3 ニワツキイッコダテ

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3 ニワツキイッコダテ

「何かのまちがいナノデス! ありえないナノデス!」  ロボットのバッグが、そうさけんだ。 「あそこからこんな所まで来るには、光の速さで、おそらく四時間以上かかるナノデス!」  彼は操縦席の後ろにいるクロウに顔を向けて、目をぐるぐるさせている。モニターの一つに、この太陽系の地図、すなわち惑星図が出ていて、二人が乗っている宇宙船が太陽のごく近くにいることを示していた。  クロウはバッグほど取り乱してはいなかったが、頭の中はバッグの目玉と同じように、ぐるぐる回っているような思いがした。窓の外には、目がくらむほどにかがやく太陽が、相変わらず見えている。クロウは苦笑いをしながら言った。 「光速で四時間……。多分、そのくらいだろうね。でもじっさいに、この、太陽のすぐ近くまで、ぼくらは来てる。二人で居眠りしてたわけでもないし……」 「ウーン……、それはそうナノデスガ……」  バッグは頭をかかえた。クロウは続けて言った。 「……どういうわけか分からないけど、やっぱりこの宇宙船が、ここまで、一瞬で来たんだ。どんな物も、光より速く飛ぶことはできない……」  いわゆる特殊相対性理論で決まっている、科学的事実だ。 「だとすると、ぼくらがやったのは、空間をとびこえること……。つまり、ワープってやつだ」 「信じられないナノデス……。オイラ、いろんな所を行ったり来たりしてきたナノデス。けど、そんな移動方法は聞いたこともないナノデス……」  クロウも、映画の中ではワープというのはよく見るものの、現実にそんなことができるという話は、勉強の中でも、叔母たちの話でも、聞いたことがなかった。 「ひょっとしてだけど……、バッグ、きみが何かやったんじゃないの? この船を途中で、めちゃくちゃに改造したとか、それともきみ自身に、ワープの機能があったとか……」 「とんでもないナノデス! オイラ、雑用ロボットナノデス。そんな特別なこと、できるわけないナノデス!」 「分かった分かった。落ち着いて……」  クロウはそう言って、ここでようやく、肝心なことに気がついた。 「とにかくさ、やったよ……! ぼくら、逃げられたんだ! あそこから、あの二人から! ぼく、ステーションは安全じゃないって言っただろ? あれはあの二人のことだったんだ。でも、これでもう安心だ。安全だ。きみも、壊されたりしなくてすむよ!」  クロウは手を広げて、無重力にまかせて体を宙に浮かべた。この体の軽さは、まさに今の心の軽さそのものだった。 「でも、これからいったい、どうするナノデスカ?」  バッグが、文字通り浮かれているクロウを見上げてたずねた。バッグの口調は何気ない風だったが、クロウははっとした。 「そうだ、食べものは? この救命ボート、どのくらい積んであるんだ?」  クロウが体を下に向けて、宇宙船の床のとびらを調べようとすると、 「食料は、十人が二十日間食べられる分があるらしいナノデス。ちなみにオイラは食べないナノデス」 とバッグが言った。宇宙船のコンピューターと自分をつないだ時に知ったのだろう。  クロウが床のとびらの一つを開くと、たしかに水と食料のふくろがどっさりつまっていた。クロウ一人なら、実に二百日分だ。これで、飢え死にする心配はなくなった。クロウはバッグの方に向き直って聞いた。 「きみは、電気で動いてるの?」 「ハイ。この船は太陽光発電ができるので、オイラはそれを充電すれば良いナノデス」 「燃料は、どのくらいある? えっと、例えば……」  クロウはなんと聞けばいいか分からずに言ったが、バッグはモニターをちょっと見て、すぐに答えた。 「さっきたくさん使ってしまったナノデスガ、まだ惑星から五、六回脱出する分はあるナノデス」  宇宙船が燃料を一番使うのは、惑星から宇宙へ飛び立つ時だ。クロウは考えた。五、六回分あれば、なんとかなるだろう。なら……、あとは、どこか人の住める星を見つけて、そこで生きてゆくことだ。彼は言った。 「これから、どこかの星に、降りていかなきゃいけない。バッグ、きみは、この太陽系の惑星にくわしいの?」  実はクロウは、理科の勉強で、惑星というものがどうだとか、宇宙というものがどうだ、ということは知っていたが、自分がいる、この太陽系についての具体的なことは、ぜんぜん教えてもらえなかったのだ。 「オイラは、行ったことのある星のことしか、知らないナノデス。このあたりの、太陽に近い所は、来たことないナノデス」  クロウは考えた。太陽からもっとはなれた所なら、バッグがよく知っている星もあるかもしれないが……、それだと、宇宙ステーションの方にもどっていくことになってしまう。 「あんまり遠い所を目指すのは、できないな……。この地図には、星の情報はないの?」 「この惑星図は、惑星の位置と名前しか、表示されないナノデス。聞き覚えのある惑星のことなら、オイラ、分かるかもナノデス。でも、オイラ忘れっぽいし……」  バッグは顔を申しわけなさそうにした。クロウは少し息をつくと、バッグのとなりにふわふわもどって、彼の肩に手を置き、こう言った。 「近い所から、行ってみよう。それから、ぼくらが生きられる星か、たしかめるんだ」  バッグは声と顔を明るくして言った。 「了解ナノデス。クロウはどんな星が、ご希望ナノデスカ?」 「えっと……。人間が住んでれば、それでいいんだけど。温度が高すぎず低すぎず、空気や水があって、重力も強すぎなくて……」  クロウはそこまで言って、ふと、あの宇宙ステーションでの生活を思い出した。そして、ちょっと首を横にふってから、こう続けた。 「……こんな星がいい。そこには人もいろんな生きものもたくさんいて、人の住んでる所に、植物や鳥もいっしょにいるんだ。家は広くて、もちろん安全。人はみんな親切で、何でも自由にできる。毎日安心していられて、毎日いろんな楽しみがあって、毎日笑って暮らせる所……」  クロウは、想像を広げた。想像が広がるにつれて、自分の体まで広がっていくような気がした。しかし同時に彼は、なんだか胸がしめつけられるような思いもした。なみだが目のはしからこぼれそうになって、クロウはとっさに服のそででぬぐった。なみだが無重力で飛んでいって、宇宙船の中の機械が故障してはまずいからだ。 「……それは、ニワツキイッコダテのことナノデスカ?」 「ニャ……、なんだって?」  クロウがバッグに聞き返した。聞き慣れない言葉だ。バッグはふたたび言う。 「ニワツキイッコダテ、ナノデス。オイラ、聞いたことがあるナノデス。チキューという惑星から来た人類が、何千年も前に、理想の地として追い求めていたのが、ニワツキイッコダテ、ナノデス。クロウの言い方は、オイラが聞いた話に、とても似てるナノデス」  クロウは聞いたことを頭の中でたしかめるようにしてから、言った。 「理想の地……。初めて聞いたよ。チキュー人が求めた……。この太陽系の中に、それを探しに来たってこと? それは惑星なの? それとも、もっと昔の話……?」 「……オイラ、そこまでは知らないナノデス……。惑星図にも、のってないナノデス」  二人の間に、しばらく沈黙が流れた。バッグはおそらく、何かかんちがいをして、そのニワツキイッコダテなる言葉を覚えたのだろう。けれどもその名前は、宇宙空間に放り出され、これからほとんど当てもない旅をしなければならないクロウにとっては、目標とするのにふさわしいひびきを持っているように、強く思われた。やがて、クロウは口を開き、胸をふくらませながら言った。 「ニワツキイッコダテか……。いいな……。それを、ぼくも探したい。その理想の場所を。ニワツキイッコダテを。バッグ、いいかい? 続けて協力してくれる?」 「オイラ、ご主人さ……、クロウのお役に立ちたいナノデス」  バッグはそう答えたが、クロウは落ち着いた声でこう言った。 「……別に、役に立つとか立たないとかじゃなくて、いいんだよ。いっしょに行ってくれるだけで、心強いんだからさ」  バッグは少しきょとんとした後、切実な表情になって言った。 「……オイラ、いっしょに行くナノデス。でもやっぱりオイラ、人のお役に立ちたいナノデス。働いてお役に立ちたいナノデス」 「なら、行った先で、いっしょに、いい仕事を探そうよ」  クロウが少し笑って言った。するとバッグは、声を高くして答えた。 「オイラ、そうするナノデス。仕事を探して働くナノデス」 「じゃあ、そろそろ出発しよう。この近くの惑星は……」  クロウがそう言いかけると、バッグが窓の外を指した。 「前方に、黄色い惑星があるナノデス。あそこなら、二時間ほどで行けるナノデス」  クロウが太陽を直接見ないようにしながら窓の外に目を向けると、たしかに、小さいが他の星より大きく光っている、黄色い星があった。 「あれはどんな星?」  クロウが聞くと、バッグは惑星図を見ながら答えた。 「オイラ、知らないナノデス。名前は……、『アツリョクナベ』、ナノデス」 「どういう意味だろう……」 「惑星の名前は、あまり意味がないことが多いナノデス」  バッグはあっさりと言った。クロウはふたたび窓の外の黄色い星を見つめ、やがて言った。 「分かった……。行ってみよう」 「了解ナノデス! シートベルトをした方が良いナノデス」  こうして二人を乗せた宇宙船は、コースを少しずつ変えながら、黄色い惑星に向かって進んでいった。  クロウは宇宙船の操縦に興味はあったものの、とりあえずはバッグにまかせて、自分は積まれていた非常食で晩ごはんにした。彼が食べたのは、封を開けるとほかほかになる煮こみハンバーグと、包みをやぶくといっぺんにふくらむ、もちもちのパンだ。メニューや味つけは、宇宙ステーションで毎日自動的に出されていたものと、それほどちがいはなかったものの、クロウはこの日の晩ごはんは格別おいしい気がしたのだった。  食事が終わって副操縦席にもどると、この数時間の疲れが出たのか、クロウは座席に座って体を固定したまま、やがて眠りに落ちてしまった……。
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