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12. 人助けには邪な欲望を切り捨てて
(企業ブースの方向って言ってたよね……。見つかるかな)
恵と希の二人と別れ、知佳は一人サークルスペース内を歩き回っていた。目指すは企業ブース。二人がすれ違った時間からはほんの数分程度。まだこの周辺にいるはずだ。
(譲さん……譲さん……どこ……)
人混みの中を流れに乗りながら辺りを見渡す。道幅はそう広くない。人にぶつかってしまわないように気を付けながら歩き回るも、なかなかそれらしい人物に出会えない。
(もうこのあたりのブースからは離れちゃったのかな……)
だとすればどこに移動してしまったのか。果たして再び相見えることは出来るのか。一抹の不安に駆られ、つい考え込んでしまった時だった。
「あっ、ごめんなさい!」
ほんの数人だが列形成がされていたらしく、立ち止まっていた人物にぶつかってしまう。ぶつかられた側の女性は気にしていないようで、ニコリと微笑み首を振った。
(っと、気を付けなきゃ。……あれ、バッグの口が開いてる)
ふと気が付けば、肩から下げたバッグの口が開いたままになっていることに気が付いた。おそらくは先程キュアマギの二人からもらった名刺を片付けた時に開けて、そのまま忘れていたのだろう。不用心なことだ。
(財布は……大丈夫だ、ある。他に何か……あれ、ハンカチがない)
スリ防止もかねて普段からバッグの一番上はハンカチで覆い隠すようにしているのだが、それが見つからない。それだけがない状態で中身は無事ということは、人に盗られた可能性は低い。おそらくは元々落ちそうだった状態であったのが、ぶつかった衝撃で飛び出してしまったのだろう。
(ハンカチ……あ、あった!)
落ちていないかと周辺を見渡すと、それらしき布を発見した。駆け寄って拾おうとするも、その寸前で何者かがひょいと拾い上げてしまう。
「あの、それ!」
私のものです、と声をかけようと顔をあげたその時だった。
「あなたのものですか?」
そう言ってハンカチを手渡してくれたのは、まさに彼女が今探していた人物――譲その人であった。
******
「ひぇへっ!?」
「おや、お嬢さんは……」
なんとも間抜けな悲鳴が知佳の口から零れ落ちる。それもそのはず。この間この広い会場内をひたすら探し回っていた人物に、突如として出会えてしまったのだから、致し方ないことであろう。
「どうぞ」
「あっ、あああありがとう、ございます!」
咄嗟に差し出した両の手に向かってハンカチが落とされる。――が、なぜかそれは手から零れ落ちてひらりと再び地に落ちる。
「ああこれは申し訳ない」
再び譲がハンカチを拾うとするも、上手く掴めないのか譲の指は空を掴むのみ。それを不審に思いながら見守っていると、その後譲はなんとかハンカチを拾い上げることに成功する。今度は確かに受け取ると、知佳はじっと譲の顔を見上げ、あることに気が付いた。
「……あの、つかぬことをお伺いしますが、……もしかして、目が?」
「あー、はははっ。バレてしまいましたか」
距離感を掴めていない動き、そして何より見上げた時に発見した瞳の色の違いだ。アニメの譲の瞳は両目ともに深いグレーだが、この譲は左目はグレーだが右目は黒と、オッドアイとなっている。作中、オッドアイになるシーンはなく、また最初にこの譲と出会った時には確かに両目ともに間違いなくグレーであったはずだ。となると瞳の色が異なる原因は――。
「コンタクト、落とされたんですか?」
片目が見えにくい状態であれば、必然的に物の距離感は掴みにくくなる。それが利き目であれば尚のことだ。もしやと思い尋ねると、譲は困ったように笑顔を浮かべた。
「はははっ、何もかもお見通しのようですね。その通りです。私が使っているのは度入りのカラコンなのですが、先程人にぶつかった衝撃で落としてしまいまして」
「えっ、それは大変です! よければ一緒に探しましょうか?」
「ああいえ、幸いコンタクトはすぐに見つかったんですが、そのまま装着するわけにもいかず……。クロークに預けた荷物の中に洗浄液が入っているのでそれを取りに行くところなんです」
「そうでしたか。……よろしければお手伝いしましょうか? 見えづらい視界でこの人混みの中を歩くのは大変でしょうし」
片目が見えていないときや度が合っていないとき、視界はブレやすく時には酔ってしまうこともあるという。知佳自身は裸眼であり視力はいい方だが、以前藍がコンタクトを落とした際に大変そうにしていたのを覚えていた。
「それは……、……非常に助かります。ですが、お願いしてもよろしいですか?」
譲が一瞬呆気に取られていたようだが、暫く考え込んだ後、知佳の誘いを受けた。偶然出会っただけの人間に身を委ねることに不安があったのかもしれない。まして相手は女。体に触れることに対する抵抗もあるだろう。けれどそれ以上に譲は視界が不自由なことに困っていたのだ。 知佳の提案は譲にとって非常にありがたいものであった。
「はい、身長差があるので頼りないかもしれませんが、おひとりで歩かれるよりはきっと幾分かマシになるかと。どうぞ、肩に掴まってください」
知佳は譲に背を向けると、肩にかけていたバッグを譲がいるのとは逆側へと移動させた。これでバッグが譲にぶつかることはないだろう。
「……では、失礼して。よろしくお願いします、お嬢さん」
譲は知佳の肩にそっと手を置く。その瞬間に、知佳はビクリと肩を震わせた。
(……あれ!? 私今譲さんと密着してない!?)
すぐ至近距離に憧れの人物がいて、その人に肩を貸している。耳を澄ませば吐息の音だって聞こえてしまいそうだ。ほんの数センチの距離が、知佳を一瞬のうちに緊張の渦へと引きずり込んだ。
困っている人間を見かけると放っておけない性分の知佳。今の今まで平然と譲と話していたことはもちろん、こうして触れるように誘導したことさえもすっかり頭から抜け落ちていたのだ。今更ながら状況に頭の中が混乱し始める。
(落ち着いて……。これはただの人助け。邪な感情は置いておくこと。さぁ、息を深く吐いて……)
「お嬢さん? 大丈夫ですか?」
「はひっ! あっ、は、はい! 大丈夫ですよ! えーっと、クロークは確か上の階でしたねー。……では行きますね」
再び品のない悲鳴を上げてしまうも、すぐに仕切り直す。今まさに手を貸している人物が探し求めていた人であることは、一旦頭の隅に追いやる。今はひとまず安全にこの人を目的の場所まで送り届けることに集中しなければならない。そう頭を切り替えると、知佳は譲を連れて上階のクローク目指して歩き始めた。
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