クロウはそれをさわってみたが、ブザーの音がして少し光るだけで、ドアが開く様子はなかった。
「どうすれば出られるんだろう……」
クロウはそうつぶやくと、ガラスのドアに顔をくっつけ、ろうかの先を見てみた。が、この角度ではほとんど何も見えない。さっきのロボットの箱が正面にあるだけだ。
「どんなロボットだったんだろうな……」
彼は思った。あれがここから出してくれたらいいのに……。せめて、こっちの部屋の中にあればよかったのに……。
クロウはガラスに手を当てて、ロボットの入った箱をじっと見つめた。それから目をちょっと閉じて、ため息をついた。
そうして彼が目を開けた時、おどろくことが起きていた。
「あれっ? 箱が……」
箱が、ないのだ。台車もない。クロウはすぐにドアに顔を近づけて、ろうかの先を見やった。何の気配もない。だれかが片づけたり、台車が動いて見えなくなるには早すぎる。
彼はドアから手をはなして、下ろした。すると、手に何かが当たった。
「わっ!」
クロウはびっくりして飛び上がった。手に当たったのは、クロウの横にあったのは、あのロボットの箱だった。さっきまでドアの向こうにあって、今消えたと思っていた箱だった。箱は台車の上に乗っている。いったい、どうしてこれがここに……? 床に何かしかけがあるのか……?
わけが分からなかった。が、クロウは箱を目の前にすると、ロボットを見てみたい気持ちをおさえられなくなった。
彼は箱を部屋の中の方に持っていって、周りを調べ、つなぎ目を外した。箱の側面を作っていた板が、一枚はがれて床に落ちる。ガランという音が、やけに大きくひびいた気がした。
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