1話 労働とは情報戦だ

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 その言葉に、バッと振り向く。  すぐ後ろで、困ったように微笑んでいた男子と目が合って。  私は驚き、思わず()け反った。 「ほ、堀米くん!」 「だから、若林さんに変なことさせるなって言ったのに……」  いつの間にそこにいたのだろう。  先程生徒会室で別れた堀米が、溜め息混じりに言葉を零した。  羞恥で身体を強張らせる私と対照的に、柚木は文句を垂れ始める。 「おいサキ、この猪みたいな奴、責任持ってクラスに持ち帰れよ」 「いの……!?」 「失礼なことを言うんじゃない。大体、トウヤが原因だろ?」  暴言を吐く柚木に対し、堀米はジロリと呆れた目を向けた。 「そうとも言えなくも……なくもない、けどよ……」  柚木は子供のように拗ね、見る間に鎮静化する。  それを目の当たりにして、私はポカンと口を開けた。  これが『昔からの付き合い』の力だろうか。  そもそも私の怒声より、堀米の言葉の方がよほど響いていないだろうか。  感心と悔しさが入り混じり歯噛みしていると、柚木は羽虫を追い払うように手をヒラヒラと振った。 「言うべきことは言ったし、聞くべきことも聞いたぞ。さっさと帰れ」 「ちょっと、まだ話は……!」  対する私は反発し、言い返そうと身を乗り出す。  その右腕を、骨ばった手が一瞬引き留めた。 「っ!?」 「あっ、ごめんね、急に」  パッとすぐに離された手の温もりが、いやに残っている。  手の主の堀米は、気遣わしげな表情で私を見つめていた。 「ほーん」  急な接触に動揺した私を小馬鹿にするように、柚木はやる気のない冷やかしの声を上げる。  そして。 「しょうがねえなー。明日の放課後には生徒会室に顔出してやるから、他の奴らにそう伝えとけよ」 「えっ?」  小声で続いた言葉に、私はワントーン高い声を上げた。 「ほ、本当!?」 「おうよ、オレは無駄な嘘は吐かない」  囁くような声を保ったまま、柚木は鷹揚に頷く。  内心まだ煮えたぎってはいるものの。  ここに来て初めて成果が現れたことに、私はひどく吃驚していた。 「分かった! じゃあ約束だからね!」 「へーへー」  強調して確認すると、柚木は相も変わらずおざなりな返事をする。  でも、これで良い。  やれるだけのことは、やった。  ぐるりと周囲を見回す。  生徒達が二、三人ほどのグループになりながら、遠巻きにこちらを(うかが)っている。  見るとドアのガラス越し、廊下からも、何人もの生徒が覗き込んでいた。 「お騒がせして、すみませんでした」  私は教室中央と廊下側に向け、それぞれペコリと一礼する。  と、廊下から野次のような反応が帰ってきた。 「今年の生徒会って、そんなにヤバいのー?」  明るい声で問われ、ギクリとする。  知って協力的になってほしいような。  知らないままでいてほしいような。  そんな、私の脳裏に過った不安を。  全く気にせず、座りかけた柚木が大声で返答した。 「おー。かなり大変みたいだぜー? 過労の奴が出てもおかしくないし、合宿準備も終わるか危ないかもなー?」 「ちょ……っ!」  止める間もなく、生徒会執行部の実態が暴露される。  教室で廊下で、ギャラリー達が不穏にざわめく。  私はといえば、柚木の他人事のような物言いが(しゃく)(さわ)ってもいたし、こんな風に会長の口から実情が露見したことに不安を覚えてもいた。  冷や汗が垂れる。  柚木は一体、何をしようとしているのだろうか。  読めない思考に苦慮していると。  ポン、と左肩に手を置かれる。    振り返ると、堀米がまだ私の傍に立ってくれていた。 「任務完了したから、生徒会室に寄って教室に帰ろうか?」 「う、うん。でも……」  チラリと柚木を盗み見る。  この注目の的の生徒会長を一人残していって良いものか。 「帰って良いよな、トウヤ?」 「帰れっつってんだろ。ご苦労さんさん。サキは放課後オレんとこ来いよ」  思案していると、堀米が先手を打って柚木に確認した。  彼は、柚木の投げやりな返答に丁寧に頷くと、行こうと言って私を誘導した。 「これで、良かったのかな……」  後に残ったのは、一抹の不安。  教室を出る際、私は入室時と違う感情を覚えていた。  一つは、目的を達成した安堵。  もう一つは、この騒動が広まって業務にますます支障が生じはしないか、という心配だった。
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