1話 労働とは情報戦だ

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+++  迎えた昼休み。  私は昼食もとらず、真っ直ぐ生徒会室に向かった。  そして。  すぅと息を吸うと、ガラガラと遠慮がちに戸を開いた。 「……こ、こんにちは」  気まずさに、声が先細っていく。  それを阻止しようと語尾だけ無理にボリュームを上げて、かえって不格好になる。  羞恥で熱くなる頬を袖で隠しながら、そっと室内を見た。  中には男子が一人。  皺のない白いシャツに、グレーのニットベスト。  制服のようなきっちりした格好の彼を見て、私はあっと声を上げた。 「ほ、堀米くん」 「あっ……わ、若林さん!」  急に入室した私を見て、堀米は一瞬びくりと肩を震わせ、目を見開いた。  驚かれたことへの悲しみと、驚かせたことへの罪悪感が、絵の具を溶かすように胸に広がる。 「……ご、ごめんね? 驚かせて……」 「とんでもない! こちらこそごめんだよ。 その……来ると、思ってなかったから」  ズキンと胸が痛む。 『来ると思ってなかった』  その言葉が、 『今更何をしに来たのか』  に変換されて、ぎゅっと唇を噛む。  無責任にも仕事を投げ出して帰ったのは私だ。  暴言を吐いたのも、乱暴に戸を閉めて帰ったのも、全て私だ。  言葉を繰り返し噛み締めながら、私は、床が見えるほど頭を下げる。  「……昨日は、失礼なことを言って、挙句仕事をほったらかして帰って、すみませんでした」  そして、でき得る限り真摯に謝罪した。  静寂の向こうに、昼休みの放送が聞こえる。  どこか上の方で、トランペットが高らかに吹き鳴らされている。  沈黙が、痛い。  私は、恐る恐る顔を上げた。  と。  目を丸くした堀米と、ばっちり視線がぶつかる。 「……もしかして」  堀米が、ゆっくり問いかける。 「もしかして、それを言うためだけに、また訪ねてきたのかい?」 「そ、そうだよ! 無責任だったし、あんまりなこと言っちゃったから……!」  心底意外そうな彼の声に、返す語調がつい強くなる。  ああ、またやってしまった。  可愛くない。  そう思い、口元を袖で隠すと。 「……ふふっ」  零れ笑いが耳に入る。  堀米は、両目を糸のように細めて微笑んでいた。 「聞いたよ。若林さん、担架に乗せられて無理矢理連れて来られたんだってね」 「きっ、聞いたの!?」  動揺して聞き返すと、堀米は(いつく)しむような笑みを浮かべた。 「うん。だから、謝るのはこちらの方なんだ。本当に、本当に申し訳ない」  そして。  私がした以上に、深々と頭を下げた。 「正直、無理矢理連れて来られたって聞いた時は、貴女が辞めて当然だと思ったよ」 「ほ、堀米くん?」 「あれで怒ったなんて、足りないくらいなんだよ」  おずおずと声をかける。  頭を頑なに下げたまま、堀米の口調に段々と熱が(こも)っていく。 「あの……」 「だから」  堀米が、私の顔を覗き込む。  その双眸(そうぼう)で、私の(まなこ)を射抜くように見つめる。 「だから、またここで会えて、とても驚いたし、嬉しかった。若林さんに悪いところなんて、一つもないからね」  その真っ直ぐな視線に。  その真っ直ぐな言葉に。     胸が、きゅっと絞られるように痛む。  なのに同時に、フワフワとした浮遊感を覚える。    不快とは正反対の心地に、心臓が遅れて激しく脈打つ。 「……そ」  謝りに来たのに。  調子を狂わされた私は、ぼそぼそと呟くように言葉を紡ぐ。 「……そう。あ、あ、ありがとう。……あ、あのね、私、昨日の仕事の続きをしに来たの……!」  ああ。  また、可愛くない。  そう思いながら、言い訳がましく話題を移したことを早速後悔していると。 「ほ、本当か!?」 「本当なのね、青葉ちゃん!」  パーテーションの影から、雪崩(なだ)れ込むように人が飛び出してきた。
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