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「そ、そうなの?」
「役員さんも辞めてしまって、人手不足で、それに合宿準備の経験者もいなくて……てんてこまいで……」
「そんな大変な状況になっているなんて、全然知らなかったわ……」
先輩は顔を青ざめさせる。
彼女も、昨日までの私も、他の大半の生徒達も、恐らく『知らなかった』だけなのだろう。
自分の身に火の粉が降りかかるなどと、想像もしなかっただけ。
彼女の表情を見ながら、私はそんなことを考えていた。
「そうなんですよ。特に今年の会長は『慣例』も『加減』も知らない、とんでもない奴でして」
私の横に立っていた堀米が、追い討ちをかけるように神妙な顔で補足した。
「おざなりに案を承認して、先輩方の課題を『志望校のランク二段階アップ』とか『実力テストで赤点の生徒は滝行』とか『八十点以上取らないと家に帰れない』なんてものにしてしまいかねないですね」
「そん……っな……!」
悲痛な声を上げる先輩女子。
真顔の堀米は、恐ろしい案を止めどなく思い付いて口にしているのだろうか。
それとも何か、心当たりがあって例示しているのだろうか。
判別がつかず、横で聞いていた私も密かに冷や汗を垂らす。
「何か……手は……!」
女子生徒は、必死の形相で食らい付いた。
「ううん、そうですねぇ」
堀米は顎に手を当て、少しずつ彼女ににじり寄る。
後ずさる女子と、後を追う堀米が、ゆっくりと彼女の教室に踏み入る。
彼はドアの側面に手を置き、女子生徒を見つめた。
「まともな案が一つでも多くあれば、会長を説得しやすいんですけれど……。正直なところ、今は最低ラインの『三つ』にも届いていないんですよ」
そして、私の耳に辛うじて届くほどの声で、絞り出すように懇願する。
「素朴な案で構いません。三つほどあれば大丈夫です。どうか、貴女のクラスで考えてくださいませんか?」
堀米の頼みを耳にした女子は、驚嘆に目を見開き、恐る恐る問い返した。
「あ、明日までに、だよね……?」
「はい。間に合わないと、ゲテモノ案ばかりの決定会議になるでしょうから」
堀米はしゅんと肩を落とす。
女子生徒は、開けた口元に手を当て、オロオロと狼狽えた。
「わ、分かった! それなら、他のクラスにもちょっと協力要請してくる! 非常事態だもん、忙しいとか言ってられないよね!」
「本当ですか! 助かります」
堀米は即座に頭を下げた。
私も後ろで合わせて低頭した。
先輩女子は、堀米に二、三言確認し、数枚の書類を受け取ると、慌ただしく教室の中心に戻っていった。
「さあ、用が済んだし、帰ろうか」
先輩の教室を出ると、堀米は何事もなかったかのように微笑んだ。
この短時間で、質問を逆手に取って頼み事を成功させた彼に、私はただただ舌を巻いていた。
「すごいね、堀米くん。交渉上手というか……」
「大したことはできないよ。若林さんに褒められるのは嬉しいけれど」
「……どっ、どうも……」
スマートに返され、尊敬と照れで頬が赤らむ。
なんとなく理解できた。
彼は人を好い気分にさせることに長けているのだ。
顔を隠すように、ずんずんと歩を進める。
堀米も同じように隣を歩く。
緊張のせいだろうか。
生徒会室までの距離が、やけに長く感じられる。
「いやあ、合宿のこと、先輩にはああ言ったけれど、不安極まりないなあ……」
堀米は歩きながら、再び先程のように、唐突に世間話を始める。
「困ったね。課題がちゃんと決まるか、やっぱり自信がないよ」
「そっ、そうだね……! す、すっごく不安になるよね……!」
他人に助力を請うても、焼け石に水かもしれない。
結果が出るまで、収束の時まで、不安は消えない。
何度も何度も、同じような会話を繰り返しながら。
階段を降り。
二年生の教室の前を通り。
また階を下り。
一年生の教室の前を通り。
渡り廊下を歩いて。
購買前の賑わいを過ぎて。
生徒会室へ戻り、教室に帰るまでの間も。
堀米と私は飽くことなく、合宿への不安について語り続けたのだった。
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