10. その出会いは突然に

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10. その出会いは突然に

「ありがとうございましたー!」  一時間後。行列が途切れ、買い手の訪れも少なくなってきた頃。サークルの机に山積みになっていた本は、残り数部となっていた。響は椅子に腰を下ろすと、すっかり疲れた様子で息を吐いた。 「はぁ、つっかれたー……。やっぱり引きこもりに立ちっぱは堪えるよ……」 「お疲れ様。新刊は無事完売したことだし、休憩しときなよ」 「うっ、流石は店員さん。ほんの小一時間立ちっぱなしでもへっちゃらかー」 「まぁね。店頭に立ち続けるのなんて日常茶飯事だし、バーゲンの初日と思えば、そんなに変わらないかな」 「うげぇ。想像しただけで疲れる……。これが即売会じゃなきゃ五分でギブだよ」 「五分は流石に音を上げるの早すぎるよ」  まるで一体化したかのように、響は椅子の背もたれにぐったりともたれかかる。疲れたと口にする割には、その表情はどこか満足気だ。気力と体力は使うが、同人誌即売会では自分の描いた本が目の前で買ってもらえる。時には感想を伝えられることもある。それは描き手としては非常に喜ばしいことであり、響にとってはデメリットを差し引いてもメリットの方が圧倒的に多い。それが彼女が商業漫画家としてだけでなく、同人作家としても活動し続ける理由の一つだ。 「おー、お疲れーぃ」 「あっ、暁斗(あきと)!」  サークルスペース内で二人が暫しの休憩を取っていると、ある人物が姿を現した。金髪に着崩した着物姿で帯刀、肌を惜しげもなく晒している。知佳に〝暁斗〟と呼ばれた男性にしか見えないその人物の正体は、滝口藍その人である。  暁斗は藍のコスネームで、彼女は普段から趣味で男装を中心としたコスプレをしている。衣装や小道具は基本自作、今身に着けている衣装や腰に差している刀もその一つだ。腰に休日のほとんどは衣装づくりか撮影で予定がぎっしりという生粋のコスプレイヤーである。 「お目当ては手に入った?」 「うん、上々だね。代行と取り置き頼んでる分もあるし、目的は概ね達成した!」  藍はこれまでの時間、他のサークルの本やグッズなどを買いに回っていたらしい。彼女の言葉通り、目的の頒布物はほぼ獲得できたようで、すっかりご満悦だ。 「おっ、売り切れてんじゃん。さっすがー!」 「まぁねー。締切間際まで頑張った甲斐あったよ」 「お互い寝不足だな。お疲れ」  藍が差し出した拳に、響も同じようにして突き合わせる。どうやら直前まで響は漫画、藍は衣装づくりに追われていたようだ。藍はメイクの効果でよく見なければわからないが、二人とも目の下にはクマが確認できる。 「あっ、そうそう。kyo、悪いけど知佳借りれる? 連れて行きたいところがあるんだよね」 「私? どこに行くの?」 「どうぞどうぞー。あとは一人でも大丈夫だし、ゆっくりしといでー」 「ありがと。後で店番代わりに来るわ。ほら知佳、行くよ」 「サンキュー。じゃあ、いってらっしゃーい」  突然の藍の誘いに戸惑う知佳を置き去りに、藍は言うが早いかさっさと歩き出し、響は二人に手を振り見送る。事態についていけないまま、知佳も人混みをかき分け藍についていく。 「えっ、本当にどこに連れていかれるの?」 「んー、楽しいとこ♡ 予告しとく。絶対あんた悲鳴あげるから」 「えっ、なにそれ怖いんだけど。ホラーは無理だよ?」 「そういうんじゃないから、いいからついてきたついてきた」  藍の曖昧な返答に相変わらず頭に疑問符を浮かべながらひとまず藍に従い進んでいくと、二人は建物の外にある、コスエリアとして宛がわれている公園へと辿り着いた。 「まだこのあたりにいると思うんだけど……あっ、いたいた!」 「いたって誰が?」 「ほら、あそこ見てごらん?」 「うん? ………………えっ」  藍の指差す先。そこに視線を向けた知佳は、思考がピタリと止まるのを感じた。思わず足も止めてしまった彼女の顔を覗き込みながら、藍はニヤリと含みのある笑みを浮かべた。 「ヤバいでしょ? 今日〝譲さん〟来てたんだよ」  〝譲さん〟とは。繰り返し述べてきたので言うまでもないが、女児向けアニメ、キュアマギの登場人物であり、知佳の初恋にして最愛の男性キャラクターである。  もちろん生きる次元の違う存在であるため、そのキャラクターそのものがいるわけがないが、そこには確かに譲のコスプレをした人物が立っていた。 「キュアマギの大型併せなんだって。ほら、恵と希もいるし、味方だけじゃなくて敵キャラも大勢きてるみたいだよ」  併せとはコスプレ用語で複数人のコスプレイヤーで集まって撮影を行うことである。大型とはその人数が多いことを差す。藍の言う通り、そこには譲だけでなくメインキャラクターのヒロインたちやクラスメイト、敵キャラクターも大勢集まり各々にポーズを決めている。 「じ……」 「じ?」  すっかり言葉を失った様子の知佳だったが、不意に声を漏らすと何かを掴むように手を伸ばし―― 「じ、……っ、譲さんんんんんーーーーっ!?!?」 「うわっ! ちょっ、知佳! 危ない!!」  ――藍の予告通り、悲鳴、もとい発狂した。興奮のあまり後ろに倒れそうになる知佳の背を、藍はギリギリで支え、なんとか事故を避けることに成功する。流石に抱き抱えることは出来ないため、そのままゆっくりと地面に腰を落とさせると、藍は安心したように溜息を吐いた。 「まさか倒れるとは」 「えっ、いや、だっ、えぇ?」 「ごめん、人語喋ってくれる? あと袖掴むのやめて。衣装傷むから」  縋りつくように藍の着物の袖をぎゅっと握り締める知佳。興奮と混乱で言葉は話せない、支えが無くては座っていることも出来ない、非常に残念な姿だ。 「あっ、こっち来た」 「へっ、あっ、えぇっ!? なんっ、あえっ!?」 「とりあえず深呼吸。先に息吐いてよ」 「は、はぁぁぁ…………」  譲……ではなく、譲のコスプレをした人物が知佳たちの方向へ歩いてくる。たまたま向かう方角がこちら側だったのだろうかと呼吸を整えながら見守り続けるも、視線は明らかに二人、というより知佳に向いた状態で近付いてくる。 「大丈夫ですか?」  低く響くハスキーボイスが知佳に向けられる。視線を合わせるように腰を落としたその人の顔は、近くで見ても違和感がなく、まさに譲そのものである。 (す、すごい……本物の、譲さんみたいだ……) 「お嬢さん?」 「ひっ!? わっ、わた、し……?」  顔、佇まいに目を奪われていると、 再びその人が知佳に声をかけた。思わず逃げるように脚を引いて体を縮こませる知佳に、その人は笑顔を向けた。柔らかく弧を描く唇に、メイクらしき皺が寄る。その優しい笑みに知佳は目を離せなくなってしまった。 「私の名を呼んでいたようですので、何か御用がおありかと」 「へあっ!? よ、呼んでは……!」 「呼んでたじゃん。譲さんんんんん!? って」 「あい……じゃない、暁斗!?」  傍らで知佳の混乱する様子を見守っていた藍は、心底楽しそうにニヤニヤと笑っている。初めて出会った非常にクオリティの高い最愛のキャラクターのコスプレイヤーに困惑し興奮し言葉を失う長年の友人の姿など、字面にするだけで状況の滑稽さが伝わるだろう。楽しくなってきたらしい藍はさらに余計なことを口にする。 「この子、譲さんが初恋なんですよ。だから興奮しちゃって」 「暁斗!!!!」  知佳がこれまで生きてきた中で、これほどの怒声を放ったことはなかっただろう。けれど彼女の怒りなどどこ吹く風と、藍は顔を逸らして口笛を吹き始める始末である。 「そうでしたか。いやはやお恥ずかしい。お嬢さんの理想とかけ離れていないといいんですが」 「いえっ!! そんなことは全く!! 理想通りすぎて! どうしたらいいかもうよくわかりません! まさしく譲さんです!!」 「ふふふっ、ありがとうございます」  いかに譲のコスプレのクオリティが高くとも知佳がどうすることもないのだが、何を口走っているのかさえ彼女はもうよくわからなくなっていた。そんな知佳の無茶苦茶な言動に対しても、その人は優しく微笑むだけで少しも不快そうな様子はない。 「さぁ、立てますか? このままだと服に汚れが染み込んでしまいます」 「あっ、は、はい……。あ、ありがとう、ございます」  当然のように差し出された手。ゴツゴツとした見た目のその手に、動揺しながらも知佳は手を乗せた。ぎゅっと握られた手は力強く温かい。大きくて骨ばっているその感触は、男性らしさを感じさせた。 「っ!」  その人に手を引かれるままに立ち上がると、その勢いで腕の中へ飛び込んでしまう。衣装越しに触れた胸元は硬く、一瞬背中に回ってしまった手はその体の厚みを感じさせた。 「おや、申し訳ない。力が強すぎましたね。失礼致しました」 「い、いえ。むしろ……」 「むしろ?」 「い、いえ! なんでもありません! 助けてくださってありがとうございます!」  むしろ役得であった、などと口走りそうになるのを必死でこらえ、恥ずかしさから瞬時に彼から身を離した。同時に、咄嗟に離してしまった手が寂しく空を掴む。 「おーい! いいか?」 「おっと、そろそろ戻らなければ。お嬢さん、足元にはお気を付けて。では」 「あっ、は、はい! ありがとう、ございました!」 「お疲れ様でーす!」  併せ仲間と思しき男性に呼ばれると、その人は小さく頭を下げて去っていく。会釈や佇まいは相変わらず譲そのものだ。その後ろ姿が消えるまで、知佳は静かに見守っていた。こうして、嵐のようにやってきた夢のような時間は、一瞬のうちに終わってしまったのだった。
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