1話 労働とは情報戦だ

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「仕事の虫だな」  頬杖をついた生徒会長が、半笑いでそう言い放った時。 『──って、仕事中毒で可愛くないよな』  思い出したくもない、中学時代の言葉が頭を駆け巡る。  高校に入って半月。  お洒落で明るい今時女子に変身したはずだったのに、どうして私は今、生徒会室で大量の書類に埋もれているのだろう。  私は最たる原因である──だるそうに笑う生徒会長を、眼鏡のレンズ越しに(にら)み付け、可愛げなく大声を上げた。 「うるっっっっさいなぁ!! 口動かす暇あったら、少しは仕事したら!?」 +++  二〇一〇年代、とある春。  生徒会室に連行される羽目になるともまだ知らぬ、四月下旬。  私──若林(わかばやし)青葉(あおば)は、春色の新生活を謳歌していた。 「おはよう、青葉っち! そのリップ可愛い色だね。どこで買ったの?」 「おはよう! ありがとう、えっと……『Meadow-Green』のローズピンク、だったかなぁ?」  朗らかな声で問われ、私は負けないくらい明るいトーンで返答した。  地元から電車で一時間。  距離と偏差値の高さのお蔭か、同じ中学から進んだ者のいない名門私立・山茶花(さざんか)高校。  机を並べる学友達は、半月前まで誰一人として私を知らなかった者ばかりだ。    中学までの、堅物でダサい若林青葉は『死んだ』。  私はここ二週間で仲良くなった女子へ微笑みを向ける。 「それより、づめりんのネイル、すっごく綺麗だね。それもセルフでしたの?」  級友・橋爪(はしづめ)の指先に目を遣る。  ルビーレッドにアーガイル模様のネイルを目ざとく褒めると、彼女は花のような笑顔を咲かせた。 「うん、結構自信作!」 「プロにやってもらったみたいだね! 意匠も大人可愛くて、すごく素敵だなぁ」 「嬉しいな。ネイリスト目指して、高校のうちにできる限り技術を磨くつもり! 頑張るよー!」  希望に目を輝かせ快活に宣言する彼女に、私は温かな眼差しを向ける。  それを見つめ返して、橋爪はふんわりと微笑んだ。 「青葉っちって本当、褒め上手の癒し系だよね。お洒落にも敏感だし。中学の時も言われなかった?」  問われた言葉にドキリとする。 「あはは、そんなの、初めて言われたよぅ……」  愛想良く返すが、言葉は知らず尻すぼみになる。  褒め上手も癒し系もお洒落も、今まで全く言われたことがない。  受けた言葉は『頭でっかち』『生意気』『可愛げがない』、せいぜいそんなところだ。  などと言えるはずもなく曖昧に笑っていると、橋爪はこともあろうか、近くを通った男子を呼び止めて問うた。 「ねぇねぇ、堀米(ほりごめ)くんもそう思うよね? 青葉っち、優しくてお洒落で可愛いって!」  問われた長身の男子生徒が振り向く。 「づ、づめりん!」  級友になんてことを尋ねるのか。  いたたまれなさに立ち上がると、クラスメイトの男子・堀米はきょとんとした顔をした後、優しげな微笑を浮かべた。 「そうだね。若林さんは可愛い」 「んな……っ!」  照れもせずサラリと返答されたことに戸惑い、言葉を失う。  瞬時に耳まで熱を帯びた私は今、茹でダコのような顔をしているのだろう。  そのまま歩き去っていった堀米の背を見ながら、橋爪はニヤリと笑って口笛を吹いた。 「ひゅーう、言うねぇ。青春だ」 「づめりんが言わせたんでしょ……」  自分に言い聞かせるようにそう言うと、私はヒリヒリ熱い頬を押さえながら、席に座り直した。  高校生活とは、かくも刺激的なものだったのか。  何もかも中学とは異なるクラスを見回しながら、私はほぉと感嘆の息を吐いた。
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