04. その夢女子、一念発起

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04. その夢女子、一念発起

「はぁ……この涙のお別れがね、とても辛い」 「わかる。そこは本当にしんどい。一緒に帰ってほしかった」 「あの哀しみを糧に、彼女たちがさらに過酷な運命に逆らう決意を固めていくんだよね。歴代シリーズの中でもトップのしんどさよ……」  知佳の話を流していたはずの響と藍も、いつの間にやら感情移入していたらしい。知佳と同い年である彼女たちもまた、放送当時この作品を目にしており、また大きくなってからも知佳に勧められて再度視聴しているため、内容についてよく知っていた。該当のシーンを思い出してしまったのだろう、その瞼がほんのり水気を帯びている。 「譲おじさまはさ、笑顔が素敵だし物腰柔らかいし、誰にでも親切なんだよね。最初こそ潜入捜査ってこともあって、あの世界に溶け込めるように計算でやってたところもあるんじゃないかなって思うけど、元々の人柄でもあったんじゃないかなって思うんだ。じゃないとあんなに全身から優しさオーラ出せないし」 「それはー……色眼鏡で見てるような気もするけど、まぁ、そう思ってもおかしくないくらいには紳士だよね」 「でしょう? その中でも特に子どもに優しいけど、ただ優しいだけじゃなくて、その裏にはあの世界の子どもたちを裏切っている、っていう後ろめたさも持ってたんだよね。ちょっと影があるというか、慈愛に満ちているわけじゃないってところがさ、またいいんだよ……。きっと初登場時に一目惚れしたのも、それを直感したからだと思うんだ」 「えぇ……、そんなキャラの笑顔の裏を見抜いちゃう四歳児やだよ」 「ていうかそんな幼少期から影のある人に惹かれちゃうとか将来が心配……、あ、その通りになってたか」 「はぁ……どうしてこの世界にはおじさまがいないの……」  熱く語りつづけた反動か、知佳は疲れたようにテーブルに突っ伏した。彼女はこれまで譲に恋をし続けてきたが、当然叶うはずもない。次元の壁を超える術は、現状存在しないのだから。 「いないものは仕方ないでしょ。いつまでも二次元に夢見てないで、現実を見なさい、〝夢女子〟」 「会いたいよ、譲おじさま……。私じゃまだ、おじさまに釣り合いませんか……」 「おおっと、都合の悪いことは聞こえない耳をしているようだ」  ――夢女子、とは。諸説あるため一概には言えないが、広義には二次元のキャラクターと自分または自作のオリジナルのキャラクターの恋愛を夢見る女性のことを指す。自作のキャラクターはたいていの場合、その二次元のキャラクターに見合うと考えるキャラクター設定で自由に作成される。今回の場合、知佳は本気で譲に恋をしているため、二次元のキャラクターと自分、の恋愛を夢見ていると言える。  そんな二次元に夢見る女性――夢女子である知佳は、次元の差があるにも関わらず、初恋を自覚したその時から譲に見合う女性になるべく本気で自己研鑽を続けてきた。母の手伝いと称して率先して家事を学び、天気が良ければ外で遊び体力をつけ、雨が降れば家や図書館で勉学に励んだ。譲と同じように潜入捜査ができなければならないと考え、友達や先生、近所の人ともよく話をして社交的であることに努め、流行のファッションやお洒落についても常に情報収集を絶やさなかった。その結果、頭脳明晰、運動神経抜群、容姿端麗の三拍子を体現することに成功したのである。  当然このような女性である以上異性に好かれやすかったが、初対面などの親しくない間柄では高嶺の花と思われ近づかれず、逆に親しくなった場合でも持ち前のオタク気質が顔を出した瞬間から残念な美人として扱われてしまうこともあり、恋愛に発展した経験はない。また、内面を知らない者から告白されても、譲一筋の彼女はすべて断っている。そんな一面に加えて、社交的であることに注力してきた彼女は、同性からの信用も厚く友人が多い。その数多くの友人の中で最も親しいのが、響と藍である。なぜ特にこの二人なのかというと、その理由は彼女たちの共通の趣味にある。 「二人にこの辛さがわからないことくらいわかってるよ……。二人とも夢女子じゃないし」 「はっきり言って真逆だもんねー、〝腐女子〟は」 「私は対極まではいかないけど、〝NL〟と夢は違うし」  これまでの言動から薄々察しているかもしれないが、響と藍の二人もまた知佳と同じくオタク気質な面がある。そんな彼女たちでも大きく違うのが、趣味嗜好のジャンルである。  腐女子――それは主にボーイズラブ、通称BLと呼ばれる男性同士の恋愛模様をこよなく愛する女性のことを言う。夢女子と大きく異なるのは、既存のキャラクター同士に想いを馳せる点にあるだろう。キャラクターと自分または自身の創作キャラクターとの関係を好む夢女子とは対極の位置にあるといえる。  次に、NL。これは異性同士の恋愛模様のことを指す。男性同士をBL、女性同士をGLと略すことから派生して生まれた用語であり、諸説あるがここでは異性愛者を差す言葉を用い〝ノンケラブ〟の略語として扱う。こちらもBLと同じく既存のキャラクター同士の色恋を指すため、夢とは別ジャンル扱いをされている。  知佳、響、藍の三人はそれぞれこの趣味嗜好が異なっており、知佳は夢女子、響は腐女子、藍はNL女子なのである。 「でも実際さ、そろそろ本気で現実に目を向けないと、取り返しがつかなくなりそうなんだよね……」 「つまり、夢じゃなくて三次元の恋愛に本腰を入れると?」 「うん、周りもどんどん結婚していくし、結婚した子たちからは悪意なく応援されるしで流石に焦るよ。二次元にばかり現を抜かしていられないというか」 「お、まさかあの知佳の口からこんな現実的な発言が聞けるとは」 「くっ……、胸に突き刺さるぜー……!」  珍しく現実に目を向ける発言を知佳に、藍は感心し、響はわざとらしく胸に手を当てる。そんな二人に焦りは微塵も感じられない。彼女たちもまた現在、恋愛から遠い生活を送っているのだが、特に気に留めていないようである。 「そこで私は考えました!」  突っ伏していた体をガバッと起こすと、知佳は自信満々に腕を組む。 「「なにを?」」 「私、婚活しようと思う」  知佳の言葉に、藍はエスプレッソを飲む手を止め、響はティーポットから注いでいた紅茶をカップから溢れさせた。あまりの衝撃発言に硬直してしまってのである。響に至っては、知佳に言われるまで紅茶を零していることに気付かない程だ。 「お……おおー。思ってたより本気だったんだね……」 「待って、響。本気じゃないと思ってたの?」 「え、いやだって……ねぇ? 今までが今までだし……」 「えー、っと、いいんじゃない? まずは現実の男性とたくさん話をしてみて、判別する目を養わないと」 「なかなか失礼なこと言うね、藍ちゃん。私にもまだ見ぬ男性にも」  知佳の発言を一旦受け止めた二人だが、言葉の端々に動揺が見える。これまでの長い付き合いの中で、知佳が現実の恋愛に目を向けたことなど皆無に近い。それゆえに突然の現実的な発言に困惑しているようだ。オーバーにもとれる二人の反応に、知佳もまた動揺を隠せないでいる。  そんな困惑した空気を切り替えたのは藍である。口にしていなかったエスプレッソを一口飲むと、コホンッと咳払いをした。 「実際、見極めって大事よね。人が良さそうに見えても実はすっごく酒癖が悪いとか、ギャンブルにハマってて借金まみれとか、ザラにいるわけだし」 「いかんせん知佳ちゃんはリアルでの恋愛経験がないからすぐ騙されそう……」 「そ、そんなことはない! ……かな? ほら、恋愛経験はないけど、対人経験は多いわけだし!」 「まぁ確かにアンタは昔っから人の中心にいるような人間だったし、対人関係で問題起こすことなんて滅多になかったと思うけど、恋愛となるとまた話は別じゃない? 不特定多数とのやり取りには慣れてても、たった一人の異性と深く関わりを持つことがはなかったわけだし」 「そ、れは……まぁ、どちらかと言えば避けてきた道だけど……」 「必ず三人以上か同性を含む集団で行動して、絶対に二人きりになることを避けてたもんねー。今思うと過剰なくらい徹底的だったかも」 「だって、それが一番男の子とも女の子ともトラブルにならずに平和に過ごせる方法だと思ってたし」 「器用すぎて逆に不器用だね」  これまで知佳は社交的であること、トラブルを起こさず平穏な日々を過ごすことをモットーに生活を送ってきた。良くも悪くも人から注目されやすい彼女は、本人が意識せずとも他人の恋愛に巻き込まれることがしばしばあった。例えばとある女の子が男の子に恋をしたが、その男の子は知佳に好意を寄せており、その結果女の子から嫉妬で敵意を剥き出しにされる――などである。  そのため平穏無事な生活を送るには、広く交友関係を持ち、異性と同じ空間にいる場合は必ず同性の傍にいるように努め、恋愛トラブルに巻き込まれないようにしなければならなかった。本人が譲一筋であったことが理由の大部分ではあるが、結果として彼女は現実での異性との恋愛から徹底的に離れていたのである。 「とにかく、二十九年経って初めて現実の男に目を向けようっていうんだから、しっかり見る目を養うこと!」 「は、はい! 了解であります!」  強く言って聞かせるように藍が知佳の眼前に人差し指を突き出すと、知佳は思わずビシッと背筋を正し敬礼した。 「……それに、アンタ長年二次元に夢見てきて、自分を散々磨いてきたんだから、安っぽい男に捕まるんじゃないわよ」 「……! うん、気をつけます!」 「やだ~、藍ちゃんツンデレー? かーわいーいー!」 「うるさい。アンタのケーキ食べるわよ」 「藍ちゃん甘いの苦手なんだから食べられないと思うよ~」 「食べてみないとわかんないじゃない」 「あっ! 本当に食べた!」 「……甘っ」 「ほらやっぱりー!」  響と藍のやり取りを見ながら、知佳は一人笑みを零す。そっぽを向きながら注意をしてくれる藍、柔らかい口調で場の空気を和らげてくれる響。二人はかけがえにのない知佳の親友だ。友人に恵まれていることに心の中で感謝の言葉を送りながら、知佳は次の目標へと気持ちを切り替えるのだった。
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