1 竜巻の中心にいるのは、やはり紅竜だった。

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1 竜巻の中心にいるのは、やはり紅竜だった。

 赤い狼煙が上がっている。  緊急事態を知らせる信号花火だ。  予定より早く風石(かぜいし)が足りなくなったらしい。  一番下っ端の僕まで駆り出されるということは、それだけ今回の竜巻の威力は桁外れなのだろう。紅竜が出たのかもしれない。  僕は事務所を飛び出すと、オート三輪の荷台に、風石のつまった腰袋を積み始めた。緩衝材を敷いた箱の中に、腰袋同士をぶつけないように、慎重に素早く運び入れていく。風石をつける補充の矢も束にして、筒に納めてから積み上げる。  じっとしていても汗が出るほどの真夏日だ。首筋や腕を流れ落ちる汗の粒がぽたり、ぽたりと荷台にこぼれ落ちた。何度も汗を拭いながら、すべてを積み込むと、エンジンをかける。だがうまくかからない。  一回でかかった試しがなかった。無免許でも乗れる、型落ちしたオート三輪を使っているのは僕だけだ。まだ十五歳で正式な隊員になっていない僕が、新型の装甲車を使わせてもらえないのは仕方がない。  いつものことだ。根気よくエンジンをかけ直す。三回目のトライでようやくエンジンがかかり出発した。  目的の場所は山の向こうだ。  住宅地の細い道路を縫うように抜け、狼煙の上がっている方向へと走っていく。  山につながる急勾配の坂道を登り始めると、冷却ファンの風切り音がおかしくなってきた。焦っている時に限ってエンジンの調子が悪くなる。  単気筒2ストロークの強制空冷式エンジンを載せているが、このところ故障することが増えていた。騙し騙し修理をしていたが、もうそろそろヤバいのかもしれない。  風石を届けるまではなんとか動いてくれ。頼む。祈るような気持ちでスピードを上げる。  曲がりくねった山道で速度を上げるのは自殺行為だが、間に合わなければ元も子もない。荷台の重みでバランスを崩して横転しそうになるが、体ごと重心を移動させてなんとか堪え忍ぶ。  安心したのもつかの間、カーブを曲がり切った直後に対向車とぶつかりそうになった。慌ててハンドルを切る。  竜巻から逃げてきた住人だろうか。それにしてはこの辺りでは、あまり見かけない黒塗りの高級車だ。不審に思ったが、かまっている暇はなかった。ここで事故って風石をぶちまけるわけにはいかない。  風石は竜が作り出す風を利用して爆発する特別な石だ。急激な衝撃を加えた直後に、強風を吸い込むことで起爆するように作られているため、使い方を間違うと大惨事になる。こんな場所で風石と心中するつもりはなかった。  ようやく父に仕事を任されたのだ。あの試験の日のように、無様なミスをおかすわけにはいかなかった。絶対にこの風石は届けなければならないのだ。  だが、心の奥底で弱気な自分が顔を出す。  失敗したらどうしよう。また父に失望されたら。大丈夫。僕はやれる。  震える気持ちを抑えるために、小さな息を吐いた。アクセルを踏んで山道をさらに登る。木々の切れ間から狼煙が見えた。  近づいている。方向は間違っていないはずだ。風が強くなってきた。窓ガラスが揺れている。山頂に到着すると、渦巻く黒い風が森の木々を飲み込み、空高く巻き上げているのが見えた。  でかい。スケールは4だ。  空気を震わせる咆哮が響き渡った。  竜巻の中心にいるのは、やはり紅竜だった。  装甲車の荷台から飛び降りた父が、隊員を連れて近づいてくる。 「遅いぞ」  父はこの隊を率いている隊長だった。  十数人いる隊員はみな黒い鎧を着ている。美しいフォルムに惚れ惚れするが、中の人間は暑そうだ。生成りの綿シャツに短パンという、普段着のまま来てしまった僕と違って物々しい。  黒い鎧は見た目が良いだけではない。強力な風に見舞われても、吹き飛ばされないように風を逃す構造をしていた。万が一飛ばされても、落下時の衝撃を弱めるための防御服としての役割もある。  いつかあの黒い鎧を着て、父と一緒に仕事をするのが僕の夢だった。  だが正式な隊員とは認められていない僕は、いつも事務所で留守番をしているだけだ。仕事らしいことは風石の入った腰袋を、装甲車に載せる手伝いぐらいしかしたことがない。こんなに間近で父や隊員の仕事を見るのは久しぶりだ。  僕を睨みつけていた父が叫ぶ。 「ぼさっとするな。早く風石をよこせ」  オート三輪から降りた僕は、荷台に載せていた腰袋をみんなに配る。隊員は古い腰袋を捨て、風石のたっぷり詰まった腰袋を急いで巻いた。補充用の矢筒を渡すと、隊員は弓の先端に風石をつけて準備をしている。  竜の動きを抑えるために、竜笛を吹いていた隊員のカシィが声を上げた。 「右目が開き始めてる。急げ」  すでに紅竜の左目は潰れていた。その痛みで紅竜は荒れ狂っているようだ。攻撃が甘かったのか右目は回復し始めているらしい。  竜は自己回復能力が高い。悠長に少しずつ攻撃していては回復されてしまうのだ。  紅竜はうねるように動きながら、徐々に進路を住宅地の方へ向けている。竜笛で多少は激しい動きを防いでいるとはいえ、これ以上暴れられると住宅地に被害が及ぶ。それだけは阻止しなければならなかった。  普通の灰竜なら、風石で片目を潰せば逃げ帰る。だがこの紅竜はそうではなかったようだ。 「しつこい奴は嫌いなんだがな。右目が開く前にお帰りいただくぞ」  父が舌打ちをしながら、腰袋を受け取ると装甲車へと向かう。  ほかの隊員たちも、後を追うように急いで戻っていった。走り出した装甲車が目的の場所に到着すると、荷台にいる隊員たちは、担いでいた巨大な弓を下ろした。腰袋から出した小さな風石を、矢の先にセットしていく。  隊員は常に一つの装甲車に二、三人のチームで動く。運転士が狙いやすい位置を見つけると、危険の及ばないギリギリのところまで近づき、荷台にいる隊員が弓で竜を攻撃するのが役目だ。 「落ち着いて右目を狙うんだ」  父の指示で隊員が弓を構えると、紅竜に向け照準を合わせる。 「撃て!」  隊員の放った風石は、吸い寄せられるように紅竜に向かって飛んでいく。  風石が次々と右目に当たる。衝撃を受けた風石は、周囲に巻き起こっている風を吸い込むと膨張し、限界まで拡大した直後に爆発した。 「まだまだ! 叩き込め!」  間髪入れずに隊員が攻撃する。動きに無駄がない。次から次へと風石を矢にセットして、竜の目を狙う。  風石の爆発に耐えられなくなったのか、紅竜はその痛みで悶え苦しみ、雷を放ちながら天高く昇っていった。  渦巻いていた風が消える。  空高く宙を舞っていた木々が、力を失って落ちていく。  紅竜は退却した。歓声が上がる。  すごい。  僕はただ圧倒されて立ち尽くし、ずっと父や隊員たちの戦いを見ているだけだった。 「被害者がいないか確認しろ」  隊員は竜巻の被害が大きかった場所に近づき、確認していった。  森は木々の大部分がなぎ倒されて、壊滅的な状態だったが、人が住んでいる地域にはほとんど被害は出ていない。スケール4の竜巻がこの程度の被害で済んだのは、ある意味奇跡だった。 「問題ないようだな。不発だった風石を回収後、撤退するぞ」  竜に当たらずに地面に落ちた風石は、不発のまま残っていることがある。強い衝撃と風で爆発する危険があるため、必ず回収するようにしているのだ。  紅竜が消え去った空を眺めていたら、どこからともなく声が聞こえた気がした。泣きながら謝っているような、そんな悲しそうな声だ。声の聞こえたほうを探して、空を見るが何もない。 「お疲れ、アガタ」  ふいに頭を撫でられた。副隊長のジーノだった。隊員の中で唯一の女性だ。いつも僕のことを気にかけてくれる。  射撃の腕は父よりも上らしい。一番腕がいいのに副隊長をしているのはなぜかと聞いたら、隊長よりも声が小さいからだと冗談めかして言っていたことがある。本当のところはどうなのか知らない。 「あのポンコツでよくここまで風石を運んできたな。山道のカーブ大変だったろ。頑張ったな」  ジーノに褒められて、思わず僕が笑顔を浮かべそうになった瞬間、冷たい声が浴びせられた。 「調子にのるな。風石を運ぶだけなら誰でもできる」  父が睨んでいる。黒い鎧を着た父は凛々しかった。燃えるような赤毛は、まるでおとぎ話に出てくる最後の英雄と言われた竜騎士のようだ。隊員の中で一番背が高い父と並ぶと、自分がまだガキだということを痛感する。  僕はクラスの男子の中で一番背が低く、髪も真っ黒だ。あまり父には似ていない。きっと背が小さく黒髪だったという母に似たのだろう。 「役に立ちたかったら、もっと射撃の練習をしろ。今のお前では風石を無駄使いして終わりだ」  父の言う通りだった。  僕は射撃の試験で何度もミスを犯した。そのせいで正式な隊員になれなかったのだ。  うなだれている僕を見て、ジーノが肩を叩く。 「そんなに落ち込む必要はないよ。最初は誰だって下手なんだから。隊長だって初めての試験で外しまくって、みんなに無駄遣い王子って呼ばれてたらしいぞ」 「うるさい、黙れ。俺は二度目の試験で合格した。五回も落ちるような馬鹿と一緒にするな」  父は吐き捨てるように答えると、装甲車に乗り込んだ。  ジーノが苦笑いをする。 「だってさ。息子を馬鹿呼ばわりする父親のほうが、よっぽど馬鹿だと思うけどね」  父に叱られるたびにジーノはかばってくれる。  五つ年上のジーノは、いつも姉代わりのように接してくれていた。僕が小さい頃に母を亡くしてからずっとだ。  甘えすぎているのはわかっていたが、頼めるのはジーノしかいない。 「帰ったら、練習付き合って欲しいんだけど」 「いいよ。晩ご飯終わったらおいで。みっちり仕込んでやるから」  ジーノが微笑んだ。 「そうやって甘やかすから、そいつはいつまでたっても独り立ちしないんだ。ジーノ、みんな待ってるんだから早く乗れ」  装甲車の窓から顔を出した父が怒っている。  やれやれという表情でジーノが肩をすくめた。 「じゃ、また後でね」  隊員がすべて乗り込んだことを確認すると、装甲車は動き出し、山を降りる道へと消えた。  静寂が訪れる。  山頂には僕とオート三輪だけが残された。  次にいつ竜が現れるかは、誰にもわからない。法則も何もない。やつらは気まぐれに天から降りてきて竜巻を作る。  普通の人々にできるのは、つかの間の平和が、できるだけ長く続くことを祈ることだけだ。その平和を守ることができるのは、父やジーノのような隊員だけだった。  僕も早く試験に受かって、正式隊員にならなくては。僕はいつか皆を守る英雄になるんだ。  見上げた青空は高く、澄んでいた。
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