第2話 遭難者の品格

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第2話 遭難者の品格

 自力での脱出は不可能。その事実が与えた衝撃は生半可なものでは無かった。大学生活を始めたばかりの、まだ成人もしていない若者にとってこの状況は余りにも厳しい。  しかし幸いにも、彼らにはまだ十分な理性が残されていた。座り込んで黙りこくる事で、自然と気力が回復したのである。顔を付き合わせて建設的な話が出来る程度には。 「手持ちの食料はブレッドメイトが1箱だけ、あとは飲みかけの水と紅茶が半分ずつか」 「ごめんねケイゴ君。こんな事になるんなら、もっと沢山持ってくれば良かったよ」 「いや、そんな事はないって。つうか用意があって助かったよ」  ケイゴは俯く相方の頭を軽くポンと叩き、それから他の所持品についても確認した。団扇とビニルシートは使い所に困るが、スマホの充電池は非常に重宝する。内蔵アプリのひとつに懐中電灯があるし、この先電波が繋がるようになれば救助を呼ぶ事だってできる。補給の困難な彼らにとって、極めて有用なアイテムだと言えた。  ヒナタは粗方出したと言うが、当人のバッグにはまだ膨らみがある。他にも何品か入っていそうだが、それを披露する事を彼女は躊躇した。バッグの口を手で塞ぎ、頬を赤らめながら半歩ほど後ずさりする姿には、見当のつかないケイゴも反応に困るばかりだ。   「ええと、残りは何が?」 「あとは、その、コスプレ衣装だけだよ。これも見せた方が良いんだよね?」 「いや別に。服なんかさすがに使わないだろうし」 「そっか。そうだよね。下着も入ってるから恥ずかしかったんだぁ」 「それを先に言えって」  これが彼らの持つ全てという事になる。ともかく食料が不足していた。希望通り救助隊が来るとしても、明日や明後日でない事は容易に想像でき、1箱ばかりの携帯食料では余りにも心許ない。その不安が2人を探索へと駆り立てた。  まず訪れたのは地下3階、下り方面ホームだ。しかしそちらは空振りに終わる。役立ちそうな物は無く、目にする物も地下2階と大差ない。ただし、自販機だけが対照的な状態で、その様は暗がりであっても妙に目立った。 「こっちのヤツは全部、壁側にくっついてるんだな」 「もしかしたら方角の問題かも。上り方面とは正反対の向きにあるから」 「あぁそうか。常に線路側へ引っ張られる、なんて法則は無いのか」  自販機は全て本来の位置や向きを保てている。だからと言って稼働している訳ではなく、何も買えない事に関しては同じであった。こうなると唯の巨大な置物(オブジェ)でしかなく、労力をかけて調査する必要もない。  見所無しの地下3階からは早々と抜け出した。今度は2フロア分の階段を昇り、地下1階へとやってきた。差し当たって目の前には駅員室がある。 「この中には入れないのかな?」 「どうだろ。鍵はかかって……ない!」 「ほんと!? やったね!」  しかし喜んだのも束の間だ。ドアを開けようにも、半分ほど押し進めた所で止められてしまう。顔を覗き入れて中の様子を確認すると、入り口付近で大きな棚が倒れ込み、それが入室を阻んでいた。外からどかす事は困難だと見極め、後ろ髪を引かれる想いでその場を後にする。  ここまで不運ばかりが続いている。いよいよ運命を呪いたくなるが、ようやく朗報と言える収穫があった。改札向かいにトイレを見つけたのだ。水道はまだ生きており、手洗い場から綺麗な水が惜しみ無く流れ出る。誇張無しに命の水、明日への希望そのものだった。  これにはケイゴたちも力強くハイタッチ。飲み水に適してはいないだろうが、ここで贅沢を差し挟む余地はない。さらにはプライベート空間で用を足せる事も、多感な年頃の男女にとっては有り難い事であった。  やがて2人は地下2階へと戻った。ケイゴは疲れを隠さずドカッと椅子に座り、上半身を背もたれに預けた。その隣にはヒナタが静かに腰を下ろす。 「そういえば、腕の怪我は大丈夫?」 「平気だよ。痛みも引いてきたし」 「食べ物は無かったけど、水があって良かったね」 「そうだな。水だけでも一週間くらいは生きられるらしいし、何とかなるかもな」 「アタシたちツイてるね。ほんとラッキーだよ」 「いや、ツイてはいないだろ。こうして閉じ込められてんだから」  水だけで生き抜く手段とは、あくまでも生存期間を延ばすだけであり、決して楽なものではない。どれほどの飢餓感に耐えなければならないのか。飽食の時代に生まれ育った彼らにとって正に未知の領域そのもので、心身が耐えきれるかは不透明だ。 「さてと。やる事なくなっちまったなぁ……」  ケイゴはネガティブな思考を振り払うようにして、大きめの独り言を呟いた。探索を終え、状況の確認をしてしまえば、他に為すべき事は何も無い。一切の変化がないこの空間は、もはや地下壕そのものだと言って良い。乏しすぎる物資が不安を、遠くまで見渡せない視野が漠然とした恐怖を掻き立てる。  ケイゴは手癖でスマホを取り出しかけて、すぐにポケットの中へ戻した。電池の消耗は避けなくてはならず、そもそも圏外だ。せめて文庫本でもあればと思うが、それも後の祭り。無限とも思える時間は暗がりを眺めることで潰すしかないと、一層気が滅入るのを感じていたのだが……。 「暇だったらTRPGで遊ぼうよ」  ヒナタは想定外すぎる言葉を吐き、ケイゴの二度見を誘発した。そして冗談や気の迷いで無いことを、前のめりな姿勢から明らかだった。 「あのさぁ。遭難した時には鉄則ってもんがあるだろ」 「鉄則って、どんな?」 「そりゃあ、無闇に動き回らず体力を温存するとか」 「うん、動かないじゃない」 「あとは悲観したり、ヤケを起こしたりせずに心を落ち着けるとか」 「うん、遊んでたら気が紛れるじゃない」 「そうだな。そうなんだよなぁ……」 「それとも何て言うか、雰囲気? そういうのを大事にした方が良いかな?」 「いやいやいや、ムードとか要らねぇから!」  ヒナタは、じゃあ決まりねと言い、極限状態での遊戯が幕開けした。釈然としないケイゴをよそに、世界観の説明やクリア条件が矢継ぎ早に説明される。  ちなみにTRPG(テーブル・トーク・アールピージー)とは、物語や謎を提供する出題者(キーパー)と、その世界の住人になりきってクリア到達を目指す探索者(プレイヤー)に分かれて楽しむ遊びである。大抵は分厚いシナリオやルールブック、プレイングを引き立てるサイコロなどを必要とするのだが、その全てが手元には無い。  日頃からヒナタに付き合わされる、もとい経験豊富なケイゴは当然ながら指摘した。しかし『シナリオは頭に詰まってるから。ダイスは無しの方向で!』と、眩い笑顔で言い放つのだから、その熱意に合わせざるを得なかった。 「じゃあ始めるよ。アナタはごく普通の大学生です。今はキャンパスの中を……」 「おい、リアルそのまんまだろ。フィクションじゃないのか?」 「まぁまぁそう言わずに。ちゃんと面白くするから」  ヒナタは本来のシナリオを改編し、4択の選択肢を活用する方式に切り替えた。これにより、サイコロが無くとも遊べるという寸法だ。大改編を余儀なくされた割には、語り口調は自信に満ち溢れ、淀みも無い。これには乗り気でなかったケイゴも、やがて本腰を入れるようになる。  それから架空の世界では怪異が発生し、主人公は窮地に陥りつつも、知恵と勇気を武器に抗った。迫り来る魑魅魍魎(ちみもうりょう)なる怪物たち。空を覆い、地を埋め尽くす程の外敵を、科学知識を頼りに撃退していく。  やがてシナリオは佳境を迎えた。ヒナタは簡単にクリアさせる気は無いようで、4択のうち正解は1つだけという鬼畜態勢を敷いた。しかしケイゴは、少し考え込んだだけで唯一の答えを言い当ててしまった。ゲームクリアである。 「クッ……! 貴方は見事、魔術師の野望を阻止する事に成功しました。邪悪なる古代の神は陽の目を浴びず、再び長い長い眠りにつきましたとさ! ハッピーエンドおめでとう!」 「いや、うん。もっと嬉しそうに言ってくれない?」 「だってだって! ケイゴ君ってばあっさりクリアしちゃうんだもん! こっちは凄い手間隙かけてシナリオ作ったのに!」 「あっさりって感じじゃ無かっただろ。何回もトイレ休憩を挟んだし、すげぇ時間かかったよ」 「そういう意味じゃないの!」 「うわっ、もう夜の9時過ぎじゃん。随分長いこと遊んでたんだなぁ」 「ふふふ。このシナリオは着想まで含めたら、その何十倍も時間をかけて作ったんだけどね……」  誘いに付き合ったにも関わらず怒られてしまうのだから、ケイゴとしては理不尽な話である。しかし、気が紛れたのは確かで、時間を相当に潰す事が出来た事は有り難いと感じられた。  頭を存分に使った事で程良い眠気を覚えた2人は、間もなく眠る体勢に入った。長椅子を半分ずつ分け合い、頭を付き合わせて横になる。長身のケイゴには不十分なスペースの為、両足を床に投げ出す事で窮屈さを解消した。 「それにしてもさぁ。ケイゴ君はスゴいよね」 「すごいって、何が?」 「謎解き。どんなに凝ったものを考えてもさ、シレッと解いちゃうじゃない。何か必勝法みたいなものでもあるの?」 「えぇ? うん、まぁ、ノリかな」 「今、面倒臭くなったでしょ。説明するのダルいなって!」 「そんな事ないから。ともかく寝ちまおうって」  ケイゴは軽口の最中でも、どこか噛み合わなさを感じていた。ヒナタの天真爛漫さは承知しているが、少し度が過ぎていると思えたのだ。明らかに状況とそぐわない態度、愛想も不自然なくらいに良い。その理由は何かと考え始め、すぐに切り上げた。 (明日も変わらなかったら考えるか)  それから寝入ろうとするケイゴに、ヒナタの掌が静かに迫る。そして顔の前に置かれると、続けて遠慮がちな声が耳元に届いた。 「あのさぁ。手、いいかな?」 「手をどうすんだ?」 「眠るときね。不安だから、繋いでて欲しいんだ」 「まぁ、それくらいなら」  向き合う形で互いの手が重なり、軽く握り合う。そこでようやくケイゴは気づいた。ヒナタの手が小刻みに震えるのを。それは彼女の心の内を能弁に物語るようであった。 (もしかすると、今までのは空元気だったか……)  ケイゴは敢えて気遣いの言葉をかけなかった。無理に明るく振る舞うのは、相手なりの理由があると思えたからだ。ヒナタが話したくなった頃にでも聞いてやれば良い。そんな事を考えつつ、次第に意識は深い眠りへと落ちていく。  遭難初日。芳しくない状況下にありながらも、やや前向きな気持ちで一日を終える事に成功した。  
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