03. 知佳の愛するその人は

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03. 知佳の愛するその人は

 知佳が恋をしている〝譲おじさま〟とは何者なのかというと、二十五年前に放送された女児向けアニメ〝キュアマギ〟の登場人物である。この作品は、地球征服を企む別の世界の悪の組織と変身して戦う少女たちの物語で、健気な彼女たちの生き様や友情、恋愛を描くシリーズものである。その変身後の姿の可愛らしさや幼児向けとは思えない深いシナリオに、幼い女の子たちだけでなく一部の大人たちにも絶大の人気を誇っている。当時、齢四つであった知佳もまた、この作品に魅了された一人なのである。  そんなアニメに登場する譲という人物は、少女たちの通学路に店を構える鯛焼き屋のおじさんである。設定は公開されていないが、年齢はだいたい六十台後半から七十台前半とファンの間で予想されている。近所の子どもたちを優しく見守る保護者のような立ち位置で、主人公の少女たちもまた、学校の帰り道におじさんの元を訪れては鯛焼きをご馳走になるシーンが度々描かれている。余談になるが、壮絶な戦いやその果ての死別などシリアスな描写の多いこの作品の中で、少女たちが幸せそうに鯛焼きを食すこの平和な場面は、ファンの間で〝癒し鯛時間(いやしタイム)〟と呼ばれている。  譲はそんな穏やかで優しい人物であるが、実は物語の終盤で敵の組織の幹部であると発覚する。鯛焼き屋はあくまでスパイ活動の一貫であり、世界征服のための情報収集を行っていたのである。それを知った少女たちはショックを受けながらも譲との戦いに挑むが、譲の力は強大でとても歯が立たない。その戦い最中に繰り返された問答の中で、諜報生活が長く辛かったと語る譲。そんな彼に対し、少女たちが〝本当にただ辛かっただけなのか。幸せを感じることはなかったのか〟と語りかけると、譲は衝撃を受けたように戦いの手を止め押し黙った。それを見た彼女たちはさらに畳みかける。 『私は譲さんが焼いた鯛焼きを食べている時間が本当に大好きだったの。柔らかくて温かくて、甘くて美味しくて……いつも、すごく優しい味がして、食べるとフワフワした気持ちになるの。別のお店の鯛焼きを食べたこともあるけど、こんな気持ちになるのは譲さんの鯛焼きだけ! 譲さんの鯛焼きを食べながら、譲さんのニコニコ笑顔を見てお話する時間が、私にはとっても大切なの! 譲さんは……違ったの?』  彼女の言葉に、譲は言葉を詰まらせ、彼女に向けていた攻撃の手を下ろし、返事をしようと口を開いた。しかしその瞬間、いつまでもとどめを刺そうとしない譲に痺れを切らした別の幹部が、彼女に攻撃を仕掛けたのである。殺される――彼女はそう直感したものの、身を守る術を失った彼女は真っ向から敵の攻撃を受けるしかなかった。――だが、事実は予想に反し、痛みを感じることなく彼女は攻撃に耐えた。それは、譲が咄嗟に彼女と幹部の間に割って入り、彼女たちを身を呈して守ったからであった。  裏切ったのかと激怒した複数の敵幹部に対し譲が攻撃を仕掛けるも、敵の攻撃を受け瀕死の状態では致命傷を与えることができない。どころか、少女たちを守りながら戦う彼は圧倒的に不利な状態であった。傷を負いながらも彼は戦いつづけ、結果敵幹部を倒すことに成功したが、彼の体は取り返しがつかないほどに重傷を負ってしまった。現実を受け入れられないでいる少女が譲に、一緒に帰ろう、と声をかけるも譲は静かに首を振る。もう間に合わない、その上自分は少女の世界の住民ではないから帰れないのだ、と。ただ彼女が取った手をギュッと握り、優しく笑う。いつも子どもたちを見守ってきたあの笑顔で。 『子どもたちと過ごす時間はいつも幸せだったよ。笑顔で僕の焼いた鯛焼きを食べてくれるのを見ている間は、任務のことを忘れられた。こんな任務なんて放棄してしまいたい、と何度思ったかわからないくらいさ。でも、僕は幸せだよ。君たちみたいな優しい子に、最後に出会えて、本当に。……ただ一つ後悔があるとすれば、君たちの成長した姿を見られないことかな。きっと君たちは、誰よりも素敵なレディになっていただろうから』  涙で濡れた彼女たちの笑顔を最後に、彼は息を引き取り、その姿は瞬く間に光となって消えていった。胸がからっぽのままなんとか帰宅した彼女たちは、母親から帰りに買ってきたという袋を手渡される。中身は、鯛焼き。もちろん、譲の店のものだ。家庭の事情で急遽店を畳むことになったと聞いた母親が、最後に買いに行ったのだという。譲は既にいなかったが、大家さんが預かっていたのだという。彼女たちは袋を受けとったその足で公園に集合し、すっかり冷めてしまった鯛焼きを並んで食べ始める。甘いはずの鯛焼きが、この時はなぜかしょっぱく感じたが、それでも相変わらず優しい味であったのだった――
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